今朝からも、炉開きのお稽古でお二人
御善哉から始めました。
炉は久しぶりですが、楽しんでいただけました。
新薬師寺について、もう一つの目的がありました。
本堂に向かう西側の土塀沿いに、苔むした歌碑が。
今までに見た歌碑は新しいものが多く、
説明文もなく、通り過ぎてしまいそうでした。
昭和17年3月頃に東京で奈良を想って詠まれ、
そして建てられた会津八一先生の最初の歌碑です。
ちかづきて あふぎ みれども みほとけ の
みそなはす とも あらぬ さびしさ
クリックで拡大
大意:近づいて仰ぎ見ても仏さまは
自分を見ておられないようでさびしい
八一の眼病治癒への願いが込められた歌だそうです。
実は私は
ご本尊の薬師如来様を詠まれていると思っておりましたが、
本尊薬師如来の胎内仏の香薬師様なのです。
高さわずかに二尺四寸の金銅立像で、
半眼の眼差で、微笑しているようにおみうけしますが・・・
本堂右端にレプリカが祀られております。
まなざしに注目
八一の眼病治癒への願いは・・・、
半眼の香薬師像と大きく見開かれた薬師如来様は
ともに眼病治癒に効力がある、つまり
霊験あらかたな薬師如来様を祀ったお寺ということで、
あらたかな薬師寺=新薬師寺に。
悲しいことに香薬師像は、碑建立1年後の昭和18年に、
3度目の盗難に会われ、現在も不明です。
八一はこれを知り、
「自筆の碑は、今は空しくその堂の前に立てり」と
これを素材にした推理小説「平城山を越えた女」を
作家内田康夫が書いておられます。
新薬師寺南門から入るとすぐ右側に、
忘れさられたように、もう一つの歌碑があります。
神将立つ 内陣涼し 薬師窟 月甫
新薬師寺といえば、やはり十二神将立像なんですね。
庫裡などをすこし
歌碑側 裏側
庫裡に
御善哉から始めました。
炉は久しぶりですが、楽しんでいただけました。
新薬師寺について、もう一つの目的がありました。
本堂に向かう西側の土塀沿いに、苔むした歌碑が。
今までに見た歌碑は新しいものが多く、
説明文もなく、通り過ぎてしまいそうでした。
昭和17年3月頃に東京で奈良を想って詠まれ、
そして建てられた会津八一先生の最初の歌碑です。
ちかづきて あふぎ みれども みほとけ の
みそなはす とも あらぬ さびしさ
クリックで拡大
大意:近づいて仰ぎ見ても仏さまは
自分を見ておられないようでさびしい
八一の眼病治癒への願いが込められた歌だそうです。
実は私は
ご本尊の薬師如来様を詠まれていると思っておりましたが、
本尊薬師如来の胎内仏の香薬師様なのです。
高さわずかに二尺四寸の金銅立像で、
半眼の眼差で、微笑しているようにおみうけしますが・・・
本堂右端にレプリカが祀られております。
まなざしに注目
八一の眼病治癒への願いは・・・、
半眼の香薬師像と大きく見開かれた薬師如来様は
ともに眼病治癒に効力がある、つまり
霊験あらかたな薬師如来様を祀ったお寺ということで、
あらたかな薬師寺=新薬師寺に。
悲しいことに香薬師像は、碑建立1年後の昭和18年に、
3度目の盗難に会われ、現在も不明です。
八一はこれを知り、
「自筆の碑は、今は空しくその堂の前に立てり」と
これを素材にした推理小説「平城山を越えた女」を
作家内田康夫が書いておられます。
新薬師寺南門から入るとすぐ右側に、
忘れさられたように、もう一つの歌碑があります。
神将立つ 内陣涼し 薬師窟 月甫
新薬師寺といえば、やはり十二神将立像なんですね。
庫裡などをすこし
歌碑側 裏側
庫裡に