共産、女性初の委員長誕生 問われる独自色 イメージ刷新なるか(毎日)
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共産党の志位和夫委員長(69)が18日退任し、後任に田村智子政策委員長(58)が就いた。共産は約23年ぶりの党首交代と「女性初の委員長」の誕生で党のイメージ刷新を狙う。党勢回復に向け、独自色を打ち出せるのか手腕が問われる。
「10年先、20年先を展望し、未来に責任を果たせる条件を整えた」。志位氏は18日、党大会閉会のあいさつで新指導部の若返りを図ったことを説明すると、会場は万雷の拍手に包まれた。
志位氏の後任候補として田村氏に対する党内外の注目が高まったのは、岸田文雄首相が衆院解散を見送った2023年通常国会の閉会直後だった。小池晃書記局長(63)は6月23日の記者会見で、参院議員の田村氏が次期衆院選でくら替えし、比例代表東京ブロックから立候補すると発表。穀田恵二国対委員長(77)と笠井亮衆院議員(71)の今期限りの政界引退も明らかにした。翌年の党大会をにらんだ準備と受け止められた。
田村氏は19年11月の参院予算委員会で、首相主催の「桜を見る会」を巡り、安倍晋三首相(当時)を追及し「次世代のエース」(党関係者)と目されてきた。翌20年1月の党大会で女性初の政策委員長に起用され、23年11月の第10回中央委員会総会では、今回の党大会決議案を報告した。これは従来、主に志位氏が担ってきた役割で「次期委員長候補」を強くアピールする形となった。
歴代委員長は党ナンバー2の書記局長(旧書記長)を10年以上務めた後に就任したケースが多いが、田村氏は書記局長の経験がない。女性が起用されたのも政策委員長の時に続いて初めてで、女性の登用に積極的な姿勢を前面に押し出した格好だ。
共産党が思い切った人事に踏み切った背景には国政選挙で退潮が続いていることがある。直近の22年参院選まで4回連続で議席を減らし、次第に党員の不満の矛先は在任期間が長期化する志位氏に向けられた。23年、党政策委員会の安保外交部長を務めた松竹伸幸氏が記者会見し、党員の直接投票で党首を選ぶ「党首公選制」の導入を訴えたのは象徴的な出来事だった。
党のイメージ刷新を期待される田村氏だが、党運営の経験不足の面は否めず、言動には不安も残る。
ロシアのウクライナ侵攻が始まって間もない22年3月の記者会見では、ウクライナに自衛隊の防弾チョッキなどを提供する政府方針を巡り「人道支援としてできることは全てやるべきだ」と容認。翌日、緊急会見を開いて訂正する事態に追い込まれ「防衛装備品の供与は党が反対してきた武器輸出にあたる。我が党として賛成できない」と党見解を読み上げた。
志位氏が就任した「議長」は、委員長と同じ「党首」という位置付けだ。小池氏も書記局長を続投するため、両氏が引き続き党運営の主導権を握る可能性もある。田村氏が新たな党のイメージを確立できるかまだ見通せない状況だ。【加藤明子】
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日本共産党は、1月15日から18日まで4日間、静岡県熱海市の「党伊豆学習会館」で党大会を開催。注目の党役員人事については、最終日の18日に承認された。私が昨年11月23日付記事「共産趣味者の目で見た日本共産党の現在と「これから」(1)」及び翌24日付記事「共産趣味者の目で見た日本共産党の現在と「これから」(2)」で予想したとおり、田村智子副委員長兼政策委員長が委員長(幹部会委員長)に昇格した。デイリー新潮の記事を元に、私が書記局長就任を予測した山添拓氏は田村氏の後任の政策委員長となり、こちらの予測は外れた。予測は「半分だけ的中」したことになる。
だが、改めて考えてみると絶妙な人事だと思う。かなり前から周到な準備を進めてきたことは間違いない。それがよく現れているのが小池晃書記局長の留任だ。
日本共産党の書記局長は、党務全般を日常的に点検しながら取り仕切る。ある意味ではトップの委員長より重要な役職で、他党でいうところの幹事長に当たる。かつては社民党の前身・日本社会党にも「書記長」のポストがあり、公明党・民社党も委員長・書記長制を採るなど、「書記」の名称は割と一般的だった。それが変わっていったのは、1989~91年にかけて相次いだ東欧社会主義諸国やソ連の解体が大きい。社会主義国のイメージや威信の低下で、社会主義をイメージさせる委員長、書記長などの役職名が党首、代表、幹事長など、どちらかというと保守政党をイメージさせるものに相次いで変わった。国会に議席を有する主要政党の中では、社会主義を放棄していない日本共産党だけいまだに委員長、書記局長の役職が残っている。
日本共産党でわかりにくいのは幹部会、常任幹部会という組織があることだろう。今回、田村氏が就任したのは幹部会委員長で、常任幹部会はその直属機関として党大会や中央委員会総会での決定事項を実施する「執行機関」に当たる。企業でいうところの取締役会に当たるといえばわかりやすいかもしれない。幹部会は、かつては政治局と呼ばれていたが1958年に改称された。「趣味者」である私から見れば、この改称は疑問であり、政治局のほうが共産主義政党らしくていいのに、と思ってしまう。
日本共産党では、従来は書記局長経験者が幹部会委員長へ、順当に昇任してきた。書記局長として党務全般に通じてから幹部会委員長を務めるというのは、組織のトップには実務経験が必要という意味では当たり前のことだろう。田村氏は、今回、この慣例に従わない異例の委員長選出となった。政策には通じているが党務全般を取り仕切る経験をしないまま委員長に就任したのだから、党務を補佐するには最低限、経験豊富な人物が必要になる。小池氏を留任させる必要性はここから説明できる。
一方で、小池書記局長は、政策委員長時代の田村氏に対する言動がパワハラだとして党から処分を受けている。その責任は取らなくてよいのかと思わなくもないが、自分の部下だった田村氏が自分を飛び越えて「上司」となったのだから、ある意味では書記局長を外されるよりも「見せしめ」効果はあるかもしれない。部下が上司を飛び越える「逆転人事」--そんな民間企業のようなことを、官僚主義の権化であるこの党がよもや実際にするとは夢にも思わなかった。
新人事案を承認し、党大会が閉幕した18日。午後7時のNHKニュースは日本共産党大会閉幕のニュースを、能登半島地震に次いで2番目で扱った。一度も政権を担当したことのない政党の大会としては異例の取り扱いだと思う人もいるかもしれない。だがそこは日本で唯一、戦前から102年続く党の歴史がそれだけ重いものであると同時に、政権を担当することだけが政党の役割ではないということを改めて認識させてくれる。政府与党を徹底的に批判・追及し、不正を暴き、窮地に追い込んで、自分たちの政策を政府与党が採用せざるを得ない状況を作り出せば、野党でも望む政策を実現させられること、「政権交代できない」と「自分たちの望む政策が実現できない」は必ずしもイコールでないことを、揺れ動く政局の中で何度も証明してきたのが日本共産党だった。
だからこそ私は、「日本だけなぜ政権交代できないのか」と嘆いている人たちに伝えたい--「自分たちの望む政策を政治段階で実現する上では、政権交代だけが選択肢ではない」と。ただ、それを実現する上で、現在の自公政権の議席はあまりに多すぎる。与野党逆転か、せめて伯仲状態を作り出すことさえできれば、誰が首班のどんな政権に対しても、自分たちの要求・政策を突きつけ、呑ませることが可能になるのである。
商業メディアは、日本共産党人事について「相変わらずの密室決定」だと批判している。一方で日本共産党自身は「民主集中制原則を今後も変えるつもりはない」と表明している。この民主集中制は民主主義的なのかそうでないのか。私が見る限り、事実は「その中間」にある。
日本共産党では、一般党員「○人につき代議員○人」という形で大会代議員が選ばれる。その代議員が党大会で中央委員会総会メンバーを選出する。党大会を一時休憩して第1回中央委員会を開催し、中央委員会メンバーが幹部会を選出。ここで幹部会委員長も選ばれる。幹部会は最高指導部に当たる常任幹部会を選出する。ここで決定された人事案を、再開した党大会に提案し、承認を経る--人事はこのようなプロセスで進む。
党員の中から選ばれた代議員が中央委員会総会メンバーを選び、その人たちが幹部会メンバーを選ぶのだから、確かに反共勢力が宣伝するように直接選挙ではないが、間接選挙は実現している。反共宣伝をしている人たちの中には自民党支持者も多いだろうが、では自民党は共産党を「密室」と批判できるほど公平で透明な選挙をしているのか? 断じて否である。自民党の党則では、一般党員・党友が参加する総裁選挙をできることになっているが、最近はご無沙汰であり、ほとんどが国会議員総会で総裁を選ぶ流れが定着している。これにしても、国民・有権者が選んだ自民党国会議員が総裁を選ぶのだから、直接選挙か間接選挙かでいえば間接選挙であり、結局は共産党と変わらない。
それでも、直接選挙を「ルール上できるようになっているけれど、諸般の事情でしない」(自民党)のと、「ルール上できない」(共産党)のとでは大きな違いがあり、やろうと思えばできる分だけマシだと、おそらく保守派は自民党を擁護するのだろう。しかし、直接選挙のルールがあっても発動されないなら、それは実質的にないのと同じなのではないか? 一般党員・党友が参加した自民党総裁選は、安倍政権として自民党が政権復帰後、もう10年以上一度も行われていないが、それで共産党を批判できる資格があるのか? 政党交付金を1円も受け取らず、党員・支持者からの寄付と事業収入だけで党運営をしている日本共産党を批判する資格が、「全派閥裏金まみれ」の自民党にあるとでも思っているのか? 自民党支持者は反共宣伝などする暇があったらよくよく考えるべきだろう。
日本共産党として「初の女性委員長」人事に対しては「所詮は看板を掛け替えただけ。民主集中制原則が変わらない限り、何も期待できない」という批判が早速出されている。私の活動仲間の中でもそのように考える人がいる一方で、「組織は人間が作るもの。党員の活動のあり方次第で、それなりの刷新感くらいは出せる場合もあり得る」と肯定的に評価する向きもある。私は若干の期待も込めて後者の立場を取る。
「所詮何も変わらない」という人は、田村新体制が発足してまだ1日なのに、何を期待しているのだろうか。「朕は国家なり。太陽を西から昇らせること以外、朕に不可能なことなどない」と我が世の春を謳歌していた皇帝が、翌日にはギロチンで首を落とされるような激変に期待でもしているのだろうか。だとしたらあまりに社会というものに対して無知すぎるし、おめでたいというしかない。社会の変革は、何より下部構造である生産様式、生活様式が資本主義的なスタイルからそれ以外のスタイルに変わることなしには実現しない。社会はずっと複雑であり、変化は長い歴史の変革過程を経ながら進む。日本共産党の新体制は、そのような社会変革の最初の1日を刻んだに過ぎないのである。
これまでも、これからも、日本共産党に限らずあらゆる組織は人間が作り動かすものであり、その活動のあり方次第の部分は大きい。実際、私自身は党員ではないが、「下級は上級に従う」という鉄の規律を持ちながらも、党内での大激論を経て、下級が上級の決定を覆した例がいくつもあることを知り合いの党員から聞いている。幹部が誰であろうとも、日本共産党はひとりひとりの党員が参加し、作る党である。小選挙区制という害悪に行く手を遮られ、国会では少数勢力であっても、日本共産党が102年の歴史の重みを胸に、国会外での闘いとも結合させながら、他の野党にない持ち味を発揮して党勢を衰退から立ち直らせ、再び盛り返してくれることに期待する。生活苦にあえぐ民衆を代表する党は、日本では今ここ以外にないのだ。
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共産党の志位和夫委員長(69)が18日退任し、後任に田村智子政策委員長(58)が就いた。共産は約23年ぶりの党首交代と「女性初の委員長」の誕生で党のイメージ刷新を狙う。党勢回復に向け、独自色を打ち出せるのか手腕が問われる。
「10年先、20年先を展望し、未来に責任を果たせる条件を整えた」。志位氏は18日、党大会閉会のあいさつで新指導部の若返りを図ったことを説明すると、会場は万雷の拍手に包まれた。
志位氏の後任候補として田村氏に対する党内外の注目が高まったのは、岸田文雄首相が衆院解散を見送った2023年通常国会の閉会直後だった。小池晃書記局長(63)は6月23日の記者会見で、参院議員の田村氏が次期衆院選でくら替えし、比例代表東京ブロックから立候補すると発表。穀田恵二国対委員長(77)と笠井亮衆院議員(71)の今期限りの政界引退も明らかにした。翌年の党大会をにらんだ準備と受け止められた。
田村氏は19年11月の参院予算委員会で、首相主催の「桜を見る会」を巡り、安倍晋三首相(当時)を追及し「次世代のエース」(党関係者)と目されてきた。翌20年1月の党大会で女性初の政策委員長に起用され、23年11月の第10回中央委員会総会では、今回の党大会決議案を報告した。これは従来、主に志位氏が担ってきた役割で「次期委員長候補」を強くアピールする形となった。
歴代委員長は党ナンバー2の書記局長(旧書記長)を10年以上務めた後に就任したケースが多いが、田村氏は書記局長の経験がない。女性が起用されたのも政策委員長の時に続いて初めてで、女性の登用に積極的な姿勢を前面に押し出した格好だ。
共産党が思い切った人事に踏み切った背景には国政選挙で退潮が続いていることがある。直近の22年参院選まで4回連続で議席を減らし、次第に党員の不満の矛先は在任期間が長期化する志位氏に向けられた。23年、党政策委員会の安保外交部長を務めた松竹伸幸氏が記者会見し、党員の直接投票で党首を選ぶ「党首公選制」の導入を訴えたのは象徴的な出来事だった。
党のイメージ刷新を期待される田村氏だが、党運営の経験不足の面は否めず、言動には不安も残る。
ロシアのウクライナ侵攻が始まって間もない22年3月の記者会見では、ウクライナに自衛隊の防弾チョッキなどを提供する政府方針を巡り「人道支援としてできることは全てやるべきだ」と容認。翌日、緊急会見を開いて訂正する事態に追い込まれ「防衛装備品の供与は党が反対してきた武器輸出にあたる。我が党として賛成できない」と党見解を読み上げた。
志位氏が就任した「議長」は、委員長と同じ「党首」という位置付けだ。小池氏も書記局長を続投するため、両氏が引き続き党運営の主導権を握る可能性もある。田村氏が新たな党のイメージを確立できるかまだ見通せない状況だ。【加藤明子】
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日本共産党は、1月15日から18日まで4日間、静岡県熱海市の「党伊豆学習会館」で党大会を開催。注目の党役員人事については、最終日の18日に承認された。私が昨年11月23日付記事「共産趣味者の目で見た日本共産党の現在と「これから」(1)」及び翌24日付記事「共産趣味者の目で見た日本共産党の現在と「これから」(2)」で予想したとおり、田村智子副委員長兼政策委員長が委員長(幹部会委員長)に昇格した。デイリー新潮の記事を元に、私が書記局長就任を予測した山添拓氏は田村氏の後任の政策委員長となり、こちらの予測は外れた。予測は「半分だけ的中」したことになる。
だが、改めて考えてみると絶妙な人事だと思う。かなり前から周到な準備を進めてきたことは間違いない。それがよく現れているのが小池晃書記局長の留任だ。
日本共産党の書記局長は、党務全般を日常的に点検しながら取り仕切る。ある意味ではトップの委員長より重要な役職で、他党でいうところの幹事長に当たる。かつては社民党の前身・日本社会党にも「書記長」のポストがあり、公明党・民社党も委員長・書記長制を採るなど、「書記」の名称は割と一般的だった。それが変わっていったのは、1989~91年にかけて相次いだ東欧社会主義諸国やソ連の解体が大きい。社会主義国のイメージや威信の低下で、社会主義をイメージさせる委員長、書記長などの役職名が党首、代表、幹事長など、どちらかというと保守政党をイメージさせるものに相次いで変わった。国会に議席を有する主要政党の中では、社会主義を放棄していない日本共産党だけいまだに委員長、書記局長の役職が残っている。
日本共産党でわかりにくいのは幹部会、常任幹部会という組織があることだろう。今回、田村氏が就任したのは幹部会委員長で、常任幹部会はその直属機関として党大会や中央委員会総会での決定事項を実施する「執行機関」に当たる。企業でいうところの取締役会に当たるといえばわかりやすいかもしれない。幹部会は、かつては政治局と呼ばれていたが1958年に改称された。「趣味者」である私から見れば、この改称は疑問であり、政治局のほうが共産主義政党らしくていいのに、と思ってしまう。
日本共産党では、従来は書記局長経験者が幹部会委員長へ、順当に昇任してきた。書記局長として党務全般に通じてから幹部会委員長を務めるというのは、組織のトップには実務経験が必要という意味では当たり前のことだろう。田村氏は、今回、この慣例に従わない異例の委員長選出となった。政策には通じているが党務全般を取り仕切る経験をしないまま委員長に就任したのだから、党務を補佐するには最低限、経験豊富な人物が必要になる。小池氏を留任させる必要性はここから説明できる。
一方で、小池書記局長は、政策委員長時代の田村氏に対する言動がパワハラだとして党から処分を受けている。その責任は取らなくてよいのかと思わなくもないが、自分の部下だった田村氏が自分を飛び越えて「上司」となったのだから、ある意味では書記局長を外されるよりも「見せしめ」効果はあるかもしれない。部下が上司を飛び越える「逆転人事」--そんな民間企業のようなことを、官僚主義の権化であるこの党がよもや実際にするとは夢にも思わなかった。
新人事案を承認し、党大会が閉幕した18日。午後7時のNHKニュースは日本共産党大会閉幕のニュースを、能登半島地震に次いで2番目で扱った。一度も政権を担当したことのない政党の大会としては異例の取り扱いだと思う人もいるかもしれない。だがそこは日本で唯一、戦前から102年続く党の歴史がそれだけ重いものであると同時に、政権を担当することだけが政党の役割ではないということを改めて認識させてくれる。政府与党を徹底的に批判・追及し、不正を暴き、窮地に追い込んで、自分たちの政策を政府与党が採用せざるを得ない状況を作り出せば、野党でも望む政策を実現させられること、「政権交代できない」と「自分たちの望む政策が実現できない」は必ずしもイコールでないことを、揺れ動く政局の中で何度も証明してきたのが日本共産党だった。
だからこそ私は、「日本だけなぜ政権交代できないのか」と嘆いている人たちに伝えたい--「自分たちの望む政策を政治段階で実現する上では、政権交代だけが選択肢ではない」と。ただ、それを実現する上で、現在の自公政権の議席はあまりに多すぎる。与野党逆転か、せめて伯仲状態を作り出すことさえできれば、誰が首班のどんな政権に対しても、自分たちの要求・政策を突きつけ、呑ませることが可能になるのである。
商業メディアは、日本共産党人事について「相変わらずの密室決定」だと批判している。一方で日本共産党自身は「民主集中制原則を今後も変えるつもりはない」と表明している。この民主集中制は民主主義的なのかそうでないのか。私が見る限り、事実は「その中間」にある。
日本共産党では、一般党員「○人につき代議員○人」という形で大会代議員が選ばれる。その代議員が党大会で中央委員会総会メンバーを選出する。党大会を一時休憩して第1回中央委員会を開催し、中央委員会メンバーが幹部会を選出。ここで幹部会委員長も選ばれる。幹部会は最高指導部に当たる常任幹部会を選出する。ここで決定された人事案を、再開した党大会に提案し、承認を経る--人事はこのようなプロセスで進む。
党員の中から選ばれた代議員が中央委員会総会メンバーを選び、その人たちが幹部会メンバーを選ぶのだから、確かに反共勢力が宣伝するように直接選挙ではないが、間接選挙は実現している。反共宣伝をしている人たちの中には自民党支持者も多いだろうが、では自民党は共産党を「密室」と批判できるほど公平で透明な選挙をしているのか? 断じて否である。自民党の党則では、一般党員・党友が参加する総裁選挙をできることになっているが、最近はご無沙汰であり、ほとんどが国会議員総会で総裁を選ぶ流れが定着している。これにしても、国民・有権者が選んだ自民党国会議員が総裁を選ぶのだから、直接選挙か間接選挙かでいえば間接選挙であり、結局は共産党と変わらない。
それでも、直接選挙を「ルール上できるようになっているけれど、諸般の事情でしない」(自民党)のと、「ルール上できない」(共産党)のとでは大きな違いがあり、やろうと思えばできる分だけマシだと、おそらく保守派は自民党を擁護するのだろう。しかし、直接選挙のルールがあっても発動されないなら、それは実質的にないのと同じなのではないか? 一般党員・党友が参加した自民党総裁選は、安倍政権として自民党が政権復帰後、もう10年以上一度も行われていないが、それで共産党を批判できる資格があるのか? 政党交付金を1円も受け取らず、党員・支持者からの寄付と事業収入だけで党運営をしている日本共産党を批判する資格が、「全派閥裏金まみれ」の自民党にあるとでも思っているのか? 自民党支持者は反共宣伝などする暇があったらよくよく考えるべきだろう。
日本共産党として「初の女性委員長」人事に対しては「所詮は看板を掛け替えただけ。民主集中制原則が変わらない限り、何も期待できない」という批判が早速出されている。私の活動仲間の中でもそのように考える人がいる一方で、「組織は人間が作るもの。党員の活動のあり方次第で、それなりの刷新感くらいは出せる場合もあり得る」と肯定的に評価する向きもある。私は若干の期待も込めて後者の立場を取る。
「所詮何も変わらない」という人は、田村新体制が発足してまだ1日なのに、何を期待しているのだろうか。「朕は国家なり。太陽を西から昇らせること以外、朕に不可能なことなどない」と我が世の春を謳歌していた皇帝が、翌日にはギロチンで首を落とされるような激変に期待でもしているのだろうか。だとしたらあまりに社会というものに対して無知すぎるし、おめでたいというしかない。社会の変革は、何より下部構造である生産様式、生活様式が資本主義的なスタイルからそれ以外のスタイルに変わることなしには実現しない。社会はずっと複雑であり、変化は長い歴史の変革過程を経ながら進む。日本共産党の新体制は、そのような社会変革の最初の1日を刻んだに過ぎないのである。
これまでも、これからも、日本共産党に限らずあらゆる組織は人間が作り動かすものであり、その活動のあり方次第の部分は大きい。実際、私自身は党員ではないが、「下級は上級に従う」という鉄の規律を持ちながらも、党内での大激論を経て、下級が上級の決定を覆した例がいくつもあることを知り合いの党員から聞いている。幹部が誰であろうとも、日本共産党はひとりひとりの党員が参加し、作る党である。小選挙区制という害悪に行く手を遮られ、国会では少数勢力であっても、日本共産党が102年の歴史の重みを胸に、国会外での闘いとも結合させながら、他の野党にない持ち味を発揮して党勢を衰退から立ち直らせ、再び盛り返してくれることに期待する。生活苦にあえぐ民衆を代表する党は、日本では今ここ以外にないのだ。