民主党政権の無残な失敗以来、日本の市民のほとんどは「自分の生きているうちに二度と政権交代なんて起こり得ないだろう」という諦念にも似た気持ちを抱いて、安倍政権以降の10年近くを生きてきた。その証拠に、安倍政権があれだけのでたらめを続けたのに、安倍政権打倒を求める声はあっても、政権交代を求める声はまったくといっていいほどどこからも聞こえてこなかったからだ。
日本では成立の余地などないと証明された「保守二大政党制」という幻想を抱き、政権交代の夢を追い続けてきたのは、私たちのような反自民派よりもむしろ「自民党的なるもの」に飽き足りなかった保守層だったように思える。
自民党政権の終わりの予感は、菅首相が国民に自粛を強いておきながら、緊急事態宣言下、自分たちだけ連日ステーキ屋で会食をしていた年明け早々から徐々に出始めていたが、そんなことくらいで壊れてしまうほど自民党政権がもろい構造ではないことは、私たち反自民派こそ最もよく知っている。まさか、とずっと思っていた。
ところが、である。「女がいると会議が長い」という無根拠で極めて差別的な森喜朗・東京五輪組織委会長の「暴言」で、ひょっとしたら五輪のみならず、自民党政権の息の根まで止まるかもしれない。そんなムードが急速に出てきたように思える。
安倍政権以降のここ数年、ネット上の攻撃は弱者にばかり向かっていて、不毛で腹が立つことしかなかった。この間、何度「ネットを辞めよう」と思ったかわからないほどだ。それが今回、批判、攻撃が強者、それも森会長のような「本来向かうべき相手」にきちんと向かった、という意味では、久しぶりの「祭り」だと思う。瞬発力の強さという意味では昨年の黒川検事長問題をも大きく超えていて、ネットとしては2012年の「大飯原発再稼働反対官邸前20万人デモ」以来の盛大な祭りだ。
先日も、買い物に出かけたスーパーで、普段は政治の話をしようとすると遮るようなノンポリの人たちが「私たちが選挙に行かなかったからかしら。自民党以外に入れたらいいの?」と立ち話をしているのを聞いた。ネットでも「どんなに自民党政権がひどくても悪夢の民主党政権よりはマシ」と言っていた人たちが「とにかく自民はダメ。政権交代可能な野党がなくても、国民には自粛しろと言いながら自分は毎日ステーキ食ってるような奴らは一度下野させないと」「俺たち下級国民は重症でも入院できないのに、自民党関係者だけPCRをいつでも受けられ、陽性だったら無症状でも即入院できるなんて許せない」と言い始めている。安保法や黒川検事長問題の時ですらまったく政治に興味がなかった一般の人たちの間に、自民党に対する久しぶりの「懲罰感情」が芽生えているのだ。
無党派層、普段はノンポリの人たちの「懲罰感情」ほど怖いものはない。野党側に政権担当準備があってもなくても、勝手に政権が転がり込んでくる、という可能性があるのは実はこんなときだ。直近で言うと、1989年や2009年の政治情勢に似ている。1989年も「女性は政治家の講演会に来てもネクタイの柄を見ているだけで、話の内容なんて聞いていない」という中曽根康弘首相の女性差別発言が出た。ちょうど同じタイミングで、社会党が女性として初めて土井たか子さんを委員長に据えたら、ブームが起きて自民党が参院で過半数割れを起こした。反乱が女性から始まった、という点でも当時とムードが似てきている。
もうひとつ、興味深いデータを示しておきたい。
日本の経済成長率の推移を示す折れ線グラフの上に、自民党から非自民への政権交代が起きた年を入れてみた。あまりに分かりやすくて笑ってしまうほどだ。過去2回、自民→非自民の政権交代は、経済が大崩壊した直後に起きていることが分かる。
安保法や原発のような「イデオロギー色は強いけれど飯の種にはならないイシュー」で当ブログのような反自民勢力がいくら騒いでも、政権交代は結局「飯が食えなくなったとき」に起きる。自民党支持層は利権の分配に期待して支持しているのだから、経済が大崩壊して分配すべき利権が消失したときに崩壊する、という説明で大半の読者には納得していただけるだろう。コロナで経済が大崩壊している今年の総選挙で、もしかすると……と当ブログが判断するひとつの根拠がここにある。
反自民派の中には「過去2回の非自民政権の時は、経済が最悪だったのだから仕方ない」と細川、鳩山政権を変な形で擁護する人が今も時折いるが、こうした擁護論は非自民政権のためにならない。むしろ、このデータからは「経済が悪くなったからこそ非自民に政権が回ってくるのだ」と考えるべきであり、原因と結果が逆である。それだけに、次に非自民政権ができたときに成功するかどうかは「素早く効果的な経済対策を打ち出せるかどうか」こそが鍵を握っているのである。
「とりあえず国民に飯を食わせ、脱原発などのやりたい政策はその後にゆっくり考える」というスタンスで臨めば次は成功できる、と思いたいが、そうとも限らない。上のグラフには描かなかったが、1993年、2009年に政権が転がり込んできて、経済もどん底から脱出し、まさにこれからだと思っていた矢先の1995年、2011年に再び経済が「ポキッ」と腰折れするようなグラフの形になっている。1995年は阪神・淡路大震災、2011年は東日本大震災のためで、本当にツイていないと思う。この「腰折れ」が原因で、結局非自民勢力は2回とも政権を失い、再び自民に政権が戻ることになった。
この「非自民政権になると大震災が起きる」理由はわかっていないが、当ブログはとりあえず「自民党本部の中に人工地震の起爆装置がある」的な陰謀論からは明確に一線を画したいと考えている。それでは「女がいると会議が長い」と無根拠に決めつける森会長と大して変わらないからだ。
いずれにしても、衆院議員の任期は今年秋までには切れる。この秋の総選挙は、政府与党が望まない不利なタイミングでの実施を強いられる珍しい形でのものとなる。今後、どんな事態が起きるのか。自民党に単独で取って代われる強力な野党が存在していないため、2009年のような劇的な形での政権交代という事態はあり得ない。立憲民主党は当時の民主党に比べてあまりに非力すぎるからだ。
1月31日に投開票された北九州市議選(定数57)で自民が6議席減の大敗北を喫したが、6/57といえば1割強なので、これを定数465(過半数233)の衆院に当てはめると、ちょうど自民が50議席くらい減らす計算になる。現在の279議席から50減らせば229議席で、単独では過半数に達しない。公明党と合わせてようやく政権維持、維新の力まで借りてようやく政権を安定させられるくらいになる。かなり政治は面白くなると思う。
地方議会は中選挙区制なので、選挙区によっては3~4位でも当選可能だが、北九州市議選では自民がトップ当選をあまりできていない。小選挙区制はトップ以外は当選できない制度なので、北九州市議選よりもっと極端な変動が起きる可能性もある。自民が70~100議席くらい減らしたら政権を維持できないかもしれない。「野党に政権を取らせるところまでは望んでいないけれど、自民党を少し懲らしめたい」と、眠っていた無党派層が決起し、安倍政権下で行われた過去6回の選挙で55%前後だった投票率が、60%くらいに少し上がる。
東京に住んでいる人には分からないかもしれないが、地方では、熱心に自民党候補者のポスターを貼っているのはたいていは土建業者か、ホテル・飲食店・土産品店などの観光関係の自営業者らである。こうした人たちが営業自粛を強いられているのに、補償は十分もらえていない。意気消沈して「今まで熱心に応援したのに、自民に裏切られた」と感じ、彼らの中から5%くらい棄権が増えるが、それを上回る10%くらいの無党派層が自民以外に投票することで、差し引き5%程度の上昇となる。有権者としては「自民党を懲らしめる」程度のつもりだったが、小選挙区制であるために思ってもみなかった大規模な与党の議席減少が起き、自公、維新以外の議席を全部足してみたら、自公維に勝っていた。「もう一度、自公維以外の政党が力を合わせて、政権を作ってみようか」--そんな事態なら、野党第1党が非力な現状でも十分あり得る。2009年のような劇的な事態はあり得ないが、1993年のような事態ならばあり得るというのは、そういう意味である。
もし、市民のみなさんが「国民には自粛しろと言いながら自分は毎日ステーキ食ってる自民党」「俺たち下級国民は重症でも入院できないのに、自分たちだけPCRをいつでも受けられ、陽性だったら無症状でも即入院できる自民党」を許せないと思うなら、野党第1党が非力でもそこに票を集中させることだ。5~10%程度の投票率の上昇で上記のような事態は十分可能なのである。そして、その選択のときは、半年以内にやってくる。