新薬師寺を辞し、南東方向に高円山を見上げながら
案山子とはざ掛けの田んぼは、と視線を下げると、
案山子は「お役目ご苦労さん」とはならないようです。
反対側、鏡神社の境内に光が差し込んでおり、
横のメタセコイアが黄色くなり始め、良くみると、実も?
帰って調べるとなんと雄花だそうで、初めて知りました。
あれ、新薬師寺の本堂とややくずれた白塀が見えます。
新薬師寺の下隣りが、入江泰吉記念奈良市写真美術館なんだったんですね。
モダンな感じなのに、ゆるやかな寄棟の屋根、
後ろの奈良時代建築の新薬師寺の本堂と同じです。
本当に借景は完璧。(設計は黒川紀章さん、さすが)
突然バイクのお兄様が、爆音を鳴らしながら登場
近所迷惑ですよ。それに良い風情も台無し。
玄関まえに案内板があります。
500円払い館内へ、
入館者は少なく、落ち着けます。
写真家・入江泰吉さんの人生の変遷が、写真を通して伺え、
入江さんの奈良へのやさしい心が感じ取れました。
道沿いに少し下ると、子供たちの声が聞こえ、
目をやるとフェンス沿いに、こんな看板がひっそり
←クリックして拡大
新薬師寺旧境内で、推定『七仏薬師金堂』と記載されています。
『東大寺要録』に747年、光明皇后が夫聖武天皇の
病気平癒のため新薬師寺を建て、七仏薬師像をとあり、
最盛期には4町(約440メートル)四方の寺地を有し、
今の奈良教育大学のキャンパスまでが境内地であり、
七堂伽藍を有し、特に推定七仏薬師金堂は、
東大寺大仏殿に次ぐ大きさを誇っていましたが、
962年までの台風などで崩壊し、再興されるも
現在の新薬師寺内の薬師如来さん一體のみに、
昔はそれぞれの七つの仏様に十二神将が取り巻き、
煌びやかで、壮大な堂内であったのでしょう。
今は奈良教育大付属小学生の学び舎に。
案山子とはざ掛けの田んぼは、と視線を下げると、
案山子は「お役目ご苦労さん」とはならないようです。
反対側、鏡神社の境内に光が差し込んでおり、
横のメタセコイアが黄色くなり始め、良くみると、実も?
帰って調べるとなんと雄花だそうで、初めて知りました。
あれ、新薬師寺の本堂とややくずれた白塀が見えます。
新薬師寺の下隣りが、入江泰吉記念奈良市写真美術館なんだったんですね。
モダンな感じなのに、ゆるやかな寄棟の屋根、
後ろの奈良時代建築の新薬師寺の本堂と同じです。
本当に借景は完璧。(設計は黒川紀章さん、さすが)
突然バイクのお兄様が、爆音を鳴らしながら登場
近所迷惑ですよ。それに良い風情も台無し。
玄関まえに案内板があります。
500円払い館内へ、
入館者は少なく、落ち着けます。
写真家・入江泰吉さんの人生の変遷が、写真を通して伺え、
入江さんの奈良へのやさしい心が感じ取れました。
道沿いに少し下ると、子供たちの声が聞こえ、
目をやるとフェンス沿いに、こんな看板がひっそり
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新薬師寺旧境内で、推定『七仏薬師金堂』と記載されています。
『東大寺要録』に747年、光明皇后が夫聖武天皇の
病気平癒のため新薬師寺を建て、七仏薬師像をとあり、
最盛期には4町(約440メートル)四方の寺地を有し、
今の奈良教育大学のキャンパスまでが境内地であり、
七堂伽藍を有し、特に推定七仏薬師金堂は、
東大寺大仏殿に次ぐ大きさを誇っていましたが、
962年までの台風などで崩壊し、再興されるも
現在の新薬師寺内の薬師如来さん一體のみに、
昔はそれぞれの七つの仏様に十二神将が取り巻き、
煌びやかで、壮大な堂内であったのでしょう。
今は奈良教育大付属小学生の学び舎に。