朝から上空には久しぶりの青空が広がり秋晴れかと思うと
東の若草山はぼっと、まだ水蒸気が多いためでしょうか。
正岡子規が1895(明治28)年のこの日、雨の?法隆寺を訪れ、
「法隆寺の茶店に憩ひて」という前書きに続けて
『柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺』と
この句を詠まれた日から、全国果樹研究連合会が
2005(平成17)年に『柿の日』に制定しております。
この句は漱石が詠んだ
「鐘つけば 銀杏ちるなり建長寺」
お礼の句とされております。
当時子規にとり病状が思わしくなく、松山での漱石との
共同生活にけじめをつけ東京へと帰る途中に、憧れの
奈良へ立ち寄られており、旅行としては最後に・・・
35歳という短い生涯を明治35年に終えらております。
この時の子規の心情を慮りますと・・・
子規は柿が大好物で、渋抜きした樽柿を一気に
数個食べたと書かれており、こんな句が
『柿喰ヒの俳句好みしと伝ふべし』
「柿食へば・・」の句で食べられた柿は「御所柿」で、
甘柿のルーツとされており、
樽柿とは違う甘さと食感に感化されたのでは・・・
今年も先日地元の方からたくさんの柿を頂きました。
もぐだけでも大変ですのに、有難いことです。
品種は?、その中に葉付の柿を一個見つけました。
玄関にそっと置いてみると、
ハロウィンのかぼちゃと並んで・・・
「柿食へど喰えぬかぼちゃのハロウィンへ」
愚句
東の若草山はぼっと、まだ水蒸気が多いためでしょうか。
正岡子規が1895(明治28)年のこの日、雨の?法隆寺を訪れ、
「法隆寺の茶店に憩ひて」という前書きに続けて
『柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺』と
この句を詠まれた日から、全国果樹研究連合会が
2005(平成17)年に『柿の日』に制定しております。
この句は漱石が詠んだ
「鐘つけば 銀杏ちるなり建長寺」
お礼の句とされております。
当時子規にとり病状が思わしくなく、松山での漱石との
共同生活にけじめをつけ東京へと帰る途中に、憧れの
奈良へ立ち寄られており、旅行としては最後に・・・
35歳という短い生涯を明治35年に終えらております。
この時の子規の心情を慮りますと・・・
子規は柿が大好物で、渋抜きした樽柿を一気に
数個食べたと書かれており、こんな句が
『柿喰ヒの俳句好みしと伝ふべし』
「柿食へば・・」の句で食べられた柿は「御所柿」で、
甘柿のルーツとされており、
樽柿とは違う甘さと食感に感化されたのでは・・・
今年も先日地元の方からたくさんの柿を頂きました。
もぐだけでも大変ですのに、有難いことです。
品種は?、その中に葉付の柿を一個見つけました。
玄関にそっと置いてみると、
ハロウィンのかぼちゃと並んで・・・
「柿食へど喰えぬかぼちゃのハロウィンへ」
愚句