学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

今宵の過しかた

2010-10-21 19:26:47 | その他
雨降りの寒い1日でした。こんな夜は鍋が食べたくなります。少し手間をかけて、牛肉の柳川風を作りました。柳川鍋にはドジョウが入りますが、ドジョウの代わり牛肉を使ったメニュー。お椀に具をよそい、粉山椒をふりかけて頂きました。初めて作った料理でしたが、とても美味しく出来上がりました!ご飯はもちろん新米。あつあつのご飯で柳川を食べる。さすが食欲の秋(笑)

あとは温かい布団で寝るだけ…、と、その前にもう1つ楽しみがあります。それはウイスキーを飲みながら音楽を聴くこと。シンガーはアニタ・オデイ。1950年代~60年代に録音された音源で聞きます。アニタ・オデイの名前は村上春樹さんの著書『ポートレイト・イン・ジャズ』で知ったのですが、とても素敵な歌声ですぐに魅了されました。昨日購入したばかりの「ANITA O'DAY SINGS THE WINNERS」。ジャズとウイスキーの相性は絶品。これでチョコレートがあれば言うことなしですが、最近太り気味なのでそれは控えます(笑)

戸外からまだ雨音が聞こえます。明日は晴れてくれればいいのだけれど…。明日の青空を願って、今日は筆を置きたいと思います。

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わたしの文体

2010-10-20 23:16:58 | その他
仕事柄、私は文章を書く機会がたくさんあります。展覧会カタログを1つとってみても、巻頭のあいさつ文、数十点の作品・資料紹介、調査・研究の論文など…。学芸員は文章をパッと書けて、しかも構成する力が必要であることをいつも実感します。

人にはそれぞれ文体があります。文章のクセとでもいうのでしょうか。私の場合、そのときに読んでいる作家の文体から非常に影響を受けます。

まずは夏目漱石。私にとって漱石の文章はしっくりときて書きやすいんですね。特にブログのなかで顕著にみられます(笑)漱石の小説はときどき読みますが、読むとすぐに漱石みたような文章になる。次は丸谷才一さん。丸谷さんの著書『思考のレッスン』から学んだ文体や文章の書き方はとても参考になりました。他人と対話するように文章を構成していくやり方、語尾の使い方に注意をする書き方、論文でも生かすように心がけています。また、ちょっと変わったところでは、私が先日書いた論文は司馬遼太郎の文体から影響を受けました。例えば語尾を「○○であるであろう」と書く。他の作家さんはなかなか使わない独特の言い回しですよね。

逆に文体をなかなか吸収しにくい小説家もいます。村上春樹さんです。村上さんの文体は外国語の翻訳から影響を受けているようですが、私は何べん読んでも村上さんのような文体にはならないのです。村上さんの言い回しはごくシンプルですけれども、それをいざ私が同じように書こうとするとやたら難しい。それがなぜなのか、私にもよくわかりません。

私の文体は極めて定まらないもの。私のように文章を書く機会が多い仕事に従事している場合、文体を変えすぎることはあまり良くないことなのかもしれません。どうも自信がなくフラフラしているようで。私も早いところ、自分の文体を確立する必要性を感じます。将来、私の文体がどうなるか。…やっぱり最もしっくり来る夏目漱石風になる気がします(笑)

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出張美術館教室へ

2010-10-19 21:27:46 | 仕事
今日は小学校で出張美術館教室を行ってきました。これは美術館から遠く離れた小学校に通う子供たちに、当館が所蔵する絵を紹介したり、美術館のことについてお話をする内容です。また、作家さんとともに絵の制作指導も行います。

今回対象となるのは、小学5、6年生。小さな学校なので、両学年合わせても30名ほどです。始めのころは緊張していて大人しい生徒たちでしたが、だんだん元気があふれ出てきます。絵や美術館のことについて質問が止まりません。そして、しだいに生徒たちの元気の良さに圧倒される私(笑)元気が良いことは、とても素敵なことですね!

さて、教室も後半、作家さんとともに絵の制作指導です。具体的な指導は作家さんにお願いをして、私は補佐に回ります。今回は運動会の絵がテーマ。生徒たちは迫力のある絵をのびのびと描き始めます。生き生きと楽しそうに描いている生徒の姿を見ると、いつの間にか自分自身の記憶が想い出されてきます。私が小学生だったとき、こんなにのびのび描いていたのかな?今は昔のはなし…。たぶん、のびのびはしていなかったに相違ない(苦笑)

この出張美術館教室は、あと1回あります。どんな絵が仕上がるのか、今からとても楽しみです。生徒たちに元気をもらえた1日でした。
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秋の散歩

2010-10-18 19:33:38 | その他
本日は秋晴れの良い天気。

麗らかな陽気に誘われて早朝散歩に出かけました。川沿いに点々と咲くホトケノザは赤色が冴えていましたし、キンモクセイの甘い香りに気持ちが和みました。まだ辺りの山々は紅葉していないけれど、身近に秋を感じた次第です。

私は生まれてから数十年経ちますが、いまだに時間の使い方に迷うことがたびたびあります。人間には時間がない。『徒然草』に、人間は坂を下る輪の如くに衰えてゆくと書いてあります。明治時代の小説家、森鴎外も人間には時間がないと周りに話をしていたようです。時間がないのなら、急がねばならない。でも、何に向かって?近頃の私は、時間がないとただやたらと焦るばかり…。

早朝の散歩をしながら、少し人生のペースを落とそうかなと思いました。もちろん、怠けるわけでなく、自分と向き合う時間をこれまでよりも多めに取ろうということ。車に乗っていては見えにくかった景色が、徒歩でゆけばじっくりと見えてくるというもの。焦らずにしっかり歩こうと思いました。

明日の仕事は、小学校へ出かけて絵や美術館を紹介する出張美術館教室です。子供たちの元気に負けないように、頑張らなくてはなりませんね!
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茨城県陶芸美術館「人間国宝と古陶」

2010-10-13 21:02:22 | 仕事
この世に独立したアートはなし。誰しもが、過去の文物を学んで、新しい文物を創造します。文化の歴史はリレーのバトンと同じで、過去、現在、未来へとバトンをつなげてゆく流れがあるんですね。アートもしかり。

茨城県陶芸美術館では「人間国宝と古陶-対峙する眼と手」展を開催しています。人間国宝の陶芸家たちが、過去の古陶から何を吸収して、自らの陶芸に反映させていったのか、を紹介する展覧会です。まさに創造の原点をたどるもので、とても興味深く見てきました。個人的には、先日サントリー美術館で見てきた「鍋島」を再び見ることが出来たので嬉しい(笑)展示方法は、産地(有田焼、備前焼など)ごとに分けられ、まず過去の磁器、陶器が置かれます。その次に人間国宝の作品。ですから、過去と現在を比較して楽しむことができるように展示がなされています。また、後半になると日本だけでなく、中国の三彩、景徳鎮などが展示されていて、幅広く取り上げられていました。私は金城次郎氏、石黒宗麿氏らの作品がとても素朴ながら、強さがあって、過去のものをしっかり膨らませていることを感じました。過去と現在のつながりを提示した、とても良い展覧会ではないでしょうか。

展覧会を見学後、ミュージアムショップに行きましたら、なんと…人間国宝の作家たちの作品が販売されていました。欲しいなあ、とガラスケースからのぞいて見ましたが、私には値段が高くて手が出ず(苦笑)ミュージアムショップのもう1つの小さな陶芸の世界にもぜひ注目です!
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宇都宮美術館「ロシア構成主義のまなざし」

2010-10-12 19:53:20 | 展覧会感想
学芸員である以上、美術史上の苦手な分野は持つべきではありませんが…私がどうにも捉えられないのがロシアの美術や文学。もちろん、全てが苦手なわけではありません。数年前に茨城県笠間市の県立陶芸美術館で見たロシア・アバンギャルドの陶芸は面白かったですし、文学にしてもゴーゴリや初期のドストエフスキーはユーモアにあふれていて、とても好きな小説です。しかし…それ意外となると、どうも私自身のなかで消化できず、つかみ切れない。

栃木県の宇都宮美術館では「ロシア構成主義のまなざし」展を開催しています。20世紀に入ると、ロシアは西ヨーロッパのモダニズム、特にキュビスムを吸収して、シュープレマティスムが生まれます。シュープレマティスムは、その旗手であるマレーヴィッチによれば、「自然の物体の外観は無意味で、本当に必要なのは感情である」の言葉からもわかるように、「感情」を本質としていました。「感情」といっても、喜怒哀楽ではなく、絶対で永遠化された世界観を差します。それがロシア構成主義につながっていきます。(正直に申せば、この時点で私はすでに苦手意識を感じている…(苦笑))この展覧会では、ロシア構成主義の一翼を担ったロトチェンコとステパーノワの2人に焦点をあてて紹介しています。

展覧会会場には、2人の油彩、ポスター、立体、陶器、衣服、写真など、様々なジャンルの作品が集められています。そのなかでも、私はステパーノワの油彩、特に音楽をテーマにした作品群が好きでした。人物や楽器を正方形や四角、円で構成しており、人の表情や指使いなどの細かい部分はまったく描かれていないのに、なぜか絵からはガチャガチャした音楽が聞こえるような気がしました。不思議ですね。ジャズの流れるお店に、この絵を飾ると面白いかも…などと考えたりもして(笑)ロトチェンコは、写真の構図がとても面白く感じられました。絵画も写真もすなわち構図が重要、ロトチェンコは撮り方を工夫することで、構図を思案する実験的な試みを行ったのかもしれません。

私はロシアの美術や文学が苦手なので、展覧会を見る前までは重苦しいかな…と考えていましたが、とても面白くみることができました。難解なロシア構成主義を2人に絞ったこと、絵画だけでなく様々なジャンルを扱っていることで、親しみやすい内容になっています。ぜひ、ご覧下さい♪
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栃木県立博物館「改革と学問に生きた殿様 黒羽藩主 大関増業」

2010-10-11 20:56:14 | 展覧会感想
栃木県立博物館では、「改革と学問に生きた殿様 黒羽藩主 大関増業」展を開催しています。黒羽藩は、現在の栃木県大田原市辺りにあって、代々大関氏が治めていました。大関増業(おおぜき ますなり)は、江戸後期に大洲藩から養子に入り、黒羽藩の財政再建に取り組みつつ、国史や軍学、産業などの研究に没頭しました。増業は器用な人物で、甲冑のデザインも手がけるほど。「船手具足」と称する革を素材にした甲冑、裏地には輸入品の金唐革が施されており、とても斬新。こういう発想やデザイン感覚をどこで学んだのか、非常に気になるところです。

大関増業の藩政改革。財政難で苦しむ藩の経済状態を救うために、藩士たちに厳格な倹約と借上(給料の減額)を命じ、特産品の推進、水運の振興などで打開しようとします。ところが、藩主になって4年後には家臣たちから改革を疑問視する声が出始め、その後の黒羽城本丸火災事件の後始末の悪さから、とうとう隠退を迫られます。増業は隠退を受け入れ、彼は政治の表舞台から姿を消しました。

展覧会では「保守」の言葉が使われていますが、確かに黒羽藩の保守的な体制が、増業の改革を妨げていたようです。全国的に見ても稀有な例とのことですが、黒羽という土地は、大関氏が中世から江戸幕末に至るまで、ずっと治めていたそう。そのため、しだいに他の文物が入りにくい体制になっていった。それに増業の存在は藩主でありながら、実に不安定なものでした。そもそも増業が黒羽藩に養子に入った背景には、黒羽藩が大洲藩加藤家(増業の実家)からの持参金を得たかったためであるとか。しかも、増業は藩主として招かれたにも関わらず、彼の息子たちは跡継ぎにはなれない契約。代々続く黒羽藩の家臣たちから見れば、増業はあくまで一時的な「つなぎ」としか見られて居なかったのではないのでしょうか。増業の改革は、家臣たちにとっては期待していないことで、他家から来たのに黒羽を改革するとはやり過ぎである!と思われていたのかも…。

「改革」と気安く口に出来ても、実行することにはなかなか勇気が居る。黒羽藩という地方の小さな藩主が起こした改革。失敗はしたものの、増業の精神はとても高くあったことがわかりました。
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山東京伝『心学早染草』

2010-10-07 20:14:17 | 読書感想
快晴にて、気持ちの良い一日でした。

江戸時代の戯作者山東京伝の『心学早染草』を読みました。人の魂には善玉、悪玉がある。善玉が人の心に入ると良い行いをする。一方、悪玉が入るとその逆になる。主人公の目前屋理太郎には生まれてすぐに善玉が入り、とても品行良い若者に成長します。ところがある日、ふとしたことから善玉が体から離れてしまう。そのすきに悪玉が入ってしまうのです。悪に染まった理太郎は吉原に入り浸り、あげくの果てに両親から勘当され、盗賊になってしまいます。理太郎の体に戻ろうとする善玉は、なんと悪玉に切り殺され、絶対絶命。しかし…殺された善玉には妻と子どもが2人おり、3人は敵討ちを心に秘めて…。

当時のブームだった心学を風刺した内容とされていますが、そうした時代背景を知らずとも面白く読める本です。特に人の心のなかを善玉、悪玉が行き来するという発想。私も心のなかに悪玉を入れないように用心しないといけないな、と思いました(笑)


●『黄表紙 洒落本集』日本古典文学大系59 水野稔 校注 岩波書店 1958年

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江戸時代に興味を持って

2010-10-05 21:52:07 | その他
今年も残すところ、あと二ヶ月になりました。光陰矢のごとし、時の流れは早いものです。このブログを始めたのも、今から4年前。あの頃は4年後のことなぞ、まったく想像できませんでしたが、現にこうして4年経ってみると、あるべくして今がある、そんな気がしてきます。

近頃、とんと読書もご無沙汰でしたが、久しぶりに本が読みたくなり、江戸時代も安政のころに書かれた『鼠小僧』(岩波文庫)を読んでいます。まだ読み始めたばかりですので、肝心の「鼠小僧」がようやく登場したところですが、話の全体がほのぼのとしていて、とても読みやすい。いわゆる悪者も登場しますが、どこか間が抜けていて、人間味あふれています。これからとても楽しみです。また同時並行で読んでいるのが、松尾芭蕉の『おくのほそ道』、中学生の時分に序文を暗記した覚えがあり(月日は百代の過客にして…)、とてもなじみのあるものです。朝、毎日俳句を5句、暗記してから出勤しています(笑)私の育った東北地方が舞台ですので、なにか縁のようなものを感じて。

文学に限らず、美術についても江戸の豊潤さ、私は心をとらわれます。久しぶりに東京国立博物館の常設展で、じっくりと江戸の世界を味わいたくなりました!
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