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筒井康隆『文学部唯野教授』(岩波書店、1990/後に岩波同時代ライブラリー、1992/後に岩波現代文庫、2000)
(1)本書が刊行された1990年に比べ、今の大学生は授業によく出席するようになったし、<大学の講義は12分遅れて始まり12分早く終わるのが常識とされている>のも完全に過去の話になった。文科省の締め付けが厳しくなったので、大学教師は時間いっぱい講義する。休講すると必ず補講するようになった。
しかし、大学が社会から隔離された場所で独自のローカルルールで動いているという本質には変化がない。
本書は大学人の生態を多少デフォルメして面白おかしく描くとともに、主人公である唯野仁・早治大学文学部教授の口を通して鋭い文学論を展開している。娯楽小説と学術エッセイの結合に見事に成功している。
(2)大学の特殊な文化は、外務省もかなりの部分を共有している。特に興味深いのが文学部長で国文学が専門の河北教授だ。
・とにかく非常識で、原辰徳を原節子の息子だと思っている。
・ポスト・モダンというと新築の郵便局と解釈する。
・自分が書いた文学概論のテキストを学生に買わせるため、その高価な本の表紙の隅を切りとり式のシールにして、それを答案用紙に貼らせる。貼ってない答案は採点を拒否する。
・頑迷固陋、その上尊大で幼児性が強く、しかも非常識。
・学部長になれたのは、その極端に走る性格ゆえに研究をまったく放棄し、前学部長の下でなりふり構わず学内政治に走ったことが今日の地位の獲得につながった。
・恫喝まがい、脅迫まがいもあって、敵を数多く作ってしまい、彼を好いている者はもはや一人もいない、という状態。
(3)「義理をかき」「人情をかき」「平気で恥をかく」ような「サンカク人間」は、大学だけでなく、霞が関(官界)にもときどきいる。その代表が、杉山晋輔・外務事務次官だ。
鈴木宗男氏が絶頂にいるときは、恥も外聞もなく擦り寄った。宗男バッシングが始まると、先頭に立って叩く側にまわった。北方領土交渉に関連し、安倍晋三・首相と宗男氏が頻繁に接触するようになると、杉山氏は人を介して「かつて宗男叩きに加わったのは当時の竹内行夫(外務事務)次官に言われて嫌々やっていたに過ぎず、本意ではなかった」というようなメッセージを伝えてくる。こういう行為が顰蹙を買うことすら杉山氏には理解できていない。こういう輩が事務方トップで北方領土交渉がうまく進むか、疑問だ。
(4)唯野の指導教授の蟻巣川も河北といい勝負の人物だ。
助手時代、唯野は蟻巣川から理不尽なこき使われ方をした。
<「おい。この資料のコピーをとれ。それからオリジナルを破棄しろ」
「はい」
「待て。それからコピーも破棄しろ」
「あのう、それだと何も残りませんが」
「なんだと」
「それだと何も残りませんが」
いきなり蟻巣川の平手打ちが唯野の顔にとぶ。
「同じことを二度言うな。しつこい奴だ」
暴君であり、そうしたことが日常であった>
(5)佐藤優も外務省に入ったばかりの頃、まったく同じ経験をした。ぶつぶつ文句を言いながら破棄する秘密文書をシュレッダーにかけていると、
「佐藤、この程度のことで腹を立てるんじゃない。こういう仕事をすれば根性がつく」
と諭され、目が点になった。
(6)文芸批評に関して興味深いのは、唯野の「面白さ」に関する認識だ。
<言語活動から起こる面白さは、話の流れからは起こりません。現代的な小説を読むには、早読みしない、ゆっくり食べる、はしょらない、丹念に摘みとる、これが大切です。つまり昔のような、時間をもてあました貴族的な毒差になるってことが必要なんだけど、今言ったようなしろうとはもちろんのこと、評論家にだって、今の日本にはそんな貴族的な読者はいません>
「言語活動から起こる面白さは、話の流れからは起こりません」というのは、小説だけでなくノンフィクション、思想書、哲学書にも共通している。テキストの細部をゆっくり楽しむことが読書の醍醐味だ。
□佐藤優「唯野教授が苦しんだ大学にも外務省にもいる「サンカク人間」 ~名著、 ビジネスパーソンの教養講座 第7回~」(「週刊現代」2016年9月17日号)
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【参考】
「【佐藤優】訳・解説『貧乏物語 現代語訳』の目次」
「【佐藤優】「イスラム国」をつくった米大統領、強制収容所文学、「空気」による支配を脱構築」
「【佐藤優】トランプの対外観、米国のインターネット戦略、中国流の華夷秩序」
「【佐藤優】元モサド長官回想録、舌禍の原因、灘高生との対話」
「【佐藤優】孤立主義の米国外交、少子化対策における産まない自由、健康食品のウソ・ホント」
「【佐藤優】アフリカを収奪する中国、二種類の組織者、日本的ナルシシズムの成熟」
「【佐藤優】キリスト教徒として読む資本論 ~宇野弘蔵『経済原論』~」
「【佐藤優】未来の選択肢二つ、優れた文章作法の指南書、人間が変化させた生態系」
「【佐藤優】+宮家邦彦 世界史の大転換/常識が通じない時代の読み方」
「【佐藤優】人びとの認識を操作する法 ~ゴルバチョフに会いに行く~」
「【佐藤優】ハイブリッド外交官の仕事術、トランプ現象は大衆の反逆、戦争を選んだ日本人」
「【佐藤優】ペリー来航で草の根レベルの交流、沖縄差別の横行、美味なソースの秘密」
「【佐藤優】原油暴落の謎解き、沖縄を代表する詩人、安倍晋三のリアリズム」
「【佐藤優】18歳からの格差論、大川周明の洞察、米国の影響力低下」
「【佐藤優】天皇制を作った後醍醐、天皇制と無縁な沖縄 ~網野善彦『異形の王権』~」
「【佐藤優】新しい帝国主義時代、地図の「四色問題」、ベストセラー候補の研究書」
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