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安全問題研究会(旧・人生チャレンジ20000km)~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

公共交通と原発を中心に社会を幅広く考える。連帯を求めて孤立を恐れず、理想に近づくため毎日をより良く生きる。

今年1年を振り返って・・・

2020-12-29 17:19:57 | 日記
年の瀬を迎え、例年であればここで鉄道全線完乗達成状況を含めた目標達成度を皆さんにお伝えするのが恒例になっていた。だが、今年はそもそも新年早々から精神状態が良くなかったため、目標そのものを掲げなかった。極めて異例のことではあるが、目標自体、掲げなかったのだから達成状況も当然ながらお伝えすることはできない。異例の年末である。

だが、新型コロナ禍という異常事態が発生し、目標を掲げても達成が困難であったであろうことを考えると、無理せず目標設定を見送った年初の私の判断は、結果的に正しかったのかもしれない。

昨年秋から、何か凶事の発生を予兆するかのようなテレパシー性の強い夢を5回続けて見た直後に、新型コロナ禍が発生した。今にして思えば、あれは予知夢だったと言うほかない。

幸い、「車をなくし、探し回る夢」はこの記事で紹介した今年1月10日が最後で、それ以降、見ていない。新型コロナという異常事態がずっと続いてきたので皆さんにはお伝えできずじまいだったが、当ブログ管理人は結局、「詰んでしまった」札幌の職場から、千歳市内の別の職場へ4月1日付で異動となった。2007年から続いてきた出向がついに解除になり、「古巣」へ実に13年ぶりの里帰りだ。慣れた職場で「ホーム感」もあり、懐かしい気がした。かつての仲間も温かく迎えてくれた。コロナ禍という異常事態を乗り切れたのは、この環境変化を抜きにしては考えられない。

6月には職場から近い千歳市内に転居もした。悪い流れを振り払いたい気持ちもあったが、最大の理由は、コロナ禍が長期化しそうな予感もする中で、毎日、札幌から千歳まで30分以上も電車に乗り続ける通勤スタイルを避けたかったからである。

コロナ禍で、テレワークなどのリモートワーク化が進み、一時は過密化しすぎた東京から地方への人口流出の流れが起きるのではないかと言われたが、大きな流れにはならなかった。いわゆる「現場系」の仕事(最近はあまり聞かなくなったが少し前までは「ガテン系」という言い方もされた)、最も打撃を受けた接客・飲食・観光などの仕事は「その場所にいてナンボ」の世界なのでそもそもリモートワークなど不可能だ。リモートワークでいい思いをしているのは結局、エッセンシャル・ワーク(生活必需産業における労働)という単語とともに、その反対語として使われるようになったブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)に従事している特権的階級だけで、エッセンシャル・ワーカーたちはリモートワークの恩恵など受けられないのである。

それだけに、長時間の電車通勤を避ける動きとしての「東京脱出」を実現できたのはブルシット・ジョブに従事している人だけで、エッセンシャル・ワーカーたちの間では、逆に職場に近い場所に転居することで長時間通勤を避ける動きが強まった。結果として東京から離れる動きが顕在化した一方、都心近くに転居する動きもまた顕在化したのである。今思えば、当ブログ管理人が長時間通勤を避けるために職場近くに転居したのも自然の成り行きであり、逆に言えばエッセンシャル・ワーカーとしての自分の立ち位置をはっきりさせる出来事だったような気がする。

そんなこんなで、異例ずくめだった2020年もまもなく終わる。こんな年、回顧するどころか2020年自体をなかったことにしたい人のほうが圧倒的だろう。だが今年のような異常時にこそ人としての真価が問われる。危機管理の下手さにおいては世界でも他の追随を許さない日本人だから、コロナ禍は来年も(そして、おそらくは再来年も)続くだろう。個人的利益より社会全体の利益を優先して行動できるかどうかが問われている。

国や自治体からの自粛要請に従わず、観光だ宴会だと騒いでいる連中に「警告」しておかなければならないが、経済学の世界では公衆衛生は防衛、警察、消防、道路などと同じく「純粋公共財」とされる。自分が使っても他の人の取り分が減るわけではない代わりに、維持コストを負担しなければ全体が劣化していき、崩壊する。例えば、10軒の家のうち9軒がきちんと火の始末をしていても、残り1軒が火の管理に無頓着であれば、そこから出火し、10軒全体が焼けてしまうのと同じだ。このような性質を「共同消費性」と呼び、共同消費性を持つ財を経済学では公共財と呼ぶ。そして、公共財は消費財と違い、劣化が「使えば減る」という形で明確に目に見えないため、どうしても「維持コストは払いたくない、しかし恩恵だけは受けたい」というフリーライダー(いわゆる「ただ乗り者」)を生んでしまう。そして、フリーライダーが使用することによる劣化分を、他の人が負担する維持コストでまかなうことができなくなったとき、公共財は一気に全体が崩壊するのである。

公衆衛生も公共財だからこの理論が当てはまる。医療・介護従事者、自粛に応じている人が、休日の行楽やレジャーも、やりたいことも、感染拡大を防止するために我慢して必死に耐えることで「公衆衛生」という公共財の維持コストを払っている。その横では「自粛なんてクソ食らえ、自分だけは大丈夫」と考え、遊びまくる愚か者たちがコストを負担せず公衆衛生という公共財に「フリーライド」している。フリーライダーたちを抑え、彼らにも公衆衛生のコストを支払わせるべきだ。

当ブログは、損得勘定だけで物事を判断し自分のことしか考えない「新自由主義者」が右翼よりも大嫌いである(少なくとも、「国家」「天皇」など自分を犠牲にしてまで忠誠を誓う対象を持っているだけ新自由主義者よりは右翼のほうがマシだと考えている)。この期に及んでも自粛要請の持つ意味を理解せず、「自分だけは大丈夫」とばかりに観光だ宴会だと遊び呆ける連中に対して、当ブログは今年途中から掲げているスローガン「新自由主義に死を!」に従って行動することになるので、覚悟してもらいたい。

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