湯めぐり四方山話 & 和の音

湯めぐりは 人・風物との出会い

仮通夜(かりつや)

2019-02-15 | 介護
季節にしたら1年で一番寒い2月の上旬、
母の通夜・葬儀が無事に終わり(天気も冷え込まず、雪にもならず)心からほっとした日。

親戚をはじめ、近所の方、地域の多くの方々が母を見送って下さり、感謝、感謝だった。

今回の母の仏事で、一番印象に残ったのは、
「通夜」の前夜にした親族のみの「仮通夜(かりつや)」の存在。
これは、4年前の父親の葬儀では、体験しなかった。

何でも、母が亡くなった時間帯に、いつもお世話になるお坊さんが京都に出張されて不在だった。その為、お坊さんのお父さんが、息子の現住職に代わって急遽、実家に駆けつけて下さり、母の「枕経」を読んで下さったらしい。(この方にも、実家の父母は生前長くお世話になってきた。今は息子さんに寺を譲られれ隠居の身)
そんな事があり、現住職(息子さんの方)が母の死の当日に自分が「枕経」ができなかったのを申しわけなく思われ?(ご自分の気が済まないのか?)翌日の夕方に、ごく近い親族だけ集めての「仮通夜」をしてくださった。
幸い、葬儀場の都合で「通夜」まで、丸一日開いていたため出来た話でもある。

今回初めて体験した(ごく近い親族だけでの)「仮通夜(かりつや)」は、よかった。
ゆっくりと、親族全員でお経もお坊さんと一緒に読めたし、お勤め終わりには、母ならではのエピソードを「お話し」の中にふんだんに入れていただき、そのエピソードが親族全員に心当たりある母の姿で、「心温まる いい時間」が持て‥親族皆でゆっくりと母を偲べた。

翌日の夕方、正式な「通夜」でのお話しも、勿論良かった。
「死者が、死後に仏さまになるまでの貴重な姿を、母がこうして自身の死を通じて我々に見せて下さっている」というお話を「通夜」の参列者全員に対面して、分かり易くお話頂いた。
しかし話が前夜の「仮通夜」での「母個人にまつわるエピソード」とは違い、やや一般的であったため「仮通夜」ほどは感動しなかった。
考えたら贅沢な事だ。

更に翌日の「葬儀」には、お父さんのお坊さんも一緒に、親子共演でお経を読んで下さった。
こうして、連日にわたり母の葬儀を最大限の誠意で行って下さったお寺さん親子共演に、感謝致します。

これも、ひとえに父母・妹夫婦のこれまでの行いの良さ(信心の深さ)でしょう。

父に続いて、母も自宅介護で最後まで看取ってくれた妹夫婦には、深く感謝します。

今回は「仮通夜(かりつや)」も体験できて、感謝、感謝です。

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実家の梅の木(紅白の花が)

2019-02-15 | 介護

極寒の2月、今回の急な帰省。

三日前からほとんど口から物が取れなくなっていた母が
昨日の午後から急に顎呼吸になり、今朝の10時過ぎに遂に亡くなってしまった。

列車を乗り継いでの急ぎ帰省中、新幹線に飛び乗りやっと座席についた直後、
妹から「母が、たった今亡くなった」と電話を受けた。
当然この事態は想定内だったものの・・・。
その後は茫然自失、機械的に列車・バスを乗り継ぎ(途中、お昼を取るのも忘れ)実家についた。

実家の庭先には、紅白の梅が何事もなかったように咲いていた。

「お帰り」と言っているように迎えてくれた。
今、ちょうど満開に咲く時期なんだ。

父母が大好きだった「梅の木」。

一つの木にピンクと白の花が同時に咲く梅の木。



昨年末から床に伏していた母は、今年は、この梅を見てないんだろうな~
こんなに咲いているのに・・・今日は、こんなに温かい日なのに・・・


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石見交通(上櫟田原行きバス)

2019-02-15 | 介護

浜田駅から接続がよかったので、久々に市内バス・石見交通「上櫟田原行き」で実家inになった。

石見交通バスの車内は、私が通学で使っていた50年前とは、全く変わっていた。

ワンマンバスになり

安全性が一番重視されているのがわかる。

実家近くの停留所でバスを降り

5分~10分ほど歩いた。









のどかな田舎景色 
こんないいお天気に、本当に母は亡くなったのだろうか。





母の散歩コースにあるお地蔵様。
いつも地域の幸せを祈ってくれるお地蔵さまで、私が子どもの時(そのずっと昔から)からいつも同じ場所に有る。

母は安らかに逝けたのでしょうか‼

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母親の初めてショートステイ

2018-07-18 | 介護
帰省中の7月6日、郷里にも「大雨洪水警報」が発令された。
(この豪雨はこの後、西日本各地にこれまでにない甚大な被害を及ぼし、猛暑の今も過酷な復旧作業が続いている)

私の実家では「大雨洪水警報」が発令されると川向うの避難用・別宅に避難する。
「周布川」の水が生活道路に上がる前に~

実家の集落は、生活道路が周布川の真端を通っているためだ。
梅雨末期の集中豪雨では、川の増水・上流のダムの放水で簡単に川沿いの道路に水が上がる。
すぐに道路は通行不能となり、車での避難が出来なくなる。
実家のある集落は、避難不能・全くの孤立集落になってしまう。

35年ほど前、島根県西部・集中豪雨で一度に15人が亡くなった浜田市。

それは実家からよく見える川向こうの集落での出来事だった。
数日間にわたり島根県西部に留まり続けた湿潤・豪雨。
川向こうの集落では、高台の民家に集落の人々が集まって避難していた。
連日、滝状の大雨が降る中、その民家の浦山が、頂上から急に轟音をたてて崩れ落ちた。
その時の、地が裂けるような轟音・大量の土砂崩れが起こす凄まじい光景は、実家からよく見え聞こえたらしい。今もトラウマになっているという。

川の水位が上がる夕方までには、川向こうの避難用・別宅に移動する必要がある。妹は、朝から避難用の買い物にバタバタと出かけた。ベッド生活の母親も一緒に避難するので、母の介護用品が中心の買い物だ。

そんな中、いつもお世話になっているケアマネージャーさんの計らいで急遽!朗報が舞い込んだ!「最近の母親の状況から」判断して「母親は日頃行っているディサービス施設に、緊急時のショートステイ3泊4日枠で入れてもらえることになった」

午後からは、母親のショートステイ手続きに、ディサービス施設から職員二人とケアマネージャーの3人がやってきて、母の隣の部屋で書類手続き。
その間、母親は事態を理解して協力的だった。
「もう車椅子に座っていないといけないのでは・・」と思うのか?
ベッドから降りてベッド横の車椅子に移動しようとするほどだった。

こうして母親は、無事に7月6日の大雨洪水警報の日16:00までに初めてのショートステイ3泊4日に出発した。



その後は、我々も、早めの夕食を作って食べて簡単に風呂も済ませ、川向こうの避難用・別宅に避難した。
川沿いの道路が浸水するまでの時間との勝負!!
夕方の薄明かりの中、周布川は茶色の濁流が増水しているのがわかった。不気味~
幸いにも、川沿いの道路には濁流は上がってなかった。ヒヤヒヤだった~
コメント (2)
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