語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

書評:『ぼくが読んだ面白い本、ダメな本 そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術』

2010年03月13日 | 批評・思想
 序文がきわめて長いから、本書は3部構成とみてよい。
 すわなち、(1)「序 宇宙・人類・書物」、(2)「週間文春」に5週間ごとに連載した「私の読書日記」(1995年11月から2001年2月まで)、(3)1冊の本を徹底的に批判した「『「捨てる!」技術』を一刀両断する」・・・・である。

 (1)では、書評を(ア)批評に重点を置くものと、(イ)内容の紹介に重点を置くものとに分け、著者は自分の書評を(イ)に分類する。
 小賢しい批評を付すより、どんなことが書かれているのか、また、そのさわりを要約ないし引用するほうが未読の読者にとって親切だ、というわけだ。わざわざ買ってまでして読むに価するか否かの手がかりになるからだ。
 評語がない場合でも、要約ないし引用する箇所の選択それ自体、批評となっている。文献や論文のアブストラクトに似た感じだが、書評する者がさわりを選択する点で、多くは書き手自身が要約・抜粋するアブストラクトとは異なる。

 著者が重視する「内容」は、もっぱら資料的価値のように思われる。だから、初版本や稀覯本をそれ自体貴重なモノとして大事に扱う、といった態度からほど遠いのが著者の読書術だ。遠慮なく端を折ったり、書き込んだり、破いたりもする。
 愛書家には心臓に悪い読書術だが、読んだ本を血肉化するにはそこまでやらなければならないらしい。

 (2)は、立花式書評の実践例だ。「私の読書日記」でとりあげた本は、自分の仕事をこなす都合上買った本ではなくて(部分的にはそんな本もあるらしいが)、書評するために(あるいは興味のおもむくままに)わざわざ買いこんだ本がもっぱららしい。サービス精神たっぷり、と言わねばならぬ。特に評価したいのは、高価でふつうの読者には簡単には手が出ない本をどんどん紹介していることだ。
 たとえば『ピエール・ベール著作集』。全8巻、4万7千円。ピエール・ベールは17世紀のフランスの思想家、徹底的な宗教批判、歴史批判を展開して、近代社会の思想的基礎づくりをした人である(らしい)。著者の筆は、ベールの紹介から本作りまでおよぶ。価格からして、あるいは思想史というジャンルからして、多くの人にとってはまず買わない本だが、紹介されたさわりを読むだけでもトクした気分、ひとつ悧巧になった気分になる。

 価格は手ごろでもふだん興味をもっているジャンルではないから店頭で目にしても看過したにちがいない本、しかしさわりを読んで一読してみようか、という気になる本もある。
 たとえば、ポーラ・アンダーウッド『一万年の旅路』。米国イロコイ族が代々語り継いできた口承の歴史を文字に記したもの。氷河期にユーラシア大陸からベーリング海峡を渡ってきた。紹介されたさわりを読んで、すくなくとも評者は好奇心をかき立てられた。

 (3)は、著者がきちんと書評するとなれば、あるいは、ある主張を徹底的に批判するとなれば、ここまでやる、という見本だ。「関連性がない仕事をしていても、思いがけないコンテクストで、前に使った資料が必要になってくることが少くない」という指摘は、著者よりもはるかに狭い分野で動いている人にも思いあたるところがあるはずだ。

 本書でとりあげられている本は、ノンフィクションが多い。事実に関心をもつ者にはとてもありがたいが、絵空事に関心のある者は本書にあまり関心をもてないだろう。そういう人は、絵空事中心の書評を読めばよい。さいわい、この分野の書評は浜の真砂ほど出版されている。
 もっとも、著者は文学にも(量的にはすくないが)目くばりしている。たとえば、天沢退二郎訳『ヴィヨン詩集成』。「当代一流の詩人の手になる」との評語がある。青年時代はともかくとして近年は文学とはあまり縁のなさそうな著者だが、その作品は難解をもって鳴る詩人の天沢退二郎に、そしてその著作に目をつけるとは、さすがだ。引用されたバラードが読者を誘惑する。
 掲載書目一覧が巻末に載っているのは、この手の本として当然の配慮だ。これもありがたい。

□立花隆『ぼくが読んだ面白い本、ダメな本 そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術』(文春文庫、2003)
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【松田道雄】京ことば、その表層と深層

2010年03月11日 | エッセイ
 (1)京ことば、京都市民の言いまわしの背後に京都の共同体と個人との関係がある。

 (2)帰りかけた客に、内儀が玄関で、「まあええやおへんか。お茶漬け一ぜんたべといきやすな」
 客がもう一度あがりこんでご馳走になりはしないだろうから、リップ・サービスだ・・・・と笑うのは誤解がある。「京都の風習は、予告なしにきた客にたいして食事をだす義務を、市民相互に解除していた」「単純再生産をつづけてきた京都の町の生活は、食生活の徹底した計画化によって維持された」

 (3)たとえば、ある店では五の日及び十の日が酒日(さかび)で、なま魚をだし、番頭にのみ酒をつけた(「ごじゅう」)。
 質素で厳格な食生活の「ルールを自分の家でまもるだけではなく、隣人が隣人のルールをまもることも尊重するいう観念が、京都の市民のなかにはあった」
 京都の町では、共同体の意識がはやくからなくなり、「生活の単位が個人になっているのだ」

 (4)しかし、近代的な個人と呼ぶのはためらう、と松田道雄。
 近代的な個人は、共同体を打ちこわして生まれてきたものだが、「たんなるばらばらの個人ではなく、共同体を打ちこわすときに、自由な独立者として相互に協力した。その協力のなかに、個人と個人とをむすびあわせるルールがでてきた」
 「ところが、京都の場合は、共同体が細分されて個人ができたような格好である」
 一見個人はじつは小さい共同体であり、このミニ共同体独自のルールは隣のミニ共同体のルールと共通していない。それぞれ独自のルールをもつミニ共同体の「全部をふくむ共通のルールの意識は低い」

 (5)ここで、松田は孫をつれて電車にのったおばあさんの例をひく。
 座席にすわった幼児、もっているオモチャの刀で隣の人をはたくと、おばあさんは孫に、そうしてはいけない、とはいわない。隣の人の顔を見ながらいう。
 「おっちゃん、おこらはるえ」
 おばあさんのミニ共同体では、幼児がたわむれに大人をオモチャの刀ではたくことは許された遊戯だが、隣のミニ共同体で通用するかどうかはわからない。隣の人が黙認したら、それは隣のミニ共同体でも通用するルールだということになる。
 全共同体、全個人をつらぬくルールがあるところでは、「これ、ひとさまをたたいてはいけない」になるだろう。
 「だから、おばあさんが、おっちゃん、おこらはるえというのは、実は隣人に問いかけているのだ」
 隣の人が子どものいたずらを許さないルールを持しているときは、「ぼん、たたいたらいきまへんえ」という。そのときはじめて、おばあさんは孫をしかるのである。

 (6)ミニ共同体ごとにルールがちがう。魚を「ごじゅう」にだすか「さんぱち」にだすかはミニ共同体ごとにちがう。
 「生活単位が個別化していても、それが近代的な個人でない証拠に、この小さな共同体はけっして民主化していなかった。家族全部が『ごじゅう』にしか魚を食べないお店でも、旦那はんだけは、毎日ごちそうを食べていた。それを出前する仕出し屋というものが京都には特別に発達していた」

□松田道雄『京の街角から』(筑摩書房、1978)の「京の茶漬け」
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書評:『古書店めぐりは夫婦で』

2010年03月10日 | エッセイ
 ローレンス&ナンシー・ゴールドストーンは米国人、作家。それぞれの著作をもつが、共著は本書が初めてである。

 毎年、互いの誕生日のプレゼントにお金をかけがちな夫婦だが、この本を書く4年前、「こうした愚挙はもうよそう」と話し合った。
 となると、買うものは限られる。ナンシーは、本に決めた。『戦争と平和』がよい。
 夫君は戦争が好きなのである。
 美装のハードカバー、活字大、挿絵あり、注釈あり、主要な戦闘のカラー版地図が折り込まれている、安い、ということでモード訳を古書店から手に入れた。

 これがきっかけとなって、夫婦は古書の世界にのめりこむ。
 幼い娘をベビーシッターに預け、稀覯本を探して店から店をたずね歩く。
 二人の収入で買える本は限られているが、オークションにも加わる。

 といった次第で古書探求が始まり、だんだんとモノとしての本の知識(バックストリップは本の背、ジョインツは表紙の溝)が深まり、古書店業界の裏話(本の価値と古書の値段は無関係、映画スターが大枚をはたくから本の値段が高額になる)に通じ、個性的な古書店主(数々の作家たちと交流のあったハワード・モット老)と知己になる。

 本書には、ディケンズをはじめとする英米の作家に対する著者たちの寸評も盛り込まれている。
 「みんなが買い、みんなが読むのは、その世代のスポークスマンをつとめる作家だ」という古書店主ジョージ・ミンコフの観察は興味深い。大不況の時代はスタインベック、偉大な国外移住者たちの時代はヘミングウェイ、「国民の創生」以後の南部はフォークナー。ただし、「文学的名声には、作品と無関係の文化的要素が作用する」ともミンコフは言う。

 全編に無碍なユーモアが満ちていて楽しい。内容のわりに軽く読み流せる。琴瑟相和するおしどりぶりが感じよい。
 英米の文学に多少なりとも関心をもつ本好きなら見のがせない一冊である。

□ローレンス・ゴールドストーン、ナンシー・ゴールドストーン(浅倉久志訳)『古書店めぐりは夫婦で』(ハヤカワ文庫、1999)
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書評:『本のちょっとの話』

2010年03月10日 | エッセイ
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【読書余滴】新聞の投稿欄批判

2010年03月09日 | 批評・思想
 丸谷才一『袖のボタン』(朝日新聞社、2007)は、朝日新聞2004年4月6日から2007年3月6日まで1年間寄稿したコラムの集成である。
 うち、『新聞と読者』と題する一編はいう。

 新聞は、4種類の人々の協力によって作られる。(1)新聞社の社員、(2)文筆業者、(3)広告関係者、(4)読者。
 新聞を論じる際、(4)読者の寄与を見落としがちだが、丸谷才一は読者の投稿を読むのが好きで、ときどき拾い物がある。
 しかし、投稿欄には自己身辺のことに材をとった感想文が多すぎる。私的、独白的、情緒的になりがちで、その抒情性において短歌俳句欄におとらないことがしばしばだ。
 むしろ、新聞のニュース、写真、論説、コラム、評論などに対する賛否の反応を寄せるのが本筋ではないか。読者の同感や反論、批判や激励は紙面をにぎやかにし、(1)、(2)、(3)にとって参考になり((4)にも)、さらには社会を活気づけるなど、よいことづくめのはずだ。
 イギリスの週間新聞は、読んだばかりの紙面をきっかけにして対話し、論証しようとする。(1)、(2)、(3)、(4)が共通の話題をめぐり論議をつくす点で、あの国の政治の雛形になっている。読者の投書には、住所と姓名があるだけで、年齢と職業は記していない。この慣例は、誰の言論も同格という原則を示しているし、読者も投稿しやすい。文章の長さは画一的でなく、長短とりどりで、必要ならたっぷり紙面が与えられるし、短くてすむものは数行で終わる。
 民主政治は、血統や金力によるのではなく、言葉の力を重んじるという大前提があるにしても、日本の読書投稿欄がもっと充実し、甲論乙駁が盛んにおこなわれ、対話と論証の気風が世に高まれば、政治もおのずから改まり、他愛もない片言隻句を弄するだけの人物が人気を博することなどなくなるだろう。

 丸谷才一らしいオチもついているのだが、これは略するとして、この論旨、まったく正論だ。
 イギリスの新聞には、住所と姓名があるだけ、という点に注目したい。言論の正否は文章のなかみによる。どこの誰兵衛が男性であろうが女性であろうが、豆腐屋であろうが厚生労働省の事務次官であろうが、ハイティーンであろうが後期高齢者であろうが、議論の正否を判断するに当たってはどうでもよいことだ。

【参考】丸谷才一『袖のボタン』(朝日新聞社、2007)
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書評:『白衣の騎士団』

2010年03月09日 | 小説・戯曲
 物語は、ワット・タイラーの大反乱(1381年)の十数年前に始まる。修道院で修行中の主人公アレイン・エドリクスンは、ミンステッドの郷士だった父の遺言にしたがい、20歳を境にいったん還俗することになった。俗界の経験をへたうえで、修道院へ戻るか俗界にとどまるかを最終的に決定するのである。モラトリアムの期間は1年間である。
 まず郷里の兄を訪ねるが、彼はならず者と徒党を組み、弟を追いたてた。捨てる神あれば拾う神あり。旅の道中に知り合った射手エイルワードは、その主ナイジェル卿へアレインを紹介した。かくて主人公は白衣隊の一員となり、従騎士として従軍する。白衣隊は、ボルドーへ遠征し、転じてピレネー山脈を越えてスペインへ侵入する・・・・。

 決闘あり、馬上試合あり、弓術の腕の競い合いあり、恋だって欠けていない。じつに波瀾万丈で、血沸き肉踊る。巻末近く、400名弱の白衣隊が万を越すカスティリャ軍と死闘する場面は圧巻である。
 抜け目なく薩摩守をきめこむ学者がいたり、隙あらば強盗にはやがわりする悪党も登場して、一瞬たりとも油断できない殺伐な時代がしかと描かれている。
 さればこそ主人公の性格がきわだつ。聡明にして謙譲、情誼に厚くて、決闘の相手に彼自身が予期しない危難がふりかかれば救出しようとさえするのだ。騎士としての才能も発揮する。白衣隊の一員となってからは武道に励んでたちまち頭角をあらわすのだ。見習修道僧とはいえ、いざとなれば大胆不敵、修羅場をおそれない。血は争えないのである。
 時代精神の騎士道はナイジェル卿が一身に具現する。卿は武名が高く、事実その名を辱めぬ活躍をする。卿は鷹揚な性格で、一人娘に惚れた主人公を揶揄しつつもあたたかく導く。
 ただし、時代は戦さの担い手が騎士から名もない庶民へ移行する時期だった。農民たちによって構成される射手が戦さにおいて大きな役割をはたすようになってきたのだ。本書はそのあたりの事情もていねいに描きこんでいる。力をつけ、その力を自覚した農民の暴動によって騎士が殺害される場面もある。こうした下克上的な時代ゆえに海千山千のエイルワードや破戒僧ホードル・ジョンが精彩をはなつのである。

 コナン・ドイルはホームズもので名高いが、そのホームズもののうち長編4作は、『パスカヴィル家の犬』を除いて、謎解きより事件の背景を語るほうに力がそそがれている。ドイルの本領は物語にあったのだ。事実ドイルは、SF、冒険、怪奇、海洋、医学などさまざまなジャンルに手を染めた。ホームズものはむしろ余技だった。
 歴史小説も9作品あって、本書はそのひとつ。ドイル自身は自作品のうち本書にもっとも愛着を抱いていたらしい。なにしろ歴史的事実に正確を期するため60冊以上の文献を読破したのだから、熱の込めかたがちがう。精力をそそいだだけのことはあって、刊行当時から評判がよかったらしい。
 マイクル・クライトンは隙のない歴史小説を書いて読者を楽しませたが、スコットやスティーブンソンの歴史小説と同じくおおらかな作風の本書は、これはこれで楽しめる。

□コナン・ドイル(笹野史隆訳)『白衣の騎士団(上下)』(原書房、2002)
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書評:『千年紀のベスト100作品を選ぶ』

2010年03月08日 | 批評・思想
 名だたる碩学、読み巧者が3人、千年間にわたる芸術作品の中からベスト100を選んだ。文学者たちによる選考だが、作品は文学に限定されない。舞台芸術、音楽、絵画、映画、建築にも選択の範囲はおよぶ。
 鼎談で、まず候補作品を絞りこみ、ひとまずリストができあがってから、さらに削った。この作業が読んでいて楽しい。自分なら何を選ぶか、あるいは捨てるか。

 3人の選択に対する異論もちゃんと収録されている。E・G・サイデンステッカーと張競の2名による異議である。
 前者は、「リストの偏り」と題して、候補を絞り込む過程と、絞り込んだ100作品を語り合う鼎談も含めて、リストがたいへん日本的だ、と指摘する。作品数のもっとも多いのがフランス、ついで日本で、日本を除いたアジアから2作品しか選ばれていない。英米人によるリストなら必ずとりあげられる作品が漏れている。ディケンズ、オースティン、マーク・トゥエンの作品が選ばれていないし、イェイツにひとことも言及がない、うんぬん。
 もっとも、サイデンステッカー自身が言うように、この手の選択は「偏り」自体を楽しめばよいのだ。すなわち、丸谷才一、三浦雅士、鹿島茂の3人の選び方を味わえばよいし、それで十分なのだ。
 したがって、選択された結果をうんぬんするよりも、最終的な選択にいたる過程に注目したい。

 たとえば、戦争ものという基準から、まず『平家物語』がとりあげられ、13世紀ということで『ローランの歌』が、ついで社会通念を考慮して『戦争と平和』が候補作となる。ナポレオン戦争から『赤と黒』『パルムの僧院』がとりあげられ、19世紀フランス文学における戦争ものの欠如が指摘される。20世紀に移って、ノーマン・メイラーもレマルクも名だけはあがるのだが、一顧だにされない。戦争の雰囲気が描かれるということでトーマス・マン、さらにマルローとヘミングウェイの名があがる。反戦文学としての江戸川乱歩『芋虫』、戦争後遺症文学としての『チャタレイ夫人』、といった独特の切りこみ方がある。丸谷才一『笹まくら』にも敬意が評され(徴兵拒否文学かしら?)、そして当然ながら『野火』『俘虜記』『レイテ戦記』も話題になる。
 結局、候補作として『平家物語』と『戦争と平和』が残されるのだが、当然ながら大岡昇平ファンとしては異議をとなえたい。
 異議はさておき、選択にいたるまでの議論を読んでいると、時空を超えて旅した思いがする。

 選択された100作品は、巻末に、各作品につき1頁がわりふられていて、識者が解説する。いや、解説というよりも作品をだしにしたエッセイもある。南伸坊による『鳥獣戯画』など、作品と紹介者との意外な組み合わせがあって、これまた興趣をます。

 たとえば、『千一夜』を解説するのは丸谷才一。
 千という極めて多い数字に一が加わることで無限が与えられたように感じる、と分析したボルヘス説を紹介する。さらに、代表的な名編『アラジンと魔法のランプ』『アリババと四十人の盗賊』はガラン訳に突然あらわれた作品であって、アラビア語の原典が見つからない、2編とも原典が発見されたと信じられたけれども、「最近の写本研究によって、いづれもガランのフランス語訳からアラビア語に直されたものと判明したのである。最上の部分の出典が杳として知れない。奇譚の集大成を飾るにふさわしい文学史的挿話と言へよう」
 丸谷才一らしいオチである。

 読者は、読書案内として本書にアクセスしてもよい。文学史、芸術史を下敷きにした豪勢な遊びと心得てもよい。
 著者たちの「偏り」が許されるならば、読者の「偏り」も許容されるはずだ。著者たちとは違った選択を考えながら読むと、いっそう興趣が湧く。本書では絵画も映画もとりあげられているのに写真集が無視されているのは妙だ、ひとつ、キャパのために弁護しなくちゃ、というように。

□丸谷才一・三浦雅士・鹿島茂『千年紀のベスト100作品を選ぶ』(講談社、2001)
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書評:『はるかなるわがラスカル』

2010年03月07日 | ノンフィクション
 小・中学生時代に読んで、大人になってからも再読できる本は、あまり多くない。本書は、その例外的な、大人の鑑賞にたえる児童文学だ。

 11歳の少年の1年間の記録である。とりたてて筋らしい筋はない。
 いや、そう片づけてしまうこと自体、老化のきざしかもしれない。

 少年の目から見れば、起伏に満ちた日々なのだ。樹上で冒険小説に読みふけり、居間でカヌーをコツコツとこしらえる。あるいは、湖でホイッパーウィル(夜鷹の一種)の鳴き声を聞き、杉林の奥の清流で鱒を釣る。町ぐるみのピクニック、親戚の農場における2週間。そして、クリスマス。母は亡く、兄は出征し、長姉は別に家庭をいとなむから、すこし寂しいけれども、次姉は帰省する。いっときの華やぎ。プレゼントのスケートで、さっそく氷原を疾走する。こうした日々、傍らには常にアライグマのラスカル(やんちゃ坊主)がいた。
 少年の心は、現在から現在へさまよう。その軌跡をたんねんにたどる点で、本書は散文よりは詩に近い。詩は、舞踊に似ている。ゴールへ到達することより、過程それ自体が命である。

 だが、時は容赦なく流れる。
 少年はまだ少年のままだが、ラスカルは赤んぼうから成獣へと成長していく。だんだんとラスカルは落ち着かなくなる。家族の一員となって1年後、少年はラスカルを自然へ返す。少年よりも異性を選んだことを当然だと理解しながらも、割りきれない。「ぼくらの最後に別れた場所から、たまらない気持ちではなれていった」

 自然との燦めく交感、動物たちとの交情。少年をして自然との交歓を夢みさせ、大人をして蠱惑的な幼い日々を思い起こさせる。
 著者は、1906年生、北米ウィスコンシン州コシュコノング湖畔の産、シカゴ大卒後ジャーナリストとなった。『ラスカル』(1963)は、ダットン動物文学賞、アメリカ図書館協会オーリアンヌ賞を受賞した。ディズニー・プロによる映画化のほか、本邦のフジテレビ系でアニメ化された。

□スターリング・ノース(亀山龍樹訳)『はるかなるわがラスカル』(小学館ライブラリー、1994)
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書評:『暗殺阻止』

2010年03月06日 | ミステリー・SF
 『バビロンの影--特殊部隊の狼たち』(ハヤカカワ文庫)をひっさげて颯爽と登場したデイヴィッド・メイスンの長編第二作目である。著者は、1951年生。イートン校卒業後、近衛歩兵連隊に入り、アラビア半島南部のオマーン国軍に配属され、武勲をたてた。大尉で除隊。同州長官の経歴をもつ。

 国際的規模の謀略を描く点で、フレデリック・フォーサイスの出世作『ジャッカルの日』に似ているが、『ジャッカルの日』の真の主人公は事件それ自体であり、フォーサイスのルポタージュふうの乾いた文体もあいまって、登場人物はみなチェスの駒のように無機質で孤独だ。
 メイスンの世界は、もう少しウェットだ。特殊部隊員特有の気質、気心が知れた者同士の厚い友情が漂う。チームワークの妙がある。ジョン・ブルの冒険小説にふさわしい。
 もっとも、本書では、任務の都合上、異質のメンバーが二人加わる。前作では、雇い主の裏切りで苦難を受けるのだが、本書では獅子身中の虫がチームを危機に陥れる。
 敵地へ潜入する特殊工作グループ、味方の中の敵、という構図は、『ナバロンの要塞』のような佳作が先行していて、辛いところだ。だが、時事を巧みに取り入れた工夫を評価して、減点は最小限にとどめよう。
 英国冒険小説の主人公は、ジョン・バカン以来の伝統にのっとって単独者だが、チームが主人公になることもあり、これはまたこれで本書のような佳作を生んでいる。

 本書は、次のようにはじまる。
 1993年の春、世界の政治を左右する人物が暗殺される、という情報を英国政府はつかんだ。情報源をたぐると、イラン人が浮き上がってきた。コンピュータ制御の自動狙撃装置が使用されるらしい。暗殺の対象は不明だが、旧東独国家保安警察シュタージがからんでいる。ボスをとらえて尋問したい。所在地が判明した。北朝鮮である。正規軍を派遣するわけにはいかない。そこで、民間のエドに白羽の矢がたった。主人公エド・ハワード、元海兵隊特殊舟艇部隊(SBS)少佐、現XF警備社長に・・・・。
 中東最大の課題、米国大統領、ノーベル賞と並べると三題噺めくが、現代史をおさらいして、誰が標的なのかを主人公とともに推理するのも楽しい。

□デイビッド・メイスン(山本光伸訳)『暗殺阻止(上・下)』(ハヤカワ文庫、1997)
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書評:『象は世界最大の昆虫である -ガレッティ先生失言録-』

2010年03月05日 | 社会
 政治家は、たったひとつの失言で、政治家の席からすべり落ちることがある。
 失言はげにも恐ろしい・・・・が、仕事のさいちゅうに千の失言を吐いても、その地位を断固まもった奇特な人がいる。
 すなわち、ヨハン・ゲオルク・アウグスト・ガレッティがその人である。
 ガレッティ先生は、18世紀末から19世紀半ばにかけてドイツのギムナジウム(9年生学校)で歴史と地理を教えた。生涯に残した著作40冊あまりの数からすると、当時は偉大な学者だったらしいが、その著作は極東に伝わっていない。伝わっているのは、御大自身は伝えたいとは思っていなかったにちがいない失言の山である。
 それだけ、面白かった、ということだろう。
 じじつ面白い。さっそく披露させていただこう。ちなみに、数字は本書の通し番号だ。本書にはぜんぶで700件収録されている。ここでは、ことに楽しい動物ネタを最初にあげる。

 「539 カンガルーはひとっ跳び32フィート跳ぶことができる。後足が二本でなくて四本なら、さらに遠く跳べるであろう」

 「544 ライオンの遠吠えは猛烈なもので、何マイルも離れた荒野でも、吠えたてた当のライオンの耳に達する」

 前足2本、後足4本、計6本? ガレッティ先生は、象だけではなくてカンガルーも昆虫に分類しているらしい。
 何マイルも離れた荒野の、当のライオンはドッペルゲンガーでしょうね。
 などと、どの部分が失言なのか、いちいち指摘するのは野暮というものだ。
 動物ネタはわかりやすいが、

 「044 古代にも大砲があった。大弓で発砲した」

 こう大まじめで講義されると、生徒たちは一瞬混乱したにちがいない。そうか、古代では大砲の弾丸を大弓で飛ばしたのか・・・・。
 当然、クレームがついたことだろうが、先生、ちっともへこたれない。

 「602 教師はつねに正しい。たとえまちがっているときも」

 開きなおっていますね。それどころか、わかりの悪い生徒には皮肉をとばす。

 「624 君たちは先生の話となると、右の耳から出ていって左の耳から入るようだな」

 皮肉まで失言するのは愛嬌というものだ。この先生なら、「きみ、講義を聴くときはちゃんと耳を開いて、目を澄ますものだよ」と注意しかねない。
 ところで、こんな失言を生徒はどんな顔で聞いていたのだろうか。内心のおかしさをこらえながら、クソ真面目な顔で聞いていたのか。それとも、一同、おおいに笑ったのか。
 読者としては、哄笑した、と想像したい。ガレッティ先生、生徒たちの横隔膜のけいれんの発作が過ぎ去るまで、呆然と、もしかすると謹厳な顔で待ち受けたのだ、と。生徒たちからは、森羅万象におよぶその学識に敬意を表されるとともに、奇癖を愛されていたにちがいない。さもなければ、その失言が代々の生徒に語り継がれることはなかっただろうし、没後、グスタフ某によって編集、出版されることもなかったはずだ。
 そこには、教師と生徒とのあいだに、少々のことでは崩れない堅固な師弟関係、あるいは共同体があったのではないか。
 こう想像してこそ、万事こせこせした21世紀からしばし抜けだして、おおらかな時代のおおらかな笑いを共有することができる。 

□池内紀編訳『象は世界最大の昆虫である -ガレッティ先生失言録-』(白水社uブックス、2005)
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【読書余滴】なぜ宮廷から恋歌が追放されたか

2010年03月04日 | エッセイ
 『古今』にせよ『新古今』にせよ、代々の勅撰和歌集と恋とは切ってもきれない関係だった。和歌の根本は恋である。
 これが変質したのは、明治時代にはいってからだ。

 明治天皇は、なにかにつけて歌を詠んだ。毎月歌会があって、その季節ごとの題がでて、くりかえしでもなんでも年中行事的に歌を詠んだ。
 ところが、明治10年、明治維新の元勲たちは天皇に恋歌を禁じた。ヨーロッパから帰ったのちの岩倉具視は、宮廷での百人一首も禁じた。
 かくて、明治の宮廷の歌は、第一、恋歌を省いている(軍国主義的恋愛排斥)。第二、雑の歌の散文性が極端に拡大している(西洋文明的リアリズムの詩の影響)。第三、物事をすべて道学的に把握するという態度がある。

 宮中は、いまでもこうした態度によって歌を詠む。あれはダメ、これもダメ、で題材が限定されているから、詠むのはモラルか、四季である。それ以外は詠めない。
 ちなみに、落としどころを俗流の倫理にもっていくと歌が成立しやすい。日本の文芸評論と同じである。日本の文芸評論には、妻子をなげうっても文芸に尽くすべしという、市民道徳を裏返した、やはり俗流倫理もある。

【参考】大岡信・岡野弘彦・丸谷才一「新聞短歌に恋歌がないのはなぜ?」(丸谷才一ほか『丸谷才一と22人の千年紀ジャーナリズム大合評』、都市出版、2001、所収)
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書評:『アラビアのロレンスを求めて -アラブ・イスラエル紛争前夜を行く-』

2010年03月04日 | ノンフィクション
 映画ファンならば、1963年のアカデミー賞7部門を総なめにした傑作「アラビアのロレンス」を知らない人はいないだろう。中東史に関心をもつ人なら、トルコからのアラブ独立運動に寄与したT・E・ロレンスの事績を耳にしたことがあるにちがいない。英文学の徒なら、奇書『知恵の七柱』を一読した人もいるはずだ。
 「ベドウィン主体のアラブ独立軍を指揮する金髪碧眼の青年考古学者」というのが、ロレンスにまつわるイメージである。

 しかし、これはマスコミがつくりだした伝説だ、と著者はジャブをはなつ。
 英国におけるロレンス伝説は、1919年8月14日、コヴェント・ガーデンで誕生した。産みの親は、米国の従軍記者ローウェル・トマスである。講演会の模様を本書で読むと、血わき肉おどる名調子である。国民的英雄が出現した、とロンドンっ子は沸き立った。この大成功を跳躍台として、トマスは、4年間にわたって英帝国内を巡業した。

 しかし、講演の大半は見てきたようなウソだ、と著者はパンチをくらわせる。
 ロレンスの名を天下に高めたのは、アカバ攻略である。海からの攻撃には難攻不落の要塞だった。ロレンスは、敵が予想していない陸からの攻撃を企画し、指揮して陥落させた、とされている。
 ほんとうのところは、と著者は糺してほぼ次のように言う。「この真の功績はベドウィンの部族長アウダ・アブー=ターイに帰せられるべきだ。ロレンスは、単に戦さに参加しただけであり、戦勝報告と支援要請(アラブ軍は食糧も軍資金も尽きかけていた)のためにシナイ半島を強行突破したことだけが、ロレンスの功績にすぎない。ところが、勝報を聞いた当局は、たった一人加わった英軍人の功績を過大評価して、勲章を授与した。国益に沿ってつくられたロレンス伝説は、カイロではじまったのである」

 とどめのパンチは、強烈である。
 大戦中、英国は相矛盾する外交を行った。サイクス・ピコ協定とバルフォア宣言である。アラブ人とユダヤ人のそれぞれに、別個に、戦後パレスチナを委ねるという約束を結んだのである。
 これは中東紛争の火種としてよく知られた事実だが、著者は白刃をふりかざして断罪する。戦後パレスチナが英国の委任統治下に入った後、最終的に英国が味方に選んだのはシオニストだった、と。そして、ロレンスは幾つかの平和会議で英国の利益になるようふるまった。ロレンスはアラブの友どころか、「シオニズムに理解を示し、アラブ人の土地をとりあげてユダヤ人に与える政策に加担した」のだ。すなわち、時の植民地相ウィンストン・チャーチルとともにアラブ・イスラエル対立の種をまいた張本人である、と。

 かくて、「アラブの友」というロレンス伝説は木端微塵に粉砕された・・・・ことをもって本書の結論としてもよいのだが、事はもう少し複雑であり、その複雑さにも本書はふれる。
 著者は、アラビアにおけるロレンスと「アラビア後のロレンス」とを区別する。
 前者は、第1章「ロレンスの青春」に集中的に描かれ、人間味あふれるロレンスが活写される。座を盛り上げる会話の名手、茶目っ気があって親切で、「人間的情愛」に富んだ魅力ある青年像である。学生時代に徒歩で旅したパレスチナから母へあてた手紙は、「観察には偏見がない」「好感がもてる」。独立運動においても、ロレンスはアラブ人と寝食をともにし、粗食に耐え、厳しい生活をものともしなかった。じかにロレンスに接したアラブ人たちが寄せた尊敬の念、厚い友情は、本書でも幾つか紹介されている。
 しかるに、「アラビア後のロレンス」は、第3章「イギリスのロレンス」以降で論じられているが、ごく薄っぺらな人間像しか伝えない。そういう詰まらない人物が「アラビア後のロレンス」だった、ということなのだろう。だが、有能な冒険家、情味ある人間が「アラビア後」には一挙に平板な人間に堕したのなら、その理由はなにか。仮に著者の指摘するようにロレンスがその行動の結果として英国の利益、ユダヤ人の利益に加担したとしても、ロレンスの願望は別にあった、というのがひとつの解釈である。つまり、組織の一員として、大英帝国の臣民として、本心とは異なる行動をとらざるをえなかった・・・・ロレンス晩年の沈黙は、世間が見るところの自分に内心では納得していなかったことを推定させる。

 著者は、中東現代史家。
 「アラビアのロレンス」である以上、欧米の見方だけではなく、当事者のアラブの目に映るロレンス像が示されないと片手おちだ。この点を糺すべく、本書は、アラブの史家スレイマン・ムーサのロレンス伝に多くを依拠しつつ、アラブ側の視点からロレンス伝説を批判的に洗いなおしている。

□牟田口義郎『アラビアのロレンスを求めて アラブ・イスラエル紛争前夜を行く』(中公新書、1999)
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【読書余滴】寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか

2010年03月03日 | エッセイ
 結論からいうと、寛容は不寛容に対しても寛容であるべきだ、とこのエッセイはいう。

 例証として、まずローマ帝国のキリスト教対策をあげる。
 ローマ帝国は宗教に対して寛容だった。しかし、ローマ社会の寛容を脅かす不寛容なキリスト教に対しては、ローマ帝国の宗教的寛容を保つために迫害した。
 もっとも、後年のキリスト教界の宣伝にもかかわらず、大きな迫害はただ1回あったにすぎない。ローマ帝国内では公的には禁じられていたが、教会はおおっぴらに組織された。

 不寛容は、キリスト教の側にはなはだしかった。中世、16世紀を通じて、苛酷な異端審判や宗教改革をめぐる酸鼻な宗教戦争はおそるべき酷薄さを発揮した。「この酷薄さは、春秋の筆法を借りれば、ローマの誤った不寛容によって鍛えられたものと言えるかもしれない」

 ようやくルネッサンス期に、不寛容を愚劣と考える「噴出孔」があらわれた。
 キリスト教界では、ジャン・カルヴァンの同志セバスチャン・カステリョンである。彼は、1554年、「異端者には教会の内部の制裁は加えられてもいたし方がないが、現世の権力を用いて、逮捕したり死罪にしたりするのはいけない」という「異端の権利」を認知した。
 しかし、カステリョンはカルヴァン派によって、獅子身中の虫と断罪された。

 渡辺一夫は、さらに16世紀後半のフランス宰相ミシェル・ド・ロピタルやその友モンテーニュのケースを詳述するのだが、はしょって、話は一気に現代にとぶ。
 米国の「ロジカ・シュウィンマー事件」(1929年)における最高裁判決で、判事オリバー・ウェンデル・ホームズは次のように書いた(以下、孫引き)。「我々と同じ意見を持っている人のための思想の自由ではなしに、我々の憎む思想のためにも自由を与えることが大事である」

 かくして、冒頭の結論にもどる。
 すなわち、人間の想像力と利害打算を信じるかぎり、寛容は結局不寛容に勝つ。現実には不寛容が厳然と存在するが、我々はそれを激化させないように努力しなければならない。「争うべからざることのために争ったということを後になって悟っても、その間に倒れた犠牲は生きかえってはこない」

 このエッセイの結論は、渡辺一夫が学んだルネッサンス文芸とその時代から導きだしたものだろう。そして、渡辺一夫自身が生きた動乱の時代から読みとったものでもあるだろう。
 ちなみに、このエッセーは、1951年に、朝鮮戦争勃発の翌年に書かれた。

 2003年イラク進攻にあたり、当時の大統領ジョージ・W・ブッシュは「十字軍」と口ばしって、アラブ世界を憤慨させた。ブッシュに寛容の精神はひとカケラもなかったのはたしかである。そして、不寛容はさらなる不寛容を生んだ。

□渡辺一夫『寛容(トレランス)は自らを守るために不寛容(アントレランス)に対して不寛容(アントレラン)になるべきか』(『渡辺一夫著作集第11巻 偶感集(中巻)』、筑摩書房、1970、所収)
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書評:『老人と海』

2010年03月01日 | 小説・戯曲
 メキシコ湾流の流れる海の漁師、サンチャゴ老人は84日間一匹も釣れない日々が続いていた。最初の40日間はマノーリン少年が同行していたが、両親は老人に見切りをつけ、少年を別の舟に乗りこませた。
 不漁85日目の正午の頃、ついに大魚が餌にかかった。老人の舟よりも2フィートは長い。体重は1,500ポンドを超える。老人との闘いがはじまった。一日たったが、マカジキはへばらない。老人の闘いは、自分の肉体の限界との闘いともなった。海へ乗りだしてから三度目の太陽が昇った。ついに仕とめ、舟の脇にくくりつけた。老人は疲労困憊していたが、意気は高かった。あとは家路につくのみ。
 好事魔多し。新たな敵が出現した。苦闘の果てに得た獲物を横からかっさらおうとする盗人、鮫である。「いま、老人の頭は澄みきっていた。全身に決意がみなぎっている。が、希望はほとんど持っていなかった」
 死にもの狂いで防ぐ。銛で一匹屠った。オールに付けたナイフで、また一匹たおした。だが、鮫は次から次に際限もなく、執拗に襲いかかってくる。午後10時頃、ハバナの灯が見えた。老人の手に武器は残っていなかったが、襲撃はまだ続く。夜中を過ぎて、舟は小さな港に着いた。
 翌朝、漁師たちが獲物の残骸をとり巻いて感嘆した。全長18フィートはあったはずだ。
 寝床に横たわる老人に、ふたたび一緒に漁したい、と少年は告げた。老人を愛する少年は、両親を説得する根拠を見つけたのである・・・・。

 日本近海にイワシが減少し、世界的にマグロが絶滅危機に面している。不漁に直面する老人の嘆きは世界各国の漁民の嘆きでもある。ここに本書の普遍性がある。
 しかし、老人の属性を漁師に限定しなくともよい。本書には、固有名詞がほとんど出てこない。主人公も終始老人と呼ばれるのみで、その名サンチャゴは付け足しのように二度ほど記されるにすぎない。老人が住まう土地の名すら、定かではない。主人公の所属が具体的でない反面、その行動は即物的であり、目にあざやかに見えるようだ。ここから、事が漁業にとどまらない広がり、ふくらみ、象徴性が生じる。
 たとえば、老人をヘミングウェイ、マカジキをヘミングウェイの作品、鮫を批評家と見立てる。老人(ヘミングウェイ)が釣り上げた獲物(作品)を、寄ってたかって鮫(批評家)が喰い荒らすのだ。
 あるいは、読者は読者で、自分の体験と照合させることができる。老人に味方しない海、すなわち自分の志に味方しない状況、そこに生じる孤独感と無力感・・・・誰しも人生の一時期にこうした体験があるのではないか。本書を読みながら、雄々しく闘いつづける老人を自分に重ね合わせることもできるだろうし、あるいは闘いたかった思いを老人に仮託することもできる。
 本書は、ある状況を細かく描くことによって別の状況を想起させる、という点で、アルベール・カミュ『ペスト』や大岡昇平『俘虜記』に通じる。

□アーネスト・ヘミングウェイ(福田恆存訳)『老人と海』(新潮文庫、1966、1983改版)
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