語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【佐藤優】河上肇の思考実験を引き継ぐ

2016年09月10日 | ●佐藤優
 (1)今回、現代語訳というかたちで100年前のベストセラー『貧乏物語』を甦らせるのは、この本から現代の貧困に係る処方箋を導くことができるからだ。
 河上は貧乏根絶策の第一に「贅沢の禁止」を挙げた。
 河上がもし現代に生きていれば関心を示したであろう「相互扶助」を、「贅沢の禁止」と併せて今日の問題と関連づけ、別途「おわりに 貧困と資本主義」で示した。
 河上は、『貧乏物語』のなかで、構造的な貧困がなぜ生じ、それを克服するにはどうすればよいか、という問題を正面から受け止め、格闘した。その思考の軌跡は、現在の私たちが読んでもまったく古びていない。それどころか、今こそ広く読まれなければならない。

 (2)じつは『貧乏物語』は刊行後、資本主義体制を前提とする貧困対策を説いている点をマルクス主義者から批判され、河上自ら絶版にしたという経緯がある。
 『貧乏物語』以後の河上は、本格的に『資本論』はじめマルクス経済学関連の文献に没頭し、マルクス経済学者としての道を歩み始める。そして、教職をなげうち、当時非合法だった共産党に縫う党した。
 1933(昭和8)年に思想犯として特高に検挙され、豊多摩刑務所(東京都中野区)に収容された。その後、市ヶ谷刑務所を経て小菅刑務所(現・東京拘置所/葛飾区)で服役。収容中に河上は、自らの共産党活動を敗北と総括し、今後共産主義とはまったく関係を断つと転向声明を公表した。拘留をふくめ4年半の刑期を務め上げた。出所後も、戦争がいっそう深刻になり、物質が乏しくなっていくなか、研究を断念し、原稿料の収入も失った河上は質素な生活を強いられた。1946年1月、発禁処分になっていた自著や、戦争中に営々と書き続けていた『自叙伝』の出版を見ることなく永眠した。

 (3)『貧乏物語』は、従来、河上の助走期というべき時代に書かれた著作で、その後正しいマルクス主義に変身を遂げた、という見方が一般的だった。
 しかし、『貧乏物語』こそ、スターリン主義(ソ連型共産主義)から虚値をとった河上肇の原型だ。
 河上が生きた時代、スターリン主義の猛威が吹き荒れていた。共産党の運動は、国際共産党(コミンテルン)インターナショナルの運動にしたがうことによってのみ問題は解決する・・・・というドグマが支配的な時代だった。このようななか、当時の知識人は共産党に引き寄せられた【注】。
 『貧乏物語』以後の河上は、こうした戦前の知識人と同じように、自ら考えることを放棄してしまった、という側面もある。

 【注】たとえば松田道雄『日本知識人の思想』(筑摩書房、1965)が証言する。

□河上肇/佐藤優・訳解説『貧乏物語 現代語訳』(講談社現代新書、2016)の「はじめに 『貧乏物語』と現代」
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 【参考】
【佐藤優】貧富の格差が拡大した100年前と現代
【佐藤優】いくら働いても貧乏から脱出できない
【佐藤優】教育の右肩下がりの時代
【佐藤優】トランプ、サンダース旋風の正体 ~米国における絶対貧困~
【佐藤優】「パナマ文書」は何を語るか ~資本主義は格差を生む~
【佐藤優】訳・解説『貧乏物語 現代語訳』の目次

 
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【佐藤優】貧富の格差が拡大した100年前と現代

2016年09月10日 | ●佐藤優
 (1)河上が『貧乏物語』を「大阪朝日新聞」に連載した1916年は、1914年に始まった第一次世界大戦を受けて、日本の産業界が戦時景気に湧いている時期だった。第一次世界大戦で欧州諸国に被害が生じるなか、戦禍を免れていた日本の商品輸出が急増した。
 <投資熱はあらゆる分野に及んだが、とくに造船・製鉄業の発展はめざましく、海運業も著しく進展した。繊維産業でも、ヨーロッパ諸国のアジア市場からの後退によって、日本の綿糸・綿布はイギリスに代わって中国市場をほぼ席巻し、南アフリカ・南アメリカにまで進出していった。日本の主要輸出品だった生糸は、ヨーロッパ市場を失って暴落したが、日本と同様な立場にあって好況を現出したアメリカに輸出され、以後、アメリカ市場に全面的に依存するようになった。こうして、1915年に入超から出超に転じ、1914年には約11億円の債務国だった日本は、1920(大正9)年には約27億円の債権国に変わっていた。>【注1】

 (2)好況によって成金が生まれた。成金が百円札を燃やして「どうだ明るくなったろう」などという画まで登場した。船成金で有名な山本唯三郎は、1917年に朝鮮半島に虎刈りに出かけ、帝国ホテルを借り切って虎肉の晩餐会を催し、話題になった。
 こうした信仰の成金のみならず、三井、三菱などの大財閥は資本の集中をよりいっそう進めた。第一次世界大戦は、寡占資本家を発展させたのだ。
 一方1916年前後は、物価も激しく上昇していた。物価に見合った賃金が得られず、生活に困る労働者が増えた。賃金や俸給は物価に合わせて上昇したわけではなかったので、多くの労働者は生活が苦しくなり、その日の食にも事欠く人が続出した。
 <労働者の実質賃金は、1914年を100とすると、1918年には92.3に低下した。また、当時、一般生計費は一人当たり年2,000円程度が必要だったが、その該当者は人口のわずか2%で、約93%は500円以下の収入だった。>【注2】

 (3)1918年に富山から始まった米騒動には、インフレによる生活難という背景があった。「トリクルダウン」【注3】は、この時代にもなかったのだ。
 このように、資本家と労働者のあいだの格差が拡大し、資本主義が猛威をふるうという事態は、現代と酷似する。企業の業績は好調だが、社員の賃上げにはつながらない現在の状況と重なっている。
 だからこそ、そうしたなか、河上がどのように貧困と知的格闘を繰り広げたかを知ることは、現代を生きる人にとって意味がある。 

 【注1】安藤達朗・著/佐藤優・企画・編集・解説/山岸良二・監修『いっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編』pp.163~164
 【注2】前掲書p.167
 【注3】富裕層に続いて貧困層にも富が行き渡ること。
【経済】小企業や家計の赤字=大企業の利益 ~トリクルダウン(2)~
【経済】円安で小企業や家計は赤字 ~トリクルダウンはなぜ生じない?~

□河上肇/佐藤優・訳解説『貧乏物語 現代語訳』(講談社現代新書、2016)の「はじめに 『貧乏物語』と現代」
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 【参考】
【佐藤優】いくら働いても貧乏から脱出できない
【佐藤優】教育の右肩下がりの時代
【佐藤優】トランプ、サンダース旋風の正体 ~米国における絶対貧困~
【佐藤優】「パナマ文書」は何を語るか ~資本主義は格差を生む~
【佐藤優】訳・解説『貧乏物語 現代語訳』の目次

 

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