(1「脱原発社会をめざす文学者の会」は、会として意思統一したり、運動をやろうとしているわけではない。大江健三郎らの反原発運動と別ものを作るのではなく、その運動に合流、連帯を図る。モデルは、井上ひさしの「九条の会」。一人でもいいから、大きな声をあげていこう、と。
デモは大事だが、文学者として、それ以外にもすることがあるのではないか。いまこそ言葉を紡ぎだし、大震災や福島原発災害について語らねばならないのではないか。一人一人が自分の言葉で発言していこう。個人として。みんなバラバラでもいい。反原発、脱原発社会をめざすという思いが一つであればいい。
(2)個人と社会の中間あたりのグループ、日常性のグループの中から声をだしていく、ということがあってもよい。
(3)無関心が一番いけない。強者と弱者がケンカすると、見ているだけでは強者が勝ってしまう。多分、今がそれじゃないか。僕たちが物事や政治に無関心だったから、知らないうちに日本中に54基もの原発ができてしまっていた。気がついたら大変なことになっていて、この惨事だ。
(4)ビキニ島は67回も核実験が行われて、最も汚染されたところだ。近くのエニウェトク環礁には、核実験後の巨大な穴に、汚染されたものを放りこんでコンクリートでドーム状に覆っている。コンクリートの耐久年数は100年かそこらだ。すでにひび割れが入っていて、放射能が漏れ出すことは目に見えている。
チェルノブイリもすでに老朽化している。福島原発も同じ運命だ。
(5)JAが脱原発宣言をした。これはとても重いことだ。農業という根源的なところからの声だから。日本漁業組合みたいなのがあれば、同じように脱原発宣言をしてほしい。
(6)「100年後、200年後には安全な何かができるだろう」とか「使用済み核燃料のもっとうまい処理の仕方ができるだろう」と言っている人もいるが、100年の間、出し続ける放射能をどうするんだ、ということをその人は何も言わない。
(7)この間、沖縄で、オスプレイ反対の人たちが凧揚げをして、凧と気球で防いだ。こういう形とか、何か工夫があるのではないか。もちろんデモをすることも重要だが、もっと柔軟にできるアイデアを我々は出していけるのではないか。
(8)放射能が半減期を迎えるまで、たとえばセシウム137は半減期30年、プルトニウム239は半減期が2万年以上もかかる。そんな長い間、誰が覚えているのか、どうやって管理するのか。そういうものを、全部未来の子孫につけ回しにする。そんな無責任なことをやっていいのか? いまからでは、もはや遅いかもしれないが、何もやらないで子どもたちを放射能漬けにするよりはいい。
原発を推進する人たちは、原発マネーで自分の人生や躯、魂を、そして自分たちの子孫を売っぱらってしまっている。
(9)かつて二酸化炭素の問題が、原発推進の口実になっていた。しかし地球温暖化は太陽活動によることが明らかになりつつある今、それも通じない。
(10)原子力の平和利用と言っているが、それは軍事利用、核兵器開発と背中合わせだ。日本の場合、これまで貯まったプルトニウムや濃縮ウランなどをすぐ原爆に転用できる。すぐにプルトニウム原発を作ることができる。
その日本が脱原発に舵を切れば、世界平和に大きく貢献できるのではないか。
(11)日本は昔、どこでも水が飲めた。でも、僕たちは今、水を輸入している。原発なんて、どこか埋めても必ず放射能が漏れる。水が飲めなくなったことをまず考えた方がいい。放射能は浄化できない。何か1回起こったら、もう誰も責任を取れないし、制御できない。そういうことを考えないと、日本中、住めなくなる。
(12)立地の原子力村の人たちは「だったら、俺の生活をどうしてくれるんだ」と言うに決まっている。電力会社というか、政府は今の体制を維持したいわけだから、結局、「いや、そういうカネはない。やるんだったら、再稼働させろ」と持っていくわけだが、それに対して、オルタナティブなものを我々が考えていくことは可能だし、結局、可能なのは、そういうことだ。
(13)もう金では黙らないぞ、と言ってほしい。でも、東電から少しでも恩恵を受けた人は、できるだけ表にでず、小さくなっているという人が多い。我々は、そういう人たちに、どう語りかけていったらいいのかも、考えねばならない。
(14)いろいろせねばならないことがあるが、焦らず、大言壮語しながら、ゆっくり進んでいくしかない。我々は政治家ではないし、そんなに力があるわけではないし、ガレキひとつ取り除くにもつらい歳だから、あとは、いろいろおしゃべりするしかない。現地で、どんなニーズがあるか、我々が実際に行って、地元の人の話を聞くことが大事ではないか。
現地に行って話を聞き、それに対して我々に言えることがあれば言う、という形で媒介するというか、働きができればいい。地元の人たちとつながる、というのは大きい。
インターネットとか、そうした方法もあるが、現実的な人間の輪、つながりといったものをやっていくべきだ。方法はいろいろあって、いろいろな風にやらなきゃいけない。
(15)イスラエルは首都から離れた北部に原発を作ったが、紛争の際、国境の向こうからミサイルが飛んできて、原発の近くに落ちた。もしも命中したら、イスラエルという国は終わっていた。その原発は廃炉になった。こうした現実も直視したほうがいい。
自衛隊の人によれば、54基もある原発の防衛は非常に難しい。原発は、格納容器が破壊されなくても、周囲のディーゼル発電機などを破壊されたら暴走してしまう、という脆弱性がよく分かった。いままでは、格納容器がミサイル攻撃されるのを想定していたが、周囲の施設や設備を攻撃されるだけで危なくなる。国防上も、日本の原発はあまりにも多すぎる、と嘆いていた。
だから、原発をなくしたほうが、むしろ日本は安全だ。一発、二発原爆を持ったって、中国あるいは北朝鮮から原発を狙ってやられるから。この前、教え子が北朝鮮に行ったが、平壌で政府のまわし者のガイドさんが、「我々は日本の原発の場所を全部把握している」と言っていた、という。
ほとんどが国道が走っている。みんな海の側にあるから、すぐだ。
(17)いろんな所で、いろんな形で、しかし永続的に声をあげることが大事だ。
文学者は、発表する場があるわけで、それを利用して、ずっと伝え続け、小さくなっていかないようにする必要がある。そのお手伝いができれば、という思いで、私、今ここにいる。
以上、座談会(森詠/川村湊/佐藤洋二郎/宮内勝典/山本源一/宮田昭宏)「脱原発社会をめざして文学者は何をするべきか」(「創」2012年12月号)に拠る。
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デモは大事だが、文学者として、それ以外にもすることがあるのではないか。いまこそ言葉を紡ぎだし、大震災や福島原発災害について語らねばならないのではないか。一人一人が自分の言葉で発言していこう。個人として。みんなバラバラでもいい。反原発、脱原発社会をめざすという思いが一つであればいい。
(2)個人と社会の中間あたりのグループ、日常性のグループの中から声をだしていく、ということがあってもよい。
(3)無関心が一番いけない。強者と弱者がケンカすると、見ているだけでは強者が勝ってしまう。多分、今がそれじゃないか。僕たちが物事や政治に無関心だったから、知らないうちに日本中に54基もの原発ができてしまっていた。気がついたら大変なことになっていて、この惨事だ。
(4)ビキニ島は67回も核実験が行われて、最も汚染されたところだ。近くのエニウェトク環礁には、核実験後の巨大な穴に、汚染されたものを放りこんでコンクリートでドーム状に覆っている。コンクリートの耐久年数は100年かそこらだ。すでにひび割れが入っていて、放射能が漏れ出すことは目に見えている。
チェルノブイリもすでに老朽化している。福島原発も同じ運命だ。
(5)JAが脱原発宣言をした。これはとても重いことだ。農業という根源的なところからの声だから。日本漁業組合みたいなのがあれば、同じように脱原発宣言をしてほしい。
(6)「100年後、200年後には安全な何かができるだろう」とか「使用済み核燃料のもっとうまい処理の仕方ができるだろう」と言っている人もいるが、100年の間、出し続ける放射能をどうするんだ、ということをその人は何も言わない。
(7)この間、沖縄で、オスプレイ反対の人たちが凧揚げをして、凧と気球で防いだ。こういう形とか、何か工夫があるのではないか。もちろんデモをすることも重要だが、もっと柔軟にできるアイデアを我々は出していけるのではないか。
(8)放射能が半減期を迎えるまで、たとえばセシウム137は半減期30年、プルトニウム239は半減期が2万年以上もかかる。そんな長い間、誰が覚えているのか、どうやって管理するのか。そういうものを、全部未来の子孫につけ回しにする。そんな無責任なことをやっていいのか? いまからでは、もはや遅いかもしれないが、何もやらないで子どもたちを放射能漬けにするよりはいい。
原発を推進する人たちは、原発マネーで自分の人生や躯、魂を、そして自分たちの子孫を売っぱらってしまっている。
(9)かつて二酸化炭素の問題が、原発推進の口実になっていた。しかし地球温暖化は太陽活動によることが明らかになりつつある今、それも通じない。
(10)原子力の平和利用と言っているが、それは軍事利用、核兵器開発と背中合わせだ。日本の場合、これまで貯まったプルトニウムや濃縮ウランなどをすぐ原爆に転用できる。すぐにプルトニウム原発を作ることができる。
その日本が脱原発に舵を切れば、世界平和に大きく貢献できるのではないか。
(11)日本は昔、どこでも水が飲めた。でも、僕たちは今、水を輸入している。原発なんて、どこか埋めても必ず放射能が漏れる。水が飲めなくなったことをまず考えた方がいい。放射能は浄化できない。何か1回起こったら、もう誰も責任を取れないし、制御できない。そういうことを考えないと、日本中、住めなくなる。
(12)立地の原子力村の人たちは「だったら、俺の生活をどうしてくれるんだ」と言うに決まっている。電力会社というか、政府は今の体制を維持したいわけだから、結局、「いや、そういうカネはない。やるんだったら、再稼働させろ」と持っていくわけだが、それに対して、オルタナティブなものを我々が考えていくことは可能だし、結局、可能なのは、そういうことだ。
(13)もう金では黙らないぞ、と言ってほしい。でも、東電から少しでも恩恵を受けた人は、できるだけ表にでず、小さくなっているという人が多い。我々は、そういう人たちに、どう語りかけていったらいいのかも、考えねばならない。
(14)いろいろせねばならないことがあるが、焦らず、大言壮語しながら、ゆっくり進んでいくしかない。我々は政治家ではないし、そんなに力があるわけではないし、ガレキひとつ取り除くにもつらい歳だから、あとは、いろいろおしゃべりするしかない。現地で、どんなニーズがあるか、我々が実際に行って、地元の人の話を聞くことが大事ではないか。
現地に行って話を聞き、それに対して我々に言えることがあれば言う、という形で媒介するというか、働きができればいい。地元の人たちとつながる、というのは大きい。
インターネットとか、そうした方法もあるが、現実的な人間の輪、つながりといったものをやっていくべきだ。方法はいろいろあって、いろいろな風にやらなきゃいけない。
(15)イスラエルは首都から離れた北部に原発を作ったが、紛争の際、国境の向こうからミサイルが飛んできて、原発の近くに落ちた。もしも命中したら、イスラエルという国は終わっていた。その原発は廃炉になった。こうした現実も直視したほうがいい。
自衛隊の人によれば、54基もある原発の防衛は非常に難しい。原発は、格納容器が破壊されなくても、周囲のディーゼル発電機などを破壊されたら暴走してしまう、という脆弱性がよく分かった。いままでは、格納容器がミサイル攻撃されるのを想定していたが、周囲の施設や設備を攻撃されるだけで危なくなる。国防上も、日本の原発はあまりにも多すぎる、と嘆いていた。
だから、原発をなくしたほうが、むしろ日本は安全だ。一発、二発原爆を持ったって、中国あるいは北朝鮮から原発を狙ってやられるから。この前、教え子が北朝鮮に行ったが、平壌で政府のまわし者のガイドさんが、「我々は日本の原発の場所を全部把握している」と言っていた、という。
ほとんどが国道が走っている。みんな海の側にあるから、すぐだ。
(17)いろんな所で、いろんな形で、しかし永続的に声をあげることが大事だ。
文学者は、発表する場があるわけで、それを利用して、ずっと伝え続け、小さくなっていかないようにする必要がある。そのお手伝いができれば、という思いで、私、今ここにいる。
以上、座談会(森詠/川村湊/佐藤洋二郎/宮内勝典/山本源一/宮田昭宏)「脱原発社会をめざして文学者は何をするべきか」(「創」2012年12月号)に拠る。
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