(1)「エートス・プロジェクト」の流れを汲むグループが福島で生まれた。
エートス・プロジェクトは、チェルノブイリ原発事故後の1996年4月、ベラルーシ共和国ストリン地区オルマニー村で開始された。放射能汚染地域住民の生活復興を目的とし、環境計測による実態調査、専門家と住民との間の質疑応答の場の設定など、放射能汚染地域で生活する住民が自主的に地域の生活復興や環境回復に関わっていく条件づくりに取り組んだ。
だが、同プロジェクトの中核を担ったNGOの放射線防護評価研究センター(CEPN)は、会員にフランス電力会社(EDF)、フランス原子力庁(CEA)、フランス放射線防護原子力安全安全研究所(IRSN)、アレバ社を抱え、同プロジェクトの推進者ジャック・ロシャールが現在の所長を務める。
要するに、CEPNは原発推進派の複数の団体により構成される。だから、エートス・プロジェクトは内部被曝を取り上げないし、他にも批判が多い。
(2)エートス・プロジェクトに協力したのが、ベラルーシ・ベラルド放射能安全研究所だ。
同研究所は、放射線量計の開発と普及、体内に入ったセシウムを吸着して排泄する作用を持つ(内部被曝低減を目的とする)ペクチン剤(ビタペクト)の開発を行っている。また、国内各地の学区など370ヵ所に放射能地域センターを設置し、これまで39万件以上の食品検査、45万人におよぶ子どもの内部被曝検査、130万人以上の子どもに対するビタペクト提供および服用法指導・生活指導を行ってきた。
同研究所は、民間施設で、アンドレイ・サハロフらの友人とともに1990年に創立した故ワシリー・ネステレンコ博士は、チェルノブイリ原発事故当時、ベラルーシ科学アカデミーの核エネルギー研究所長だった。
(3)ベルラド放射能安全研究所の第二代所長(2008年~)がワシリーの子アレクセイ・ネステレンコで、彼は福島市で講演するため、今年10月に初来日した。
アレクセイ第二代所長は、エートス・プロジェクトの実態を次のように語った。
(4)ワシリー初代所長が「エートス・プロジェクト」に協力したのは、1996年からだ。最初はいい関係だった。エートスは、センターが蓄積していたデータベースを利用し、センターの測定技師たちはエートス・プロジェクトのために献身的に働いた。すべては順調に見えた。
しかし、まもなくエートスは当初の計画とは異なる動きを見せ始めた。
測定のため、エートスは放射能地域センターの機械を使った。次に彼らは、ベルラド放射能安全研究所の測定機器を奪おうとした。それから、ワシリー初代所長たちが努力を重ねてつくりあげてきたものをすべて奪い取ろうとした。
エートスは、ベルラド研究所が育ててきた技師を使ったが、調査結果を研究所に教えなかった。また、研究所が担当したストリン地区の測定費用を払わず、「予算がなくなった。費用はベラルド研究所で持つように」と伝えてきた。そして、ベラルーシ国立放射能研究所に働きかけ、ベラルド研究所の仕事を巧みに奪い取っていった。
(5)ベラルド研究所とエートスは、共に「汚染されてしまった地域でいかにしてよりよく生きるか」をテーマに掲げている。両者とも、汚染地図を作成し、食品計画を行う。
しかし、エートスはベラルド研究所と違って、医療的な対策を提示しない。
放射能への対策は、環境測定による汚染地図、食品測定、人体測定、サプリメントと、すべてをやらなければ意味がない。ベラルド研究所は、ペクチン剤を推奨している。しかし、エートスはペクチン剤に言及しない。それどころか、ベラルド研究所が子どもたちにペクチン剤を配布しようとすると、エートスは、「そんなことはするな」と否定した。
(6)ワシリー初代所長が地域の放射能防護の責任者だった2000~2001年、ペクチン剤が子どもたちに配布された。内部被曝量は平均30%程度で、確実に減少していった。
エートスは、チェルノブイリ委員会に働きかけ、ワシリー初代所長を地域責任者の職からはずした。2004~2005年、子どもたちの内部被曝量の測定は行われたが、ペクチン剤は配布されず、そのまま放置された。体内のセシウムは減少しなかった。
エートスは、測定結果を公表しないで自分だけのものにした。具体的な活動はほとんどなかった。予算がなくなれば、煙のように消えていなくなった。今年9月、エートスが活動していたストリン地区に出かけたが、個人差はあるものの、体内蓄積量の平均値が12年前に逆戻りしていた。
チェルノブリ事故前のベラルーシでは、85%の子どもが健康だった。事故から13年後、ベラルーシ科学アカデミーは国内全体で健康な子どもは20%と発表し、翌2000年、ベラルーシ保健省がこの事実を正式に認めた。このとき、汚染地ゴメリ州では、健康な子どもは6%に落ち込んでいた。
(7)エートスには、具体的な活動は何もない。不安や悩み事を頷きながら聞くが、それ以上は何もしない。人々が騒がないように落ち着かせるためのものと思ったほうがよい。
当時、ストリン地区オルマニー村民の関心事は、「自分たちの村はどの程度汚染されているか」「ここに住んでいてよいのか」「子どもたちの健康は、どうなるか」だった。これに対するエートスの答は、「放射能が身近な環境にたくさんあって大丈夫、必ず解決できますよ」という内容だった。しかし、言葉でいうだけで、解決のための活動はしなかった。
大切なのは、なぐさめや励ましではなく、情報を自分で収集することだ。収集した情報をもとに、自分の人生をどうするかを自分で判断して行動することだ。自分と家族を取り巻く状況を客観的に把握(計測結果とその数値の意味)を把握できれば、移住も視野に入れて、次ぎにやるべきことが見えてくる。
(8)今年5月、ミシェル・フェルネクス・バーゼル大学医学部名誉教授が緊急来日し、国際原子力ロビーの働きに警鐘を鳴らした。
フェルネクス名誉教授は、2001年に開催されたエートス・プロジェクト主催の第1回国際会議に招かれ、エートス・プロジェクトの企みを目撃した。
CEPNらはベラルド研究所の活動に類似した計画を立て、財政的な援助を受けた。その金でヨーロッパの大学に多額の財政的援助を行い、プロジェクトを開始した。
ワシリー初代所長は、国の発表に頼らず、独自の汚染調査を行い、WBCで人体を測定し、そのデータを公表して政府に提出した。さらに、体内に入った放射能を吸着・排泄できるサプリメントを開発した。
こうした活動が世に周知されるのは、放射能の低線量被曝や内部被曝を認めない側には、都合が悪い。偉大な科学者の発表は注目される。このままでは原発産業のあり方が問われることにもなりかねない。そこで、原子力ロビー側は、わざとワシリー初代所長をこの会議に招かなかった。【フェルネクス名誉教授】
この国際会議で、子どもたちの健康状況い係る唯一の発表が地元の小児科医師によって行われたが、その後出版された報告書からは削除されていた。
(9)エートス・プロジェクトの報告書では、ベラルーシで起きている病気の蔓延は、ソ連崩壊によって生じた経済的困難などの社会的要因と、放射能を恐れるストレスによる心理的要因にある、としている。事故後数年後のいっとき、子どもたちの甲状腺癌が増えたが、それも落ち着いてきている、という。奇形児の出産、子どもたちの病気や早期の脂肪、汚染地域の人口の減少など、ベラルーシの現実については触れない。
これが国際的な公式見解となり、原子力ロビーは、エートス・プロジェクトによって各国政府に放射能汚染の重大性を無視させ、住民の健康影響について注意喚起する政策を採らないようにさせることに成功した。
エートスは、データを蓄積したが、それをベラルーシの住民のために活かさなかった。フランスは原発大国だ。自国で原発事故が起きたとき、どのようなことが起きるのかを前もって知りたかったのではないか。
(10)福島第一原発事故後、日本にエートス・プロジェクトが上陸した。ジャック・ロシャールCEPN所長は、メールで、あるいは自身が福島に赴いて指導している。
子どもが住んでも安全だの安心だのと御託を並べているけれど、うちの子の将来に何かあったらとりかえしがつかない。後悔したくない。【福島の女性】
以上、さくらぎ美子「放射線被曝と「エートス・プロジェクト」 「こどもたちの内部被曝量を測っても、結果は公表しない。彼らはやるべきことを行わないのです」(「週刊金曜日」2012年11月23日号)に拠る。
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エートス・プロジェクトは、チェルノブイリ原発事故後の1996年4月、ベラルーシ共和国ストリン地区オルマニー村で開始された。放射能汚染地域住民の生活復興を目的とし、環境計測による実態調査、専門家と住民との間の質疑応答の場の設定など、放射能汚染地域で生活する住民が自主的に地域の生活復興や環境回復に関わっていく条件づくりに取り組んだ。
だが、同プロジェクトの中核を担ったNGOの放射線防護評価研究センター(CEPN)は、会員にフランス電力会社(EDF)、フランス原子力庁(CEA)、フランス放射線防護原子力安全安全研究所(IRSN)、アレバ社を抱え、同プロジェクトの推進者ジャック・ロシャールが現在の所長を務める。
要するに、CEPNは原発推進派の複数の団体により構成される。だから、エートス・プロジェクトは内部被曝を取り上げないし、他にも批判が多い。
(2)エートス・プロジェクトに協力したのが、ベラルーシ・ベラルド放射能安全研究所だ。
同研究所は、放射線量計の開発と普及、体内に入ったセシウムを吸着して排泄する作用を持つ(内部被曝低減を目的とする)ペクチン剤(ビタペクト)の開発を行っている。また、国内各地の学区など370ヵ所に放射能地域センターを設置し、これまで39万件以上の食品検査、45万人におよぶ子どもの内部被曝検査、130万人以上の子どもに対するビタペクト提供および服用法指導・生活指導を行ってきた。
同研究所は、民間施設で、アンドレイ・サハロフらの友人とともに1990年に創立した故ワシリー・ネステレンコ博士は、チェルノブイリ原発事故当時、ベラルーシ科学アカデミーの核エネルギー研究所長だった。
(3)ベルラド放射能安全研究所の第二代所長(2008年~)がワシリーの子アレクセイ・ネステレンコで、彼は福島市で講演するため、今年10月に初来日した。
アレクセイ第二代所長は、エートス・プロジェクトの実態を次のように語った。
(4)ワシリー初代所長が「エートス・プロジェクト」に協力したのは、1996年からだ。最初はいい関係だった。エートスは、センターが蓄積していたデータベースを利用し、センターの測定技師たちはエートス・プロジェクトのために献身的に働いた。すべては順調に見えた。
しかし、まもなくエートスは当初の計画とは異なる動きを見せ始めた。
測定のため、エートスは放射能地域センターの機械を使った。次に彼らは、ベルラド放射能安全研究所の測定機器を奪おうとした。それから、ワシリー初代所長たちが努力を重ねてつくりあげてきたものをすべて奪い取ろうとした。
エートスは、ベルラド研究所が育ててきた技師を使ったが、調査結果を研究所に教えなかった。また、研究所が担当したストリン地区の測定費用を払わず、「予算がなくなった。費用はベラルド研究所で持つように」と伝えてきた。そして、ベラルーシ国立放射能研究所に働きかけ、ベラルド研究所の仕事を巧みに奪い取っていった。
(5)ベラルド研究所とエートスは、共に「汚染されてしまった地域でいかにしてよりよく生きるか」をテーマに掲げている。両者とも、汚染地図を作成し、食品計画を行う。
しかし、エートスはベラルド研究所と違って、医療的な対策を提示しない。
放射能への対策は、環境測定による汚染地図、食品測定、人体測定、サプリメントと、すべてをやらなければ意味がない。ベラルド研究所は、ペクチン剤を推奨している。しかし、エートスはペクチン剤に言及しない。それどころか、ベラルド研究所が子どもたちにペクチン剤を配布しようとすると、エートスは、「そんなことはするな」と否定した。
(6)ワシリー初代所長が地域の放射能防護の責任者だった2000~2001年、ペクチン剤が子どもたちに配布された。内部被曝量は平均30%程度で、確実に減少していった。
エートスは、チェルノブイリ委員会に働きかけ、ワシリー初代所長を地域責任者の職からはずした。2004~2005年、子どもたちの内部被曝量の測定は行われたが、ペクチン剤は配布されず、そのまま放置された。体内のセシウムは減少しなかった。
エートスは、測定結果を公表しないで自分だけのものにした。具体的な活動はほとんどなかった。予算がなくなれば、煙のように消えていなくなった。今年9月、エートスが活動していたストリン地区に出かけたが、個人差はあるものの、体内蓄積量の平均値が12年前に逆戻りしていた。
チェルノブリ事故前のベラルーシでは、85%の子どもが健康だった。事故から13年後、ベラルーシ科学アカデミーは国内全体で健康な子どもは20%と発表し、翌2000年、ベラルーシ保健省がこの事実を正式に認めた。このとき、汚染地ゴメリ州では、健康な子どもは6%に落ち込んでいた。
(7)エートスには、具体的な活動は何もない。不安や悩み事を頷きながら聞くが、それ以上は何もしない。人々が騒がないように落ち着かせるためのものと思ったほうがよい。
当時、ストリン地区オルマニー村民の関心事は、「自分たちの村はどの程度汚染されているか」「ここに住んでいてよいのか」「子どもたちの健康は、どうなるか」だった。これに対するエートスの答は、「放射能が身近な環境にたくさんあって大丈夫、必ず解決できますよ」という内容だった。しかし、言葉でいうだけで、解決のための活動はしなかった。
大切なのは、なぐさめや励ましではなく、情報を自分で収集することだ。収集した情報をもとに、自分の人生をどうするかを自分で判断して行動することだ。自分と家族を取り巻く状況を客観的に把握(計測結果とその数値の意味)を把握できれば、移住も視野に入れて、次ぎにやるべきことが見えてくる。
(8)今年5月、ミシェル・フェルネクス・バーゼル大学医学部名誉教授が緊急来日し、国際原子力ロビーの働きに警鐘を鳴らした。
フェルネクス名誉教授は、2001年に開催されたエートス・プロジェクト主催の第1回国際会議に招かれ、エートス・プロジェクトの企みを目撃した。
CEPNらはベラルド研究所の活動に類似した計画を立て、財政的な援助を受けた。その金でヨーロッパの大学に多額の財政的援助を行い、プロジェクトを開始した。
ワシリー初代所長は、国の発表に頼らず、独自の汚染調査を行い、WBCで人体を測定し、そのデータを公表して政府に提出した。さらに、体内に入った放射能を吸着・排泄できるサプリメントを開発した。
こうした活動が世に周知されるのは、放射能の低線量被曝や内部被曝を認めない側には、都合が悪い。偉大な科学者の発表は注目される。このままでは原発産業のあり方が問われることにもなりかねない。そこで、原子力ロビー側は、わざとワシリー初代所長をこの会議に招かなかった。【フェルネクス名誉教授】
この国際会議で、子どもたちの健康状況い係る唯一の発表が地元の小児科医師によって行われたが、その後出版された報告書からは削除されていた。
(9)エートス・プロジェクトの報告書では、ベラルーシで起きている病気の蔓延は、ソ連崩壊によって生じた経済的困難などの社会的要因と、放射能を恐れるストレスによる心理的要因にある、としている。事故後数年後のいっとき、子どもたちの甲状腺癌が増えたが、それも落ち着いてきている、という。奇形児の出産、子どもたちの病気や早期の脂肪、汚染地域の人口の減少など、ベラルーシの現実については触れない。
これが国際的な公式見解となり、原子力ロビーは、エートス・プロジェクトによって各国政府に放射能汚染の重大性を無視させ、住民の健康影響について注意喚起する政策を採らないようにさせることに成功した。
エートスは、データを蓄積したが、それをベラルーシの住民のために活かさなかった。フランスは原発大国だ。自国で原発事故が起きたとき、どのようなことが起きるのかを前もって知りたかったのではないか。
(10)福島第一原発事故後、日本にエートス・プロジェクトが上陸した。ジャック・ロシャールCEPN所長は、メールで、あるいは自身が福島に赴いて指導している。
子どもが住んでも安全だの安心だのと御託を並べているけれど、うちの子の将来に何かあったらとりかえしがつかない。後悔したくない。【福島の女性】
以上、さくらぎ美子「放射線被曝と「エートス・プロジェクト」 「こどもたちの内部被曝量を測っても、結果は公表しない。彼らはやるべきことを行わないのです」(「週刊金曜日」2012年11月23日号)に拠る。
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