(1)日本の原子力開発利用の社会史の時代区分として、次の6つの時期からなる時代区分を行うことができる。
(a)第1期:戦時研究から禁止・休眠の時代(1939-53)
(b)第2期:制度化と試行錯誤の時代(1954-65)
(c)第3期:テイクオフと諸問題噴出の時代(1966-79)
(d)第4期:安定成長と民営化進展の時代(1980-94)
(e)第5期:事故・事件続出と開発利用低迷の時代(1995-2010)
①国民的不信の高まりの時代(1990年代後半)
②電力自由化危機の時代(2000年代前半)
③アンシャン・レジーム再建の時代(2000年代後半)
(g)第6期:脱原子力へ向かう時代(2011-)
(2)脱原子力へ向かう時代
(a)3・11の福島原発事故により、従来の政策は大きな見直しを迫られている。原発を偏重してきた従来の原子力・エネルギー政策が転換される可能性が高い。エネルギーに関する国家計画に原発の維持・拡大を盛り込むことは不可能になるだろう。原発に対する政府による手厚い保護・支援は解除されるだろう。
(b)安全基準が従来より抜本的に強化される結果、それをクリアすることは容易ではなくなるだろう。そうなれば、原子炉の新増設が実質的に不可能となる。
(c)日本の原発の設備容量のピークは、2006年(4,958万kW)だ。全国に55基の原発が存在していた。中部電力浜岡1、2号機が廃止され(2009年1月)、日本の原発設備容量はわずかに現象したものの、北海道電力泊3号機が運転開始した(2009年12月)。当初の予定(2011年12月)に中国電力島根3号機が運転開始すれば、新たなピークが出現するはずだった。
(d)3・11を境に状況は大きく変化した。①東京電力福島第一原発1~4号機は廃炉が確実だ。②5、6号機は原子炉施設自体は破壊されていないが、福島県民の原発および東電に対する信頼が崩壊したことと、高濃度の放射能で汚染された立地条件からして、やはり廃炉が確実だ。③東電福島第二原発の4基は、周辺地域を含めた除染が進めば立地条件は将来的にはクリアされるかもしれないが、福島県民の原発および東電に対する信頼が崩壊したために、やはり運転再開は困難だ。④中部電力浜岡原発の3~5号機も、閉鎖される可能性が高い。かくて、少なくとも13基の発電用原子炉が廃止される。
(e)(d)以外の原発のうち老朽化が進んだ原発、設計・施工上の難点を抱える原発、地震・津波などの自然災害リスクの高い原発、過去の地震により損傷を受けた原発などは、福島原発事故を契機に廃止される可能性がある。そうなれば、日本の原発は40基を大きく割り込むことになる。
(f)原発の新増設は、今後まったく行われなくなるか、少なくとも長期にわたり停止されるだろう。
(g)(f)の間に、既設の老朽原発の廃止が徐々に進むため、原発の基数・設備容量は今後、政府の政策転換の如何に拘わらず、着々と減少していくこととなろう。殊に核燃料サイクル事業は、真っ先にリストラの俎上に載せられ、事業継続がきわめて困難になるだろう。
以上、吉岡斉『脱原子力国家への道』(岩波書店、2012)の第5章「日本はいかにして原子力国家となったか」に拠る。
【参考】
「【原発】『脱原子力国家への道』」
「【原発】日本政府はなぜ脱原発に舵を切れないか ~日米原子力同盟~」
「【原発】福島原発事故による被害の概要」
「【原発】福島原発事故の教訓」
「【原発】エネルギー一家の家族会議 ~総合資源エネルギー調査会~」
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(a)第1期:戦時研究から禁止・休眠の時代(1939-53)
(b)第2期:制度化と試行錯誤の時代(1954-65)
(c)第3期:テイクオフと諸問題噴出の時代(1966-79)
(d)第4期:安定成長と民営化進展の時代(1980-94)
(e)第5期:事故・事件続出と開発利用低迷の時代(1995-2010)
①国民的不信の高まりの時代(1990年代後半)
②電力自由化危機の時代(2000年代前半)
③アンシャン・レジーム再建の時代(2000年代後半)
(g)第6期:脱原子力へ向かう時代(2011-)
(2)脱原子力へ向かう時代
(a)3・11の福島原発事故により、従来の政策は大きな見直しを迫られている。原発を偏重してきた従来の原子力・エネルギー政策が転換される可能性が高い。エネルギーに関する国家計画に原発の維持・拡大を盛り込むことは不可能になるだろう。原発に対する政府による手厚い保護・支援は解除されるだろう。
(b)安全基準が従来より抜本的に強化される結果、それをクリアすることは容易ではなくなるだろう。そうなれば、原子炉の新増設が実質的に不可能となる。
(c)日本の原発の設備容量のピークは、2006年(4,958万kW)だ。全国に55基の原発が存在していた。中部電力浜岡1、2号機が廃止され(2009年1月)、日本の原発設備容量はわずかに現象したものの、北海道電力泊3号機が運転開始した(2009年12月)。当初の予定(2011年12月)に中国電力島根3号機が運転開始すれば、新たなピークが出現するはずだった。
(d)3・11を境に状況は大きく変化した。①東京電力福島第一原発1~4号機は廃炉が確実だ。②5、6号機は原子炉施設自体は破壊されていないが、福島県民の原発および東電に対する信頼が崩壊したことと、高濃度の放射能で汚染された立地条件からして、やはり廃炉が確実だ。③東電福島第二原発の4基は、周辺地域を含めた除染が進めば立地条件は将来的にはクリアされるかもしれないが、福島県民の原発および東電に対する信頼が崩壊したために、やはり運転再開は困難だ。④中部電力浜岡原発の3~5号機も、閉鎖される可能性が高い。かくて、少なくとも13基の発電用原子炉が廃止される。
(e)(d)以外の原発のうち老朽化が進んだ原発、設計・施工上の難点を抱える原発、地震・津波などの自然災害リスクの高い原発、過去の地震により損傷を受けた原発などは、福島原発事故を契機に廃止される可能性がある。そうなれば、日本の原発は40基を大きく割り込むことになる。
(f)原発の新増設は、今後まったく行われなくなるか、少なくとも長期にわたり停止されるだろう。
(g)(f)の間に、既設の老朽原発の廃止が徐々に進むため、原発の基数・設備容量は今後、政府の政策転換の如何に拘わらず、着々と減少していくこととなろう。殊に核燃料サイクル事業は、真っ先にリストラの俎上に載せられ、事業継続がきわめて困難になるだろう。
以上、吉岡斉『脱原子力国家への道』(岩波書店、2012)の第5章「日本はいかにして原子力国家となったか」に拠る。
【参考】
「【原発】『脱原子力国家への道』」
「【原発】日本政府はなぜ脱原発に舵を切れないか ~日米原子力同盟~」
「【原発】福島原発事故による被害の概要」
「【原発】福島原発事故の教訓」
「【原発】エネルギー一家の家族会議 ~総合資源エネルギー調査会~」
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