goo blog サービス終了のお知らせ 

王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

国家の品格論 第七章 下

2006-05-11 07:42:10 | 国家の品格論
 ようこそお越し下さいました 第七章 上 の続きです

先生が快気炎なので解説がまたまた長くなりました 何を語っていましたっけ?
そう 天才を生む条件でした
それでは天才を生む条件について日本はどうであろうか?
日本はこの三つの条件を見事に満たしている(爺の補足:20年後には尊敬に足る国であるかの指標)

まず、日本には美しい自然がある 第二に神仏や自然に跪く心がある 第三に役立つものや金銭を低く見る風土がある 武士道は正にそうである だから(金銭を低く見るから?の意であろう)「武士は食わねど高楊枝」で我慢していたわけだ
貧富と貴賎は無関係、とは今も日本に残る美風だ この様に「天才を生む土壌」の伝統は残っている
又江戸時代は漢字の識字率は世界最高であった 江戸の末期でだいたい50% 同時期ロンドンで20%程度だ 識字率が高いということは読書文化が発達していること 金儲けにはまったく役立たない読書に国民は楽しみを見出していた

(爺の疑問:江戸も初期を終われば読み書きソロバンは町人(職人でも)が10歳過ぎて世に立つ(親元離れて自立する)大切な教育であったはず 何も役に立たない読書と貶める必要は無い 徳川政権が古今東西の書物を発刊させなかっただけなのだから  まあ それを先生は役に立たないから良いと強調されている) 

明治維新後の日本の驚異的発展は(江戸期の)驚異的底力によるものだ
数学・文学・芸術活動をみればその国の底力が分かってしまう 「ここ10年経済発展が著しいからこれからはこの国が凄い」なんて言葉を聞かされても眉唾ものだ

「国際貢献」を考える
(爺の補足:ここでは先生が自衛隊のイラク派兵、対米追随姿勢、対応策等を語っています 論評するに耐えませんので割愛します) 
結論は国家の品格はそれ自体防衛力であり他国の侵略を回避するとの主旨でしょう
明治の開国で植民地にならなかったのは「品格ある国家」であったからである

そして先生は(今日本は)異常な国家であれと主張します
政治家が日本は「普通の国」になれというがそれは大抵「アメリカ見たいな国」に過ぎない 

先生の主張は日本は有史以来「異常な国」なのだからこれからもそれを続けるべきだちゅー事です
その異常さは五世紀から十五世紀に掛けて千年間に日本の文学がヨーロッパ文学を凌駕したり江戸期260年にわたり平和を実現し文化芸術の華を咲かせた 恐らく識字率も断然世界一であったろう 明治になると開国後近代化に乗り出し37年で世界第一のロシア陸軍をやっつけてしまい第二次大戦前には世界最大の海軍国になっていた

戦後は廃墟の中から立ち上がりあっという間に世界第二位の経済大国にのし上がった 最近では不況だが世界第二位の地位を保ち世界最大の債権国だ
十年以上不況が続いてもヨーロッパやアジアのどの一国と比べても比較にならないほど経済大国として存在している この資源も何も無い小さな島国で何故これほどの実績を残したのか、つまりこれほど異常であったのか考えないといけない
(その理由は)日本人が持っていた「国柄」が素晴らしいものだったからだ
世界に冠たる国柄を持っていたのである
この独自性をどうして守り続けるか我々の義務である


爺の感想:この「異常な国であれ」は今まで先生が否定し続けた金銭を卑しみ武士は食わねど高楊枝と全く異なる経済大国の話を褒め称える言葉でないのであろうか???
つまり江戸末期まで維持された「武士道精神」を犠牲にして「富国強兵」そしてその結果 大東亜戦争に敗北した後「産業立国」に狂奔した結果 表向き達成した美点だ

その裏で(先生の否定する)拝金主義・卑怯なふるまい・弱いものいじめ等などが(明治維新以来)138年にも渉って続いた結果ではないのか??

戦後国の防衛を米国に依存し軍事費の負担が軽い分、経済活動に集中し農村から集団就職で農業後継者を産業に狩り出しそれでも足らず安い給料で女性を職場に投入しついに子育ての基盤である「妻と母親の尊い立場」を壊してしまった 先生の称える美しい自然と武士道精神を叩き込む事が必要ならGDPや対外債権などは半分になってもかまわないと主張して先生の主旨が生きる筈なのですが「たかが経済」と批判するだけで具体的提言はありません

先生は最後の大事な纏めの章で言葉足らずかまたまた考え違いした 先生が褒め称える「情緒と形」を失う代償に非難して止まない金銭を手に入れたのですから まづ明治以降失った「情緒と形」を江戸末期まで戻しそのあとで「維持」し続けなければならない 大変な文化と社会改革と政治の変革を要する大作業であります


このあと先生は第一章で述べた欧米の論理に付きもう一度滅多切りします
その1:「神の見えざる手」は問題を解決しない
その2:新自由主義経済学の「異端性」による間違えた論理の出発点
その3:キリスト教原理主義の時代遅れであると
そして論理に代わるものとして「情緒と形」を述べた 具体的にはもののあわれなどの美しい情緒、そして武士道精神から来る慈愛、誠意、惻隠、名誉、卑怯を憎む等の形だ そして現代を荒廃に追い込んでいる自由と平等よりこれ等の日本固有のものの方が上位にあることを示さねばならない
世界に示すには口角泡を飛ばすのでなくまず日本人がそれを身に付けることである
それが「国家の品格」になる


品格ある国家の指標
「品格ある国家」の特徴とはどんなものであろうか? 「情緒と形」では具体的に目に見えにくい 指標を明示する
その1:独立不羈
国家の独立不羈 (つまり)自分の意思に従って行動のできる独立国という事だ
現代はアメリカの植民地状態でこの条件を満たさない
自給率を高めることも独立国として大切だ 又自分の国は自分で守るとの覚悟が必要である そして確固たる防衛力は隣国への侵略力にも転じかねないので(それを阻止する為にも)一層美しい情緒と形が必要なのだ

その2:高い道徳性
二番目は「高い道徳性」(を持つこと)である
日本人は戦国の昔から外国人により称えられている 昭和の初めの頃まで外国人が同様のことを記している
この高い道徳心のDNAが戦後(金銭市場主義により)傷つけられ痛められているこの高い道徳という国柄を保つ事(が必要で)その為に情緒と形を取り戻す事だ

その3:美しい田園
三番目は美しい田園(を保っている事)です 美しい田園が保たれている事は金銭至上主義に冒されていない(その様な情景があるのは)、美しい情緒がその国に存在する証拠だ イギリスでは誰でも田園の美しさに心を打たれる これでイギリス人が金銭至上主義に染まっていない事が分かる 実は彼らもかつてはそれに染まっていたが金銭が幸せをもたらさない事を知り一世紀前に卒業してしまった

美しい田園が保たれているという事は農民が泣いていないという事である 農民が安心して働いている証拠である 経済原理だけでなく祖国愛や惻隠の情が生きていることだ
欧米人にまで誉めそやされた田園は市場原理によりここ十数年ほどですっかり荒らされてしまった

その4:天才の輩出
学問、文化、芸術などの分野で連載が排出している事(が指標の4)である
役に立たない物や精神性を尊ぶ土壌、美の存在、跪く心などが必要である
しかし市場原理主義はこれらをずたずたにしている
日本は天才を生む土壌を失ってしまった
以上が品格ある国家の指標ですが先生はもう一度繰り返して田園があれ、役に立つことばかり追い求め、跪くのは金銭の前ばかり、田園が荒れれば情緒も危殆に瀕すると(嘆きます)
  
(爺の与太話:先生のお説に従って考えれば日本の現状は“国家の品格”を体現できる様な状態で無いと繰り返し記されております)


世界を救うのは日本人
(さあ先生のご主張の締めの部分になります)
日本は金銭至上主義を何とも思わぬ野卑な国とは、一線を画せ 国家の品格をひたすら守れ 経済的斜陽が一世紀続こうとたかが経済ではないか

(爺の与太話:先生はイギリスと日本を比べています かの国は400年にわたり7っの海を征服し世界中の富を国家に溜め込みました それと比べてはイギリスに失礼でしょう わが国はここ十年の不況で国債残高は200兆円以上増え、所得格差が問題になり、生活保護者数、就学補助児童の数などはうなぎ登りです 

たかが経済でなく庶民は衣食足りて礼節を知るのですからこの現象に心を痛めなければ武士道精神のある大学者と思えません 庶民は先生の「檄」ではお腹が一杯にならないのです)

さて先生は続けます 日本人が「情緒と型」を身につけ、品格ある国家を保つことは、(日本人の)人類に対する責務です ここ四世紀ほど世界を支配した欧米の教義はようやく破綻を見せ始めた 世界は途方にくれている この世界を本格的に救えるのは日本人しかいない
 

(爺の後知恵:以上が先生の主張の要約です 品格ある国家の指標を思い出せますか その4っはいずれも痛めつけられ他国の人に教えられるような余裕はありません 昭和20年8月の敗戦時に戻るのさえ至難でありましょう しかし「情緒と形」「形」の核である「武士道精神」に基づく教育 日本人による欧米人の救済 なんて聞いていると現状に不満、不安、閉塞感、無力感を感じてる方々に先生の提言は耳に快い事でしょう

しかし爺は考える 議論を尽くさず(或いは論理的に思考せず)♪俺の目を見ろ何にも言うなとか ♪義理と人情を秤に掛けりゃ義理が重たい男の世界 或いは桜の様に潔く散るとか言っても--欧米人に通じると思えない 又日本人が(先生の提言通り行動したとして)それを世界の人々が「品格のある国家」であると思ってくれるか否かは分からない
先生の提言は「藤原の断言ワールド」であるから)

さらに「国家の品格」総集編 に続く


写真は(武士は食わねど高)楊枝
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国家の品格論 第七章 上

2006-05-10 06:40:52 | 国家の品格論
 ようこそ 第六章 下 の続きです

この章では戦後の日本は一貫して経済成長を続けてきたが繁栄の代償に「国家の品格」を失墜してしまった と先生は嘆きます

そこで失った品格を取り戻すために何をしたらよいかを考えたいとの事です

アメリカにおける日本人の数学レベルは昔は優れていたがここ20年くらい「ゆとり教育」の徹底で小学生の段階では同レベルになってしまった 

初中等教育が駄目でもどうにかなる国はアメリカだけだ アメリカの桁違いの富に惹かれて世界の天才秀才があつまる アメリカ人が低迷していても国力が衰えると言うことはない 優秀な留学生は大学や企業が高級で確保するからアメリカは安泰である

一方日本のような国土の狭い乏しい資源の国では初中等教育が命綱である 国民の高い知的水準が繁栄の原動力であったしこれからもそうだ 工業の発展に関し風上に当たる数学や理論物理のレベルが高くないと風下に当たる工業やエンジニアリングの長期的発展は望み得ない
そこで一国の将来を予測する時(先生は)「数学や理論物理のレベルは高いか、その指標として天才が出ているか?」を見る
アメリカの大学にいた70年代にブラジルの産業がドイツと日本を抜くとの予測がはやった しかし(先生は)そのような事は起きないと笑って言った 当時のブラジルの数学は取るに足りぬものであったから 付け加えると最近のブラジルの数学はだいぶ良くなったからこれからが楽しみである

天才の出る風土
天才を調べていると彼らを生む土壌に三つの共通点がある
第一条件「美の存在」
美の存在しない土地に天才、特に数学の天才は生まれない
イギリスは天才を輩出する国だがその田園風景は実に美しい 又アイルランドもエメラルドの島と呼ばれるほど緑と美しい自然美がある
さてインドである 1990年代 高卒の大天才ラマヌジャンについて調べにマドラス、ボンベイ、カルカッタへ行ってもとにとにかく汚い どこにも美しいところが無い 美しい公式を3500以上も発見した天才に当てはまらぬ自説に対する劇的な反例となった

それから数年後彼の生まれ故郷マドラスから南へ二百数十キロクンバコナムへ行った そこは寒村であるが豪壮にして美しい寺院がいくつもある
この寺院は九世紀から十三世紀にあったチョーラ王朝が金に糸目を付けず美しい寺院を作りまくった この寺院を見て直感的に思った「あっ、ラマヌジャンの公式の様な美しさだ」と

彼は「なんでこんな事を思いつくのか検討もつかない」というタイプの天才で彼が26歳(1913年)までに発見した定理がやっと証明されたのは1997年の事だ この地から三十キロ以内で谷二名のノーベル賞受賞者がでているがこの土地に存在する美が深く関係している

第二条件:「跪く心」
何かに「跪く心」があることだ 
日本の場合は神や仏或いは自然に跪く 大天才ラマヌジャンは母に連れられヒンヅーの神々に跪いている イギリスではニュートンの頃は神に跪いていた 彼も敬虔なキリスト教徒であった 近頃は信心深い人は珍しいがノーベル賞受賞者はたくさん出ている 彼らは伝統に跪いている 最初に述べたようにケンブリッジ大学では250年前と同じ部屋で同じ黒マントを着て暗いローソクの下でディナーを食べるのだ 伝統は何より大切なのである 1500年以上も続いた「天皇の万世一系」を男女平等などとの理屈で捨てようとする軽率はイギリス人には想像も出来ないのだ

第三条件:「精神性を尊ぶ風土」
「精神性を尊ぶ風土」とは役に立たないことをも尊ぶという風土です 
文学、芸術、宗教など直接役に立たないことをも重んじる 金銭や世俗的なものを低く見る そういう風土だ

イギリスの紳士階級の人々は一般にそうです
上に立つ人々が金銭を低く見て精神性を重んじると、経済はさほど振るわなくとも遥かに大切な「国家の品格」が保たれ世界の尊敬を受けることが出来る
 
このあと先生はカースト制度と天才との小節を加えます
インドの大天才カマヌジャンの場合、カースト制度が彼の天才性を育てた
彼はカースト制度も最上位に属する「バラモン」に属していた 現在では医者や学者などかなりの部分を数%のバラモンが占める バラモンは精神性を尊びお金を低く見る だからカーストの最上位でも貧しい者はいくらもいる 彼の家も物凄く貧乏で近所に米をもらいに行くほどだった

でも 米をもらって当然風の態度で このヒンズーのメッカと呼べる風土で明けても暮れても数学に打ち込むことが出来た(ついに数学の大天才として世に出た)

(爺の補足:まだまだ先生の快気炎が続きます ここで一休み)
第七章 下 に続きます


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

十年一昔 平成の改革

2006-05-09 13:35:52 | 政治
7日の日曜日 報道2001、NHK日曜討論、サンデープロジェクト等で「米軍再編に絡む日本の負担」「医療保障」「少子化問題」「小泉後継」を国会議員・元議員・評論家などが色々語る
でも額賀防衛庁長官の取りとめもない説明、ねずみ講的発想(まだ費用負担する者が増えるとの幻想、その意味では年金も同様)による医療保障の改革、「少子化」を対策を打てば「増加」に変わる様な皮相な論説、そして同じ発想しか出来ぬ「小泉後継」の取り巻き連中

爺のこの人たちに対する焦燥感・無力感・閉塞感はどこから来るのであろうか
十年一昔と言うが十年前に人々は何を考えていたろうか 以下は連休中に探した(市井の人)植田一信氏著「デフレ・スパイラルは世界を救う」を引用

負の経済
日本社会に起こっている負の経済現象を羅列すると以下のようになる
①1995年裁判所によって自己破産を認定されたもの四万五千件 これは、交通事故による死者数の四倍になる 若者達のカードローンによる過剰債務から、企業のリストラの結果の住宅ローンの支払い不能という日本社会の経済構造に組み込まれた、社会に中心に位置する中年層の自己破産に移行しているのである
②1995年、負債一千万円以上の企業倒産は一万五千件を越えた 負債総額は史上最高の八兆四千百七十億円に達した 不況型・円高型・価格破壊型・海外進出失敗型と日本経済構造の中心に位置していることに注目したい
③1996年度末の国が将来返済しなければならない債務見込(隠れ借金)は、(法定分)地方財政対策の返済繰り延べ分五兆四千九百八十六億円、一般会計承継債務語調四千八百四十八億円、国民年金への国庫負担繰り延べ九百四十八億円、(法廷外)厚生年金への国庫負担繰り延べ特例一兆二千百五十億円、国鉄清算事業団の債務二十七兆円、その他三兆八千百八十五億円、合計四十三兆一千百十七億円になる
④地方自治体の発行している地方債の残高は百二十兆円に達している
⑤日本の財政は1970年後半から赤字国債に依存度を高め、1980年までに赤字国債の脱却が計られたが、これは達成できなかった 
1982年9月、「財政非常事態宣言」が出されたが改善は見られなかった 一時バブル経済によってバブル税収が増大したが、バブル崩壊によって財政の悪化は以前にも増して深刻となり、1995年11月「財政危機宣言」となった
1996年度予算では、一般会計七十五兆一線四百九億円のうち二十一兆二百九十億円が国債により賄われる
前年、1995年度に続いて国債依存度は二十八パーセントとなった
1996年度の国債依存度はアメリカの9.8パーセント、ドイツの13.3パーセント、と比べればアメリカの三倍、ドイツの二倍と国家財政としては破産状態に突入している
しかも、日本の国際発行累積残高は1996年度末二百四十一兆円に達する 日本の財政の硬直化と赤字財政は回収不能な自転車操業に入って国債償還の目処はついていない
⑥国の借金は国債残高二百四十一億円、隠れ借金四十三兆一千億円、地方債百二十兆円、合計四百四兆円に達し、GDPの八十パーセント以上になる
⑦国民の総預金額は一千兆円といわれているが、その大半は食い荒らされていることになる
⑧負の経済におけるモラル・ハザードは、出資金に配当金を出さない 出資金は返済しない 借入金は返さない 破産・倒産による債務の返済不能は当然の事と考えるようになった

周りを見れば、資産デフレの被害者はいくらもいる 株で損をした ビルを建てたが入居者がいない 金も土地も無くなって借金だけが残ったと、自分が恥ずかしいので発言を控えているので、大きな声にはなっていないが日本の経済社会の暗部になっている
土地、株式等の資産デフレは証券・金融・不動産・生保・住専・ノンバンクの経済破綻をもたらし、日本のエコノミストや経営者の自信を喪失させている
「議論」を、日本の政治家・官僚・業界の経営者たち、そして、エコノミストたちを含めた日本人の資質論に逃げてはならない
今、日本の言論、報道は全て過去の負の遺産,即ち、破綻処理に血道を挙げているが、日本経済と日本の政治、国民の生活は一時も(休むこと無く)今日、明日、未来の経済の再建に取り組まねばならない時にきている
「議論」の第二は、千兆円の国民の貯金総額、農林系金融機関が七十兆円もの預金を集められた(この)日本の経済を動かした、哲学、経済理念とは何であったのかという視点に立った討論を期待したい
   平成8年(1996年)5月1日              引用終わり
 
冒頭に書いたようにこれは十年前の記事である 一部の数値を直近のものに置き換えれば今日そのまま使える 特に国債と地方債残高は平成15年12月末で1050兆円に上る(国債残850兆円 地方債残200兆円--国との重複分を除く)

橋本、小渕、森そして小泉と続く辻褄あわせの日本国首脳 それを越えることの出来ない野党(特に民主党)の首脳部と取り巻き

1000兆円の国債残高の処理に方向性を与え(国の負債は若者に背負わせない)当面国債償還費20兆円の棚上げを計り国会議員の半減を始めとする冗費の節減 「少子化」を認めた上の社会保障制度のあり方(50歳を区切りに50歳以上は従来方式、以下は新方式を提示しなければ 政府が繰り返す社会保障は世代間の担い合いなる騙し言葉との決別) 専守防衛なる異常な国防論(同時に日米安保のあり方)の検討程度の事を提言しないといけない 元キャバクラ嬢でもフリーターでも良い 政治の天才性はこの日本にいる一億二千七百七十余万人の誰かの遺伝子に眠っている はやく目覚めて欲しい


写真は浦島太郎
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国家の品格論 第六章 下

2006-05-08 08:01:20 | 国家の品格論

良く付き合ってくださいました 第六章 上 の続きです
先生は「情緒や形」が大事な理由をさらに続けます

その2:「情緒と型」は文化と学問の創造に大切である
岡潔という代数学者がいるが数学とはスミレの花に感動する様な美的感覚が必要である 偏差値や知能指数よりもはるかに重要な資質である
 

文学でも数学でも昔からノーベル賞があればたくさん得たであろう それは日本人が美的情緒がとりわけ秀でているからだ 日本人は独創的であるといえよう
 
その3:「情緒と形」は国際人を育てる
国際人とは英語をしゃべれる事ではない アメリカやイギリス(の英語を母語としてしゃべる人達でもとの意味であろう)人でも国際人は数%だ 
日本人にとって英語が難しいのは英語と余りにもかけ離れている事と英語を(使う事を)何ら必要としないからである

であるから日本人が小学校で2~3時間勉強しても何の足しにもならない 専門的にやれば本科である国語や数学がおろそかになり、そのような教育を中高で続ければ英語の実力がアメリカ人の5割 日本語のそれが5割と言う人間になりアメリカでも日本でも使い物にならない

真の国際人には英語は関係ない 幕末の下級武士 福沢諭吉、新渡戸稲造、内村鑑三、岡倉天心等は欧米に出向いて賞賛を受けて帰って来る 彼等は例外であるが他の多くは英語さえままならなかった筈だ
では彼等の身に付けていたものは何か 日本の古典・漢籍をよく読んでおり加えて武士道精神を身に付けていたからである 「美しい情緒」と「形」で武装していたわけである 

国際人とはオーケストラの様な物でヴァイオリンはヴァイオリンのように鳴って価値がある如く日本人は日本人として思い・行動して(国際社会で)価値がある

若いときに(時間的余裕があり感性が失われない時期)感動の涙と共に大量の名作を読むことが「情緒や形」を育てる力なのだ

その4:「情緒と形」は人間のスケールを大きくする
いままで説明してきた様に「論理がきちんとしている」「筋道が立っている」だは誤りだ 数学と違い俗世の事は公理が無いから「論理の出発点」を定める事が必要でこれを選ぶのはその人の「情緒と形」にかかている

出発点を適切に選べば総合判断力が高まります
実社会では普通の人は論理的な筋の通る話をする そうした「論理的に正しい話」はごろごろしているからどれを選ぶか その能力が総合判断力だ 逆に言えば情緒力なのだ

しかし世界中の人間の脳の99%は利害得失で占められている 残りの1%を何で埋めるか これが非常に重要である
例えば食料自給である 脳の100%が利害得失で占められている人は経済原理でものを考える 海外からの安い食料をどんどん輸入すれば国内生産より効率が良い
農民はより効率の良い産業に転業させよう そうすれば消費者は喜ぶし国全体はますます反映すると考える

他方 もののあわれという情緒を持つ人は農業をつぶしては田畑が荒れてしまう 美しい田園こそは文化や伝統の源泉である 経済的利益等とは比べものにならない価値だ なんとしてでも農家を守り自給率の向上を唱えるであろう
もののあわれとか美的感受性とか惻隠の情、こういうものがあるかどうかで、その人の総合判断力が違ってくる 人間の器が違ってくる

その5:「人間中心主義」を抑制する
欧米の世界支配と共に世界を覆った「人間中心主義」を「情緒と形」が抑制する
「人の命は地球より思い」との言葉が垂れ流されているが、本当は人間の命など宇宙の一点、真っ暗闇の一瞬の閃光の如きものだ かくも軽く儚いから大事にしようというのが正しい 人間中心主義というのは欧米の思想でその裏側には「人間の傲慢」が張り付いている

環境問題を考えても「人間は偉大な自然の一部に過ぎない」という謙虚さを教えてくれる 現代人の感じる閉塞感・虚脱感なども人間と自然の対立関係が深く影響している気がする この対立が精神の安定を傷つけている 美しい情緒がはささくれ立った心を癒し暗く沈んだ心に力を与えてくれる

その6:「戦争をなくす手段になる」
論理や合理だけでは戦争を防げなかった事は歴史が証明している 論理は「自己正当化のための便利な道具」でしかない しかし時代と共に賢くなれば戦争はいつか戦争はやめる事が出来る しかし人間の賢さとか知恵はそのまま後世に残らない
一代限りです 従って論理や合理では戦争をやめることはできません

まとめ
(先生はこの様な表題をつけませんがこれ以降は今までの6つの理由ではありません)
人類の究極の目標については(私には良く分かりません しかし)当面の目標についてははっきりしている 「二度と大戦争を起こさない」という事です
何度も述べたように日本人の持っている「情緒と形」が戦争を阻止する有効な手立てとなる

卑怯を憎む心や惻隠の情があれば争いごとを避けます 美的感受性があれば戦争をためらいます
欧米人の精神構造は「対立」に基づいています 自然は征服すべき対象だが日本人にとっては自然は神であり自然の一部として一体化しています この自然観の違いが欧米人と日本人の本質的差異を作っている
精神に対立がある限り戦争を始めとする争いごとが絶えない 

日本人の美しい情緒の源にある「自然との調和」も戦争廃絶という人類の悲願への鍵になる 

日本人はこれらを世界に発信しなければならない 欧米人を始めとした今だ啓かれていない人々に本質とは何かを教えなければならない
それが「日本の神聖な使命」なのだ


爺の後知恵:「情緒と形」が何故普遍的価値か?を説明するのがこの章の目的ですが 上巻でも述べたように「理由を説明するのにその理由を藤原先生が断定している」様にしか聞こえないのです
但し先生の断定を元にすれば後に来る結論は耳に心地よいのです でも欧米人とは「自然を征服する」と一括りで論じられる問題なのか? 爺にはすごく疑問に思うのです
日本人は近隣諸国といさかい・争いごとを起こさなければ取敢えず十分である しかし 最近は中韓朝と揉め事が耐えない 日本の精神を世界に対し教えるなんて勇ましい事を提言するより自分の頭のハエを追うことが先ではなかろうか?!
先生の言葉を借りれば国際オーケストラで日本人は日本人の音色をしっかり出していれば良い筈です それを世界に広めたり教えたりしたら世界中日本一色に成ってしまって可笑しいですよね?

いよいよ 最終章 国家の品格です

 
写真は能登の千枚田
  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国家の品格論 第六章 上

2006-05-07 08:30:20 | 国家の品格論
   第五章 からの続きです
ようこそ 第六章へ ここで藤原先生は「情緒」と「形」という(素晴らしいものは)日本に限定すべきでなく普遍的価値(世界でも通用する価値)がある その大切な理由を6つ上げます

その1:普遍的価値である
イギリスはここ1世紀の間は斜陽でした GDPは日本の半分ほどそれでも日本の言うことは聞かなくともイギリスの言うことに世界が耳を傾けるのは何故か それはイギリスの生んだ「普遍的価値」に世界の人々が尊敬の念を持っているからである 例えば議会制民主主義、文学のシェイクスピア・ディケンズ、力学のニュートン、電磁気学のマックスウェル、進化論のダーウイン、経済界のケインズ コンピューター,ジェットエンジン、レーダーもイギリス発です 逆に言えば(日本の様に)経済的繁栄だけでは尊敬されない それ故「普遍的価値」を生まないといけないのです

(爺の注釈:ここでも藤原先生は混乱したか意識的に間違えをしています 「普遍的価値」の解説に世界に例の無い四季、神道、もののあわれ等の日本固有であり常夏・常冬、砂漠,雪原、一神教では成り立たない(第四章)物を挙げているのです これ等が「普遍的価値」である事を証明しなければならぬのにその理由の1に「普遍的価値」は大切であるとだけ言っていては説明になりません でも先生は理論に理論は解決にならないとのご主張ですから次に移りましょう)
  
(先生は続けます)日本でも普遍的価値を生み出していた 例えば文学の紫式部、俳諧の芭蕉、数学者の関孝和 この様な「普遍的価値」は生み続けねばならない

心の奥底に訴えるもの
そしてなにも大発見大発明に限らない 例えば「親孝行」アメリカで日本人の留学生が国の年老いた両親を思い涙を浮かべたらその人は信頼尊敬される 「親孝行」はアングロサクソンの間では流行らないが心の奥底では非常に似ている 心の奥底に訴える物は辺鄙な地で生まれた物でも「普遍的価値」と言える
日常生活での素晴らしい仕組み・知恵
交番・豆腐・布団も「普遍的価値」である 欧米人の間で理解や愛好者が増えている

そして「普遍的価値」の最大のものは「もののあわれ」跪く心、懐かしさ、自然への感受性といった「美しい情緒」 その「美しい情緒」からうまれた神道 それに加えるに武士道精神という日本独特の「形」である

(爺の注:ここでも先生の断定が繰り返される なぜそれが「普遍的価値」なのか説明抜きで)

さてお話変わって 跋扈するグローバリズム
20世紀の最後の頃から跋扈し始めてグローバリズムはアメリカの戦略に過ぎない
冷戦後にアメリカ式市場経済、リストラ自由のアメリカ式経営、株主中心主義、アメリカ式会計基準等を各国は半ば強制されてきました どの国でも極端な貧富の差がついてしまった アメリカの中産階級さえも 世界はこれに断固戦いを挑まねばならない

画一化する世界
かくして経済に発したグローバリズムは社会を少数の勝ち組と多数の負け組み分け広く社会、文化、教育を腐食させる最大の問題はグローバリズムが社会,文化,教育も画一化してしまう 

21世紀はローカリズムの時代
グローバリズムのもたらす効率性はある意味で素晴らしい でも経済的な意味その他でこの効率化をすすめるなら赤子に世界中で英語だけ教えれば英語で意思疎通の出来る 政治や経済始め素晴らしく効率的な世界が出来る しかし私(藤原先生)に言わせればそんな世界/地球は無くなってしまえばよい 緒各国、各民族、各地方に生まれた「美しい文化・伝統・情緒」等は能率・効率より遥かに価値が高いのだ

チューウリップは美しい でも世界中をチューリップ一色にしてはいけない 信州にはコスモス、千葉では菜の花、他ではユリやヒマワリ これが美しい地球である チューリップ一色で統一・画一化を進めてはいけない 
21世紀は各国、各民族、各地方に生まれた「美しい文化・伝統・情緒・文化・型」を多義に尊敬しあい育ててゆく このローカリズムの中核が普遍的価値であり日本では「美しい情緒」と誇るべき文化や伝統なのだ

(爺のぼやき:最後の2項目ローカリズムとグローバリズムもやはり「情緒」や「型」が普遍的価値である事の説明になっていない 先生が関連付けてそうだと断言しているのは分かるが

そして地方には地方の良さを認めれば認めるほどそれを世界に広めようとの発想が自己矛盾を起こしていないだろうか? 先生のお言葉を借りれば日本ではチューリップ一色にする必要は無い 美しいユリ、菜の花、ヒマワリ、コマクサ等が咲いていれば良いのでなかろうか チューリップを麻薬販売、人身売買、公営賭博、消費税等の言葉に置き換えればどんなものであろうか 日本は欧米のカスはいらない そういう国でありたい 他国の人の頭のハエまで追えない
 
第六章 上 はここまで 第六章 下 に続く


コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする