(この記事は、当ブログ管理人が長野県大鹿村のリニア建設反対住民団体「大鹿の十年先を変える会」会報「越路」に発表した原稿をそのまま掲載しています。)
北海道で、廃線の危機に瀕している留萌本線沿線の沼田町が2021年9月に公表した「鉄道ルネサンス構想」(以下「構想」)が、玄人筋から注目され始めている。道内ローカル線の廃線問題のほとんどが決着した今となっては時すでに遅しの感もあるが、この構想が実現すれば、廃線復活も含めた反転攻勢も可能と思う。
構想は全20ページ。「鉄道は今、あり方を考える時期に来ている」として「既存の制度にとらわれない新しい制度を考える」ためとその意義を説明する。「自家用車と比較して(複数人で利用する場合には)料金が高い」「駅からのアクセスが不便」「切符の種類が複雑で購入が面倒」「時間的な制約が大きい」(本数が少なく待ち時間が長い)などと現状のローカル線の問題点を指摘する。これらは、長年、全線完乗活動を通じて鉄道を見てきた筆者の実感と完全に一致する。こうした問題点が生まれた背景として、鉄道網が道内に引かれたのは明治から昭和中期までであり、自動車の普及で周辺環境が激変したこと、鉄道運賃が国鉄時代から変わらない距離制であること、固定費が高いため大量高速輸送では特性を発揮するが「輸送密度が低くなりがちな地方ローカル線に弱点」を抱えていることなどを指摘する。「地方ローカル線」という表現は「頭痛が痛い」というのと同じ二重表現で気になるが、指摘自体は適切だ。駅からのアクセスが不便なのも、自動車中心のまちづくりばかり続けてきた自治体の責任であり、指摘する資格があるのかという気持ちもあるが、そんな遠い過去を今さら問うても仕方ないので筆者の胸の内にとどめておこう。
構想は、持続可能な鉄道を守るためには新たな収入源が必要であるとして、JR北海道の鉄道を会員制に変更するよう提案する。JR北海道の年間赤字額420億円を道人口530万人で割り、1人当たり年間8千円を負担すれば1年中、道内全線が乗り放題となる「フリーダムパスポート」の導入を訴える。パスポートは、会員と非会員との間で貸し借りを防ぐため顔写真入りにするという具体的なものだ。シルバープラン(高齢者割引)やファミリープラン(家族割引)なども提案。2人以上での利用だと結局は自家用車のほうが安いという問題の解消が期待される。
沼田町は提案理由について「会員制度を魅力的にするには、スケールメリットと広いネットワークが必要」としている。乗客減少→減便→不便になりさらに乗客減少→廃線のスパイラルをこれにより断ち切りたいとの思惑だろう。利用者には「年会費制のため乗れば乗るほど得になる」メリットがあり、またJR北海道にとっては「景気に左右されにくい安定収入」が確保できるとしている。注目されるのは「現在の鉄道を上下分離により存続させても延命措置を施すだけとなり利用者は増加しない」と、最近の安易な上下分離ブームを戒めていることである。最後に、構想はそのまとめとして「JR北海道のこれまでの経営努力に敬意」を評しつつ「今こそ鉄道が大きく変わらなければならない時」であると締めくくる。
筆者は読み終わってみて、ある種の清々しさを感じた。国からも道からも「廃線の手引き」ばかりが続けられてきたこの間の情勢を理解した上での「国、道への決別宣言」と筆者は受け止めた。「JR北海道のこれまでの経営努力に敬意」という表現ひとつとっても、「減便と廃線しか頭にないあなた方はもう結構です」という決別宣言と取れる。沼田町の不退転の決意が感じられる。この間、ローカル線問題を追ってきた筆者の目には、道内から提案される最後のJR再建策であるように見える。
この再建策自体は決して奇をてらったものではなく、むしろ筆者が提案している「日本鉄道公団法案」によるJR再国有化よりはるかに実現が容易である。既存の法制度に一切手を付けることなく、営業施策の枠内で取り組みが可能だからである。会員制鉄道というと大上段に構えた表現に聞こえるが、若い世代にとっては「鉄道運賃料金へのサブスクリプション(サブスク)制の導入」だといえばそれ以上の説明は不要だろうし、中高年層に対しては「北海道全線で利用可能な定額制1年定期券」だといえば理解されるだろう。年間8千円という金額設定も、現行の通勤定期から見ても破格の安さである。
この構想に懸念があるとすれば、全道民の加入を想定している点だと思う。鉄道沿線でなく利用機会もなさそうな道民が、自分が乗らない鉄道を支えるためだけに毎年8千円を払い続けるかどうかには疑問がある。むしろ、北海道の魅力を理解しているファンは道外にこそ多くいることを踏まえると、半分は道外会員でもいいと割り切るべきだ。
日本の鉄道はもともと、その輸送力の大きさに着目した篤志家が資本を募り、線路を引いた。東海道本線などの主要路線も、東京の地下鉄もすべて建設は民間である。政府は富国強兵路線の中、戦争のために民間から鉄道を強引に買収し、さんざん戦争に使い倒した後、自動車普及で経営が悪化すると民営化の名の下、鉄道をポイ捨てにした。東日本大震災のとき、早々に被災地での配達を取りやめた日本郵政に対し、ヤマト運輸はがれきを乗り越え配達を続けた。民営化反対、公共サービス強化を訴え続ける筆者にとってはなはだ残念なことだが、日本では公共サービスの分野に関しても官より民のほうが優れていることを示す実例のほうが多い。だからこそ、筆者は日本鉄道公団法案を自分でとりまとめておきながら、実効性に疑問を感じるときがある。日本の鉄道の基礎を築いた民間の手で何か再建方策が考えられるならそれでもいいのではないか。今この瞬間も揺れ動いている。
勝手に来店し、マスクもせず大声で話し続ける客に辟易して会員制を導入する飲食店がコロナ禍以降、増えている。客が企業を選ぶ時代は終わり、これからは企業が客を選ぶ時代に入ったといえる。
鉄道も同じだ。「無駄なものには誰が何と言おうとビタ一文払いたくない」という考えが世界でも突出して強く、公共財なんて概念すら理解していない多くの日本人に「他の誰かのために必要な公共財だから税金で支えてくれ」などと説得をする段階はとっくに過ぎている。前回も述べたが、鉄道なんてもう支える意思を持つ人だけの会員制でいい。みずからの構想に基づく新たな会員制鉄道が実現したら、赤字線の廃止を主張してきた人の乗車は拒否するくらいの強い決意で臨むよう、沼田町には望みたい。
北海道で、廃線の危機に瀕している留萌本線沿線の沼田町が2021年9月に公表した「鉄道ルネサンス構想」(以下「構想」)が、玄人筋から注目され始めている。道内ローカル線の廃線問題のほとんどが決着した今となっては時すでに遅しの感もあるが、この構想が実現すれば、廃線復活も含めた反転攻勢も可能と思う。
構想は全20ページ。「鉄道は今、あり方を考える時期に来ている」として「既存の制度にとらわれない新しい制度を考える」ためとその意義を説明する。「自家用車と比較して(複数人で利用する場合には)料金が高い」「駅からのアクセスが不便」「切符の種類が複雑で購入が面倒」「時間的な制約が大きい」(本数が少なく待ち時間が長い)などと現状のローカル線の問題点を指摘する。これらは、長年、全線完乗活動を通じて鉄道を見てきた筆者の実感と完全に一致する。こうした問題点が生まれた背景として、鉄道網が道内に引かれたのは明治から昭和中期までであり、自動車の普及で周辺環境が激変したこと、鉄道運賃が国鉄時代から変わらない距離制であること、固定費が高いため大量高速輸送では特性を発揮するが「輸送密度が低くなりがちな地方ローカル線に弱点」を抱えていることなどを指摘する。「地方ローカル線」という表現は「頭痛が痛い」というのと同じ二重表現で気になるが、指摘自体は適切だ。駅からのアクセスが不便なのも、自動車中心のまちづくりばかり続けてきた自治体の責任であり、指摘する資格があるのかという気持ちもあるが、そんな遠い過去を今さら問うても仕方ないので筆者の胸の内にとどめておこう。
構想は、持続可能な鉄道を守るためには新たな収入源が必要であるとして、JR北海道の鉄道を会員制に変更するよう提案する。JR北海道の年間赤字額420億円を道人口530万人で割り、1人当たり年間8千円を負担すれば1年中、道内全線が乗り放題となる「フリーダムパスポート」の導入を訴える。パスポートは、会員と非会員との間で貸し借りを防ぐため顔写真入りにするという具体的なものだ。シルバープラン(高齢者割引)やファミリープラン(家族割引)なども提案。2人以上での利用だと結局は自家用車のほうが安いという問題の解消が期待される。
沼田町は提案理由について「会員制度を魅力的にするには、スケールメリットと広いネットワークが必要」としている。乗客減少→減便→不便になりさらに乗客減少→廃線のスパイラルをこれにより断ち切りたいとの思惑だろう。利用者には「年会費制のため乗れば乗るほど得になる」メリットがあり、またJR北海道にとっては「景気に左右されにくい安定収入」が確保できるとしている。注目されるのは「現在の鉄道を上下分離により存続させても延命措置を施すだけとなり利用者は増加しない」と、最近の安易な上下分離ブームを戒めていることである。最後に、構想はそのまとめとして「JR北海道のこれまでの経営努力に敬意」を評しつつ「今こそ鉄道が大きく変わらなければならない時」であると締めくくる。
筆者は読み終わってみて、ある種の清々しさを感じた。国からも道からも「廃線の手引き」ばかりが続けられてきたこの間の情勢を理解した上での「国、道への決別宣言」と筆者は受け止めた。「JR北海道のこれまでの経営努力に敬意」という表現ひとつとっても、「減便と廃線しか頭にないあなた方はもう結構です」という決別宣言と取れる。沼田町の不退転の決意が感じられる。この間、ローカル線問題を追ってきた筆者の目には、道内から提案される最後のJR再建策であるように見える。
この再建策自体は決して奇をてらったものではなく、むしろ筆者が提案している「日本鉄道公団法案」によるJR再国有化よりはるかに実現が容易である。既存の法制度に一切手を付けることなく、営業施策の枠内で取り組みが可能だからである。会員制鉄道というと大上段に構えた表現に聞こえるが、若い世代にとっては「鉄道運賃料金へのサブスクリプション(サブスク)制の導入」だといえばそれ以上の説明は不要だろうし、中高年層に対しては「北海道全線で利用可能な定額制1年定期券」だといえば理解されるだろう。年間8千円という金額設定も、現行の通勤定期から見ても破格の安さである。
この構想に懸念があるとすれば、全道民の加入を想定している点だと思う。鉄道沿線でなく利用機会もなさそうな道民が、自分が乗らない鉄道を支えるためだけに毎年8千円を払い続けるかどうかには疑問がある。むしろ、北海道の魅力を理解しているファンは道外にこそ多くいることを踏まえると、半分は道外会員でもいいと割り切るべきだ。
日本の鉄道はもともと、その輸送力の大きさに着目した篤志家が資本を募り、線路を引いた。東海道本線などの主要路線も、東京の地下鉄もすべて建設は民間である。政府は富国強兵路線の中、戦争のために民間から鉄道を強引に買収し、さんざん戦争に使い倒した後、自動車普及で経営が悪化すると民営化の名の下、鉄道をポイ捨てにした。東日本大震災のとき、早々に被災地での配達を取りやめた日本郵政に対し、ヤマト運輸はがれきを乗り越え配達を続けた。民営化反対、公共サービス強化を訴え続ける筆者にとってはなはだ残念なことだが、日本では公共サービスの分野に関しても官より民のほうが優れていることを示す実例のほうが多い。だからこそ、筆者は日本鉄道公団法案を自分でとりまとめておきながら、実効性に疑問を感じるときがある。日本の鉄道の基礎を築いた民間の手で何か再建方策が考えられるならそれでもいいのではないか。今この瞬間も揺れ動いている。
勝手に来店し、マスクもせず大声で話し続ける客に辟易して会員制を導入する飲食店がコロナ禍以降、増えている。客が企業を選ぶ時代は終わり、これからは企業が客を選ぶ時代に入ったといえる。
鉄道も同じだ。「無駄なものには誰が何と言おうとビタ一文払いたくない」という考えが世界でも突出して強く、公共財なんて概念すら理解していない多くの日本人に「他の誰かのために必要な公共財だから税金で支えてくれ」などと説得をする段階はとっくに過ぎている。前回も述べたが、鉄道なんてもう支える意思を持つ人だけの会員制でいい。みずからの構想に基づく新たな会員制鉄道が実現したら、赤字線の廃止を主張してきた人の乗車は拒否するくらいの強い決意で臨むよう、沼田町には望みたい。