語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【沖縄】差別の構造化 ~琉球新報・沖縄タイムス~

2012年11月15日 | 社会
 (1)差別が構造化している場合、通例、差別する者は自らの差別性を認識していない。この現実が端的に表れているのが、MV22オスプレイの沖縄への強行配備だ(10月1日【注1】)。
 <日米安全保障条約で、米軍が配備する機種にまで注文をつけられないというのが政権の立場だ。この日の普天間着陸も止める手立てはなかった。防衛相留任が固まっていた森本氏は1日午前、「当初米国が考えていた通りの予定を実行した」と記者団に語った。/防衛省には、オスプレイ配備への反発が普天間を名護市辺野古に移す日米合意の環境整備につながるとの見方もある。森本氏は移設の前提となる国の環境影響評価(アセスメント)を年内にも終える方針。幹部は「大臣は移設のため来年1月にも知事への埋め立て申請を考えている」と語る。/首相は内閣改造にあたり森本氏に「オスプレイを含め普天間問題を前に進めるように」と指示。改造を発表する記者会見の冒頭発言でオスプレイに触れ、「普天間飛行場の一日も早い移設・返還を始め、沖縄の負担軽減や振興に一層力を入れていく」と強調。県が望む那覇空港第2滑走路建設などを念頭に、「アメ」をちらつかせた>【注2】

 (2)(1)で引用した森本防衛相や防衛官僚の考えは、沖縄に地する構造的差別を体現した発想だ。このような差別的言説に批判的コメントをつけずに報道する朝日新聞の報道姿勢も差別の構造に組み込まれている。

 (3)10月16日、沖縄県で、米兵2人による集団強かん致傷事件が発生した。沖縄県民は、事件の悪質性に加え、東京の政治エリート(国会議員・官僚)の不誠実な態度に激高している。その不誠実さの象徴になっているのが、森本敏・防衛相の「事故」発言だ【注3】。
 10月22日付け「琉球新報」社説【注4】に沖縄の民意が端的に示されている。
  (a)この傷事件を森本防衛相は繰り返し「事故」と表現している。これが国民を守るべき立場の閣僚の人権感覚か。妄言だ。
  (b)通りすがりの女性を路上で暴行した行為は容疑通りなら、凶悪犯罪だ。蛮行を「事故」と矮小化し表現することで被害女性をさらに傷つけ、苦しめている。女性全体を侮辱する発言だ。り断じて許せない。
  (c)防衛相は、記者団から事件の受け止め方を聞かれ、「非常に深刻で重大な『事故』だ」と発言した。二度、三度繰り返しており、吉良州司・外務副大臣も同様に使っている。米軍基地内外で相次ぐ性犯罪を米政府は深刻に受け止めている。これに比べ日本側の対応は浅はかだ。
  (d)防衛相は、仲井真弘多知事の抗議に対し「たまたま外から出張してきた米兵が起こす」と発言した。しかし、在沖米軍の大半を占める海兵隊は6ヵ月ごとに入れ替わる。移動は常態化しており、「たまたま外から出張してきた」との説明は言い訳にすぎない。そのような理屈が成り立つなら「ローテーションで移動してきたばかりで沖縄の事情を知らない兵士がたまたま事故を起こした」と、いくらでも正当化できよう。防衛相は詭弁を弄するのではなく、無責任な発言を直ちに撤回すべきだ。
  (e)政府に警告する。米兵犯罪が後を絶たないため、仲井真知事をはじめ多くの県民が、「諸悪の根源」は米軍の特権を認め占領者意識を助長している日米地位協定にある、との認識を一段と深めている。
  (f)県民からすれば凶悪犯罪を「事故」と認識する不見識な大臣、副大臣を抱えたことこそ「事故」だ。米兵犯罪や基地問題と真剣に向き合えない政務三役は、政権中枢にいる資格はない。日米関係を再構築する上でも害悪だ。

 (4)しかし、森本防衛相、野田佳彦・首相、玄葉光一郎・外相を含む現政権幹部の大多数は事態の深刻さを理解していない。

 (5)さらに、11月2日未明、酒に酔った米兵が住居に侵入し、中学生を殴る障害事件が発生した。米兵は、米軍の病院に収容されているため、日本の管轄外にある。同2日の記者会見で藤村修・官房長官は、「起訴前の身柄引き渡しを要請する必要はないと考える」と述べた。日米地位協定に関し、外務官僚ができる限り米国に有利な解釈をしようと腐心している。その流れを藤村官房長官が追認している。
 11月3日付け「沖縄タイムス」社説【注5】は次のようにいうが、その通りだ。
  (a)容疑が固まり次第、日本側は、早急な身柄引き渡しを米側に要求すべきである。
  (b)地位協定や同協定の運用に関する「密約」によって、米兵には、さまざまな特権が与えられている。基地に逃げ込んだら日本の警察は被疑者を逮捕することができない。公務中の犯罪に対しては裁判権を行使することもできない。そうしたことが、米兵の「逃げ得意識」や「占領者意識」を生み、事件を誘発してはいないか。
  (c)オスプレイ配備と辺野古移設に関して政府は、いかなる意味でも地元の合意を得ていない。その上、2米兵による暴行事件や民家への未明の侵入事件が起きているのである。沖縄では「歩く凶器に飛ぶ凶器」という言葉さえ使われるようになった。
  (d)沖縄県民の生命・財産、人権が日常的に脅かされている現実を放置して安全保障を語ることは許されない。

 (6)客観的に見て、日本政府は、沖縄県民を2級市民と見なしている。日本の陸地面積のわずか0.6%を占めるに過ぎない沖縄県に在日米軍基地の74%が所在している。これは構造的差別そのものだ。このような差別政策が米兵による犯罪を含む加重負担を沖縄県民にもたらしている。

 【注1】同日、第三次野田佳彦改造内閣発足。
 【注2】記事「野田政権、米軍に口挟めず 沖縄に「アメ」ちらつかせる」(朝日新聞デジタル記事2012年10月2日03時00分)
 【注3】「【沖縄】米兵犯罪を「事故」扱いする大臣発言 ~本土マスコミの退廃~
 【注4】社説「防衛相「事故」発言 人権感覚を欠く妄言」(琉球新報 2012年10月22日)
 【注5】社説「米兵住居侵入傷害]やりたい放題を許すな」(沖縄タイムス 2012年11月3日 10時21分)

 以上、佐藤優「オスプレイ強行配備撤回の是非問う県民投票の重要性 ~佐藤優の飛耳長目 第77回~」(「週刊金曜日」2012年10月12日号)および佐藤優「米兵の集団強かん事件機に主権回復に向かう沖縄 ~佐藤優の飛耳長目 第78回~」(「週刊金曜日」2012年11月9日号)に拠る。

 【参考】
【沖縄】に対する構造的差別 ~オスプレイ問題~
【沖縄】の青い空は誰のものか ~オスプレイ問題~
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【沖縄】米兵犯罪を「事故」扱いする大臣発言 ~本土マスコミの退廃~

2012年11月14日 | 社会
 (1)沖縄における米軍兵士による女性暴行事件に対して、森本敏・防衛大臣は「事故」という表現を繰り返した。
 極めつきは、事件の直後に直接の抗議を行った仲井眞弘多・沖縄県知事に対する弁明の場で、この言葉を使ったことだ。
 さらに、吉良州司・外務副大臣も「事故」と言い続けた。
 沖縄県民の怒りが、米国政府・米軍にへつらい続けている防衛・外務当局に向けられていることを、まるで自覚できていないからだ。

 (2)これが抗議する側の感情を逆なでする暴言だと気付いていない点では、「本土」のマスコミも同様だった。
 沖縄に対する差別構造を支える側の一員だ、という自覚があったら、差別を隠蔽する発言であることに気付いたはずだ。
 「言葉が命」の報道の世界で、言葉の重みを軽視する退廃が進みつつあるかのようだ。

 (3)「暴言」の垂れ流しに耐えかねた沖縄では、
  (a)「琉球新報」が、「人権感覚を欠く妄言」と指摘した(10月22日付け社説【注1】)。<県民からすれば凶悪犯罪を「事故」と認識する不見識な大臣、副大臣を抱えたことこそ「事故」だ>
  (b)10月22日、与田兼稔・沖縄県副知事は、首相の指示で来県した斉藤勁・官房副長官に対し、この点を強く批判した。<問題意識が相当欠如しているのではないか>・・・・この厳しい指摘の様子を地元紙は詳しく報じている。

 (4)(3)の指摘に対し、森本大臣は、<誤解を受けたというのであれば、ことばの使い方が適当ではなかった>と10月23日に釈明した。
 「誤解を与えた」ではなく、「誤解を受けた」と言うのだ。自分は騒ぎの被害者という位置づけだ。どこまでも無責任な姿勢が、言葉を厳密に点検することで読み取れる。

 (5)これら、言葉を弄び、沖縄差別に新たな歴史を刻んだ事実を「本土」のマスコミはほぼ黙殺した。
 佐藤優が取り上げた程度だ(10月31日付け「毎日新聞」朝刊)【注2】。

 (6)「事故」発言が問題にされていたのと同じ時、仲井眞知事は米国政府の幹部と面談して、直接、抗議していた。
 その様子を全国紙も23日夕刊で伝えたが、通り一遍のものだった。
 だが、「北海道新聞」は違った。夕刊一面の左上準トップ扱いで、同紙のワシントン特派員による記事を掲載した(見出し「沖縄県知事 米高官に抗議 県民は石投げたことない」)。
 非暴力の原則を維持しながら、抵抗を続けられることほど、権力者にとって恐ろしいものはない。その抵抗の正当性と、世界的な支援の可能性の前に、横暴な権力者は立ち尽くすしかない(歴史の教訓)。

 (7)沖縄の地元紙は、すかず24日付けの紙面で、この発言にくり返し言及した。
 内国植民地の歴史を共有する地域紙と全国紙では、「言葉」へのこだわりに大きな差がある。
 写真の誤用を含め、このところ誤報事件が相次いでいる報道の世界に、「言葉狩り」とは逆の「言葉」へのこだわりを求めたい。

 【注1】社説「防衛相「事故」発言 人権感覚を欠く妄言」(琉球新報 2012年10月22日)
 【注2】「覚え書:「異論反論 沖縄で米兵による性暴力事件が起きました=佐藤優」、『毎日新聞』2012年10月31日(水)付。+α」(Essais d'hermeneutique)

 以上、高嶋伸欣(琉球大学教授)「米兵犯罪を「事故」扱い 大臣発言に無頓着な本土マスコミの退廃」(「週刊金曜日」2012年11月9日号)に拠る。
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【原発】今なお続く犠牲 女性・子どもへの影響 ~チェルノブイリからの警告(2)~

2012年11月13日 | 震災・原発事故
 (1)チェルノブイリにごく近いプリピャチ市には、原発労働者とその家族1万人が住んでいた。今、ゴーストタウンになっている。放射能汚染がひどい。
 廃村になった住民たちは、ウクライナ各地に強制移住させられた。
 プリピャチからコバリン村(キエフから南東70kmにある非汚染地)へ移住したのは270世帯、530人。土地は350平米で、家は120平米。家族構成により、追加もある。【ステバンチュー・バレンチーナ村長】
 村の墓地の墓石には、1946~96年などと書かれてあり、短命な人が多い。

 (2)原発から西35kmにあるノーブイミール村民1,000人も、1992年、全員がコバリン村へ移住させられた。
 国の負担でつくられた移住者用住宅は10種類程度あり、家族の人数によって広さが違う。土地や住宅は元のものに近い、と住民はいう。

 (3)ミハエル(73歳)&ガリーナ(61歳)・コワルチュク夫妻もコバリン村への移住者だ。住んでいた場所は当初は避難区域に指定されず、6年後に基準が変わって村ごと突然移住命令を受けた。今、二人とも年金生活で、家は100平米3部屋、400平米の畑がある。
 ガリーナは事故直後に甲状腺の手術を受け、ミハエルは1994年に心筋梗塞の発作を起こした。孫の男の子は甲状腺腫、女の子にも同じ問題がある。
 移住後、もとから住んでいた村人から「チェルノブイリ人だ、放射能がうつる」と言われ、辛い思いをした。今もそういう差別と対立がある。集団農場や地区の指導者たちは歓迎したが、村人は態度がよくなかった。「これはわれわれの土だ、川だ、魚だ」とよく言われた。

 (4)26年後、福島の人々の苦闘は続いている。いや、悲劇は26年で終わらずに果てしなく続く。想像力が欠如した人にはその重さが理解できない。しかし、そうした人々に任せておけば、未来が破壊される。【小出裕章・京都大学原子炉実験所助教】
 
 (5)子どもの癌が多い。ウクライナ国立癌センターには小児病棟が40床あり、毎年250人の子どもが入院する。生存率は55%だ。
 チェルノブイリとの関連や遺伝については答え辛い。調査がないソ連時代の1990年代初頭からデータを集積している。多くは骨の癌だ。【グリゴーリー・グリムシク・国立癌センター医師】
 汚染地域のプリピャチと非汚染地域のキエフで事故当時に妊婦だった女性の子どもを長期にわたって追い、内部被曝の影響を比較しているが、妊娠1~3週間の被曝は死につながる。4~8週では脳に障害を起こす。知的障害、てんかん、統合失調症などが、キエフよりプリピャチの子どものほうにかなり多い。特に左脳への影響が大きい。【コスチャンチン・ロガノフスキー・ウクライナ国立医学アカデミー放射線医学研究センター教授】
 ビグニ村(原発から120km)のナタリア・オスタボビッチ(26歳)は、7歳から甲状腺に異常があり、腎臓が悪く、慢性扁桃腺炎に苦しんでいる。彼女の弟アレクサンドルは、2011年6月に骨癌に罹り、20歳で死亡した。彼女の友人や知り合いにも体の異常が多く、亡くなった人も多い。
 
 (6)ピシャニッツア村(原発から80km)では、事故後に健康でない子どもが急増した。自分も事故当時、原発から60kmの村にいて、移住後、体調が悪い。【スレピャンチェク校長】
 ウクライナ政府の報告書では、「健康な子どもは6%」としている。

 (7)汚染地域のモジャリ村と非汚染地域のコバリン村で子どもがふだん食べている食品を地元の保健所などでセシウム137を検査した。
 モジャリ村では、ライ麦、ポテト、牛乳、チーズからも検出されたが、コバリン村ではキノコからしか検出されなかった。モジャリ村のキノコは、コバリン村のキノコの2倍近い値だった。
 両地域の空間線量は違いがないので、健康障害の原因は食品から摂取する内部被曝しか考えられない。ウクライナでは、森のキノコやベリー類をとって加工し、貯蔵して食べる。あまり細胞分裂しない脳、心臓、腎臓、神経、筋肉の遺伝子が放射線で傷つくと、うまく機能しなくなるか、細胞死を起こす。低レベルの内部被曝で臓器に異常が起き、神経に障害が起きると考えられる。【小若順一・「食品と暮らしの安全基金」代表】 

 (8)国際原子力機関(IAEA)は、安全対策を怠り、ウクライナで起きている健康被害のデータを発表させない。米国主導のIAEAに代わる新組織をつくるべきだ。【ユーリー・アンドレーエフ・ウクライナ・チェルノブイリ連盟代表】
 子どもが放射能汚染度の高い地域に住んでもよい、と言っている日本の御用学者や医者は犯罪者だ。IAEAは、山下俊一・福島県立医科大学副学長らを動員し、福島原発事故の被害を小さく見せてきた。IAEAは、原子力産業を振興するための機関だから、情報を隠蔽する。チェルノブイリ事故が起こった時の状態も秘密にしてきた。【広河隆一・「デイズ・ジャパン」編集長】

 以上、浅野健一(同志社大学大学院教授)「今なお犠牲続く 女性、子どもへの影響 ~チェルノブイリからの警告(下)~」(「週刊金曜日」2012年11月9日号)に拠る。

 【参考】
【原発】今も廃炉作業に7,000人 ~チェルノブイリからの警告(1)~
第3回ウクライナ調査報告(2012年9月24日~10月4日)
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【原発】今も廃炉作業に7,000人 ~チェルノブイリからの警告(1)~

2012年11月12日 | 震災・原発事故
 (1)チェルノブイリ原発4号機の事故により、ソ連発表だけでも33人が死亡した。うち1人の技術者は、落下物の下敷きになったまま、今も遺体を収容できていない。
 原発から30km圏内は立ち入り禁止区域となり、200の村から13万人が強制移住させられた。

 (2)現在も、チェルノブイリ原発では、運転員ら3,100人が廃炉作業に取り組む。ほかにも、日本を含む先進国から5億5,000万ユーロ(566億5,000万円)の支援を受け、老朽化した石棺を作り直し、新シェルターを建設中だ(2015年完成予定)。
 30km圏内では、4,000人の関係者らがガレキ処理などの作業をしている。(1)と合わせて計7,100人が働いている。

 (3)2号機も、4号機の事故の影響を受けて、全電源を喪失し、制御板すべての赤いランプが点灯、危機に陥った。かろうじて爆発は免れた。その後、1991年に起きたタービン室火災で原子炉が停止、現在は建屋の中でタービンの解体・撤去作業が行われている。
 制御室の運転員は5人シフト制だ。仕事は、原子炉制御ではなく、冷却プールの水位や温度のコントロールだ。これが、今後も何十年も続く。

 (4)原子炉には今でも近づけない。4号機の中にある1,700本以上の燃料棒は1つも取り出せていない。取り出すまで、今後30~50年以上かかる。ウラン溶液の酸化物など、放射性廃棄物も大量に残っている。新シェルターも100年後には作り直さねばならない。【チェルノブイリ原発事故資料室(今年4月開設)広報担当者】
 原発建屋付近の空間線量はすさまじい。2号機の廊下の窓際で2.94μSv/時、制御室の中で1.25μSv/時、資料室の中は0.5μSv/時。そして、4号機の石棺前見学場所では、事故から26年半経っても、15.45μSv/時だ。
 測定された線量は急性死するような線量率ではない。ただし、日本の法令では0.6μSv/時以上は放射線管理区域にしなければならない。【小出裕章・京都大学原子炉実験所助教】

 (5)ウクライナ・チェルノブイリ連盟は、原発事故処理に関わった人で組織されている。
 ユーリー・アンドレーエフ同連盟代表は、1986年4月26日午前1時23分に事故が起きた当時、家で寝ていた。妻が市場から聞きこんだ原発爆発の噂を信じなかった。その後、職場に向かうと、原子炉の断面は70度傾き、フタも傾いた状態だった。放射能が漏出しているのがわかった。家族が心配になり、怖くなったが、彼のような専門家に代わりはいない。死か、逃亡して刑務所に入るかの選択肢しかなかった。
 前者を選んだ彼は、2号機の停止作業に入った。<制御板は、150ヵ所同時に非常事態を示すランプが点灯した。停電で真っ暗のとき、警報音も鳴り、本当のホラーだった>
 やがて脳卒中などを患い、何度も生死の境を彷徨った。
 福島第一原発事故の翌日、同連盟はキエフの日本大使館に対し、事故処理の支援を提案したが、断られた。日本政府は事故の規模を隠蔽している。日本は旧ソ連と違って自由と民主主義の国なのに、なぜそういうことが起きるのか。【アンドレーエフ代表】

 (6)ソ連政府は、事故から1週間後以降、外国人を含む内外のジャーナリストら数百人を事故現場に入れた。
 ヴァリーリー・マカレンコ(当時ウクライナ・テレビ)は、空軍の知己に頼み込んでヘリコプターに乗せてもらい、5月12日午前6時に原発真上から撮影した【注】。党も政府中央も配信を拒否しなかった。原発事故の悲惨さを始めて伝えたこの映像は、今でもテレビやドキュメンタリーで使用されている。
 KGBが強い権力を持っていた時代で、事故に関する情報もすべて統制していたから、よく撮れたものだ。【マカレンコ】
 チェルノブイリもフクシマも同じボートに乗っている。地球の中のきょうだいだ。【マカレンコ】

 【注】日本の場合は、例えば、
【原発】テレビは何をしなかったか ~原発事故報道~
【震災】原発報道>古賀茂明の、新聞やテレビより週刊誌のほうがマシ

 以上、浅野健一(同志社大学大学院教授)「今も廃炉作業に7000人以上を投入 ~チェルノブイリからの警告(上)~」(「週刊金曜日」2012年11月2日号)に拠る。
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【新聞】ナベツネの違法行為 ~報道機関の私物化~

2012年11月11日 | 社会
 (1)読売新聞といえば、3・11後も原発推進のため頑固に論陣を張るマスメディア。
 そのトップに君臨するのが、ナベツネこと渡邉恒雄・株式会社読売新聞グループ本社代表取締役会長/主筆。
 ナベツネが右と言えば社内はいっせいに右へ傾き、左と言えば左に傾くらしい。

 (2)2004年5月30日、ナベツネは78歳の誕生日を迎えた。その1ヵ月前の4月30日から誕生日まで間に、事件が発生した。
 ナベツネが運転免許更新のために必要な高齢者講習【注】を受講せずに済ませるよう、読売新聞幹部が警視庁に依頼したのだ。
 警視庁公安部を駆け巡ったこの情報は、同年6月に「週刊文春」誌の知るところとなった。
 事実とすれば、重大だ。(a)道路交通法違反である。(b)権力監視(報道機関の最も重要な役割)とは対極にある便宜供与を要求している。
 しかし、警視庁幹部が完全否定したため、記事にはならなかった。

 (3)ところが、(2)から8年後の今年、山腰高士・読売新聞警視庁記者クラブキャップ(当時。現・読売新聞東京本社秘書部長)の「日記」を「週刊文春」誌は入手した。
 2004年5月7日・・・・<ナベツネは予定より15分も早い12:45に到着><講習。と言っても、視力検査だけ><所要10分。帰りに車に乗り込む際、主筆から「キャップ」と一言。巨人戦チケットもらう。結局、13:00で全て終了。大久保さんの携帯に「すべて終わった」と電話>
 このほか、「日記」には、山腰キャップが日々会った人物や仕事内容、記者クラブとして出稿した記事、警察幹部との記事をめぐるやり取り、上司に対する愚痴、部下への不満、家族とのプライベートなことや記事の情報源まで書かれている。
 「週刊文春」誌は、日記に登場する出来事、人物に関する徹底的な裏付け作業を行った。その結果、確認できうる事実関係に矛盾はなく、登場する読売新聞、関係会社の人物約90名の在籍や役職などはすべて事実であることを確認できた。

 (4)実は、(2)の前回の2001年、警視庁某キャリアの計らいで、港区三田の教習所で講習を受けたことにして(実際には講習を受けずに)教習所から終了証明書の発行を受け、免許を更新していた(道交法違反)。
 ナベツネは、2004年も前回と同様の便宜供与を期待していた。
 しかし、2002年6月の法改正により、危険・悪質ドライバーに対する罰則強化が図られていた。警視庁では、「例え大臣であろうと、講習時間だけは譲れない」というルールができあがっていた。
 だが、中井一平・本社広報部長(当時。現・読売新聞東京本社常務取締役総務局長)は諦めなかった。山腰「日記」の4月16日には、大久保前キャップとの打ち合わせが記載されている。<やらない方がいいというのは2人とも一致。しかし、「中井さんは、できなければ飛ばされると考えている」と大久保氏>
 4月26日、中井広報部長と山腰キャップはB自動車教習所(日記中実名)を訪れ、C社長(日記中実名)、D所長(日記中実名)と交渉。講習を受けずに済ませようとしたが、教習所は渋り、講習時間短縮で手打ちとなった(これも道交法違反に当たる)。
 なぜ、B自動車教習所はそんな法律違反を認めたのか。4日前、4月22日、山腰キャップは石田高久・交通総務課長(当時。現・警視庁生活安全部長)と1対1で会ったところ、<「総監に報告した。できる限りのことはやってやれ」と言われた」と>。総監とは、奥村万寿雄・警視総監(当時。現・全日本交通安全協会理事長)のこと。「警察が後で調べない」というお墨付きを得て、C社長は了解した。
 C社長は「週刊文春」誌に、ナベツネが規定の3時間講習を受けてない(したがって実技も省いた)ことを認めている。

 【注】道路交通法改正により、1998年から、75歳以上の高齢者に義務づけられた講習。運転免許更新の際、受講して「高齢者講習終了証明書」の交付を受けて始めて免許が更新される。
 2002年の法改正で、対象者の範囲が70歳以上に拡大された。
 2004年当時、①座学による講義、②シミュレータによる危険予測などの反応検査、③自動車等の運転実習を各1時間ずつ、計3時間の受講が義務づけられていた。
 <偽りその他不正の手段により免許証又は国外運転免許証の交付を受けた者>に対しては<1年以下の懲役又は30万円以下の罰金に処する(道交法第117条)。

 以上、記事「ナベツネの違法行為を暴露する読売現秘書部長「爆弾日記」公開!」(「週刊文春」2012年11月15日号)に拠る。
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【原発】「脱原発」は今もっとも効果の大きい経済政策(2)

2012年11月10日 | 震災・原発事故
 (承前)

 (5)安い電気料金で得をしていたのはエネルギー集約型産業
  (a)再生可能エネルギーによる電気料金上昇の影響は、実際には各製品で一律でないから、産業構造を変える効果もある。
  (b)これまでは家庭向けより安い事業所向けの電気料金の恩恵を特に受けてきたのはエネルギー集約型産業(<例>素材型産業)だ。反面、エネルギー節約型産業(<例>サービス産業)は損だった。
  (c)今後は、電気をたくさん使う産業は、電気を使わない産業に比べて電気料金上昇の影響が大きい。相対的に、電気集約型産業は不利に、電気節約型産業は有利になる。前者は、これまで優遇されて大きくなってきたので、声も大きい。だから、自分の所だけが大変なのに、日本経済全体の問題だと騒ぐ。

 (6)再生可能エネルギーに転換した場合、平均的な日本企業にとって、どのぐらい費用負担になるか。仮に、電気料金が現在の1.5倍になったらどうか。
  (a)驚くべし、わずか075%程度のコスト上昇なのだ。
  (b)075%の根拠は、電力10社合計で電力事業用売上は年間7.5兆円。これが1.5倍になると、3兆円から4兆円のコスト増だ。日本のGDPは500兆円。よって、コスト増部分を500兆円で割れば、たったの0.75%にしかならない。
  (c)0.75%を為替変動で見ると、1ドル=80円として、0.75%円高になると1ドル=79円40銭になる。この程度の為替変動は日常茶飯事だ。「これでは世界に負けるから海外移転だ」と騒ぐのは、騒ぎすぎだ。
  (d)要するに、電気料金が上がると日本経済の危機だ、と騒ぐのは、これまで安い電気料金で優遇されてきた重厚長大な産業が、実は自分たちのために騒いでいるだけで、日本全体の経済のことなぞ、ちっとも考えていない。
  (e)再生可能エネルギーは世界的に有望な戦略産業だ。温室ガス効果のことを考えても、どんどん再生可能エネルギーに転換したほうがよい。省エネルギー産業も同じで、これからどんどん伸びる。
  (f)にもかからず、重厚長大な産業は旧態依然としたエネルギー集約産業の既得権を守ろうとしている。原子力ムラと同じだ。自分をサラブレッドと思い込んでいるのだ。

 (7)逆の動きも起こっている。日本企業はしたたかなのだ。
  (a)これからのR&D(研究開発)投資の品目でトップにきているのは、やはり蓄電池であったり、新しいエネルギー関連の開発だったりする。ちゃんと一方では、それは儲かるな、じゃあやろう、と既に動きだしている。<例>食器産業はそうした転換をしてセミラック産業になっている。
  (b)排ガス規制が持ち上がったとき、結果的にハイブリッドという非常に高度な技術が開発された。未来志向への転換例だ。技術者に新たな雇用機会を与えた。次は、電気自動車、という展開になっている。
 
 (8)再生可能エネルギーには地域という要素もある。
  (a)電源三法は、地域にも金が使われるが、かなりの部分が都会の企業に回ってしまう。
  (b)再生可能エネルギーは、原発と違って小規模だ。しかも分散型だ。広くいろんなところにお金が回る。電気の場合、電線で送る際の送電ロスが非常に大きい。だから、電気をローカルに作って、できるだけ近所に供給するようにすれば、効率が上がる。こう考えると、再生可能エネルギーは生鮮野菜みたいで、農業に非常に近い。農協あたりにやってもらうと、いいかもしれない。

 (9)高い化石燃料を買う、とは、輸入を増やして、日本の購買力をこれまで以上に海外に渡す、ということだ。実は、それが日本製品の需要創出になる。
  (a)日本は、これまで輸出振興ばかりやってきた。企業向けの電気料金が家庭向けより安かったのは、輸出産業をサポートし、輸出を奨励していたからだ。どんどん外貨を稼ぎ、貯めこみ、経常収支が黒字になり、そして円高になった。天然ガスを輸入して経常収支を悪化させるような消費を始めれば、円安に動く。輸出産業には有利になる。
  (b)今の日本は、生産力より物を買わないで我慢する「ケチ力」のせいで、経常収支を黒字にして、結果として円高にして、競争力を失い、自分のクビを絞めている。
  (c)経常収支が悪化したら、円安になって、競争力を回復する。
  (d)なぜ(c)のように考えないかというと、無意識に完全雇用の状況が頭を離れないからだ。完全雇用で労働力が足りない。その上で高いコストを外国に払うとなると、日本製品をこれまでよりも多く外国に渡さなければならない。すると、自分が食べられる分が減ってしまう。これが日常の皮膚感覚になっている。
  (e)ところが、労働力が余っている状況なら、日本で作ったものを外国に余分に渡さなければならないとなったら、その余った労働力を働かせて払うことになる。それなら、なんにも本体は傷つかない。かつ、全般的な雇用状況はよくなる。だから、デフレも軽減されるし、働けないという不安も減るし、消費意欲も膨らむ。すると、雇用はもっと増える。

 (10)「脱原発」は、期間をきっちり設定し、10年計画、20年計画という形で明確な経済政策としてやると、それがすごい産業政策になる。
  (a)期限を曖昧にしておくと、旧態依然の産業はごねる。本気でやれない。期限を区切って目標値を設定し、ごねる余地をなくすことが大切だ。
 10年後、20年後のスケジュールを明確に示せば、十分に新規投資する時間的余裕がある。そうなれば彼らも本気で投資するだろう。これがすごく大事だ。
  (b)雇用創出を試算したら、毎年50~60万人も生まれる。こんなに雇用が生まれたら、日本の景気は相当変わる。その分コストが上がっても、それは負担ではない。新たな産業を作って、経済を活発化させえるための資金だ。
  (c)問題は、旧態依然の企業が大問題だ、と騒ぐ場合で、政府はこれを説得しなければならない。経済的問題ではなく、政治的問題だ。
 それを乗り越えれば、日本の経済はどんどんよくなる。オイル・ショックも、環境問題でも、技術的な危機はこれまでもちゃんと乗り越えてきたのだから、これくらい平気だ。

 以上、小野善康(大阪大学フェロー)「「脱原発」は今もっとも効果の大きい経済政策である」(「SIGHT」2012年秋号)に拠る。

 【参考】
【原発】「脱原発」は今もっとも効果の大きい経済政策(1)
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【原発】「脱原発」は今もっとも効果の大きい経済政策(1)

2012年11月09日 | 震災・原発事故
 (1)はじめに
  (a)「脱原発」すると化石燃料をたくさん輸入する羽目になって企業が国際競争力を失う。だから原発を再稼働させよ。・・・・と「脱原発」批判者は、そう批判する。
  (b)「脱原発」批判者を教唆扇動するように、2030年に原発をゼロにした場合にはGDPが2.3~15.3兆円減少する、という試算を経産省は発表している。
  (c)しかし、これはマクロ経済学を知らない者の言い分だ。・・・・とマクロ経済学者は「脱原発」批判者を批判する。少なくとも小野善康・大阪大学フェローは、再生可能エネルギーという形で新しい産業を立ち上げることで、大きな景気浮揚策になる、という。

 (2)「脱原発」の経済的効果
  (a)「脱原発」は対立項を生む。自然エネルギーは安全だが、経済効率は悪い。そこで日本人は、①安心な生活をとって少々我慢するか、②経済優先で安全を犠牲にするか・・・・の2派に分かれている。
  (b)だが、(a)は前提が間違っている。自然エネルギーは日本経済にとっていいものなのだ。
  (c)マクロ経済で見ると、再生可能エネルギー導入の本当のコストは、必ずしもかかったお金ではない。日本全体で本当の意味でのコストは、それをやった場合に他の既存の経済活動を邪魔する分だ。
  <例>今まで物を100個生産していたとして、新しいことをやるには20個分の生産力を新事業に回さなければならない場合、その20個分がコストだ。20個分に見合う額を払わなければ、そこで働いていた人を新事業に引っ張ってこれない。だからこそ、かかった金額がコストだと言える。
  しかし、この論理が成立するには、20個分の労働力を再生可能エネルギー事業に回せば、その分他で生産が落ちること(生産能力が余っていないこと)が前提だ。ところが、現実の日本はずっと不況で、人も生産能力も余っている。その余っている生産能力を使えばいい。それなら既存の生産を犠牲にしないですむから、負担はゼロだ。
  (d)要するに、失業者の存在、巨大な無駄の存在がカギだ。失業保険の支払い、社会保障によるケアを含め、社会全体でコストを支払っている。それに対してなにがしかの生産行為を提供するのは(何か役立つことに使えば)、必ずプラスになる。その生産行為が未来的な産業であればあるほど、いいに決まっている。

 (3)電気代の上昇は必ずしも負担ではない。
  (a)5円値上がりすれば、それは負担・・・・と考えがちだが、そう単純ではない。その5円は誰かが受け取っている。だから、払ったからといって、日本経済が貧しくなるわけではない。
  (b)では何が起こるか。仮に、すべての製品に一律に電気コストがかかったとする。その一律値上がり分を価格に上乗せしたら、日本全体の物価が一定率で上がったのと同じだ。日本国内の全製品の相対的な価格は変わらないから、それらの相対的な売上げ比率も変わらない。だから、お金の実質的な量が減ったのと同じだ。
  <例>10兆円あって、全製品の値段が倍になったら、値段が変わらないで、お金の量が半分の5兆円になるのと一緒だ。だから、物価の問題は、お金の総量が変わるのと同じだ。
  (c)1990年代から、この20年間で、日本のお金の量は40兆円から110兆円まで増えたり減ったりしている。にもかかわらず、GDPは横ばいのままだ。お金の量が増減しても、みな物を買う量は変えていない。お金の量が多少前後しても、日本経済への影響はほとんどない。だから、エネルギーコスト分物価が上がっても、経済活動は変わらないはずだ。各製品の相対的価格が変わらないなら相対的な需要も同じだ。
  (d)1980年代以前には、お金が増えればGDPも比例して上がっていた。だから、反対にお金が減ったら、経済は収斂するはずだ、という昔の感覚が今でも残っているから、エネルギーコスト負担で値段が上がったら景気が悪くなる、と言うのだ。

 (4)物価が上がっても生活は苦しくならない。
  (a)物価が上がったら生活は苦しくなる、という気分になるが、それでも、みな買う量を変えていない。そういうことで消費が減るなら、逆にお金の量を増やせば、みなの気分が上がって、どんどん需要を増やして景気がよくなるはずだ。日銀が紙幣をどんどん発行すればいい。しかし、そうしても全然効果がないということが過去20年間で証明されてしまった。だから、お金が問題ではない。
  (b)経済の効率がよいか悪いかを判断する指標は、唯一その国の生産活動レベルだけだ。生産力を使っていないのだから、今は非効率だ。もっと使えるのだから、使おう。そうすれば日本人は幸せになれる。
  (c)ところが、みなお金のことばかり考えていて、本来重要な生産活動そのものをおろそかにしている。本末転倒だ。だから不況が続いている。
  (d)一般の家計で、収入は変わらないで物価が上がれば大変だと思う。それで物を買わなくなれば大変だ。しかし、そうなってはいない。作っては渡している量は減っていないから、生活水準は変わっていない。物価が上がって困った、というのは、結局、お金という何の役にも立たない虚構の紙をありがたがっている。守銭奴的気持ちのだけの問題だ。それが長期不況の原因だ。
  (e)景気のよかった1960年代から1980年代は、物価が上がっていったのに、困った、とは言わなかった。お金を持つよりも物が欲しかった。物をどんどん買って、雇用も経済活動も拡大していった。それで生活水準も上がり続けた。
  (f)要するに、エネルギーコストが上がるぐらいの変化は、我々の生活コストを抜本的に変えるものではない。むしろ、新しい産業を生むことが重要だ。これまで消費していた量は変わらないから生活の質は変わらず、それに加えて安全なエネルギーが入手できる。下がるのはお金の実質的な量だが、それはただの紙にすぎない。経済活動自体は再生可能エネルギーの分だけ増えて、雇用も拡大する。その規模は数十万人だ。今、日本全体で失業者が300万人以上いるが、50~60万人の雇用が生まれると、経済状況はがらりと変わる。雇用が増えて人余りがなくなれば、賃金も下がらなくなり、デフレが鈍化する。仕事に就くことが容易になって、安心感が広がる。この両方の効果で、物への購買意欲が膨らむ。だから、経済活動はますます活発になる。
  (g)そんな波及効果を考えなくても、これだけ人余りの状況で再生可能エネルギーをやれば、他の生産から人手を奪わないで、再生可能エネルギーを入手できる。それだけでも十分だ。

 (続く)

 以上、小野善康(大阪大学フェロー)「「脱原発」は今もっとも効果の大きい経済政策である」(「SIGHT」2012年秋号)に拠る。
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【原発】値上げした電気代のうち千億円が原子力ムラに

2012年11月08日 | 震災・原発事故
 (1)「値上げは権利だ」と西沢俊夫・前東京電力社長はうそぶいた。
 東京電力は、9月から家庭向け電気料金を平均8.46%値上げを実施した。
 続いて関西電力が、家庭向け電気料金を15%程度値上げに踏み切る、と目される。
 九州電力でも値上げの動きがある。

 (2)電気料金は、発送電コストに報酬を上乗せして算出する(総括原価方式)。電力会社が損をしない仕組みだ。
 東電の値上げをめぐる議論において、「原価」に含まれる保養所の維持管理費など福利厚生費、電力会社OBの天下り団体「電力中央研究所」への寄付金など非常識な費目が批判された。
 値上げの動きが全国に広まる中、また非常識な「原価」が発覚した。
 
 (3)原子力発電専業の卸電気事業者「日本原子力発電」は、東電や関電など電力会社が主要株主に名をつらねる。浜田康男・社長は、元関電副社長、さらに勝俣恒久・元東電会長が非常勤取締役に天下っている。
 その日本原電は、東海第2原発(5月21日から停止)、敦賀原発1号機(1月26日から停止)、2号機(5月7日から停止)を保有する。しかし、いま、まったく発電していない。
 ところが、東電が値上げした電気料金には、日本原電への支払い分が含まれているのだ。
 東電は、2011年度に「購入電力料」として日本原電に464億7,400万円を支払っている。そして2012年度も、売る電力がない日本原電に、昨年度とほの同じ400億円程度支払うことになっている。
 日本原電は、2011年度の発電量は10億kW時で、前年比93.8%減と大幅に落ち込んだ。しかし、電力収入は、2009年度(1,441億円)とほぼ同額の1,443億円だった。東電以外にも、2011年度は関電との取引額が340億円、中部電力307億円、東北電力116億円だった。要するに、発電していようがいまいが、電力各社から確実にカネが入る仕組みなのだ。
 そして、東電や関電などが日本原電へ支払うカネは、電気料金に転嫁される。

 (4)河野太郎・衆議院議員/「原発ゼロの会」のメンバーが、2011年度の日本原電の発電量で試算したところ、発電コストは83円/kW時程度になる。
 発電量が激減していたための価格だが、消費者は知らない間に「超高値」の電力を買わされていたことになる。
 この問題は、有識者会議ではほとんど話題にならなかった。経産省から注意喚起されていれば議論したが、説明はなかった。議論の俎上にのせなかった経産省の意図はわからない。【経産省の有識者会議の有力委員】
 東電の政府提出資料によれば、日本原電と東北電力の2社に対する「購入電力料」として原価に織り込んだ額は、1,003億円だ。固定費全体では、実に3,489億円だ。さらに、東電によれば、来年度から3年間は、年平均5,520億円まで跳ね上がる。これも「原価」に織り込まれている。
 この政府資料は、日本原電との長期契約について、こう記す。<基本契約の中では電力受給の終期や料金について明確な記載をしていませんが。(中略)お互いが認識・合意していることから、日本原電との間では期間の定めのない永続的な契約関係にあります>
 要するに、停止した原発維持のコストは「永続的」に消費者に転嫁される仕組みだ。これが、「原子力ムラ」の「互い」が「認識・合意している」常識らしい。
 電気料金の「原価」は、再度精査しなければならない。

 以上、徳丸威一郎(本誌)「東電値上げの「不実と非常識」」(「サンデー毎日」2012年11月18日号)に拠る。

 【参考】
【原発】東電電気料金値上げの根拠となる計算法は疑問だらけ
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【原発】大飯原発の危険度 ~燃料棒・免震棟~

2012年11月07日 | 震災・原発事故
 (1)大飯原発の危険度は「ストレステスト意見聴取会」でずいぶん分かってきた。
 大飯原発3、4号機は比較的新しい1990年代のものなので、たぶん事業者はわりと自信があるものだろう。しかし、いろいろ訊いてみると、だんだん変な話が出てきた。
 技術的に一番問題なのは、制御棒が大地震のときにきちんと入るか、疑問な点だ。2.2秒以内に入らなければならない、という規定なのだが、小さい地震の場合はよいとして、基準地震を超えた場合でも大丈夫なのか。大飯原発は想定される揺れの1.8倍の地震まで大丈夫だとストレステストでは結論づけているが、実は1.8倍の地震が起きたときは、制御棒が挿入されるのに2.2秒を超えそうなことがわかった。
 すると、計算の方法を変えて、基準地震では1.8秒以内でいく、という話を後から出してくる。
 稼働させる、という結論に合うデータだけ出してくる。
 ストレステストをする電力会社も、チェックする側も「原子力ムラ」なのだ。
 大飯原発は加圧水型原子炉(PWR)なので、三菱重工が設計して作った。で、原子力安全基盤機構(JNES)にいる三菱重工のOBが審査している。
 予想の地震の1.8倍でも余裕がある、と言うが、2倍4倍の地震が来る可能性もある。上限はわからないのだ。

 (2)免震棟のないうちに再稼働しているのも、大飯原発3号機の大きな問題だ。
 福島第一原発の場合、免震棟があって、保護されて壊れていなかったから、非常時でも一応司令が発せられていた。何人か技術者が詰めて、いろんな作業ができた。4年前の中越沖地震で被災した柏崎刈羽原発の教訓で、3・11の半年前に作った。柏崎刈羽原発の教訓が活かされた唯一の例だ。免震棟がなかったら、全員が退去してしまって、もっとひどいことになっていた。
 その免震棟が大飯原発にはない。3年後あたりに作るという計画を出したから、それでいことにして、再稼働させた。
 ほかに、水密扉の問題、防潮堤の高さが足りない問題がある。

 (3)聴取会で問題視される原発は、ほかに例えば志賀原発2号機。破砕帯があって、活断層ではないか、と渡辺満久・東洋大学教授が指摘している。また、ここは津波が来たら水密扉で対応することになっている。それが全部手動なのだ。人の訓練がどこまでできているか、という労務管理の問題がある。

 (4)保安院や推進派は、口癖のように言う。安全というものは、ここまでやったから安全ということにはならない、安全は常に限りがない、と。
 そして、だから完全でなくてもやる、ということにすり替える。分からないことがあっても、それは将来の問題だ、と引き延ばしてしまう。
 ここまでやらねばならない、と分かっている最低ラインのこともやらないで再稼働している。

 (5)2次テストは2011年12月までにやることになっていたが、各電力会社は全然やってない。運転再開に関係ないからだ。保安院も催促しなかった。
 2次評価は、シビア・アクシデントの問題で、大きく壊れたときにどれぐらいの被害が及ぶのか、その時の対策がどうなのか・・・・非常に確率は小さくて滅多に起こらないが、起きたときにどういう対策をとっていくのか、を考える大切な場だった。これがほとんど進んでいない。先送りになっている。

 (6)原発は原理的に危険だ。特に地震国の日本ではそうだ。一挙に止められなくても、非常に危険な原発から止めていくべきだ。
 非常に危険な原発の基準として考えられるのは、地震・津波に弱い位置にあるとか、立地の問題だ。それと、老朽化した原発。1970年代に建てた原発は危ない。材料が悪いし、製造方法もよくない。圧力容器は板を薄くして、それを張り合わせる作り方だが、これがよくない。1980年代に入ると、最初から輪っかを作って、それを重ねる作り方で、その方法だと溶接の箇所が少ない。
 設計的に欠陥のあるマークⅠ型も危険だ。だから、まずそういうものを止めることを決める、という方法はあると思う。

 (7)危機感は意見聴取会でほとんど取り上げられない。原発は止めない、という前提で進行する。やる人間を替えないとオープンな議論にならない。だから、原発を続けるかどうかという話も、技術的に決まるわけではない。
 地域ごとに危険を受けるかもしれない人たちがちゃんと判断する市民参加の体制を作らないかぎり、原発は動かすべきでない。

 以上、井野博満(東京大学名誉教授)「1970年代に作られた原発はすべて廃炉にすべき」(「SIGHT」2012年秋号)に拠る。

 【参考】
【原発】玄海1号機の危険性 ~高い脆性遷移温度~
【原発】意見聴取会における結論誘導の手口~保安院~
【原発】再稼働の安全は誰が判断するのか ~専門家の偏向~
【震災】原発編集 - goo ブログ http://blog.goo.ne.jp/admin/newentry/
>ストレステストを再稼働に結びつけるな ~その理由~

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【原発】玄海1号機の危険性 ~高い脆性遷移温度~

2012年11月06日 | 震災・原発事故
 (1)保安院は意見聴取会を5つぐらい作ったが、そのうちに「高経年化意見聴取会」がある。高経年化。老朽化とは言わない。
 その高経年化意見聴取会にはテーマが幾つかあり、その一つが九州電力の玄海1号機。脆性遷移温度が問題なのだ。金属は中性子があたっていくと、どんどん材質が悪くなる。バリンと割れる温度、それが玄海1号機は98℃で起こる。当初はマイナス16℃だった。怖い。この情報が3・11の前に保安院に行ったが、保安院はまったくそれを知らなかった。こんなことで日本の原発をちゃんと管理できるはずはない。
 玄海1号機は1975年に運転を開始した。2005年に30年間の運転を経て、そこで10年間の運転延長を認められた。だから保安院もいろいろ調べたが、延長後の10年間がどうなっているかは分からない仕組みになっている。九電は何も説明する必要はないし、保安院も訊かない。だから、まったく知らなかった。
 玄海1号機の脆性遷移温度は、前回の測定では56℃だった。42℃も上がっていた。しかも理由がよく分からない。
 脆性破壊は非常に怖い。タイタニック号が沈没したのも、これが原因だった。タイタニック号の鋼は材料が悪く、27℃が脆性遷移温度だった。だから、それより低い冷たい海で冷えている状態で氷山にぶつかったため、その力で割れてしまった。
 原子炉の場合も、300℃で運転中に急にポンプが壊れたり配管が破れて水がなくなった場合、メルトダウンを避けるため冷水を入れる。ここで脆性遷移温度が高い時、冷水を入れたため圧力容器が割れてしまう。必ず割れるとは言えないが、状況によって割れる。だから、非常に危険だ。

 (2)保安院は、一応計算して安全だ、と言い張るが、その計算方法は絶対ではない。
 3・11では予測していなかった事態が起こったが、保安院は計算方法をシビアにするとかの変更を全くしていない。
 今までよしとしてきた考え方に問題がある。脆性遷移温度の予測式が「間違っている」と指摘しても、保安院は「将来の研究課題」にしてしまう。前回の測定から42℃も高くなるようなものは、もう予測から外れているわけだが、そんな状態でも将来の研究課題にしてしまう。
 玄海1号機、関西電力の高浜1号機、美浜1号機と2号機は非常に危険度が高い。ハッキリするまで止めるべきだ。

 (3)原発に係る問題は3つ。
  (a)地震・津波・・・・そもそも日本に原発を建てられるのか。
  (b)設計が悪い原発・・・・<例>マークⅠ型。
  (c)古い原発・・・・高経年化意見聴取会のテーマの一つだった。

 (4)古い原発とは、1970年代の原発。材料にも作り方にも問題がある。一応検査してOKが出ているが、全部を検査しきれていない。代表部位だけ選んで検査している。
 老朽化で今一番問題にしているのは、照射脆化というか、金属が脆くなっている問題だ。
 <例>配管は削られていく(「減肉」)。危ない箇所はある程度見当がつくので厳重に管理しているが、美浜3号機では見落としがあって、配管が破裂して作業員が何人か亡くなった(2000年に入ってから)。
 減肉はすごく怖い。減肉すると一応取り替える。美浜3号機の場合、全体の配管の半分以上を取り替えている。そういう状態は、すごく怖い。最初は炭素鋼で作っていたものが減肉したとき、ステンレスか何かに取り替えている。すると、またステンレスと炭素鋼を溶接して作ることになる。1個取り替えると2ヵ所溶接箇所ができる。溶接部位は、ひび割れが起こりやすい。そもそも、半分以上取り替えるような状況で、まだ運転するのか?

 以上、井野博満(東京大学名誉教授)「1970年代に作られた原発はすべて廃炉にすべき」(「SIGHT」2012年秋号)に拠る。

 【参考】
【原発】意見聴取会における結論誘導の手口~保安院~
【原発】再稼働の安全は誰が判断するのか ~専門家の偏向~
【震災】原発>ストレステストを再稼働に結びつけるな ~その理由~
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【原発】基準値超の福島県産米 ~「セシウム米」が稔る秋~

2012年11月05日 | 震災・原発事故
 (1)福島県産米の放射性物質(放射性セシウム)の検査は、次のようにすること、と決められている。
   (a)事前出荷制限区域【注】・・・・全袋検査
   (b)その他の地域(事前出荷制限区域ではない地域)・・・・抽出検査

 (2)10月18日、福島県は福島県産米の全袋全量検査(8月25日開始)の速報値を公表した。
 これによると、事前出荷制限区域では、検査予定990,224件中293,657件(30%)しか検査が終わっていない。ただし、この数字は、収穫量の少ない8~9月分を含めた平均値で、「検査する米がない」という事情があったことを含んでおかなければならない。
 他方、10月8~14日の1週間では、約176,000件、検査している。この検査量を確保できれば、予定件数の残量約700,000件は4週間で処理できる(件数=検査数量ではないにしても)。全量検査は、年内に終わるだろう。

 (3)ところが、群司彰・農林水産大臣は、10月12日の記者会見で、とんでもないことを言い出した。
 この地域の中が終わるまでは留め置く、というやり方をしない。検体の抽出が終わった部分については、「地域全体として50Bq以下」というような地域であれば、出荷していい。そういう形に改めるよう、今、現地の人と話をしている。・・・・そう発言しているのだ。
 ある地域の一部の米だけを検査し、50Bq以下であれば、その地域の米は全量出荷させる、と言っているのだ。

 (4)昨年、福島県知事が「福島県産米の安全宣言」を発表したわずか1ヵ月後に、基準値を超える米が見つかった。
 これで、一気に消費者の信頼が失われた。
 まだ30%ほどしか検査していない今年、もう大丈夫だ、という保証はない。

 (5)はたして、群司農水相の発言から2週間も経たないうちに、新基準値(100Bq/kg)超の米が見つかった。
 そもそも、福島県が公表したデータによれば、100Bqを超えていなくても、もう少しで超える米は多数見つかっている。「ぎりぎりセーフ」であっても、いつ基準値超えの米が見つかっても不思議ではない状況だ。
 <例1>福島市(旧福島市)産米17点・・・・すべて67~81Bq。
 <例2>福島市(旧庭塚村)産米11点・・・・すべて72~96Bq。
 <例3>須賀川市産米43点・・・・すべて67~99Bq。

 (6)たとえ(1)-(b)の抽出検査で50Bqを下回っても、その地域の米がすべて100Bqを下回っているとは限らない。
 出荷した米から基準値を超えるものが出たり、暫定出荷された地域から、後で基準値超えの米が見つかれば、福島県産米の信用は完全に失墜するだろう。
 福島県産米の信用を確保するには、全袋・全量検査が大前提だ。昨年の過ちを繰り返さないためには。

 【注】2011年産米で100Bq以下の放射性セシウムが検出された地域。

 以上、垣屋達哉(消費者問題研究所長)「福島県産米の全袋検査は何が何でもやり通さなければならない」(「週刊金曜日」2012年11月2日号)に拠る。

 【参考】
震災】原発>「穴」の多いコメ検査体制 ~基準越えセシウムが検出~
【震災】原発>「セシウム米」が稔る秋
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【本】今野敏の反原発小説 ~潜入捜査・臨界~

2012年11月04日 | 震災・原発事故
 (1)当代きっての人気作家、今野敏は、かねてから一部に熱心な読者を獲得していたが、2006年に『隠蔽捜査』で第27回吉川英治文学新人賞を受賞し、さらに2008年に『果断 隠蔽捜査2』で第21回山本周五郎賞、第61回日本推理作家協会賞(長編および連作短編集部門)を受賞して以来、ファン層がぐんと広がった。

 (2)空手道今野塾を主宰する今野は、武闘派であるとともに、筋金入りの反原発マンである。
 彼は、1989年の参院選にミニ政党「原発のいらない人びと」から立候補した。その体験を踏まえ、「反原発や脱原発の言葉を聞くと、正直に言って、『今さらか』と思ってしまう」「20年以上も前に口を酸っぱくして言ったことを、またここで繰り返さなければならないことに、私は無力感を覚えている」「本当に、原発が安全だというのなら、東京湾に作ってみればいいのだ。電力会社にも、国にもどんな度胸はないだろう。そこに、原発の本質がある」と述べる【注1】。

 (3)当然、作品にも反原発の姿勢が滲み出る。
 例えば、入手しやすいところでは今野敏『潜入捜査 臨界』(実業之日本社文庫、2012)。初出は1994年で、作品の時代背景、社会情勢は1994年当時のままだ。1994年といえば、柏崎刈羽原発4号機が運転を開始した年だ。
 本書では、愛知県を舞台に、反原発運動を暴力で排除する暴力団と主人公「佐伯涼」とが対決する。初期作品のせいか、ストーリーは比較的単純である。
 しかし、「佐伯」の上司、「内村尚之・環境犯罪研究所長」の口を借りて表出する今野の危機感は、福島第一原発事故の後に読むと、実に生々しい。
 ます、当時の原発に係る情報と、それに批判的な見解が読者に提供される。
 細管が破損して放射能が漏れ出した事故に関する新聞記事 「日本で現在稼働中の原発43基のうち20基が、事故を起こした原発と同じ加水型で、毎年のように蒸気発生器の細管損傷が見つかっている」を評して「内村所長」は、情報操作だ、という。

 <「そう。細管破損が大したことではないという印象を人々に与えようとするためのね。実際は恐ろしいものです。一歩間違えば、チェルノブイリの二の舞です。1993年5月、アメリカでは、同様の事故を起こした原子力発電所を閉鎖してしまいました。日本だから、地元の住民を騙し、世論を騙しながら、操業が続けられるのです」
 「そういえば、いつだったか、細管が完全に切れちまったというので大騒ぎしたことがありましたね・・・・」
 「1991年2月。美浜2号機の事故でした」>

 「内村所長」は、作業員の労災認定にもふれる。
 <「福島第一原子力発電所内で1979年11月から約11ヵ月間、原子炉内の配管腐食防止などの工事に従事した作業員がいました。3年後、慢性骨髄性白血病と診断され、88年に死亡しました。31歳でした。1991年12月、労災が認められました」>
 <「静岡県の浜岡原子力発電所でも、保守・点検を行う関連会社の作業員が、同じく、慢性骨髄性白血病で91年に死亡しました。この件が労災認定申請されています。これまで、兵庫県で2名、同様の労災認定申請が出されています」>
 だが、電力会社は反論している。
 <「そう。原子炉等規制法などでは、放射線作業従事者の年間被曝量が50ミリ・シーベルト以下と決められているが、浜岡原子力発電所で死亡した作業員の場合、この値を超えていない--中部電力はそう主調しています」>
 労災認定されるのは氷山の一角だ。労災どころか、いつ死んだかもわからない作業員が大勢いると言われている、と「内村所長」は付け足す。
 <「原子力発電所はそれ自体が大掛かりなプラントですから、保守や整備にたいへんな手間と労力がかかります。いざ、故障が発見されると、技術者はその修理を行います。しかし故障に伴う面倒ごとを技術者が片づけるわけではありません。たいてい、日常の保守・点検は、下請けの関連会社がやっています。その関連会社は、放射能の危険を承知で作業員を送り込まなければならないのです。しかし、そうした労働力がたやすく見つかるはずはない・・・・。そこで、ある人々が活躍し始めるわけです」>
 口入れ家業は、古くから暴力団の資金源だ。
 <「あくまでも噂のレベルなのですが、原子力発電所が商業運転を開始して以来、職にあぶれた季節労働者や住所不定のアウトローたちが使い捨ての労働力として送り込まれてきたと言われています」>
 日本のエネルギー産業は、そういう連中に支えられてきた側面があるのだ。かつての北海道や九州の炭坑では日常のことだった。そういう体質は、なかなか変わるものではない。
 <「そう。炭坑では、落盤事故や塵肺。原子力発電所では、放射能障害。同じ歴史が繰り返されているのかもしれまsん。しかし、そうした非合法の手段を組み込まなければ機能しないシステムは、日本の真の近代化にとって決してプラスにならないのです」>

 反原発は意味のないことだ、とも「内村所長」はいう。むろん、原発は必要なのだ、と言っているのではない。
 <「逆ですよ。核燃料による発電など、本来必要ないのです。原発を作ろうというのは純粋に政治的問題です。つまり、利権の構造でしかありません。政府が作るといったものは、国民を殺してでも、国土を破壊してでも作るものです。成田空港がいい例です。だから、原子力発電所が必要でないという事実と、原発推進というのは別の次元のものです」>
 身も蓋もない言い方だが、
 <「事実ですよ。電力会社は、電気を売らねばならない。毎年、需要を増やさねばならないのです。その結果、電力が不足するという机上の試算が出てくるのです。役人は、そうした試算だけでものごとを判断し、政治家は、役人のいうことを鵜呑みにする。そして、商社、ゼネコン、地域政治家そろっての原子力発電推進の政策が出来上がる・・・・」>
 これは、大飯原発再稼働の力学を簡潔に説明している。

 (4)今野の主人公ないし中心人物は、肉体的な汗を信奉する人たちで、爽やかの一語に尽きる。
 先年物故したディック・フランシス【注2】の主人公もいずれも爽やかで、(フランシスの場合は競馬、今野の場合は武道という)スポーツが作品に重要な位置を占める点でも今野作品と共通するのだが、彼我に背景となる歴史の厚みの落差を感じざるをえない。これはしかし、本稿の主題ではない。

 【注1】「【原発】200人の著名人、脱原発を語る ~脱原発人名辞典~
 【注2】「ディック・フランシスを悼む ~フランシス小論~」「書評:『騎乗』」「書評:『出走』
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【本】原発の利権構造 ~警視庁情報官~

2012年11月03日 | 震災・原発事故
 (1)かつて「情報小説」という分野があった。スパイ小説とほぼ同義語で、日本では三好徹の風の三部作(『風に消えたスパイ』『風塵地帯』『風葬戦線』)あたりがそのはしりかもしれない。三好は、巻き込まれ型スパイ小説の佳作を世に矢継ぎばやに送り出した。
 情報小説は、今ふうに言えばインテリジェンス小説だろう。手嶋龍一の『ウルトラ・ダラー』『スギハラ・ダラー』がその代表だ。

 (2)警察におけるインテリジェンスを描いたのが、濱嘉之だ。警視庁情報官シリーズは現在までに4冊刊行されている。  
  (a)『警視庁情報官』(講談社、2007。後に『警視庁情報官 シークレット・オフィサー』、講談社文庫、2010)
  (b)『公安特命捜査 警視庁情報官3』(講談社、2009。後に『警視庁情報官 ハニートラップ』、講談社文庫、2011)
  (c)『警視庁情報官 トリックスター』(講談社文庫、2011)
  (d)『警視庁情報官 ブラックドナー』(講談社文庫、2012)
 著者は、1957年、福岡県生。中央大学法学部法律学科卒業後、警視庁巡査拝命。警備部警備第一課、公安部公安総務課、警察庁警備局警備企画課、内閣官房内閣情報調査室、再び公安部公安総務課を経て、生活安全部少年事件課に勤務。2004年、警視庁警視で辞職。2007年、『警視庁情報官』(講談社)で作家デビュー。現在、危機管理コンサルティング会社代表なども務めるかたわら、TV、雑誌などでコメンテーターとしても活動している【注1】。
 ストーリー展開はやや平板、しかも何か自慢話のようで少々退屈だが、著者の経歴からして、警察機構の実態が(公表可能な範囲で)詳しく描かれ、これが興味深い。
 例えば、<警視庁公安部長が管轄するのは、警察組織上からは東京都内だけのはずだが、実質、国内外すべての公安情報データは警察庁ではなく、警視庁内にデータとして残るという歪んだ組織実態となっている。したがって、全国の子運情報は警察庁を経由しても、最終的には警視庁公安部のデータファイルに蓄積され、そして再分析されるのだ。さらに、このデータファイルは公安上のプロファイリングができる形となっており、例えばある人物を検索するとその関連事件、関連者などがリンクする。これに所属するセクトごとの対立や友誼状況も加えられており、公安対象者の相関図がたちどころにできあがる仕組みだ>。
 一口に警視といっても、下から所属の課長、本部管理官、警察署副署長、本部理事官、警察署長、本部課長の6段階にランク分けされる、といった事実もさりげなく挿入されている。
 あるいは、新宿署の署員は600人以上で、これは鳥取県警の全職員数より多い、とか。

 (3)ところで、(2)-(a)の第4章「日本の闇に挑む」では、「東日本電力」が登場する。
 本章では、福島第一原発事故後に天下周知のものとなった電力会社と政治家・官僚との癒着がかなり克明に記されている。例えば、企業の出世コースにのっているトップ社員が修行のため与党民政党(注:本書は政権交代の前に公刊された)の「総合政策研究会」に送り込まれ、いずれ社長室長や広報室長に栄転する、といった仕組みだ。
 そのトップ社員である「村上」は、「東日本電力」総務部原子力発電所立地担当の副長をしていたとき、本社に押しかけた暴力団にカネを直接渡してしまった。
 「村上」は、主人公「黒田純一」警視に協力者としてスカウトされる。「黒田」は、内部告発文書を契機に、「東日本電力」を内偵中だった。
 といったような段取りがあって、「2005年に東北地方の某県に完成したプルサーマル計画対応の改良型沸騰軽水炉」【注2】をめぐる疑惑が捜査され、最終的には摘発される。
  (a)「大谷隆司」・内閣府特命担当大臣(当選8期目)・・・・(b)を通じてあらかじめ(c)に知らせ、地上げを行い、さらに地元業者への一部工事丸投げや裏談合を仕組み、莫大な利益を得た。(d)に献金。原発建設用地近くの港湾を国のカネを使って改良。選挙時には、必ず電力会社の総務から複数の常駐選対支援が入る。パーティ券も100枚単位で電力会社が買い上げる。都内で開くパーティには、ゼネコンやエネルギー関連各社を中心に2,000人は動員をかけ、全国どこで会合を開いても最低500人は瞬時に集めることができる。後援会は、地元の中堅ゼネコンや中小企業がサポートする。(d)の反共連盟の特別顧問。
  (b)大手ゼネコン「風間建設」・・・・不正土地取引。1995年に原発建設の情報を得た「風間建設」がさっそく候補地の地権者を脅しつすかしつ用地買収し、巨額の利益を得た。
  (c)暴力団「菱和会」・・・・移転補償金の騙取。また、港湾施設に影響力発揮し、北朝鮮やロシアン・マフィアから密輸された覚醒剤や麻薬の受け皿となる。
  (d)宗教団体「世界平和教」・・・・反共連盟。(a)の選挙における集票組織。

 ・・・・と一部を拾いだしてみたが、以下は本書に委ねよう。
 原発は、まことに利権の巣窟だ。99%が反対を叫んでも、1%は「ロード・オブ・ザ・リング」のゴラムのように、しぶとく利権にしがみつく。是非はさておき、上記のような利権のチェーンを見れば、当然といえば当然だ。
 (2)-(a)はフィクションだが、フィクションでしか語られない真実もある。原発建設をめぐる利権構造を知るに手ごろな参考書になると思う。 

 【注1】新潮社
 【注2】むろん、フィクションである。東北電力の、2005年に運転開始した東通原発1号機は沸騰水型軽水炉だし、改良型沸騰水型軽水炉の2号機は計画にとどまっている。同じく東北電力の女川原発1~3号機はいずれも沸騰水型軽水炉で2002年以前に稼働している。東京電力の、福島第一原発1~6号機はいずれも沸騰水型軽水炉で1979年以前に稼働しているし、改良型沸騰水型軽水炉の7~8号機は計画にとどまっている。福島第二原発1~4号機はいずれも沸騰水型軽水炉で1987年以前に稼働している。日本原子力発電の東海第二発電所1号機は、沸騰水型軽水炉で1978年に稼働している。

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【原発】国会事故調が「原発事故は人災」と結論する理由

2012年11月02日 | 震災・原発事故
 (1)非常用電源が壊れたのは地震のせいか、津波のせいか、という問題。
 地震が起きたのは、3月11日14時46分。
 津波は15時27分に第一波、15時35分に第二波と東電も政府事故調も国も、みんな言っている。
 しかし、それは福島第一原発の海岸に波が到着した時刻ではない。そこから1.5km離れた沖にある波高計に到着した時刻なのだ。
 その1.5km離れた波高計から福島第一原発の海岸まで何分かかるか。東電に津波の写真を全部出してもらうと、44枚あった。この地点、あの地点の連続写真の撮影時刻から、その間に何分かかっているかは正確にわかる。そういう事実を積み上げて、実際の津波襲来時刻は東電が公表している時刻より2分ほど遅いことがわかった。
 津波によって大惨事になったのだが、必ずしも津波によって非常用発電機が壊れたということにはならない。
 なぜなら、その2分の差で、1号機の非常用発電機は津波が到着する前に壊れたことがわかったからだ。
 そういう基本的なことすら、ウソというか、杜撰というか、東電の発表はいい加減だ。
 今年の5月頃、東電に、「津波の投薬時刻が2分ほどずれているのを認めるか?」と文書で訪ねた。東電は、「認める」と回答した。
 しかし、国会事故調の報告書が出る前に出した東電の最終報告書では、また津波の到着時刻を元に戻している。それが問題になったから、東電はもう一回調査し直して最終報告書を作り直す、と言っているが、今のところだんまりを決め込んでいる。

 (2)「逃がし安全弁」(Safety Relief Valve :SRV)の問題。
 事故当時に実際に原発を運転した人、操作した人から徹底的に話を聞いた。
 すべての非常用発電機が止まってしまい、全交流電源喪失になった。ひとたびそういったSBO(Station Blackout)が起きると、当然ながら音がまったくしない世界になる。ポンプは動かない。蒸気は出ていない。ディーゼルの音もしない。一切音がなくて、そのうえ暗い。真っ暗闇で無音なのだ。
 ところが、そういう中で一つだけ、ズドーン、ズドーンという音が繰り返されている。それが、SRVという弁が作動したときの音だ。
 原子炉圧力容器(巨大なヤカン)の圧力が、平常の運転中は70気圧ぐらいで、温度は285℃ぐらいだ。大地震がきたのでウランの連鎖反応は自動的に止まったが、連鎖反応のときにできた放射性物質が熱を出すので、まだヤカンの中の湯は沸き続ける。ヤカンの圧力はどんどん高くなる。そのために、あるレベルまで圧力が上がると、ヤカンが爆発しないように、自動的にSRVがパッと開く。すると、大量の蒸気がその弁から圧力抑制室(巨大なドーナツ状の構造物)に一気に流入する。その中には大量の水が蓄えられているので、そこに入ってきた大量の水蒸気はすぐ水になる。水になると体積が1,000分の1ぐらいになるので、その結果ヤカンの圧力が下がる。圧力が下がると、SRVは自動的に閉じる。もし閉めないで開けっ放しにしておいたら、ヤカンからどんどん蒸気が圧力抑制室に流出してしまい、ヤカンの水位がどんどん下がる。すると、核燃料のメルトダウンが始まってしまう。だから、圧力が高くなるとSRVが自動的に開き、圧力が下がると自動的に閉まる。
 しかし、実は、SRVが開くたびに「水力学的動荷重」という激しいショックが圧力抑制室の水の中で起こる。ズドーン、ズドーンというすごい音の正体はこれだ(推定)。
 弁が開くたびにズドーン、ズドーンというすごい音が中央操作室で聞こえていた、と2号機の運転員も3号機の運転員も言っている。だが、1号機では、まったくそういう音はしていなかった。1号機の運転員たちは「聞いたことがない」と証言している。2号機の運転員も、「自分たちのは聞こえていたが、1号機のほうからは聞こえてこなかった」と。
 ということは、1号機のSRVは開いた形跡がない、ということだ。
 これは大変なことだ、とアンケートをとった。福島第二原発と女川原発と東海第二原発でも、やはりSRVが頻繁に作動した。福島第二原発では、一切音が聞こえなかった、と回答した。女川原発では「聞こえた」と。東海原発は回答しなかった。
 この違いは何か。事故調の報告書を書いた後にわかった。福島第二原発は、マークⅡ型格納容器だ。構造的には聞こえない、たぶん。女川原発は、福島第一原発と同じマークⅠ型だ。だから、マークⅠ型の場合は音がする。
 最大の問題は、なぜ1号機では作動音が聞こえなかったのか、だ。
 たぶん、SRVが自動的に開くほどヤカン(原子炉)の圧力が上がらなかったからだ。つまり、激しい地震の揺れで配管に穴が開いたのではないか。つまり、漏れているのだ。
 2号機も3号機も地震直後からSRVが作動している。1号機の場合、ステーションブラックアウト以降、SRVが作動する圧力に達しているはずなのだが、何も音がしていない。
 政府事故調の最終報告書は、このことに何もふれていない。
 1号機は、激しい地震の揺れで配管が損傷し、冷却材が漏れて、原子炉の水がなくなって、最終的にメルトダウンしたのだ。国会事故調の報告書では、その「可能性」という控え目な表現で問題提起するにとどめているが。

 以上、田中三彦(サイエンスライター)「国会事故調はなぜ「この原発事故は人災である」と断言できたのか」(「SIGHT」2012年秋号)に拠る。
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【震災】アスベスト禍と都市政策、災害対策、復興政策

2012年11月01日 | 震災・原発事故
 (1)アスベストは、人体や商品、施設、廃棄物などにストックされて、生産・消費・流通・廃棄の経済活動の全局面で複合的に被害を引き起こす。過去の大量使用からすれば、顕在化している発症は氷山の一角だ。
 アスベスト禍は、「複合ストック災害」だ。史上最悪の産業災害だ。【宮本憲一・大阪市立大学名誉教授】

 (2)アスベスト汚染の実相がくっきりと浮かび上がったのは、「クボタショック」(2005年6月末)からだ。クボタ旧神崎工場(兵庫県尼崎市)内外で、元従業員のみならず周辺住民にすさまじい被害が発生していることが発覚。周辺住民の死者(225人)が元従業員の死者(158人)を上回る異常事態となった。アジア最悪の被害だ。それまで「労働災害」とされていたアスベスト禍が「公害」であるという事実がここにハッキリした。 
 「クボタショック」は、水面下に隠れていた被害を各地で顕在化させた。石綿紡繊産業で栄えた大阪・泉南では、100年以上埋もれていた被害が表面化し、国家賠償請求訴訟が提起された。訴訟は最高裁に上告中だ。
 中皮腫による死者は、2006年から毎年1,000人を超える。大阪、兵庫、東京、神奈川で突出している。石綿工場で働いたことがないのに中皮腫、石綿肺癌、石綿肺などの病気になった人は8,000人を超え、半数が死亡。
 他方、労働災害として認定される人も、毎年1,000人を超え、その半数は大工、左官、電気工などの建設労働者だ。日本では、石綿の7~8割が建材に使われた。被害者らが国や建材メーカーを相手に起こした訴訟は、国内6地裁で争われている。

 (3)ガレキの総量は、阪神・淡路が2,000万トン、東日本が2,300万トン。東日本大震災に特徴的なのは、沿岸には製紙工場を始め、さまざまな工場があることだ。長期間、排水を流したことで、海底にはさまざまな物質が蓄積している。
 津波は、海底に沈殿していたものを一気に陸に揚げた。産業廃棄物を含むヘドロは、普通の泥ではない。【矢内勝・石巻赤十字病院呼吸器内科部長】
 有害なヘドロが沿岸部に拡散している状況を踏まえると、石綿や有害物質の粉塵の飛散に伴う健康被害は、阪神・淡路大震災よりもはるかに広域になる危険性がある。

 (4)昨年11月、仙台市は恐るべき飛散実態を公表した。
 仙台市の旧ホテルサンルート(付近は仙台駅に近い繁華街で、人の往来も激しい)の解体工事現場から、基準値(空気1リットル中の石綿繊維量10本)の最大36倍、360本のアモサイト(茶石綿)が検出されたのだ。アモサイトは毒性が強い。アスベストを除去しないまま解体作業を実施した箇所があり、このためアスベスト含有建材が損傷し、飛散したのだ。
 被災地では、これは特殊なケースではない。

 (5)震災で建物が倒壊し、ガレキに含まれる石綿が飛散する・・・・<これは単なるアスベスト対策の欠陥ではなく、日本の都市政策、災害対策、復興政策の欠陥と関連している>(宮本/森永/石原・編『終わりなきアスベスト災害』、岩波書店、2011)。
  (a)大都市では、高度成長期以降、郊外型の開発に力が注がれ、中心部(インナーシティ)の再開発は遅れてきた。そこには石綿を含む老朽建築物が数多く取り残されている。
  (b)災害対策としても、石綿に十分な注意が払われてこなかった。
   ①阪神・淡路大震災時の「兵庫県地域防災計画」には環境保全の記述はなかった。地域の事業所や住宅のどこにどれくらいの石綿が蓄積されていたか、倒壊すればどうなるか、住民・ボランティア・現場作業者がどれくらい曝露するか、行政は全く把握していなかった。
   ②全国の自治体の85.2%は、地域防災計画に震災時アスベスト対策を盛り込んでいなかった。そのうち、環境省の災害時石綿飛散防止マニュアル(2007年に策定)についても、「認識していない」「確認していない」が6割弱だった。【立命館大の調査、2010年】

 以上、加藤正文(神戸新聞経済部次長)「がれきに含まれる「死の棘」」(「世界」2012年11月号)に拠る。

 【参考】
【震災】ガレキに含まれる「死の棘」 ~震災アスベスト禍と放射能禍~
【震災】東北沿岸の化学汚染 ~カドミウム・ヒ素・シアン化合物・六値クロム・ダイオキシン~
【震災】もう一つの海洋汚染 ~PCBとダイオキシン~
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