北茨城市甲状腺超音波検査事業の実施結果について(北茨城市公式サイト)
8月25日、茨城県北茨城市が発表した「北茨城市甲状腺超音波検査事業の実施結果について」が一部メディアでも報道されている。詳細はリンク先をご覧いただきたいが、平成26(2014)年度に北茨城市で甲状腺超音波(エコー)検査を受けた人は3,593人。このうち3人で甲状腺がんが確定したと発表されている。がん確定者を受診者数で割ると0.0008349人。1万人あたり約8.35人の割合で甲状腺がんが発生していることになる。報道されているように、これは福島県内の一部地域よりも高い割合だ。
北茨城市は、茨城県の太平洋沿岸北部にあり、福島県いわき市と接する。福島第1原発のある福島県浜通り地域に近いとはいえ、茨城県で、福島県内より高い割合で甲状腺がん患者が発生するなどということが、本当にあり得るのかという疑問を抱く人も多いに違いない。
だが、当ブログは、福島原発事故直後の北茨城市の状況から、その可能性は大いにあると考えている。そのように判断する根拠のひとつが、原発事故直後の各地の空間放射線量である。以下は、当時、NHK公式サイトに掲載されていた放射線量の推移を表すグラフ(放射線量のデータは、各自治体のものである)。すでにNHKサイトからは削除されているようなので、当ブログが保存しておいたものを示す。

福島市(福島県中通り) 2011.3.15~16に最高で約24μSv/hを記録

郡山市(福島県中通り) 2011.3.15~16に最高で約8μSv/hを記録

白河市(福島県中通り) 2011.3.15~16に最高で約8μSv/hを記録

いわき市(福島県浜通り) 2011.3.15~16に最高で約24μSv/hを記録

南相馬市(福島県浜通り) 2011.3.11~12に最高で約20μSv/hを記録

北茨城市(茨城県) 2011.3.15~16に最高で約16μSv/hを記録
この放射線量を見ると、北茨城市では、ピーク時には郡山市、白河市の2倍もの空間放射線量を記録していたことがわかる。とはいえ、モニタリングポストや簡易線量計は放射線の中でも飛距離の長いガンマ線を測定するものに過ぎない。甲状腺がんを引き起こすとされる放射性ヨウ素131もガンマ線を発する放射性物質であるものの、空間放射線量の測定結果だけでは、大気中に当時、飛散していたのが放射性ヨウ素131だと特定することはできないのである。
だが、このとき空間放射線量を急上昇させた原因に、別の面からある程度迫ることができる。大気中の放射性物質が風によって拡散することを考慮しなければならないとしても、空間放射線量がピークに達した後、急激に低下している事実から、このときの空間放射線量の急上昇が「半減期の短い核種」によるものであるとの推定が成り立つ。ガンマ線を放射する核種のうち、甲状腺がんを引き起こすとされる放射性ヨウ素131の半減期は8日。これに対し、同じくガンマ線核種である放射性セシウム134の半減期は約2年、放射性セシウム137に至っては半減期は約30年である。
このように考えると、福島原発事故による放射能の放出がピークを迎えた2011年3月15日から16日にかけて、各地で空間放射線量を急上昇させた「犯人」が放射性ヨウ素131である可能性は高いと考えられる。仮に当ブログのこの推定が正しければ、北茨城市に飛来した放射性ヨウ素131の量は郡山市や白河市の2倍近くに達していた可能性がある。北茨城市での甲状腺がん患者が、福島県内の比較的汚染の低い地域を上回る可能性は、決して否定できない。
以上は、当ブログによるあくまでも推定だが、傍証はある。「ストップ・ざ・もんじゅ」公式サイトに掲載されている『3月15日 東京を襲った「見えない雲」』と題する記事によれば、小出裕章助教ら京大原子炉実験所のグループが行った空気中の放射性物質分析の結果、東京都台東区では2011年3月15日の11:14~12:14の1時間に、放射性ヨウ素が1立方メートルあたり720ベクレル。これに対し、放射性セシウム134は110ベクレル、セシウム137は130ベクレル。つまり、放射性セシウム134、137を合計したものより3倍も多い量の放射性ヨウ素131が検出されていたのである。空間線量を上昇させた主因が放射性ヨウ素131であるとした当ブログの推定を、ある程度裏付けるデータである。
以上の結果から、北茨城市が発表したデータに不審な点はないと当ブログは判断する。北茨城市周辺にお住まいの方で、当ブログをご覧の方は、念のため甲状腺検査を受診することをお勧めする。
8月25日、茨城県北茨城市が発表した「北茨城市甲状腺超音波検査事業の実施結果について」が一部メディアでも報道されている。詳細はリンク先をご覧いただきたいが、平成26(2014)年度に北茨城市で甲状腺超音波(エコー)検査を受けた人は3,593人。このうち3人で甲状腺がんが確定したと発表されている。がん確定者を受診者数で割ると0.0008349人。1万人あたり約8.35人の割合で甲状腺がんが発生していることになる。報道されているように、これは福島県内の一部地域よりも高い割合だ。
北茨城市は、茨城県の太平洋沿岸北部にあり、福島県いわき市と接する。福島第1原発のある福島県浜通り地域に近いとはいえ、茨城県で、福島県内より高い割合で甲状腺がん患者が発生するなどということが、本当にあり得るのかという疑問を抱く人も多いに違いない。
だが、当ブログは、福島原発事故直後の北茨城市の状況から、その可能性は大いにあると考えている。そのように判断する根拠のひとつが、原発事故直後の各地の空間放射線量である。以下は、当時、NHK公式サイトに掲載されていた放射線量の推移を表すグラフ(放射線量のデータは、各自治体のものである)。すでにNHKサイトからは削除されているようなので、当ブログが保存しておいたものを示す。

福島市(福島県中通り) 2011.3.15~16に最高で約24μSv/hを記録

郡山市(福島県中通り) 2011.3.15~16に最高で約8μSv/hを記録

白河市(福島県中通り) 2011.3.15~16に最高で約8μSv/hを記録

いわき市(福島県浜通り) 2011.3.15~16に最高で約24μSv/hを記録

南相馬市(福島県浜通り) 2011.3.11~12に最高で約20μSv/hを記録

北茨城市(茨城県) 2011.3.15~16に最高で約16μSv/hを記録
この放射線量を見ると、北茨城市では、ピーク時には郡山市、白河市の2倍もの空間放射線量を記録していたことがわかる。とはいえ、モニタリングポストや簡易線量計は放射線の中でも飛距離の長いガンマ線を測定するものに過ぎない。甲状腺がんを引き起こすとされる放射性ヨウ素131もガンマ線を発する放射性物質であるものの、空間放射線量の測定結果だけでは、大気中に当時、飛散していたのが放射性ヨウ素131だと特定することはできないのである。
だが、このとき空間放射線量を急上昇させた原因に、別の面からある程度迫ることができる。大気中の放射性物質が風によって拡散することを考慮しなければならないとしても、空間放射線量がピークに達した後、急激に低下している事実から、このときの空間放射線量の急上昇が「半減期の短い核種」によるものであるとの推定が成り立つ。ガンマ線を放射する核種のうち、甲状腺がんを引き起こすとされる放射性ヨウ素131の半減期は8日。これに対し、同じくガンマ線核種である放射性セシウム134の半減期は約2年、放射性セシウム137に至っては半減期は約30年である。
このように考えると、福島原発事故による放射能の放出がピークを迎えた2011年3月15日から16日にかけて、各地で空間放射線量を急上昇させた「犯人」が放射性ヨウ素131である可能性は高いと考えられる。仮に当ブログのこの推定が正しければ、北茨城市に飛来した放射性ヨウ素131の量は郡山市や白河市の2倍近くに達していた可能性がある。北茨城市での甲状腺がん患者が、福島県内の比較的汚染の低い地域を上回る可能性は、決して否定できない。
以上は、当ブログによるあくまでも推定だが、傍証はある。「ストップ・ざ・もんじゅ」公式サイトに掲載されている『3月15日 東京を襲った「見えない雲」』と題する記事によれば、小出裕章助教ら京大原子炉実験所のグループが行った空気中の放射性物質分析の結果、東京都台東区では2011年3月15日の11:14~12:14の1時間に、放射性ヨウ素が1立方メートルあたり720ベクレル。これに対し、放射性セシウム134は110ベクレル、セシウム137は130ベクレル。つまり、放射性セシウム134、137を合計したものより3倍も多い量の放射性ヨウ素131が検出されていたのである。空間線量を上昇させた主因が放射性ヨウ素131であるとした当ブログの推定を、ある程度裏付けるデータである。
以上の結果から、北茨城市が発表したデータに不審な点はないと当ブログは判断する。北茨城市周辺にお住まいの方で、当ブログをご覧の方は、念のため甲状腺検査を受診することをお勧めする。