(1)チェルノブイリ原発4号機の事故により、ソ連発表だけでも33人が死亡した。うち1人の技術者は、落下物の下敷きになったまま、今も遺体を収容できていない。
原発から30km圏内は立ち入り禁止区域となり、200の村から13万人が強制移住させられた。
(2)現在も、チェルノブイリ原発では、運転員ら3,100人が廃炉作業に取り組む。ほかにも、日本を含む先進国から5億5,000万ユーロ(566億5,000万円)の支援を受け、老朽化した石棺を作り直し、新シェルターを建設中だ(2015年完成予定)。
30km圏内では、4,000人の関係者らがガレキ処理などの作業をしている。(1)と合わせて計7,100人が働いている。
(3)2号機も、4号機の事故の影響を受けて、全電源を喪失し、制御板すべての赤いランプが点灯、危機に陥った。かろうじて爆発は免れた。その後、1991年に起きたタービン室火災で原子炉が停止、現在は建屋の中でタービンの解体・撤去作業が行われている。
制御室の運転員は5人シフト制だ。仕事は、原子炉制御ではなく、冷却プールの水位や温度のコントロールだ。これが、今後も何十年も続く。
(4)原子炉には今でも近づけない。4号機の中にある1,700本以上の燃料棒は1つも取り出せていない。取り出すまで、今後30~50年以上かかる。ウラン溶液の酸化物など、放射性廃棄物も大量に残っている。新シェルターも100年後には作り直さねばならない。【チェルノブイリ原発事故資料室(今年4月開設)広報担当者】
原発建屋付近の空間線量はすさまじい。2号機の廊下の窓際で2.94μSv/時、制御室の中で1.25μSv/時、資料室の中は0.5μSv/時。そして、4号機の石棺前見学場所では、事故から26年半経っても、15.45μSv/時だ。
測定された線量は急性死するような線量率ではない。ただし、日本の法令では0.6μSv/時以上は放射線管理区域にしなければならない。【小出裕章・京都大学原子炉実験所助教】
(5)ウクライナ・チェルノブイリ連盟は、原発事故処理に関わった人で組織されている。
ユーリー・アンドレーエフ同連盟代表は、1986年4月26日午前1時23分に事故が起きた当時、家で寝ていた。妻が市場から聞きこんだ原発爆発の噂を信じなかった。その後、職場に向かうと、原子炉の断面は70度傾き、フタも傾いた状態だった。放射能が漏出しているのがわかった。家族が心配になり、怖くなったが、彼のような専門家に代わりはいない。死か、逃亡して刑務所に入るかの選択肢しかなかった。
前者を選んだ彼は、2号機の停止作業に入った。<制御板は、150ヵ所同時に非常事態を示すランプが点灯した。停電で真っ暗のとき、警報音も鳴り、本当のホラーだった>
やがて脳卒中などを患い、何度も生死の境を彷徨った。
福島第一原発事故の翌日、同連盟はキエフの日本大使館に対し、事故処理の支援を提案したが、断られた。日本政府は事故の規模を隠蔽している。日本は旧ソ連と違って自由と民主主義の国なのに、なぜそういうことが起きるのか。【アンドレーエフ代表】
(6)ソ連政府は、事故から1週間後以降、外国人を含む内外のジャーナリストら数百人を事故現場に入れた。
ヴァリーリー・マカレンコ(当時ウクライナ・テレビ)は、空軍の知己に頼み込んでヘリコプターに乗せてもらい、5月12日午前6時に原発真上から撮影した【注】。党も政府中央も配信を拒否しなかった。原発事故の悲惨さを始めて伝えたこの映像は、今でもテレビやドキュメンタリーで使用されている。
KGBが強い権力を持っていた時代で、事故に関する情報もすべて統制していたから、よく撮れたものだ。【マカレンコ】
チェルノブイリもフクシマも同じボートに乗っている。地球の中のきょうだいだ。【マカレンコ】
【注】日本の場合は、例えば、
「【原発】テレビは何をしなかったか ~原発事故報道~」
「【震災】原発報道>古賀茂明の、新聞やテレビより週刊誌のほうがマシ」
以上、浅野健一(同志社大学大学院教授)「今も廃炉作業に7000人以上を投入 ~チェルノブイリからの警告(上)~」(「週刊金曜日」2012年11月2日号)に拠る。
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原発から30km圏内は立ち入り禁止区域となり、200の村から13万人が強制移住させられた。
(2)現在も、チェルノブイリ原発では、運転員ら3,100人が廃炉作業に取り組む。ほかにも、日本を含む先進国から5億5,000万ユーロ(566億5,000万円)の支援を受け、老朽化した石棺を作り直し、新シェルターを建設中だ(2015年完成予定)。
30km圏内では、4,000人の関係者らがガレキ処理などの作業をしている。(1)と合わせて計7,100人が働いている。
(3)2号機も、4号機の事故の影響を受けて、全電源を喪失し、制御板すべての赤いランプが点灯、危機に陥った。かろうじて爆発は免れた。その後、1991年に起きたタービン室火災で原子炉が停止、現在は建屋の中でタービンの解体・撤去作業が行われている。
制御室の運転員は5人シフト制だ。仕事は、原子炉制御ではなく、冷却プールの水位や温度のコントロールだ。これが、今後も何十年も続く。
(4)原子炉には今でも近づけない。4号機の中にある1,700本以上の燃料棒は1つも取り出せていない。取り出すまで、今後30~50年以上かかる。ウラン溶液の酸化物など、放射性廃棄物も大量に残っている。新シェルターも100年後には作り直さねばならない。【チェルノブイリ原発事故資料室(今年4月開設)広報担当者】
原発建屋付近の空間線量はすさまじい。2号機の廊下の窓際で2.94μSv/時、制御室の中で1.25μSv/時、資料室の中は0.5μSv/時。そして、4号機の石棺前見学場所では、事故から26年半経っても、15.45μSv/時だ。
測定された線量は急性死するような線量率ではない。ただし、日本の法令では0.6μSv/時以上は放射線管理区域にしなければならない。【小出裕章・京都大学原子炉実験所助教】
(5)ウクライナ・チェルノブイリ連盟は、原発事故処理に関わった人で組織されている。
ユーリー・アンドレーエフ同連盟代表は、1986年4月26日午前1時23分に事故が起きた当時、家で寝ていた。妻が市場から聞きこんだ原発爆発の噂を信じなかった。その後、職場に向かうと、原子炉の断面は70度傾き、フタも傾いた状態だった。放射能が漏出しているのがわかった。家族が心配になり、怖くなったが、彼のような専門家に代わりはいない。死か、逃亡して刑務所に入るかの選択肢しかなかった。
前者を選んだ彼は、2号機の停止作業に入った。<制御板は、150ヵ所同時に非常事態を示すランプが点灯した。停電で真っ暗のとき、警報音も鳴り、本当のホラーだった>
やがて脳卒中などを患い、何度も生死の境を彷徨った。
福島第一原発事故の翌日、同連盟はキエフの日本大使館に対し、事故処理の支援を提案したが、断られた。日本政府は事故の規模を隠蔽している。日本は旧ソ連と違って自由と民主主義の国なのに、なぜそういうことが起きるのか。【アンドレーエフ代表】
(6)ソ連政府は、事故から1週間後以降、外国人を含む内外のジャーナリストら数百人を事故現場に入れた。
ヴァリーリー・マカレンコ(当時ウクライナ・テレビ)は、空軍の知己に頼み込んでヘリコプターに乗せてもらい、5月12日午前6時に原発真上から撮影した【注】。党も政府中央も配信を拒否しなかった。原発事故の悲惨さを始めて伝えたこの映像は、今でもテレビやドキュメンタリーで使用されている。
KGBが強い権力を持っていた時代で、事故に関する情報もすべて統制していたから、よく撮れたものだ。【マカレンコ】
チェルノブイリもフクシマも同じボートに乗っている。地球の中のきょうだいだ。【マカレンコ】
【注】日本の場合は、例えば、
「【原発】テレビは何をしなかったか ~原発事故報道~」
「【震災】原発報道>古賀茂明の、新聞やテレビより週刊誌のほうがマシ」
以上、浅野健一(同志社大学大学院教授)「今も廃炉作業に7000人以上を投入 ~チェルノブイリからの警告(上)~」(「週刊金曜日」2012年11月2日号)に拠る。
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