なぜなのでしょうか、今年の『薬師寺天武忌』も暑い日に。
朝の9時前に集合して西回廊にて呈茶席の準備に、
呈茶席には、薬師寺管主 村上太胤さんの手で短冊に歌が。
『天の原 ふりさけ見れば 春日なる
三笠の山に 出でし月かも』
安倍仲麿(7番)古今和歌集406
先日平城宮跡で思った歌と・・・
東回廊から薬師寺講堂を眺めるも椅子がなく、がらーんと
今年は劇がないのだそうです。
講堂の後ろ北側に今年5月に落慶なった『食堂(じきどう)』
今年の万燈会ではこの食堂前に献燈がお供えされるようで、
荘厳な雰囲気で白鳳伽藍全体が包まれたことでしょう。
実は食堂の屋根瓦一枚、寄進させていただいており、
5月にもお招きがあつたのですが、行けなくこの機会になり
自由時間に拝観をさせていただけました。
創建時の食堂は730年頃で973年位消失し、1002年に再建も
年代不明にて消失して以来の再建になり、僧侶が斎食をする
ための建物で僧侶約300人が一堂に会する規模であった。
外観は奈良時代の凝らした作り、内部は現代技術により広い
空間が確保され、多目的に利用されるそうで、食堂内には
食堂配置図
田渕俊夫画伯より奉納されたご本尊「阿弥陀三尊浄土図」を
中心に約50mにわたる壁画「仏教伝来の道と薬師寺」で
中国から日本、明日香から平城京薬師寺までを、
①旅立ち、②遣唐使船、③大和へ、④瀬戸内
旅立ち
⑤帰帆、⑥御津の浜松、⑦大和川、⑧飛鳥川
帰帆
⑨うねび、⑩みみなし、⑪天のかぐやま、⑫飛鳥寺院幻想
うねび
⑬藤原京、⑭平城京
平城京
①の旅立ち、左側の長安大雁塔で、玄奘三蔵伽藍内の
中国とインドを結ぶ玄奘三蔵取経の旅が描かれた
平山郁夫画伯筆の『大唐西域壁画』と結ばれていました。
今年も暑く疲れからか、見たかった夕方からの万燈会、
残念ですが、片付けを終えると、早々に家路にと。
朝の9時前に集合して西回廊にて呈茶席の準備に、
呈茶席には、薬師寺管主 村上太胤さんの手で短冊に歌が。
『天の原 ふりさけ見れば 春日なる
三笠の山に 出でし月かも』
安倍仲麿(7番)古今和歌集406
先日平城宮跡で思った歌と・・・
東回廊から薬師寺講堂を眺めるも椅子がなく、がらーんと
今年は劇がないのだそうです。
講堂の後ろ北側に今年5月に落慶なった『食堂(じきどう)』
今年の万燈会ではこの食堂前に献燈がお供えされるようで、
荘厳な雰囲気で白鳳伽藍全体が包まれたことでしょう。
実は食堂の屋根瓦一枚、寄進させていただいており、
5月にもお招きがあつたのですが、行けなくこの機会になり
自由時間に拝観をさせていただけました。
創建時の食堂は730年頃で973年位消失し、1002年に再建も
年代不明にて消失して以来の再建になり、僧侶が斎食をする
ための建物で僧侶約300人が一堂に会する規模であった。
外観は奈良時代の凝らした作り、内部は現代技術により広い
空間が確保され、多目的に利用されるそうで、食堂内には
食堂配置図
田渕俊夫画伯より奉納されたご本尊「阿弥陀三尊浄土図」を
中心に約50mにわたる壁画「仏教伝来の道と薬師寺」で
中国から日本、明日香から平城京薬師寺までを、
①旅立ち、②遣唐使船、③大和へ、④瀬戸内
旅立ち
⑤帰帆、⑥御津の浜松、⑦大和川、⑧飛鳥川
帰帆
⑨うねび、⑩みみなし、⑪天のかぐやま、⑫飛鳥寺院幻想
うねび
⑬藤原京、⑭平城京
平城京
①の旅立ち、左側の長安大雁塔で、玄奘三蔵伽藍内の
中国とインドを結ぶ玄奘三蔵取経の旅が描かれた
平山郁夫画伯筆の『大唐西域壁画』と結ばれていました。
今年も暑く疲れからか、見たかった夕方からの万燈会、
残念ですが、片付けを終えると、早々に家路にと。