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【訃報】「一水会」元代表・鈴木邦男さん

2023-01-30 23:32:40 | その他社会・時事
鈴木邦男さん死去 79歳、「一水会」元代表(東京)

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 民族派団体「一水会」の元代表で、イデオロギーの枠を超えた言論活動を展開した評論家の鈴木邦男(すずき・くにお)さんが十一日、誤嚥(ごえん)性肺炎のため死去した。七十九歳。福島県出身。葬儀は近親者で行った。後日お別れの会を開く予定。

 早稲田大在学中に民族主義運動に没頭し、新聞社に入社。作家三島由紀夫の自決に影響され一九七二年に一水会を結成し、九九年まで代表、二〇一五年まで顧問を務めた。

 当初の武闘派右翼から新右翼の論客に転じ、左翼の言論人とも交流。安倍晋三政権の改憲論に「国家主義的だ」と反対、在日韓国人へのヘイトスピーチに抗議したほか、中国人監督の映画「靖国 YASUKUNI」公開を右翼が妨害した際も上映実現に尽力するなど、思想信条や価値観の違いを超えた「愛国」の在り方を追求した。テレビの討論番組などでも活躍した。

 「夕刻のコペルニクス」「言論の覚悟」「憲法が危ない!」「新右翼<最終章>」など著書多数。
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当ブログが右翼団体関係者の訃報を取り上げるのは、異例中の異例であることはお断りしておきたい。ちなみに、引用した東京新聞記事末尾に紹介されている鈴木さんの著作のうち「夕刻のコペルニクス」は、かつて「週刊SPA!」誌に同じ名前の連載があった。書籍としては読んでいないが、おそらくこの連載をまとめたものだと思う。

取り上げる理由は、私が短時間、一度だけとはいえ、実際に鈴木さんにお会いし、直接話した経験を持つからである。その当時のことは、2013年1月17日付当ブログ記事「ある右翼人との対話」に書いてある。この記事は1ヶ月後に書いたもので、実際、お会いしたのは2012年12月。福島在住当時だった。

私が、西郷村在住であることをカミングアウトして話しかけると「僕も自分の出身は郡山だけど、母親は坂下(ばんげ)なんですよ」と上半身を乗り出すようにして話しかけてきた。坂下とは会津坂下町を指しており、福島県内ではこれで通じる(会津若松も「若松」と表現するなど、福島県内では会津○○町のことを話題にするときには「会津」を省略することが多い)。

自分の出身地を大事にするところなどは、やっぱり郷土愛というか、保守の人だなぁと感心した覚えがある。黒塗りの街宣車に乗り、大音響で君が代や軍歌を流し「北方領土返さんかい! オラァ!」とか「売国日教組粉砕せよ!」などと叫んでいる人たちで、目が合ったら最後、殴りかかられるんじゃないかという右翼のイメージとはかけ離れ、親しみやすい人だった。

「ある右翼人との対話」を10年ぶりに読み返してみたが、鈴木邦男さんを「戦後自民党的な「保守」の立場に近い」と評したのは、いま思えば的外れもいいところで、私はやっぱり保守の人たちのことを何もわかっていなかったな、と反省する。そういう自民党的なものと最も対峙してきた人が鈴木さんではなかったか。そういう面で、今はかなりというか、当時とは180度違う評価を持っている。本来なら鈴木さんに謝らなければならないくらい失礼な評価をしていたと思うが、鈴木さんが違う世界に旅立たれたせいか、それもできなくなり申し訳ない。あと20年後か30年後かに、私がそっちの世界に行ったら鈴木さんには失礼を詫びておきたいと思う。

戦後自民党的なものが持つ欺瞞性は、安倍元首相殺害後に明るみに出た統一協会との関係で完全に明らかになった。清濁併せ飲むと言えば聞こえはいいが、そうやって何でも飲み込んでいるうちに、善悪の判断すらできなくなっている自民党から、本来の敵である共産党まですべてをYP(=ヤルタ・ポツダム)体制と規定し、打倒の対象とするのが民族派の本来の立ち位置だったはずだ。日本人から巻き上げたカネを、彼ら的に言えば「いつまでも執拗に謝罪を要求してくる」韓国に貢いでいた統一協会や、表向きは「日本人の子孫に二度と過去の謝罪をさせない」などと息巻いておきながら、裏では選挙のため彼らと抱き合っていた自民党を見て、心ある「民族派」の人たちはおかしいと思わないのだろうか。当然、思うはずだし、思わないようなら彼らに未来はないと思う。

「ある右翼人との対話」を書いた2012年当時、私は自分をこんな苦しみに追いやった原発に対し、「原発と自分は共存できない。原発をこの手で殺さなければ自分が原発に殺される」と強い敵愾心を抱いていた(この点は、暦が一回りした現在も変わっていない)。だが、保守の人たちに対する思いは当時とはかなり変わった気がする。JRのローカル線廃止に反対する活動を通じて、元町長(自民党員)など保守の人たちにも「地元、郷土を守りたい」という強い思いがあることを知ったからだ。

左翼と右翼には、実は共通点がある。「金銭に換算できなくても、時には命を賭けるほど大事なものがある」ということを知っている点だ。たとえば、我々が天皇制と呼んで批判しているもの(保守派は皇室制度と呼ぶ人が多い)であったり、郷土であったり、国旗や国歌であったり。こうしたものが、金銭には置き換えられなくても守るべき価値があると思っている。私のような立場の人間が、人権や憲法や平和主義などを、カネに換算できなくても守るべき価値があると理解しているように。「守る対象が何か」が違うだけで、「カネに換算できないものにも守るべきものがある」と知っている点では、「カネ」しか理解できない腐った新自由主義者より何万倍もマシである。「赤字を垂れ流すだけのローカル線はさっさと廃止しろ」「税金で食っているくせに、ヒモ男と結婚する眞子様は日本から出て行け」などとネットに書き込んでいる連中を見ると吐き気がしてくる。それなら「北方領土返さんかい! オラァ!」のほうがはるかに健全な精神である。

私の言っていることが理解できないという人には、「竹中平蔵と鈴木邦男ならどちらを選ぶか」と言い換えてもいいだろう。私は断然、鈴木さんを選ぶ。竹中みたいな奴と比べること自体が失礼に当たる。

たとえば私が、一院制の100議席の国会を持つ国で、中道左派政党の党首として率いている党が、100議席のうち40議席を獲得して第1党になったと仮定する。第1党にはなったが、過半数には10議席届かず、このままでは少数与党として政権を樹立しても早晩、行き詰まりは必至。ここで他の政党に目を向けると、新自由主義政党と右翼政党が20議席ずつ獲得していて、このどちらかと連立政権を組めば過半数を維持でき、安定政権となる。中道左派の自分から見て、どちらも与しがたい相手だが、政権安定のためにはこのどちらかと組まなければならない。さて、どちらと組むかーー。

このような状況になったら、私はたぶん右翼政党と組むと思う。「カネに換算できなくても守るべきものがある」という価値観を、右翼とは共有できるが新自由主義者とは共有できないからである。ただし右翼政党には、法務大臣(人権問題を担当)、文部科学大臣(学校教育を担当)、環境大臣(原発政策を担当)などのポストは与えないだろうけれど。

そういう意味では、鈴木邦男さんと、ほんの一瞬、わずか数分間だけの対話に過ぎなかったが、そこから得たものは大きかったのではないかという気がする。保守の人の中にも、郷土や歴史、地元経済を守りたいと考える人たちがいる。それを知ることができ、自分の考え方に昔と比べて「幅」が生まれたことは、今につながっていると思う。改めて、そのことを教えてくれた鈴木さんに哀悼の意を表する。

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