安全問題研究会(旧・人生チャレンジ20000km)~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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【連休前半】野生トキの生まれた佐渡を巡る(2日目)

2012-04-29 22:34:41 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
佐渡旅行2日目。今日は観光地をまとめて回る。妻にとってはどれも初めてだが、私はすべて8年前に回っているところばかりだ。

まず最初は佐渡金山(サムネイル写真)だ。採掘は戦後まで行われており、江戸時代の金鉱、明治時代の金鉱の2種類があるが、なんといっても面白いのは江戸の金鉱だろう。重機もなかった江戸時代、人力だけでこんな金鉱を掘った。改めてその技術力に感嘆する。

金山で働いていたのは、流刑になった犯罪者や実家を勘当され、戸籍のなかった身元不明の人たちが多かった。重労働だったため給与は高かったが、反面、危険労働で寿命は短かった。給与は現金の他、米などの「現物支給」もあったという。しかし、当時の金山経営者は労働者の身元をきちんと把握しており、いわゆる労働者名簿のようなものも整備されていたとのことだ。原発の下請け労働者の名前も所在もわからず放置している東電なんかより、江戸時代の方がよほどきちんと労務管理されていたというわけだ。正規労働者(本工)ばかり大切にして、非正規労働者の労務管理体制は江戸時代以下なんて、東電、ホントいい加減にしろよ。

金山の後は尖閣湾に移動し、海底透視船「シャーク」に乗る。前回来たときは台風の直後で海が濁っていたが、今回は晴天続きで海が澄んでいて、魚がよく見えた。

朝早く出発したため、海底透視船を乗り終わったところでまだ午前11時過ぎ。食事を取るには早すぎるし、腹も減らないので、引き続き佐渡トキ公園とトキ保護センターを回る。野生トキの孵化は全国ニュースでも大きく取り上げられ、もっと観光客が増えるかと思っていたが、意外にも少なかった。トキの孵化はこれまで失敗に次ぐ失敗の歴史だったので、もう少し今後の推移を見極めようということなのかもしれない。

ひとつだけ嬉しかったのは、トキの羽数が8年前より着実に増加しているように見えたことだ(4月20日現在で167羽)。8年前はトキのケージは閑散としていたが、今はケージの数に見合った数になってきたように思える。トキが生きやすい環境は人間にとっても生きやすい環境であり、孵化成功は自然保護活動の着実な成果なのだ。

午後2時を過ぎ、これで目標としていた場所はすべて回り終えた。実際、佐渡は人口が6万人あまりと白河市に匹敵するほどの人口規模の島で、面積は855平方キロメートル(東京23区の約1.4倍)もある。生活に必要な店はすべて島内に揃っており、実際、8年前の案内人だった友人は島での生活で困ったことは何もないと言っていた。ただ、観光スポットとしては今回訪れた場所の他に目立つところはあまりなく、数日もあればじゅうぶんのようにも思える。観光は島にとって重要だが、佐渡はあくまで地元民にとっての生活の島なのである。当ブログの読者で佐渡へ行ってみたいと思われる方がいるとしたら、これ以外の観光スポットは自分で開拓してほしい。

帰りのフェリーの両津港発は16時5分。まだ少し時間があるので、スーパーで福島では危なくて買えない椎茸などの地元産食料品を買い込む。佐渡以外では手に入らないという郷土料理「いごねり」も試しに買ってみる。

地元で有名なハム・サラミのお店「へんじんもっこ」を最後に回ることにする。事務所を兼ねた小さな店舗を訪れると、経営者の夫人とおぼしき女性が出てきた。「どちらからですか?」と聞かれたので福島からと答えると「それは大変でしょう。放射能はどういう状況ですか」と聞かれた。

「何もかもが大変。放射能のせいですべてがめちゃくちゃの状況です」と答えると、その女性はこう言った。「実は佐渡も柏崎刈羽原発が近くて、あそこが事故でも起こしたらうちも商売が成り立ちません。絶対に再稼働はして欲しくないので、先日も新潟県・市に申し入れに行ってきたところなんですよ」。

それはそうだろう。食料品を扱うお店にとっては死活問題だ。「私たちも、こんな被害は私たちだけでたくさんだと思っています」と答えた。佐渡に渡ってくるフェリーの中で購入した「新潟日報」の読者投稿欄には、早く再稼働してくれないと生活が困る、という投書が載っていて、やれやれと思ったものだが、一方ではこうした原発阻止のための草の根の動きが存在していることも知った。私の感覚では、1通の新聞投稿よりも行政への申し入れの方がはるかに大きな力を持つ。ましてや、わざわざ佐渡から本土まで申し入れのために渡って行くこの女性のような人がいることを私はとても心強く思った。これからの新しい時代を創るのはこのような人たちでなければならない。

フェリー出航の時間が近づいた。8年前もそうだったが、ここに来るたびに去りがたい思いになる。その思いを振り払い、港に向かう。フェリーの待ち時間を利用してターミナル横の展望台に上がる。両津港が一望でき、最後のいい思い出になった。

両津港からフェリーが出た。この2日間、抜けるような青空だった。離島は都会と違って時の流れが遅い。8年くらいでは何も変わっていないだろうと思った私の予想のとおり、佐渡は8年前と同じ静かなたたずまいの中にあった。

新潟港着は18時30分過ぎ。市内で、福島ではすっかり縁遠くなってしまった寿司を食し、帰途につく。

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【管理人より】佐渡の面積、人口などのデータについては「島の話」を参考にしました。このサイトでは佐渡の人口を7万8千人としていますが、若干昔のデータのようで、佐渡市ホームページによると平成22(2010)年の同市の人口は約6万3千人です。佐渡島内は以前8市町村に分かれていましたが、合併で佐渡全体が佐渡市となったため、現在では佐渡市の人口イコール佐渡島全体の人口とお考えいただいてかまいません。

なお、今は閉鎖となってしまった旧「汽車旅と温泉を愛する会」で8年前の佐渡旅行の体験記を発表した際にも、サイト「島の話」様にはお世話になっています。改めてお礼申し上げます。

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