2日間の草刈り後、今回、初めて、同じ川向こうにある神社をお参りした。
この神社は、祖母が、太平洋戦争中、毎朝、欠かさずお百度参りしていた神社。兵役に取られていた2人の息子(私の父と叔父)の無事を祈り。
2人しかいない息子。戦時下の日本では、その2人にそれぞれ召集礼状が来る。国民の個々の事情など、全く考えない。国の有り様が恐ろしい!!
今の様に、ニュースで、日々、世界情勢、天気予報などが、国民に詳細にわかる時代ではない。当時の科学技術なら「当然わかっているはずの日本各地の天気予報」でさえ「国の軍事秘密の一つにされて」外国に漏れると戦争の手段(攻撃日)に使われると!?国民には一切!!公開されなかった当時。
農業をするにも、まずは天気から始まる。その天気が皆目分からない。国民は大変な苦労を強いられた時代だ。
凄い時代を生きてきたんだなあ~祖母も父も~
神社から振り返ると(鳥居の左上あたりに)川向こうの実家が、小さく見えた。
あそこから、対岸の川伝いの道を通り、橋を渡り、この神社まで歩いてくる。毎朝、ここでお百度参りをしていた祖母。その姿を思い浮かべると、どれだけ必死な事かがわかる!!
戦地に行ったきり音信不通になった長男(私の父)。その無事を「藁にもすがる思いで」日夜祈っていたのだろう。
祖母の死に物狂いの祈りが、通じたのか!?
長男(私の父)は、南方から戦後10ケ月してなんとか無事に復員できた。叔父(父の弟)は既に海軍の特攻命令が下りていたが、直前に終戦を迎え、奇跡的に特攻を免れた。
神社にある二つの狛犬。これは「その後、無事に戦後を生き延びた父と叔父の二人」が、感謝を込めて奉納したらしい。
狛犬の裏に、父と叔父の名前が彫ってあった。
御祖母さんの必死の祈りが通じたのだ。祖母から→→父→→私・妹に繋がる「心の拠り所」になって来た神社・・
色々感じることが多い。亡き祖父母や父、叔父を思い、静かに手を合わせた日
神社のお参りを済ませて実家に戻ると・・
妹の旦那が「今飾ってある あの鳥居のしめ縄は、うちが収穫した米の藁で作ってある!!」という。
え~!!そうなの!! 二重に嬉しい話を聞いた日!!
祖父母は、父は、どれだけ、喜んでいるだろう!!