外国特派員として、10年間という異例の長期間日本で過ごし、このほど離日したBBC記者による日本への「惜別の辞」が話題になっている。日本人の自画自賛的「ニッポンスゴイ」より何倍も参考になるので、全文掲載する。
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日本は未来だった、しかし今では過去にとらわれている BBC東京特派員が振り返る(BBC)
ルーパート・ウィングフィールド=ヘイズ、BBC東京特派員
日本では、家は車に似ている。
新しく入居した途端に、マイホームの価値は購入時の値段から目減りする。40年ローンを払い終わった時点で、資産価値はほぼゼロに等しい。
BBCの東京特派員として初めて着任した時、このことを知って私は途方に暮れた。あれから10年たち、離任の準備をする中でも、この現象は同じだった。
この国の経済は世界第3位の規模だ。平和で、豊かで、平均寿命は世界最長。殺人事件の発生率は世界最低。政治的対立は少なく、パスポートは強力で、新幹線という世界最高の素晴らしい高速鉄道網を持っている。
アメリカとヨーロッパはかつて、強力な日本経済の台頭を恐れていた。現在、中国の経済力の成長を恐れているように。しかし、世界が予想した日本は結局のところ、出現しなかった。1980年代後半に、日本国民はアメリカ国民よりも裕福だった。しかし今では、その収入はイギリス国民より少ない。
日本はもう何十年も、経済の低迷に苦しんできた。変化に対する根強い抵抗と、過去へのかたくなな執着が、経済の前進を阻んできた。そして今や、人口の少子高齢化が進んでいる。
日本は、行き詰まっている。
■かつて未来がここにあった
私が初めて日本に来たのは1993年。当時とりわけ驚いたのは、ネオンがきらびやかな銀座や新宿の街並みではなく、原宿に集まる少女たちのワイルドな「ガングロ」ファッションでもなかった。
自分が行ったことのあるアジアのどこよりも日本ははるかに裕福だと、当時の私は感じて、そのことに驚いた。アジアの他のどの都市よりも、いかに東京が見事なほど清潔できちんとしているか、そのことにも驚いた。
対照的に、香港はうるさくて臭くて、こちらの五感に襲いかかってくる街だった。ヴィクトリア・ピークの高級住宅街と、「魔窟」のような九龍北端の工場街の落差をはじめとして、極端から極端に振れる落差の街だった。私が中国語を勉強していた台北は当時、道路にあふれる2ストローク自動二輪車の騒音がたえまなく響き、鼻をつく排気ガスの臭いと煙で、数十メートル先はもうほとんど見えないというありさまだった。
当時の香港と台北がアジアのやかましい10代の若者だったとするなら、日本はアジアの大人だった。確かに東京はコンクリート・ジャングルだったが、美しく手入れの行き届いたコンクリート・ジャングルだった。
東京の皇居の前には、三菱、三井といった日本の巨大企業のガラス張り社屋がそびえていた。ニューヨークからシドニーに至るまで、野心的な親は子供たちに「日本語を勉強して」と力説していた。自分が中国語を選んだのは間違いだったのか、私もそう思ったことがある。
日本は第2次世界大戦の破壊から復興を遂げ、世界の製造業を席巻した。その利益は国内に還流し、不動産市場を急成長させ、日本の人たちは手当たり次第に土地を買った。森林さえ買った。1980年代半ばにもなると、皇居内の土地の値段が、カリフォルニア州全体の土地の値段と同じだとさえ、冗談めかして言われた。日本で「バブル時代」と呼ばれる時期のことだ。
バブルは1991年にはじけた。東京の市場では株価と不動産価格が暴落し、いまだに回復していない。
最近のことだが、日本の山林を数ヘクタール購入しようとしている友人がいた。所有者の売値は平米あたり20ドル。「今の山林時価は平米あたり2ドルですよと伝えた」のだと友人は言う。
「でも所有者は、1平米あたり20ドル払ってもらわないと困ると言うんだ。1970年代に自分が買った時の地価が、そうだったから」
日本のスマートな新幹線や、トヨタ自動車の驚異的な「ジャストインタイム」生産方式を思えば、この国が効率性のお手本のような場所だと思ったとしても仕方がない。しかし、実態は違う。
むしろ、この国の官僚主義は時に恐ろしいほどだし、巨額の公金があやしい活動に注ぎ込まれている。
私は昨年、日本アルプスのふもとにある小さい町で使われる、見事なマンホール蓋(ふた)の裏話に巡り合った。町の近くの湖で1924年に、氷河時代のナウマンゾウの化石が発見されて以来、ゾウはこの町のシンボルになった。そして数年前に、この有名なゾウの姿をあしらったマンホール蓋を、町のすべてのマンホールに使おうと、誰かが決めた。
同じようなことは日本各地で行われている。「日本マンホール蓋学会」によると、全国のマンホール蓋のデザインは、6000種類に及ぶ。マンホール蓋が大好きだという人が大勢いるのは理解できる。芸術品だと思う。けれども、1枚につき最大900ドル(約12万円)するのだ。
日本がどうして世界最大の公的債務国になったか、理解するヒントになる。そして、高齢化の進む人口は膨れ上がる巨額債務の軽減につながらないし、医療費や年金の圧迫で高齢者は仕事をやめることができないのだ。
私が日本で自動車運転免許を更新したとき、とことん丁寧なスタッフは私を視力検査から写真撮影ブース、料金支払いまで案内してくれて、さらには「第28講習室」へ行くよう指示した。この「安全」講習は、過去5年間で何かしらの交通違反をした全員に義務付けられている。
部屋に入ると、同じように罰を受けるのを待つ人たち、心もとなさそうに座っていた。パリッとした身なりの男性が入ってきて、「講習」は10分後に始まると説明した。しかも、2時間かかると!
講習の内容を理解する必要さえない。私は内容のほとんどがわからなかったし、2時間目に入ると受講者の何人かは居眠りを始めた。私の隣の男性は、東京タワーのスケッチを完成させた。かなり上手だった。私は退屈で、不満だらけになった。壁の時計が、こちらをあざ笑っているようだった。
「あれはいったい何が目的なの? あれは、罰なんだよね?」
オフィスに戻り、日本人の同僚にこう尋ねると、「そうじゃないよ」と彼女は笑った。
「あれは、定年退職した交通警官の働き口を作るためなの」
しかし、この国に長く住めば住むほど、いらいらする部分にも慣れて、愛着さえわくようになる。ちょっと妙だなと思うことさえ、ありがたく思うようになる。たとえば、ガソリンスタンドに行けば、給油している間に従業員4人が車の窓を片端から拭いてくれて、出発する際には全員がそろってお辞儀してくれるのだ。
日本では今でも日本であって、アメリカの複製ではない。そういう感じがする。だからこそ世界は、パウダースノーからファッションまで、日本のいろいろなものが大好きなのだ。東京には素晴らしいことこの上ないレストランがたくさんあるし、(ディズニーには申し訳ないが)スタジオ・ジブリは世界で一番魅力的なアニメを作る。確かにJ-Popはひどいが、それでも日本はまぎれもなく、ソフトパワーの超大国だ。
ギークや変わり者は、日本の素晴らしく妙な部分を愛している。しかし同時に、移民受け入れを拒否し家父長制を維持していることをたたえる、オルタナ右翼もいる。
日本は、古い社会のあり方を手放すことなく、現代社会への変貌を成功させた国だと、よく言われる。これはある程度、本当だ。しかし私は、日本の現代性は表面的なものに過ぎないと思う。
新型コロナウイルスのパンデミックが起きると、国境を封鎖した。定住外国人でさえ、帰国が認められなかった。何十年も日本で暮らし、ここに自宅や事業がある外国人を、なぜ観光客のように扱うのか、私は外務省に質問してみた。返ってきたのは、「全員外国人だから」という身も蓋もない答えだった。
無理やり開国させられてから150年。日本はいまだに、外の世界に対して疑心暗鬼で、恐れてさえいる。
■外部という要因
房総半島の村で会議場に座っていたことがある。消滅の危険があるとされる約900の日本の集落のひとつだったからだ。議場に集まった高齢の男性たちは、現状を心配していた。1970年代以降、若者が仕事を求めて次々と村を離れ、都会へ行くのを、ここのお年寄りたちは見ていた。残る住民60人のうち、10代はたった1人。子供はいなかった。
「自分たちがいなくなったら、だれが墓の世話をするんだ」。高齢男性の1人はこう嘆いた。日本では、死者の霊を慰めるのは大事な仕事なのだ。
しかし、イングランド南東部で生まれた自分にとって、この村が死に絶えるなど、まったくあり得ないばかげたことに思えた。絵葉書にしたいようなたんぼや、豊かな森林におおわれた丘に囲まれた、美しい場所だ。しかも東京は車で2時間弱という近さなのに。
「ここはこんなに美しいのだから」と、私はお年寄りたちに言った。「ここに住みたいという人は大勢いるはずです。たとえば、私が家族を連れてここに住んだら、どう思いますか」。
会議場はしんと静まり返った。お年寄りたちは黙ったまま、ばつが悪そうに、お互いに目をやった。やがて1人が咳ばらいをしてから、不安そうな表情で口を開いた。
「それには、私たちの暮らし方を学んでもらわないと。簡単なことじゃない」
この村は消滅へと向かっていた。それでも、「よそもの」に侵入されるかと思うと、なぜかその方がこの人たちには受け入れがたいのだった。
今では日本人の3割が60歳を超えている。そのため日本は、小国モナコに次いで、世界で最も高齢化の進む国だ。生まれる子供の数は減り続けている。2050年までに人口は現状から2割は減っているかもしれない。
それでもなお、移民受け入れへの強い拒否感は揺らいでいない。日本の人口のうち、外国で生まれた人はわずか約3%だ。イギリスの場合は15%だ。ヨーロッパやアメリカの右翼運動は、日本こそが純血主義と社会的調和の輝かしいお手本だとたたえる。
しかし、そうした称賛をよそに、日本は実はそれほど人種的に一様ではない。北海道にはアイヌがいて、南には沖縄の人たちがいる。朝鮮半島にルーツを持つ人たちは約50万人。中国系は100万人近くいる。そして、両親の片方が外国人だという日本の子供たちもいる。私の子供3人もここに含まれる。
2つの文化にルーツを持つこうした子供は「ハーフ」、つまり「半分」と呼ばれる。侮辱的な表現だが、この国では普通に使われる。有名人や有名スポーツ選手にもいる。たとえば、テニス界のスター、大坂なおみ選手もその1人だ。大衆文化では、「ハーフはきれいで才能がある」とちやほやされることもあるが、ちやほやされるのと、受け入れられるのは、まったく別のことだ。
出生率が低下しているのに移民受け入れを拒否する国がどうなるか知りたいなら、まずは日本を見てみるといい。
実質賃金はもう30年間、上がっていない。韓国や台湾の人たちの収入はすでに日本に追いつき、追い越している。
それでも、日本は変わりそうにない。原因の一部は、権力のレバーを誰が握るのか決める、硬直化した仕組みにある。
■年寄りがまだ権力を握っている
「いいですか、日本の仕組みについて、この点を理解する必要がある」。とある高名な学者が、私にこう言った。
「武士は1868年に刀を手放し、髷(まげ)を落とし、西洋の服を着て、霞ケ関の役所にぞろぞろと入っていった。そして、今でもそこに居座っている」
1868年の日本では、欧米列強によって中国と同じ目に遭うのを恐れた改革派が、徳川幕府を倒した。それ以降、日本は急速な工業化へと邁進(まいしん)することになった。
しかし、この明治維新は、フランス革命におけるバスティーユ陥落とは全く異なる。明治維新は、エリート層によるクーデターだった。1945年に2度目の大転換が訪れても、日本の「名家」はそのまま残った。圧倒的に男性中心のこの国の支配層は、日本は特別だという確信とナショナリズムに彩られている。第2次世界大戦において、日本は加害者ではなく被害者だったのだと、この支配層は信じている。
たとえば、殺害された安倍晋三元首相は元外相の息子で、岸信介元首相の孫だった。岸氏は戦時下に閣僚を務め、戦犯容疑者としてアメリカに逮捕された。それでも絞首刑は免れ、1950年代半ばに自由民主党の結党に参加した。この自由民主党がそれ以来、日本を支配し続けている。
日本は単独政党国家だろうと、冗談で言う人もいる。それは違う。しかし、特権的なエリートが支配する政党、アメリカに押し付けられた平和主義を廃止したいと切望する政党、それなのにもう30年も生活水準を向上させられずにいる政党に、なぜ日本の有権者は繰り返し投票し続けるのか、そこを不思議に思うのは、当然のことだ。
最近の選挙の最中、私は都心から車で西に約2時間離れた、山間の狭い渓谷を車で登った。自民党の地盤だ。そこの地元経済はセメント作りと水力発電に依存している。小さい町の投票所に歩いていくお年寄りの夫妻に、私は話を聞いた。
「自民党に投票する」と男性は言った。「信用しているので。私たちの面倒をしっかり見てくれる」。
「私も主人と同じです」と、男性の妻は言った。
この夫妻は、最近完成したばかりのトンネルと橋を挙げた。これがあれば週末に、都心からの観光客が増えるかもしれないと期待していると。
自民党の支持基盤はコンクリートでできているとよく言われる。利益誘導型のこの政治が原因のひとつとなって、日本の海岸がテトラポッドだらけで、河岸は灰色のコンクリートでがっちり固められている。コンクリートを作り続けるのが不可欠だからだ。
人口構成の影響で、都市部を離れたこうした地域の支持基盤が、今や自民党にとって何より重要だ。何百万人もの若者が就職のために都市部に移動したのだから、それ以外の地域の政治的影響力は減少したはずなのに、そうはならなかった。自民党にとってはその方が好都合だ。高齢者の多い非都市部の票が、重みをもつので。
しかし、高齢者が亡くなり世代交代が進めば、変化は避けがたい。だからといって、日本が今よりリベラルに開放的になるかというと、私は必ずしも確信できずにいる。
日本の若い世代は上の世代よりも、結婚したり子供を持つ可能性が少ない。同時に若い世代の間では、両親や祖父母の世代に比べて、外国語が話せたり、海外留学したりする割合は減っている。日本の経営者に占める女性の割合はわずか13%で、女性の国会議員は10%に満たない。
女性初の東京都知事となった小池百合子氏を取材したとき、男女格差対策をどうするつもりか質問した。
「うちにはもうすぐ大学を卒業する娘が2人います」と私は小池氏に話した。「2人はバイリンガルな日本国民です。君たちはこの国に残ってキャリアを築くべきだと2人を応援するため、何が言えますか」と尋ねた。
「私が成功できるならあなたたちもできますよと、そう言うでしょうね」と、小池氏は答えた。それだけですか? と私は思った。
しかし、こうした諸々のことがあっても、それでもなお、私は日本を懐かしく思うだろう。日本にとてつもない愛着を抱いている。同時に、日本はたまにではなく、しばしば私を辟易(へきえき)とさせる国だ。
東京出発を目前に控え、私は年末に友人たちと都内の商店街を訪れた。ひとつの店で私は、古くて美しい大工道具の入った箱を物色した。そのすぐそばでは、華やかな絹の着物姿の女性たちが立ち話をしていた。昼には、ぎゅうぎゅうづめの小さい食堂になんとかみんなで収まって、焼きサバと刺身とみそ汁の定食に舌鼓を打った。おいしい料理、居心地の良い店、何かと世話を焼いてくれる親切な老夫婦……。すっかりおなじみの、慣れ親しんだものばかりだ。
この国で10年過ごして、私は日本のあり方に慣れたし、日本がそうそう変わらないだろうという事実も受け入れるようになった。
確かに、私は日本の未来を心配している。そして日本の未来は、私たち全員にとって教訓となるだろう。人工知能(AI)の時代には、労働者の数が減っても技術革新は推進できる。高齢化の進む日本の農家も、AIロボットが代役を務めるようになるかもしれない。国土の大部分が自然に帰ることだってあり得る。
日本は次第に、存在感のない存在へと色あせていくのだろうか。それとも日本は自分を作り直すのか。新たに繁栄するには、日本は変化を受け入れなくてはならない。私の頭はそう言っている。しかし、日本をこれほど特別な場所にしているものをこの国が失うのかと思うと、心は痛む。
(英語記事 Japan was the future but it's stuck in the past)
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日本は未来だった、しかし今では過去にとらわれている BBC東京特派員が振り返る(BBC)
ルーパート・ウィングフィールド=ヘイズ、BBC東京特派員
日本では、家は車に似ている。
新しく入居した途端に、マイホームの価値は購入時の値段から目減りする。40年ローンを払い終わった時点で、資産価値はほぼゼロに等しい。
BBCの東京特派員として初めて着任した時、このことを知って私は途方に暮れた。あれから10年たち、離任の準備をする中でも、この現象は同じだった。
この国の経済は世界第3位の規模だ。平和で、豊かで、平均寿命は世界最長。殺人事件の発生率は世界最低。政治的対立は少なく、パスポートは強力で、新幹線という世界最高の素晴らしい高速鉄道網を持っている。
アメリカとヨーロッパはかつて、強力な日本経済の台頭を恐れていた。現在、中国の経済力の成長を恐れているように。しかし、世界が予想した日本は結局のところ、出現しなかった。1980年代後半に、日本国民はアメリカ国民よりも裕福だった。しかし今では、その収入はイギリス国民より少ない。
日本はもう何十年も、経済の低迷に苦しんできた。変化に対する根強い抵抗と、過去へのかたくなな執着が、経済の前進を阻んできた。そして今や、人口の少子高齢化が進んでいる。
日本は、行き詰まっている。
■かつて未来がここにあった
私が初めて日本に来たのは1993年。当時とりわけ驚いたのは、ネオンがきらびやかな銀座や新宿の街並みではなく、原宿に集まる少女たちのワイルドな「ガングロ」ファッションでもなかった。
自分が行ったことのあるアジアのどこよりも日本ははるかに裕福だと、当時の私は感じて、そのことに驚いた。アジアの他のどの都市よりも、いかに東京が見事なほど清潔できちんとしているか、そのことにも驚いた。
対照的に、香港はうるさくて臭くて、こちらの五感に襲いかかってくる街だった。ヴィクトリア・ピークの高級住宅街と、「魔窟」のような九龍北端の工場街の落差をはじめとして、極端から極端に振れる落差の街だった。私が中国語を勉強していた台北は当時、道路にあふれる2ストローク自動二輪車の騒音がたえまなく響き、鼻をつく排気ガスの臭いと煙で、数十メートル先はもうほとんど見えないというありさまだった。
当時の香港と台北がアジアのやかましい10代の若者だったとするなら、日本はアジアの大人だった。確かに東京はコンクリート・ジャングルだったが、美しく手入れの行き届いたコンクリート・ジャングルだった。
東京の皇居の前には、三菱、三井といった日本の巨大企業のガラス張り社屋がそびえていた。ニューヨークからシドニーに至るまで、野心的な親は子供たちに「日本語を勉強して」と力説していた。自分が中国語を選んだのは間違いだったのか、私もそう思ったことがある。
日本は第2次世界大戦の破壊から復興を遂げ、世界の製造業を席巻した。その利益は国内に還流し、不動産市場を急成長させ、日本の人たちは手当たり次第に土地を買った。森林さえ買った。1980年代半ばにもなると、皇居内の土地の値段が、カリフォルニア州全体の土地の値段と同じだとさえ、冗談めかして言われた。日本で「バブル時代」と呼ばれる時期のことだ。
バブルは1991年にはじけた。東京の市場では株価と不動産価格が暴落し、いまだに回復していない。
最近のことだが、日本の山林を数ヘクタール購入しようとしている友人がいた。所有者の売値は平米あたり20ドル。「今の山林時価は平米あたり2ドルですよと伝えた」のだと友人は言う。
「でも所有者は、1平米あたり20ドル払ってもらわないと困ると言うんだ。1970年代に自分が買った時の地価が、そうだったから」
日本のスマートな新幹線や、トヨタ自動車の驚異的な「ジャストインタイム」生産方式を思えば、この国が効率性のお手本のような場所だと思ったとしても仕方がない。しかし、実態は違う。
むしろ、この国の官僚主義は時に恐ろしいほどだし、巨額の公金があやしい活動に注ぎ込まれている。
私は昨年、日本アルプスのふもとにある小さい町で使われる、見事なマンホール蓋(ふた)の裏話に巡り合った。町の近くの湖で1924年に、氷河時代のナウマンゾウの化石が発見されて以来、ゾウはこの町のシンボルになった。そして数年前に、この有名なゾウの姿をあしらったマンホール蓋を、町のすべてのマンホールに使おうと、誰かが決めた。
同じようなことは日本各地で行われている。「日本マンホール蓋学会」によると、全国のマンホール蓋のデザインは、6000種類に及ぶ。マンホール蓋が大好きだという人が大勢いるのは理解できる。芸術品だと思う。けれども、1枚につき最大900ドル(約12万円)するのだ。
日本がどうして世界最大の公的債務国になったか、理解するヒントになる。そして、高齢化の進む人口は膨れ上がる巨額債務の軽減につながらないし、医療費や年金の圧迫で高齢者は仕事をやめることができないのだ。
私が日本で自動車運転免許を更新したとき、とことん丁寧なスタッフは私を視力検査から写真撮影ブース、料金支払いまで案内してくれて、さらには「第28講習室」へ行くよう指示した。この「安全」講習は、過去5年間で何かしらの交通違反をした全員に義務付けられている。
部屋に入ると、同じように罰を受けるのを待つ人たち、心もとなさそうに座っていた。パリッとした身なりの男性が入ってきて、「講習」は10分後に始まると説明した。しかも、2時間かかると!
講習の内容を理解する必要さえない。私は内容のほとんどがわからなかったし、2時間目に入ると受講者の何人かは居眠りを始めた。私の隣の男性は、東京タワーのスケッチを完成させた。かなり上手だった。私は退屈で、不満だらけになった。壁の時計が、こちらをあざ笑っているようだった。
「あれはいったい何が目的なの? あれは、罰なんだよね?」
オフィスに戻り、日本人の同僚にこう尋ねると、「そうじゃないよ」と彼女は笑った。
「あれは、定年退職した交通警官の働き口を作るためなの」
しかし、この国に長く住めば住むほど、いらいらする部分にも慣れて、愛着さえわくようになる。ちょっと妙だなと思うことさえ、ありがたく思うようになる。たとえば、ガソリンスタンドに行けば、給油している間に従業員4人が車の窓を片端から拭いてくれて、出発する際には全員がそろってお辞儀してくれるのだ。
日本では今でも日本であって、アメリカの複製ではない。そういう感じがする。だからこそ世界は、パウダースノーからファッションまで、日本のいろいろなものが大好きなのだ。東京には素晴らしいことこの上ないレストランがたくさんあるし、(ディズニーには申し訳ないが)スタジオ・ジブリは世界で一番魅力的なアニメを作る。確かにJ-Popはひどいが、それでも日本はまぎれもなく、ソフトパワーの超大国だ。
ギークや変わり者は、日本の素晴らしく妙な部分を愛している。しかし同時に、移民受け入れを拒否し家父長制を維持していることをたたえる、オルタナ右翼もいる。
日本は、古い社会のあり方を手放すことなく、現代社会への変貌を成功させた国だと、よく言われる。これはある程度、本当だ。しかし私は、日本の現代性は表面的なものに過ぎないと思う。
新型コロナウイルスのパンデミックが起きると、国境を封鎖した。定住外国人でさえ、帰国が認められなかった。何十年も日本で暮らし、ここに自宅や事業がある外国人を、なぜ観光客のように扱うのか、私は外務省に質問してみた。返ってきたのは、「全員外国人だから」という身も蓋もない答えだった。
無理やり開国させられてから150年。日本はいまだに、外の世界に対して疑心暗鬼で、恐れてさえいる。
■外部という要因
房総半島の村で会議場に座っていたことがある。消滅の危険があるとされる約900の日本の集落のひとつだったからだ。議場に集まった高齢の男性たちは、現状を心配していた。1970年代以降、若者が仕事を求めて次々と村を離れ、都会へ行くのを、ここのお年寄りたちは見ていた。残る住民60人のうち、10代はたった1人。子供はいなかった。
「自分たちがいなくなったら、だれが墓の世話をするんだ」。高齢男性の1人はこう嘆いた。日本では、死者の霊を慰めるのは大事な仕事なのだ。
しかし、イングランド南東部で生まれた自分にとって、この村が死に絶えるなど、まったくあり得ないばかげたことに思えた。絵葉書にしたいようなたんぼや、豊かな森林におおわれた丘に囲まれた、美しい場所だ。しかも東京は車で2時間弱という近さなのに。
「ここはこんなに美しいのだから」と、私はお年寄りたちに言った。「ここに住みたいという人は大勢いるはずです。たとえば、私が家族を連れてここに住んだら、どう思いますか」。
会議場はしんと静まり返った。お年寄りたちは黙ったまま、ばつが悪そうに、お互いに目をやった。やがて1人が咳ばらいをしてから、不安そうな表情で口を開いた。
「それには、私たちの暮らし方を学んでもらわないと。簡単なことじゃない」
この村は消滅へと向かっていた。それでも、「よそもの」に侵入されるかと思うと、なぜかその方がこの人たちには受け入れがたいのだった。
今では日本人の3割が60歳を超えている。そのため日本は、小国モナコに次いで、世界で最も高齢化の進む国だ。生まれる子供の数は減り続けている。2050年までに人口は現状から2割は減っているかもしれない。
それでもなお、移民受け入れへの強い拒否感は揺らいでいない。日本の人口のうち、外国で生まれた人はわずか約3%だ。イギリスの場合は15%だ。ヨーロッパやアメリカの右翼運動は、日本こそが純血主義と社会的調和の輝かしいお手本だとたたえる。
しかし、そうした称賛をよそに、日本は実はそれほど人種的に一様ではない。北海道にはアイヌがいて、南には沖縄の人たちがいる。朝鮮半島にルーツを持つ人たちは約50万人。中国系は100万人近くいる。そして、両親の片方が外国人だという日本の子供たちもいる。私の子供3人もここに含まれる。
2つの文化にルーツを持つこうした子供は「ハーフ」、つまり「半分」と呼ばれる。侮辱的な表現だが、この国では普通に使われる。有名人や有名スポーツ選手にもいる。たとえば、テニス界のスター、大坂なおみ選手もその1人だ。大衆文化では、「ハーフはきれいで才能がある」とちやほやされることもあるが、ちやほやされるのと、受け入れられるのは、まったく別のことだ。
出生率が低下しているのに移民受け入れを拒否する国がどうなるか知りたいなら、まずは日本を見てみるといい。
実質賃金はもう30年間、上がっていない。韓国や台湾の人たちの収入はすでに日本に追いつき、追い越している。
それでも、日本は変わりそうにない。原因の一部は、権力のレバーを誰が握るのか決める、硬直化した仕組みにある。
■年寄りがまだ権力を握っている
「いいですか、日本の仕組みについて、この点を理解する必要がある」。とある高名な学者が、私にこう言った。
「武士は1868年に刀を手放し、髷(まげ)を落とし、西洋の服を着て、霞ケ関の役所にぞろぞろと入っていった。そして、今でもそこに居座っている」
1868年の日本では、欧米列強によって中国と同じ目に遭うのを恐れた改革派が、徳川幕府を倒した。それ以降、日本は急速な工業化へと邁進(まいしん)することになった。
しかし、この明治維新は、フランス革命におけるバスティーユ陥落とは全く異なる。明治維新は、エリート層によるクーデターだった。1945年に2度目の大転換が訪れても、日本の「名家」はそのまま残った。圧倒的に男性中心のこの国の支配層は、日本は特別だという確信とナショナリズムに彩られている。第2次世界大戦において、日本は加害者ではなく被害者だったのだと、この支配層は信じている。
たとえば、殺害された安倍晋三元首相は元外相の息子で、岸信介元首相の孫だった。岸氏は戦時下に閣僚を務め、戦犯容疑者としてアメリカに逮捕された。それでも絞首刑は免れ、1950年代半ばに自由民主党の結党に参加した。この自由民主党がそれ以来、日本を支配し続けている。
日本は単独政党国家だろうと、冗談で言う人もいる。それは違う。しかし、特権的なエリートが支配する政党、アメリカに押し付けられた平和主義を廃止したいと切望する政党、それなのにもう30年も生活水準を向上させられずにいる政党に、なぜ日本の有権者は繰り返し投票し続けるのか、そこを不思議に思うのは、当然のことだ。
最近の選挙の最中、私は都心から車で西に約2時間離れた、山間の狭い渓谷を車で登った。自民党の地盤だ。そこの地元経済はセメント作りと水力発電に依存している。小さい町の投票所に歩いていくお年寄りの夫妻に、私は話を聞いた。
「自民党に投票する」と男性は言った。「信用しているので。私たちの面倒をしっかり見てくれる」。
「私も主人と同じです」と、男性の妻は言った。
この夫妻は、最近完成したばかりのトンネルと橋を挙げた。これがあれば週末に、都心からの観光客が増えるかもしれないと期待していると。
自民党の支持基盤はコンクリートでできているとよく言われる。利益誘導型のこの政治が原因のひとつとなって、日本の海岸がテトラポッドだらけで、河岸は灰色のコンクリートでがっちり固められている。コンクリートを作り続けるのが不可欠だからだ。
人口構成の影響で、都市部を離れたこうした地域の支持基盤が、今や自民党にとって何より重要だ。何百万人もの若者が就職のために都市部に移動したのだから、それ以外の地域の政治的影響力は減少したはずなのに、そうはならなかった。自民党にとってはその方が好都合だ。高齢者の多い非都市部の票が、重みをもつので。
しかし、高齢者が亡くなり世代交代が進めば、変化は避けがたい。だからといって、日本が今よりリベラルに開放的になるかというと、私は必ずしも確信できずにいる。
日本の若い世代は上の世代よりも、結婚したり子供を持つ可能性が少ない。同時に若い世代の間では、両親や祖父母の世代に比べて、外国語が話せたり、海外留学したりする割合は減っている。日本の経営者に占める女性の割合はわずか13%で、女性の国会議員は10%に満たない。
女性初の東京都知事となった小池百合子氏を取材したとき、男女格差対策をどうするつもりか質問した。
「うちにはもうすぐ大学を卒業する娘が2人います」と私は小池氏に話した。「2人はバイリンガルな日本国民です。君たちはこの国に残ってキャリアを築くべきだと2人を応援するため、何が言えますか」と尋ねた。
「私が成功できるならあなたたちもできますよと、そう言うでしょうね」と、小池氏は答えた。それだけですか? と私は思った。
しかし、こうした諸々のことがあっても、それでもなお、私は日本を懐かしく思うだろう。日本にとてつもない愛着を抱いている。同時に、日本はたまにではなく、しばしば私を辟易(へきえき)とさせる国だ。
東京出発を目前に控え、私は年末に友人たちと都内の商店街を訪れた。ひとつの店で私は、古くて美しい大工道具の入った箱を物色した。そのすぐそばでは、華やかな絹の着物姿の女性たちが立ち話をしていた。昼には、ぎゅうぎゅうづめの小さい食堂になんとかみんなで収まって、焼きサバと刺身とみそ汁の定食に舌鼓を打った。おいしい料理、居心地の良い店、何かと世話を焼いてくれる親切な老夫婦……。すっかりおなじみの、慣れ親しんだものばかりだ。
この国で10年過ごして、私は日本のあり方に慣れたし、日本がそうそう変わらないだろうという事実も受け入れるようになった。
確かに、私は日本の未来を心配している。そして日本の未来は、私たち全員にとって教訓となるだろう。人工知能(AI)の時代には、労働者の数が減っても技術革新は推進できる。高齢化の進む日本の農家も、AIロボットが代役を務めるようになるかもしれない。国土の大部分が自然に帰ることだってあり得る。
日本は次第に、存在感のない存在へと色あせていくのだろうか。それとも日本は自分を作り直すのか。新たに繁栄するには、日本は変化を受け入れなくてはならない。私の頭はそう言っている。しかし、日本をこれほど特別な場所にしているものをこの国が失うのかと思うと、心は痛む。
(英語記事 Japan was the future but it's stuck in the past)