安全問題研究会(旧・人生チャレンジ20000km)~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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国は今こそ貨物列車迂回対策を!

JR岩泉線の廃止表明に思う

2012-04-09 23:09:37 | 鉄道・公共交通/交通政策
JR岩泉線、再開断念の方向 30日にも正式発表(岩手日報)

岩手日報記事にあるとおり、2010年7月に大雨に伴って起きた脱線事故の後、復旧ができないまま不通が続いていた岩泉線について、JR東日本が復旧断念(廃止)を表明した。もし廃止となれば、国鉄再建法に伴う特定地方交通線以外のJR東日本線では初めてとなる。

当ブログがこの事態に際し、どのような態度を表明するか、注意深く待っている人もいるかもしれないが、岩泉線が現在、JR線としては最も営業成績の悪い路線であることは疑いないだろう。JR東海には名松線、西日本には木次線、三江線という「超大赤字路線」が存在するが、これらの赤字線ですら岩泉線には遠く及ばないと思われる。何しろ岩泉線の2005年度の輸送密度はたったの85人である。国鉄再建法が特定地方交通線(廃止対象路線)の選定基準としていた輸送密度4000人と比べて実に2桁も少ない。

国鉄末期には特定地方交通線の選定に絡んでずいぶん話題になった輸送密度だが、最近はこれが話題になることも少なくなったのでもう一度おさらいしておこう。旅客輸送では1日1キロメートルあたり何人の乗客があるかを示すもので、単位は人キロ。貨物輸送では、1日1キロメートルあたり何トンの貨物があるかを示すもので、単位はトンキロ。旅客、貨物の両方がある路線では、この合計が人トンという単位で示される。例えば1人の乗客が10キロメートル乗車した場合、輸送密度は10人キロ。10トンの貨物を100キロメートル輸送した場合、輸送密度は1000トンキロとなる。

岩泉線の輸送密度85人という数字は、1人が仮に8.5キロメートルを乗車するとしたら、1日1キロメートルあたりわずか10人の乗客しかいないことになる。あらゆる公共交通が成立し得ない破滅的な数字だ。仮に鉄道を廃止して代替交通手段を用意するとしたら、タクシーが2台もあれば充分だ。

これほどの大赤字路線がどうして今まで生き残れたかは改めて申し上げるまでもないだろう。国鉄再建法には、並行道路が未整備の場合には特定地方交通線から除外できる例外条項があった(並行道路が雪や凍結で年間10日以上通行止めとなる場合は未整備とみなす)。岩泉線も、いったん第2次特定地方交通線に指定されながら、並行道路未整備を理由に指定から外れ、現在に至る。

今なお岩泉線に並行するのは片側1車線の国道455号線のみだ。私はこの区間を車で走ったことがある。季節は夏だったと記憶するが、山岳区間のため勾配は急で、冬はとても通れる状況にはない。これこそ岩泉線が今まで生き残ってきた秘密なのだ。

「岩泉線はボランティアだ」とあるJR東日本幹部が語った、という話を伝え聞いたことがある。真偽のほどは明らかでないが、上記の輸送密度を見ればボランティア同然であることは明らかだ。1日1キロあたり10人なんて、遊園地のミニSLでももうちょっと乗客がいるんじゃないの、と言いたくもなる。

しかし、それでも、当ブログは岩泉線を廃止してよいとは言えない。根拠はいろいろあるが、先に述べた唯一の並行道路――まさに岩泉線が特定地方交通線指定を免れる原因となった国道455号線の冬の状況が思わしくないこと。JR東日本は今年3月に廃止となった十和田観光電鉄(青森)のような青息吐息のローカル私鉄と異なり、こんな赤字路線を抱えながらも黒字経営であるということ。

そしてなにより許せないのは、かつてJR東日本が「(JR東日本は)発足後、線路を廃止したことはない」と大見得を切っていることだ。

東北新幹線が新青森まで延長開業すれば、JRのどの路線ともつながらず、孤立した路線となるJR大湊線が廃止されるのではないか――そんな懸念が青森県内で強まっていた2007年11月、「東奥日報」(青森県の地方紙)がJR東日本を取材し、大湊線問題を質した。このときJR東日本広報部は同紙に対し、上記のように大見得を切った。2007年11月25日の同紙は1面トップでそのことを伝えている。

もちろんJR東日本は大湊線以外のいかなる路線にも言及していない。しかし、その大上段に構えた表現を見て、誰もが「JR東日本は未来に向かって、責任を持って自社路線の存続を約束した」と思ったに違いないのだ。

2012年1月22日、岩泉線早期復旧を求める決起大会には900人が参加した(2012.1.23付け河北新報)。もっとも、この決起大会参加者のうち何人が実際に岩泉線を利用しているのか私は聞いてみたいと思う。ほとんどの参加者が決起大会に参加はしても実際にはほとんど岩泉線など利用したことがないに違いない。彼らがせめて1ヶ月に1度でも岩泉線に乗っているなら、輸送密度85人などという無残きわまりない数字は決してあり得ないからだ。国鉄末期の「乗って残そう○○線」運動の時にも見られた現象だが、廃止反対集会に参加はするけれど自分は乗らず、自分以外の誰かが乗ってくれることで廃止を免れればいいという姿勢には大いに疑問がある。地方の衰退は住民の責任ではないし、それを招いた者に対して正当な批判を加えることはもちろん必要だが、鉄道を残したいなら住民みずから明日の地域の姿をイメージできるような未来図を示す努力も必要だ。

ただ、記事によれば、岩泉-宮古間は列車なら1時間15分で行けるのに対し、バスだと2時間かかるという。国鉄末期、岩泉線を特定地方交通線から除外しなければならなかったほどの並行道路未整備は現在でもまったく解消していない。この問題を放置したままの廃止には、同意できない。

東日本大震災からの三陸各線の復旧の望ましいあり方については、明日にでも改めて述べる。

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テント日誌(番外編)~「目覚めれば 散るも悔いなし 脱原発」

2012-04-08 23:52:20 | 原発問題/一般
経産省前テントひろば
2012.4.8 第211日目 天気・快晴(東京:最高気温13.5度/最低気温5.1度)

「信ずる道をまっしぐらに進め。目覚めたら、もう死んでもいいという仕事をせよ」

これは、私が小学校を卒業するとき、児童たちのため、恩師が卒業文集に刻んでくれた言葉だ。小学生の私には高尚すぎる哲学で、当時は何のことやらさっぱり意味がわからなかった。だが不惑も過ぎた今の私には、この言葉が恐ろしいほどのリアリティをもって迫ってくる。好むと好まざるとに関わらず、自分の闘いはひとり自分だけの闘いではない。私たちの後に続く若者たち、子供たちの運命を背負った闘いなのだ。

「いつの時代も若い人たちは、時代をつくる前に、その前の時代の責任を負わされるかたちで歴史に登場する。しかし、だからといって歴史の被害者だけではいられないのだと、類ちゃんは立ち続けている」(「福島からあなたへ」武藤類子・著)――昨年の9.19明治公園6万人集会で感動的なスピーチをした武藤類子さんの著書には、20年来の友人という安積遊歩さんからこんなメッセージが寄せられている。進軍ラッパを吹き鳴らした世代は戦争の責任をとらず、汚染物質を垂れ流した世代は公害の責任をとらず、「ひとりも路頭に迷わせない」と言いながら1047名の首を切った元首相も解雇やりたい放題社会の端緒を作った責任をとらず、すべて次の世代がその苦難を引き受けてきた。私だって、原発を受け入れる決定を自分がした覚えはない。前時代が犯した罪との闘いだ。

一方で、「前の世代のしがらみにとらわれない新しい者たちだからこそ、前の世代の価値観を打ち壊して果敢に進むことができるのだ」という考え方もあるだろう。だがそれには前提条件がある。「前の時代の責任者」たちがみずからの罪と老いと衰えを自覚し、次の世代に道を譲るため静かに去るという決意がなければならない。翻ってこの国の責任者たちはどうだろうか?

考えるまでもなく否、である。静かに去るどころか、前の世代の責任者たちはますます往生際悪く、老醜の限りを尽くして原発再稼働に血道を上げている。はじめは電力が足りない、原発の方がコストが安いなどとたわごとを並べていたが、そのどれもが通じないとわかると、なりふり構わず「動かすこと自体が目的」だとばかりに開き直ってきた。彼らにとって、もはや稼働に理由はいらないようだ。

そっちがその気なら、こっちにも覚悟がある。福島県民をなめるな。そっちが「動かすこと自体が目的」で来るならこっちは「叩きつぶすこと自体が目的」の運動をするのみだ。原発をつぶすのに理由などいらない。「人の道に反する原発は、お上や法律が認めようと、福島は被曝地の意地で絶対に絶対に絶対に認めない」、それだけでいい。今や福島県民はほぼ全員が原発反対、県知事も県議会も反対を表明した。そんなに再稼働がしたければ、福島県民を全員殺してからにせよ!

脱原発は私にとって「目覚めたら、もう死んでもいいという仕事」だと思っている。恩師はこの日のために私にこの言葉を贈ってくれたのだ。次の世代を担う子どもたちに「誰だよ、こんな世の中にしやがった奴らは!」などと後ろ指をさされるのは嫌だ。せめて、若い人たちが「時代をつくる前に、その前の時代から負わされる責任」を少しでも軽くしてやりたいと、心から願う。

どうすれば再稼働を止められるか、という問いに福島から答えよう。原発事故から1年間、福島では考え得る限りのあらゆることがすでに試された(避難・移住除く)。子どもたちの一時保養、除染、食品測定…。だがそのどれも目立った効果はなく、「やっぱり何をやってもダメだね」とため息をついて終わる、ということが繰り返されてきた。所詮、人間は放射能と共存などできないし勝つこともない。放射能汚染されてしまうと打てる手は何もない。それが福島が得た教訓である。

この苦しい教訓、福島がおびただしい犠牲を伴って得た教訓を、原発再稼働が狙われているすべての地元自治体と住民に浸透させるのだ。どんなに原発で金がほしい人、再稼働を狙っている人たちでも、「たった一度の過ち」で自分の愛するふるさとがこんなふうになってしまうことは受け入れ難いであろうし、そうなってもいいと思う人などひとりもいないはずだ。そうやって、福島の教訓を全国に打ち込んでいけば、ムードでなんとなく原発再稼働を支持している人たちは必ず崩れる。もし、そのために福島の教訓を語ってほしいというのであればいつでも声をかけてほしい。私のような不肖者で良ければ、どこにでも行きたいと思っている。

千葉県内で所用があるため上京。早めに着いたので、テントひろばを訪問し第1テントを覗く。レイバーネット川柳班の乱鬼龍さんを発見する。彼の顔を拝見すると川柳が吐きたくなる。冒頭に紹介した川柳は乱鬼龍さんを拝見してとっさに思いついたものだ。乱鬼龍さんは、たんぽぽ舎に行く前にここに立ち寄ったという。

放射能の風が吹いても桜はきれいな花をつける。経産省のはす向かいにある外務省の桜はいつもきれいだ。昨年冬は金色の落ち葉がテント前を彩った。昨年の9月にできたテントは今や東京名物の感すらある。「寒くなるまでここにいられるなんて思っていなかったから、実際のところ寒さ対策なんて何もしていなかった」とテントの人たちは語っていた。それが冬を乗り越え、再び暖かくなる季節まで残っているなんて、いったい誰が予想しただろうか。

アメリカの作家、レベッカ・ソルニットさんは、巨大災害の時には住民たちがみずからの小さな利害を超えて困っている人を互いに助け合う「災害ユートピア」が生まれる、と述べている。このテントひろばは災害ユートピアが生んだ思わぬ落とし子だったのかもしれない。

3.11から1年が経ち、東京でも福島でも災害ユートピアは跡形もなく消え去ってしまったかのように思われる。しかし、3.11以前と比べ「何かが違う」感覚も私の中にまだ残る。権力がメディアを使って上から押しつける、あの気持ちの悪い「絆」とは全く違うユートピア的なものが。

その疑似ユートピア的なものが日本の底流に存在し続ける限り、このテントもまたいつまでも存在しているのではないだろうか。

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【重要情報】除染作業員8人のうち7人が癌で死亡 - 意外なホットスポット、除染の盲点

2012-04-07 22:27:43 | 原発問題/一般
国家公務員一般労働組合ブログ「すくらむ」にきわめて重要な情報が掲載されている。すでに“BLOGOS”にも転載されているので、当ブログにも転載する。

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除染作業員8人のうち7人が癌で死亡 - 意外なホットスポット、除染の盲点

 3月28日にTBSテレビ「ニュース23」で「意外なホットスポット なぜ死者7人も? 原発事故“除染の盲点”」と題した小特集が放送されました。福島原発事故での除染作業とも関わって大変重要な問題だと思いましたので、その要旨を紹介します。(※いつもの私の適当なメモ要旨ですこと御了承を。byノックオン。ツイッターアカウントはanti_poverty)

TBSテレビ「ニュース23」(3月28日放送) 意外なホットスポット なぜ死者7人も? 原発事故“除染の盲点”(←番組を見たい方はこちらから)

 1986年に発生したチェルノブイリ原発事故。このとき放射性物質を運んだのは風や雲だけではありませんでした。

 原発から1,400キロ離れた東西ドイツ国境にあった街ミュースハウゼン。当時、ウクライナや東欧から安い物資がトラックで西ドイツへ運ばれていました。チェルノブイリ原発事故後、西ドイツ政府は放射能汚染をおそれ、東側のトラックの入国を拒否。そのため、東ドイツ政府はトラックの除染作業を運送公社の職員8人に命じました。

 除染作業を行った8人は、マスクも防護服も着用しないまま、足止めされた100台から200台にのぼるトラックの除染にあたりました。

 当時を振り返るオットー・ツェルナーさん(79歳)は、「ガイガーカウンターがガリガリとすごい音がするので、音を消して作業を続けました」と語ります。

 8人に課された仕事は汚染されたトラックの洗車だけではありませんでした。トラックのエンジンに送る空気をろ過するエアフィルターの交換という作業もありました。このフィルターがもっとも放射能に汚染されていたのです。フィルターは、外から空気を吸い込むのでトラックの外側よりフィルターの方が放射能に汚染されていたのです。

 8人による除染作業は2カ月で終わりましたが、3年後に悲劇が始まります。まずフィルターを交換していた作業員が肺がんで3年後に死亡しました。まだ30代の若さでした。

 そして、除染作業を行った8人のうち6人が10年の間に相次いで死亡。死因はすべてがんでした。

 6人の作業員の死亡と放射性物質の因果関係はあるのでしょうか? そもそもトラックはどれだけ汚染されていたのでしょうか? チェルノブイリ原発事故後の放射能汚染の記録を調べると、専門家たちが放射線量を測定していました。記録を調べたマクデグルク大学病院のトリーネ教授は、「フィルターを保管していた倉庫の入り口の測定では毎時20ミリシーベルトの放射線量を記録しています。毎時20ミリシーベルトは国際基準で原発作業員が年間で許容される被曝量に相当します。それを1時間で浴びてしまう計算になるわけです。この放射線量を一度に浴びてしまうと遺伝子に異常を起こすおそれがあります。すぐというわけではありませんが、3年から4年後には甲状腺がんを発症するおそれが出てくるのです」と語ります。

 8人の作業員のうち6人が10年以内にがんで死亡し、ツェルナーさんとノイキルヒさんの2人が残りましたが、ノイキルヒさんはチェルノブイリ事故から9年後の1995年に直腸がんと前立腺がんを発症。除染中に浴びた放射線が原因として裁判所に訴えます。1998年、裁判所は「放射線ががんのリスクを高めた」として一度は労災認定。ノイキルヒさんはドイツで初めてチェルノブイリ原発事故による犠牲者として労災認定されたのです。

 ところがノイキルヒさんが亡くなった後の2001年に、一転して二審が一審判決を棄却します。棄却の理由は「学問的に放射線量ががんを発病するには十分と言えない」というもので、放射線被曝をめぐる裁判の難しさを浮き彫りにしています。

 8人の除染作業員のうち7人ががんで亡くなり、ただひとり生き残ったオットー・ツェルナーさん(79歳)は、「私は日本でも被害者が出る可能性があるのではないかと不安を感じでいます。大量の放射線量を浴びれば病気になるし、がんで苦しんで死ぬことにもなる。そう考えるだけで気が重くなります」と語ります。

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第84回選抜高校野球を振り返って

2012-04-04 19:05:39 | 芸能・スポーツ
第84回選抜高校野球は、優勝候補の一角の大阪桐蔭が光星学院(青森)を抑え、選抜初優勝を果たした。選抜での大阪代表の優勝は1993年の上宮以来19年ぶりという。一方、光星学院は昨年夏に続いての決勝進出だったが、青森勢悲願の甲子園初優勝はまたもお預けとなった。

大阪桐蔭 悲願のセンバツ初制覇!エース藤浪完投で締めた(スポニチ)

試合結果データ

では、例年通り大会を振り返ろう。

「春はセンバツから」と言われるが、昨年夏の豪雨・台風、この冬の大雪などの異常気象の余波なのか、肌寒い日が多く、天候不順に悩まされた大会となった。天候不順はセンバツに付き物で、例年、1~2日の雨天順延は織り込み済みといえるが、今年は26年ぶりの決勝順延を含め3日間も順延となった。また、雨天でなくても全般的に強風の日が多く、飛球の処理に苦しむ選手の姿が例年以上に見られた。その意味では気の毒な大会だったといえよう。

決勝戦は、実力としては全くの互角で、光星学院が大阪桐蔭に比べて劣っていたとは思わない。むしろ、光星学院の敗因は序盤の拙攻に求めることができる。3回までに満塁のチャンスが2度もありながら2度とも生かせず、3併殺のほか残塁の山が築かれた。終盤の8回まで安打数では光星学院が大阪桐蔭を上回っており、それこそ「あと1本」の場面で決定打不足に泣いた光星学院の姿を物語っている。序盤のチャンスを1つでも生かせれば、早い段階で試合の主導権を握れたにもかかわらず、相次ぐ拙攻で結果的にはつかみかけた試合の流れをみずから手放してしまった。

これまで強打で勝ち上がってきたチームだけに、監督が選手の打撃力を信頼しての強攻策だったと思われるが、甲子園の決勝戦ともなれば、それまでと違った戦術が必要になることもある。もし私が解説者として放送席にいて、アナウンサーから光星学院の敗因を問われたら、迷うことなく監督の作戦ミスと答えるだろう。

大阪桐蔭の藤浪投手は速球・変化球どちらをとっても高校生と思えない。直球は安定的に140km台を出し、150km台も珍しくない。スライダーも130km台が出る上によく切れる。プロでも投手層の薄い球団なら即1軍は夢ではなく、高校生ドラフトでは1位指名が競合することは間違いない。ぜひ夏も彼の速球、スライダーを見てみたいと思う。

優勝の栄冠こそ大阪桐蔭に輝いたが、大会全体の傾向としては昨年に引き続き、はっきり「東高西低」の傾向が出ていたと思う。昨年夏に引き続き、またも九州・沖縄勢は8強に1校も残れず敗退した。九州・沖縄勢はいったいどうしたのだろうか。甲子園を席巻するのは西日本勢と決まっていた20~30年前を知る甲子園ファンとしては隔世の感と同時に寂しさを禁じ得ない。夏の甲子園では奮起を期待したいところだ。

毎回挙げている「印象深かった学校」は、昨年夏に引き続き健大高崎だ。昨年夏、6試合で26盗塁を記録した圧倒的な機動力は健在で、俊足の選手たちがダイヤモンドを駆け回った。昨年夏は2回戦で横浜に破れ、早々に甲子園を去ったが、対戦相手にさえ恵まれれば台風の目になるのではないかという予想のとおり4強入りを果たした。夏に向け、これもまた楽しみなチームのひとつだ。

最後に、残念だが苦言を呈しておかなければならないことがある。審判員の力量の低下だ。4月1日付記事でも指摘したように、審判員の力量低下はもはや看過できないレベルに達している。決勝戦でも、5回表、本塁でのクロスプレーでは捕手のタッチが走者に届いていたかはかなり微妙だった。ボランティアで参加しているアマチュアの審判員にプロ並みの判定精度を求めるのは酷かもしれないが、得点を左右するような重要なプレーさえ満足な確認行為ができない審判員には辞退を促すか、研修を実施するなどの対策を講じるべきだろう。審判員不足などの事情で力量不足の審判員を使わなければならないのであれば、そうした審判員は最も負担の少ない2塁塁審に配置するなど、方法はいくらでもある。このままでは、「アピールした者勝ち」の状況が選手の間に生まれ、その転換点になったのが84回大会だった、などといわれることになりかねないと思う。

日本では野球協約によりプロとアマとの交流が禁じられており、アマチュアの審判員をプロで研修させることは協約に抵触する可能性もある。様々な制約の中で難しい面が多々あることは承知しているが、教育活動だからこそ、高校野球の判定には公正さが何よりも大切だ。高野連は今こそ真剣に対策を講じてほしい。

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JAL整理解雇撤回訴訟不当判決に関する声明/安全問題研究会

2012-04-03 23:08:13 | 鉄道・公共交通/交通政策
<日航>元パイロット76人の整理解雇は有効、と東京地裁(毎日)

リンク先記事にあるとおり、3月29~30日にかけ、日航を解雇された乗務員らの訴訟で、解雇を有効とする不当判決が相次いで出された。これら一連の判決に対する安全問題研究会の声明を以下のとおり発表したのでお知らせする。

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日航「整理解雇容認」判決に強く抗議する
これは全労働者に対する司法からの挑戦だ

 昨年提訴された日本航空の乗務員による解雇撤回訴訟で、3月29日~30日、東京地裁は、会社と管財人による整理解雇をすべて容認する不当判決を出した。

 乗務員らに対する解雇は、当研究会がすでに何度も明らかにしているとおり、これ以上ないほどの不当なものである。整理解雇の4要件を1つも満たしておらず、稲盛会長自身が公の場で「解雇は不要だった」と発言するほどのものだ。だが判決は、この稲盛発言すら「会長の個人的な心情」に過ぎないとして、すべての不当解雇を容認した。もしこのような解雇を認めるならば、資本・経営者は、みずからの虫の居所ひとつでいつでもどこでも誰でも解雇できる。みずから積極的に首切り自由社会へ向けて先頭を切るため、資本が求める以上の判決を書くのだという司法権力の意思であり、全労働者に対する挑戦である。当研究会は、この不当な挑戦を正面から受けて立つ。

 貴い犠牲を出した御巣鷹事故を乗務員としての原点に据え、安全のために妥協することなく闘ってきた被解雇者を守ることは、すべての労働者・市民にとって義務である。すでに日本航空内部で「利益が目標額に達するまで安全を口にしてはならない」という会社からの締め付けが行われていることを被解雇者らが明らかにしている。この不当判決の翌31日、羽田発上海行き日本航空82便が羽田空港で尻もち事故を起こしたが、これは、安全を捨てた航空会社でこれから起きるであろう悲劇の明らかな予兆である。

 不当判決を嵐のように打ち下ろし続ける司法の底なしの腐敗には、もはやコメントする言葉もない。闘う国鉄労働者への政治弾圧としてえん罪が確定した松川事件の元被告は「元特高官僚と戦犯裁判官が反省しないまま支配し続けたのが日本の戦後の司法である。真に必要なのは司法の民主化であり、国民の力で司法を変えなければならない」と証言している。侵略戦争への無反省が司法反動化の底流にあるならば、私たちは今こそ司法と闘い、彼らにも戦争責任を負わせなければならない。

 もとより、今回の不当判決を受けても被解雇者らは意気軒高であり、その意思を挫くことはできないであろう。当研究会もまた、御巣鷹の山中に散った520名の無念を心に抱き、最後まで闘い続ける決意である。

 2012年4月2日
 安全問題研究会

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<速報>福島県沖で震度5弱

2012-04-01 23:27:07 | 気象・地震
先ほど、午後11時4分に福島県沖で震度5弱の地震があった。当ブログ管理人の自宅でも、突き上げるような縦揺れが来た後大きく揺れ、いったん収まりかけた後、再度大きく揺れた。

なお、この地震では、特に福島第2原発のある楢葉町、富岡町の揺れが大きかったことから、明日(2日)、臨時に放射線量測定を実施する。

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選抜高校野球/準々決勝最終戦で世紀の大誤審(?)か

2012-04-01 22:22:50 | 芸能・スポーツ
横浜無念、本塁ベース踏み忘れ/センバツ(日刊スポーツ)

試合経過、アピールプレーの詳細はリンク先記事の通りだが、5回裏、横浜の攻撃中、スクイズにより生還した3塁走者が本塁を「空過」(ベースを踏まずに通過すること)したとして、関東一の捕手が球審にアピールプレーを行い、生還・得点が取り消されるという珍しいプレーがあった。このプレーがなければ、横浜はここで2-2の同点に追いついていただけに、その後の試合の流れを変えるプレーだったと思う。

ところで、リンク先記事に掲載されている写真を見る限り、どう見ても生還した走者のかかとが本塁に触れているように見える。この判定は勝敗を左右し、大会の行方をも変える「世紀の大誤審」の可能性が出てきた。

今日は休日ということもあり、当ブログ管理人はテレビでこの試合を生で見ていたが、インコース真ん中に落ちてきた明らかなストライクをボールと判定するなど、試合序盤から「この球審、大丈夫か?」と思うような判定が続出していた。こうした疑いを持たれるような判定が出てきても、仕方ないと思われる審判員の力量不足が背景にありそうだ。

ところで、正式の野球のルールブックである「公認野球規則」では、走者が塁を空過した場合のアピールプレイについて、次のように定めている。

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公認野球規則<抄>

七.〇八 次の場合、走者はアウトとなる。

(a)~(j) (略)
(k) 走者が本塁に走り込むか、または滑り込んだ際に、本塁に触れないで、しかも本塁に触れ直そうとしないときに、野手がボールを持って本塁に触れて、審判員にアピールした場合。

【原注】本項は、本塁に触れなかった走者がベンチに向かっており、アウトにするためにはその走者を追いかけなければならないような場合に適用される。本塁を踏み損ねた走者が、触球される前に踏み直そうと努力しているような普通のプレイが行われているときには適用されない。この場合には、走者は触球されなければアウトにはならない。
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当ブログ管理人の手元にある2007年版公認野球規則では上のような表現になっている。野球規則は米国で制定・改正され、日本野球規則委員会が日本語に訳しているもので、【原注】とは英語の原文の段階で付けられている注意事項が日本語訳されたものだ。「触球」とはタッチされることをいう。

この規則を読むと、空過(ベースの踏み忘れ)は単にその事実が審判員によって確認されれば自動的にアウトになるというものでなく、守備側のチームがアピールしなければならない、ということがわかる。

今回は、関東一の捕手がアピールしたもので、それ自体は野球規則に従ったアピール行為だが、球審が3塁走者生還時に本塁が踏まれているかどうかの確認をしていたかどうかは疑問が残る。

今日の試合では、審判員の力量不足が看過できないレベルで見られた。もともと教育活動である高校野球では、審判員もプロではなくボランティアのアマチュアが務めているが、この程度の確認行為さえ満足にできないような審判員には何らかの研修等が必要なのではないか。

一方で、横浜の3塁走者、尾関にも苦言を呈する必要がある。そもそも彼が、誰にも疑いを持たれないよう、きちんと本塁を踏んでおけばこのような事態にはならなかった。ベースはきちんと踏むという基本を忠実に守らず、緊張感のないプレーをしたからこそこのような結果を招いたともいえる。大会もあと2日で終了するが、選手たちには、教育活動にふさわしい正々堂々としたプレーを望んでおきたい。

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避難・残留~それぞれの4月

2012-04-01 00:35:56 | 日記
白河で過ごすようになって、6回目の4月を迎えた。原発事故の影響は依然として大きく、私が見聞きしている限りでも、子供を持つお母さんが白河で1人、西日本に避難する。その他、この4月から母子を九州に避難させ、自分だけが残って仕事を続けるという父親も1例聞いている。他地域の状況はわからないが、推して知るべしだろう。

健康被害が早くから顕在化した人や病弱な人、健康に影響は出ていないが、精神面で感受性が鋭いため不安が強い人たちが、この1年間の避難者の多くを占めていた。そうした、ある意味「健全」な人たちが福島を去った結果、今も残る県民には均一性が強まり、多様性が失われたような気がする。

福島からの避難は、止めることのできない静かな潮流として存在し続けると思う。今は諸事情で避難の準備が整わない人も、事情が変わることはじゅうぶんあり得るからだ。

いろいろな活動を通じて、子供を持つお母さんを中心とした避難希望者の避難を後押ししてきた当ブログだが、私自身の避難の見通しは全く見えない。全国転勤の職場だからいずれ異動で福島から出られると思っていたが、どうやらその考えは甘かったようだ。親しい人事担当者は「とにかく福島に転入してくれる人がいない。誰に打診しても強硬に断られる」と嘆く。

異動するには後任者が見つからなくてはならないということを私はすっかり忘れていた。後任者がいなければ、いつまで経っても福島に「塩漬け」というわけだ。

でも私は、福島への異動を打診されて断る人たちを恨むつもりはない。私が逆の立場--「福島に行ってくれ」と言われる立場だとしたら、行かなくてすむ方法を全力で考えるだろうし、たぶん全力で断るだろう。友人や知人に相談したら、たぶん全員が「何でよりによって今、そんなところに行くのか」と全力で止めるに違いないからだ。彼らが悪いのではなく、国や東電が悪いのだ、という原点に立ち戻らなくてはならない。

今なお除染、復興、風評被害などと寝言を言っている人たちは、放射能汚染の実態からいつまで目を背け続けるのか。水を差すつもりはないが、全国で事業を展開している企業ですら福島への転勤を受ける人がいないという状況でいったい何が復興なのだろうか。

後任者がいないという嘆かわしい状況で、私は今後も福島勤務が続き、被曝し続けるのだろう。いつまでこの状況が続くかわからないが、私の会社は2年後に合併の方針だけは決まっている。合併後、私の勤務する本部が福島に残る可能性はほとんどなく、県外のどこかに移転することになるだろう。私としては、今はそれにわずかな期待をかけるしかないと思っている。

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