(1)沖縄における米軍兵士による女性暴行事件に対して、森本敏・防衛大臣は「事故」という表現を繰り返した。
極めつきは、事件の直後に直接の抗議を行った仲井眞弘多・沖縄県知事に対する弁明の場で、この言葉を使ったことだ。
さらに、吉良州司・外務副大臣も「事故」と言い続けた。
沖縄県民の怒りが、米国政府・米軍にへつらい続けている防衛・外務当局に向けられていることを、まるで自覚できていないからだ。
(2)これが抗議する側の感情を逆なでする暴言だと気付いていない点では、「本土」のマスコミも同様だった。
沖縄に対する差別構造を支える側の一員だ、という自覚があったら、差別を隠蔽する発言であることに気付いたはずだ。
「言葉が命」の報道の世界で、言葉の重みを軽視する退廃が進みつつあるかのようだ。
(3)「暴言」の垂れ流しに耐えかねた沖縄では、
(a)「琉球新報」が、「人権感覚を欠く妄言」と指摘した(10月22日付け社説【注1】)。<県民からすれば凶悪犯罪を「事故」と認識する不見識な大臣、副大臣を抱えたことこそ「事故」だ>
(b)10月22日、与田兼稔・沖縄県副知事は、首相の指示で来県した斉藤勁・官房副長官に対し、この点を強く批判した。<問題意識が相当欠如しているのではないか>・・・・この厳しい指摘の様子を地元紙は詳しく報じている。
(4)(3)の指摘に対し、森本大臣は、<誤解を受けたというのであれば、ことばの使い方が適当ではなかった>と10月23日に釈明した。
「誤解を与えた」ではなく、「誤解を受けた」と言うのだ。自分は騒ぎの被害者という位置づけだ。どこまでも無責任な姿勢が、言葉を厳密に点検することで読み取れる。
(5)これら、言葉を弄び、沖縄差別に新たな歴史を刻んだ事実を「本土」のマスコミはほぼ黙殺した。
佐藤優が取り上げた程度だ(10月31日付け「毎日新聞」朝刊)【注2】。
(6)「事故」発言が問題にされていたのと同じ時、仲井眞知事は米国政府の幹部と面談して、直接、抗議していた。
その様子を全国紙も23日夕刊で伝えたが、通り一遍のものだった。
だが、「北海道新聞」は違った。夕刊一面の左上準トップ扱いで、同紙のワシントン特派員による記事を掲載した(見出し「沖縄県知事 米高官に抗議 県民は石投げたことない」)。
非暴力の原則を維持しながら、抵抗を続けられることほど、権力者にとって恐ろしいものはない。その抵抗の正当性と、世界的な支援の可能性の前に、横暴な権力者は立ち尽くすしかない(歴史の教訓)。
(7)沖縄の地元紙は、すかず24日付けの紙面で、この発言にくり返し言及した。
内国植民地の歴史を共有する地域紙と全国紙では、「言葉」へのこだわりに大きな差がある。
写真の誤用を含め、このところ誤報事件が相次いでいる報道の世界に、「言葉狩り」とは逆の「言葉」へのこだわりを求めたい。
【注1】社説「防衛相「事故」発言 人権感覚を欠く妄言」(琉球新報 2012年10月22日)
【注2】「覚え書:「異論反論 沖縄で米兵による性暴力事件が起きました=佐藤優」、『毎日新聞』2012年10月31日(水)付。+α」(Essais d'hermeneutique)
以上、高嶋伸欣(琉球大学教授)「米兵犯罪を「事故」扱い 大臣発言に無頓着な本土マスコミの退廃」(「週刊金曜日」2012年11月9日号)に拠る。
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極めつきは、事件の直後に直接の抗議を行った仲井眞弘多・沖縄県知事に対する弁明の場で、この言葉を使ったことだ。
さらに、吉良州司・外務副大臣も「事故」と言い続けた。
沖縄県民の怒りが、米国政府・米軍にへつらい続けている防衛・外務当局に向けられていることを、まるで自覚できていないからだ。
(2)これが抗議する側の感情を逆なでする暴言だと気付いていない点では、「本土」のマスコミも同様だった。
沖縄に対する差別構造を支える側の一員だ、という自覚があったら、差別を隠蔽する発言であることに気付いたはずだ。
「言葉が命」の報道の世界で、言葉の重みを軽視する退廃が進みつつあるかのようだ。
(3)「暴言」の垂れ流しに耐えかねた沖縄では、
(a)「琉球新報」が、「人権感覚を欠く妄言」と指摘した(10月22日付け社説【注1】)。<県民からすれば凶悪犯罪を「事故」と認識する不見識な大臣、副大臣を抱えたことこそ「事故」だ>
(b)10月22日、与田兼稔・沖縄県副知事は、首相の指示で来県した斉藤勁・官房副長官に対し、この点を強く批判した。<問題意識が相当欠如しているのではないか>・・・・この厳しい指摘の様子を地元紙は詳しく報じている。
(4)(3)の指摘に対し、森本大臣は、<誤解を受けたというのであれば、ことばの使い方が適当ではなかった>と10月23日に釈明した。
「誤解を与えた」ではなく、「誤解を受けた」と言うのだ。自分は騒ぎの被害者という位置づけだ。どこまでも無責任な姿勢が、言葉を厳密に点検することで読み取れる。
(5)これら、言葉を弄び、沖縄差別に新たな歴史を刻んだ事実を「本土」のマスコミはほぼ黙殺した。
佐藤優が取り上げた程度だ(10月31日付け「毎日新聞」朝刊)【注2】。
(6)「事故」発言が問題にされていたのと同じ時、仲井眞知事は米国政府の幹部と面談して、直接、抗議していた。
その様子を全国紙も23日夕刊で伝えたが、通り一遍のものだった。
だが、「北海道新聞」は違った。夕刊一面の左上準トップ扱いで、同紙のワシントン特派員による記事を掲載した(見出し「沖縄県知事 米高官に抗議 県民は石投げたことない」)。
非暴力の原則を維持しながら、抵抗を続けられることほど、権力者にとって恐ろしいものはない。その抵抗の正当性と、世界的な支援の可能性の前に、横暴な権力者は立ち尽くすしかない(歴史の教訓)。
(7)沖縄の地元紙は、すかず24日付けの紙面で、この発言にくり返し言及した。
内国植民地の歴史を共有する地域紙と全国紙では、「言葉」へのこだわりに大きな差がある。
写真の誤用を含め、このところ誤報事件が相次いでいる報道の世界に、「言葉狩り」とは逆の「言葉」へのこだわりを求めたい。
【注1】社説「防衛相「事故」発言 人権感覚を欠く妄言」(琉球新報 2012年10月22日)
【注2】「覚え書:「異論反論 沖縄で米兵による性暴力事件が起きました=佐藤優」、『毎日新聞』2012年10月31日(水)付。+α」(Essais d'hermeneutique)
以上、高嶋伸欣(琉球大学教授)「米兵犯罪を「事故」扱い 大臣発言に無頓着な本土マスコミの退廃」(「週刊金曜日」2012年11月9日号)に拠る。
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