(この記事は、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2023年7月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)
ウクライナ戦争開始後、エネルギー事情が厳しさを増す中、ドイツは4月15日限りで脱原発を実現した。福島原発事故を経験しながら、岸田政権が原発回帰への暴走を続ける日本との違いを探る。
◎倫理委員会での議論
ドイツでは、旧ソ連・チェルノブイリ原発事故(1986年)をきっかけに、1990年頃から脱原発の機運が高まった。1998年の総選挙で成立したシュレーダー政権(社民党・緑の党の連立)は2002年、20年後に脱原発を実現する方針を決定。国内17基の原発を2022年末までに全廃するというものだ。
だが、再度の政権交代で発足したメルケル政権(保守政党・キリスト教民主社会同盟)は2010年、脱原発の期限を14年も延長する。この時点でドイツの脱原発の期限はいったん2034年まで遠のいた。
そこに福島第一原発事故(2011年)が起きた。メルケル首相は「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」を設置する。「電力価格の高騰や対外的な輸入依存、二酸化炭素排出の増加なしに、エネルギー安全保障と競争力を確保しながら、原子力エネルギーを止めることができるのか」を審議することが、その委員会の任務とされた。
委員会は、原発の経済性や安全性だけでなく、事故の際の健康被害や環境破壊、核のごみや再生可能エネルギーの重要性などあらゆる角度からエネルギー政策を審議。原発への絶対的拒否と「相対的比較」(原発が他のエネルギーよりましであれば容認)を求める意見の根本的対立もあったが粘り強い合意形成が行われた。
委員会は、原発事故の損害は大きすぎ、リスクと利益の比較はすべきでないとして絶対的拒否の立場に理解を示した。一方で、原発廃絶によって引き起こされるエネルギー危機など他の要因も考慮すべきであるとして「相対的比較」を求める立場にも配慮した。
「リスクの少ない他のエネルギーによって代替しうる限りにおいて、原子力を速やかに終わらせる」べきであり、段階的な脱原発こそが「すべての関係者にとって試練であると同時に新たなチャンスでもある」。委員会がまとめた結論だ。
メルケル首相が就任直後に決めた脱原発期限の延長は国内の大きな反発を呼び、12万人の市民が原発を〝人間の鎖〟で結んで抗議した。こうした運動の力に直面した経験を持つメルケル首相は委員会の結論を尊重し、みずから決めた脱原発期限の延長方針を撤回。脱原発の期限は再び2022年末に戻った。ウクライナ戦争後のエネルギー事情を考慮して、期限は再び今年4月15日まで延長されていたが、その期限とともに予定通り脱原発を完了した。
ここまでの経緯を振り返ると、ドイツの脱原発方針は一貫しており、揺らいでいないことがわかる。
◎社会学者が議論を主導
倫理委員会の筆頭委員として議論を主導したのは社会学者ウルリッヒ・ベック(元ミュンヘン大学社会学部教授/リスク社会学)だ。政治家・官僚が素人集団であるのをいいことに、専門性を持つ学者グループが政策決定過程を独占し例えば「原子力ムラ」に有利な決定を繰り返す。科学が民主主義政治による統制から逸脱する事態をベックは「サブ政治」と名付けた。
規制する側の政府が、規制を受ける側の「ムラ」に取り込まれる現象を、福島原発事故に関する国会事故調査委員会が「規制の虜」と呼んだが、ベックはチェルノブイリ事故直後からその危険な本質を見抜き、警告を発していたのだ。
◎科学民主化と運動発展
自分たちに都合のいい「正しさ」を振りかざし、放射能を「正しく恐れろ」と主張。異なる意見は「風評」と切り捨てる。事故から12年後の今も日本の御用学者は市民の批判を受け続ける。ドイツが選択したようなまっとうなエネルギー政策のために何が必要か。
吉川肇子(きっかわとしこ)慶応大教授は、科学者が市民不信から脱却し、議論への市民参加を認める必要性を訴える(『科学者に委ねてはいけないこと』岩波書店)。反原発運動をドイツ市民が展開した規模へ発展させることが必要だ。市民ひとりひとりが自分の頭で考え行動を続けるなら、倫理に反する原発から脱却すべきという結論は自然に導き出される。
◎北海道で核のごみ問題考える全国集会開催
5月27~28日、札幌市で「どうする原発のごみ?全国交流集会」(原水爆禁止国民会議、原子力資料情報室、北海道平和運動フォーラム主催)が開催。全国から集まった市民が討議した。
町長が核ごみ処分場調査に手を上げた北海道寿都(すっつ)町から、「子どもたちに核のゴミのない寿都を!町民の会」の大串伸吾さんが「町内では賛成派、反対派が分断され、考えが違うと町民が互いの家を訪問もできない」と現状を報告した。
2022年8月、「ハッピーロードネット」(福島県広野町)の高校生ツアーが町を訪れた。「町長の町を思う気持ちが伝わってきた」(ツアー報告)と核ごみ推進派に都合よくまとめられた高校生の声が推進の雰囲気作りに利用されていると大串さんは危惧する。
ハッピーロードネットは、帰還困難区域を走る高汚染地域の国道除染作業に福島県内の子どもを動員するトンデモ団体だ。西本由美子理事長は改憲団体「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の発起人も務める。
寿都に隣接する神恵内(かもえない)村では、反対派を交えず国とNUMO(原子力発電環境整備機構)だけで「説明会」開催。動きを批判する土門昌幸村議は「(泊原発関係4町村に含まれ、立地地域交付金を受けている神恵内村は)原発の恩恵を受けているのだから受け入れなくては」という意見だけが次々に上がる「説明会」の様子を「賛成意見表明会」だと指摘した。反対派は傍聴だけで意見表明の場もない。
核ごみ誘致の動きは各地で表面化しつつあるが、NUMOはほとんどに関わっている。長崎県対馬市では地元商工会が誘致を決議し市長に申し入れた。九州最南端にある鹿児島県南大隅町でも一時、処分場誘致が町を揺るがした。
28日の全体集会では、原発復活へ暴走する岸田政権を批判。(1)全国全市町村は核のごみ最終処分候補地への応募を行わないこと(2)全国の住民は自治体や「受け入れ請願」などを通じて推進派の手足となっている地元商工会を監視すること(3)国は原発政策の根本的転換をすること―を求める集会アピールを採択した。
岸田政権は全国の原発再稼働・新増設を狙う。だが青森県六ヶ所村の再処理工場は当初計画から四半世紀経た今も稼働しない。各原発では使用済み核燃料の保管場所がなくなりつつある。再処理できなければ高レベル放射性廃棄物となる。
現在の「トイレのないマンション」状態が続けば原発回帰政策は破綻する。集会アピールを受け、核のごみ処分場への応募を許さない闘いを全国に広げることが必要だ。
(2023年6月20日)
ウクライナ戦争開始後、エネルギー事情が厳しさを増す中、ドイツは4月15日限りで脱原発を実現した。福島原発事故を経験しながら、岸田政権が原発回帰への暴走を続ける日本との違いを探る。
◎倫理委員会での議論
ドイツでは、旧ソ連・チェルノブイリ原発事故(1986年)をきっかけに、1990年頃から脱原発の機運が高まった。1998年の総選挙で成立したシュレーダー政権(社民党・緑の党の連立)は2002年、20年後に脱原発を実現する方針を決定。国内17基の原発を2022年末までに全廃するというものだ。
だが、再度の政権交代で発足したメルケル政権(保守政党・キリスト教民主社会同盟)は2010年、脱原発の期限を14年も延長する。この時点でドイツの脱原発の期限はいったん2034年まで遠のいた。
そこに福島第一原発事故(2011年)が起きた。メルケル首相は「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」を設置する。「電力価格の高騰や対外的な輸入依存、二酸化炭素排出の増加なしに、エネルギー安全保障と競争力を確保しながら、原子力エネルギーを止めることができるのか」を審議することが、その委員会の任務とされた。
委員会は、原発の経済性や安全性だけでなく、事故の際の健康被害や環境破壊、核のごみや再生可能エネルギーの重要性などあらゆる角度からエネルギー政策を審議。原発への絶対的拒否と「相対的比較」(原発が他のエネルギーよりましであれば容認)を求める意見の根本的対立もあったが粘り強い合意形成が行われた。
委員会は、原発事故の損害は大きすぎ、リスクと利益の比較はすべきでないとして絶対的拒否の立場に理解を示した。一方で、原発廃絶によって引き起こされるエネルギー危機など他の要因も考慮すべきであるとして「相対的比較」を求める立場にも配慮した。
「リスクの少ない他のエネルギーによって代替しうる限りにおいて、原子力を速やかに終わらせる」べきであり、段階的な脱原発こそが「すべての関係者にとって試練であると同時に新たなチャンスでもある」。委員会がまとめた結論だ。
メルケル首相が就任直後に決めた脱原発期限の延長は国内の大きな反発を呼び、12万人の市民が原発を〝人間の鎖〟で結んで抗議した。こうした運動の力に直面した経験を持つメルケル首相は委員会の結論を尊重し、みずから決めた脱原発期限の延長方針を撤回。脱原発の期限は再び2022年末に戻った。ウクライナ戦争後のエネルギー事情を考慮して、期限は再び今年4月15日まで延長されていたが、その期限とともに予定通り脱原発を完了した。
ここまでの経緯を振り返ると、ドイツの脱原発方針は一貫しており、揺らいでいないことがわかる。
◎社会学者が議論を主導
倫理委員会の筆頭委員として議論を主導したのは社会学者ウルリッヒ・ベック(元ミュンヘン大学社会学部教授/リスク社会学)だ。政治家・官僚が素人集団であるのをいいことに、専門性を持つ学者グループが政策決定過程を独占し例えば「原子力ムラ」に有利な決定を繰り返す。科学が民主主義政治による統制から逸脱する事態をベックは「サブ政治」と名付けた。
規制する側の政府が、規制を受ける側の「ムラ」に取り込まれる現象を、福島原発事故に関する国会事故調査委員会が「規制の虜」と呼んだが、ベックはチェルノブイリ事故直後からその危険な本質を見抜き、警告を発していたのだ。
◎科学民主化と運動発展
自分たちに都合のいい「正しさ」を振りかざし、放射能を「正しく恐れろ」と主張。異なる意見は「風評」と切り捨てる。事故から12年後の今も日本の御用学者は市民の批判を受け続ける。ドイツが選択したようなまっとうなエネルギー政策のために何が必要か。
吉川肇子(きっかわとしこ)慶応大教授は、科学者が市民不信から脱却し、議論への市民参加を認める必要性を訴える(『科学者に委ねてはいけないこと』岩波書店)。反原発運動をドイツ市民が展開した規模へ発展させることが必要だ。市民ひとりひとりが自分の頭で考え行動を続けるなら、倫理に反する原発から脱却すべきという結論は自然に導き出される。
◎北海道で核のごみ問題考える全国集会開催
5月27~28日、札幌市で「どうする原発のごみ?全国交流集会」(原水爆禁止国民会議、原子力資料情報室、北海道平和運動フォーラム主催)が開催。全国から集まった市民が討議した。
町長が核ごみ処分場調査に手を上げた北海道寿都(すっつ)町から、「子どもたちに核のゴミのない寿都を!町民の会」の大串伸吾さんが「町内では賛成派、反対派が分断され、考えが違うと町民が互いの家を訪問もできない」と現状を報告した。
2022年8月、「ハッピーロードネット」(福島県広野町)の高校生ツアーが町を訪れた。「町長の町を思う気持ちが伝わってきた」(ツアー報告)と核ごみ推進派に都合よくまとめられた高校生の声が推進の雰囲気作りに利用されていると大串さんは危惧する。
ハッピーロードネットは、帰還困難区域を走る高汚染地域の国道除染作業に福島県内の子どもを動員するトンデモ団体だ。西本由美子理事長は改憲団体「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の発起人も務める。
寿都に隣接する神恵内(かもえない)村では、反対派を交えず国とNUMO(原子力発電環境整備機構)だけで「説明会」開催。動きを批判する土門昌幸村議は「(泊原発関係4町村に含まれ、立地地域交付金を受けている神恵内村は)原発の恩恵を受けているのだから受け入れなくては」という意見だけが次々に上がる「説明会」の様子を「賛成意見表明会」だと指摘した。反対派は傍聴だけで意見表明の場もない。
核ごみ誘致の動きは各地で表面化しつつあるが、NUMOはほとんどに関わっている。長崎県対馬市では地元商工会が誘致を決議し市長に申し入れた。九州最南端にある鹿児島県南大隅町でも一時、処分場誘致が町を揺るがした。
28日の全体集会では、原発復活へ暴走する岸田政権を批判。(1)全国全市町村は核のごみ最終処分候補地への応募を行わないこと(2)全国の住民は自治体や「受け入れ請願」などを通じて推進派の手足となっている地元商工会を監視すること(3)国は原発政策の根本的転換をすること―を求める集会アピールを採択した。
岸田政権は全国の原発再稼働・新増設を狙う。だが青森県六ヶ所村の再処理工場は当初計画から四半世紀経た今も稼働しない。各原発では使用済み核燃料の保管場所がなくなりつつある。再処理できなければ高レベル放射性廃棄物となる。
現在の「トイレのないマンション」状態が続けば原発回帰政策は破綻する。集会アピールを受け、核のごみ処分場への応募を許さない闘いを全国に広げることが必要だ。
(2023年6月20日)