語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【酒井啓子】誰が「正しい」かを競う戦い ~9・11から中東の宗派対立へ~

2016年09月25日 | 批評・思想
(1)9・11が開けたパンドラの箱
 9・11から15年。9・11とその後の国際政治の展開は、あまりにも多くのパンドラの箱を開けすぎて、もはや何が変わり、何が当たり前のことだったのかすら、わからなくなってしまった。
 たとえば、テロの増大。2004年以降、中東でのテロ件数が右肩上がりのまま下がらなくなった。
 あるいは、暴力が宗教性を纏うと同時に、「宗派対立」もまた、当たり前のように語られるようになった。
  (a)2003年のイラク戦争以降、スンナ派とシーア派に大別されるイスラームの宗派が、暴力的衝突の原因として前面に出てくる。
  (b)2006年2月、イラク中北部にあるシーア派の聖地サマッラーの聖廟が爆破されたことを契機に、イラクではどの宗派に属するかを巡って殺しあいが始まった。
 強権政治による抑圧があったとはいえ、イラク戦争以前のフセイン政権のものとでは、宗派を理由にイラク人同士が戦い合うことはほとんどなかった。それが一挙に内戦ともいえる宗派抗争へと発展したことに、一番衝撃を受けたのは当のイラク人たちだ。
 次々に宗派テロが発生した。極めつけが「イスラム国」だシーア派を「異端」として徹底した殺戮を是とするIS。ISの侵略から祖国防衛を謳いつつ、「シーア派性」を前面に押し出す対IS掃討舞台。
 かくしてイラクでは、内戦開始から10年の月日を経て、今や宗派的対立は当たり前のものとみなされ、それを前提に政治が組み立てられるようになった。
 テロ、宗教的暴力、宗派対立。これらはイラク戦争、アフガニスタン戦争、さらにはイラクとシリアでの内戦とISの出現によって加速度的に増大したものだ。イラク戦争がなければISは出現しなかったし、イラクでフセイン政権が倒れてシーア派イスラーム主義政党が政権をとらなければ、シリア内戦がイラン、イラクとサウディアラビア、トルコなど周辺国の間での代理戦争と化すこともなかった。
 だが、その出発点にあるのは9・11である。9・11がなければ、イラク戦争もアフガニスタン戦争もなかった。9・11とその後の戦争こそが、現在に至るまでの中東での内戦とテロの増大と拡散を生んだ。底が抜けたような暴力のエスカレートは、ヨーロッパや東南アジアへと、世界全体を巻き込んで広がった。それが、9・11が開けたパンドラの箱だ。

(2)これは宗派対立なのか? ~中東における暴力的衝突~
 9・11はさまざまな問題を惹起した。その一つが、宗派的対立とみなされる今の中東における暴力的衝突だ。
 2006年からほぼ2年間イラクで繰り広げられた内戦では、名前を名乗っただけで出身宗派を推測されて拉致、殺害されたり、他宗派の民兵から立ち退きを強要する脅迫状を受け取ったりといった出来事は日常茶飯事であった。
  (a)2011年に発生したバハレーン版「アラブの春」では、反政府抗議運動として始まったデモは、シーア派による反王政活動とみなされてシーア派活動家の弾圧に繋がった。
  (b)連動して活動を活発化させたサウディアラビア東部のシーア派社会に対して、サウディ政府はその中心的宗教指導者ニムル・アルニムル師を2016年1月に処刑した。
  (c)2011年から始まったシリア内戦では、アサド政権の強権的支配はいつの間にかアラウィー派=シーア派の少数支配と読み替えられ、政権側にイラン、イラクが支援し、反政府側にはトルコ、サウディアラビアなどの湾岸諸国が支援する「中東の新冷戦」(グレゴリー・ゴーズ)ともいうべき事態に至っている。
 なぜ「宗派」は突然対立の火種になったのだろうか? それは本当に宗派対立なのだろうか?
 湾岸戦争後、英米に結集した反政府勢力が仮に設定した
   「イラク政治を構成する三要素=①アラブ人スンナ派、②アラブ人シーア派、③クルド民族」
という三区分の枠組みがある。湾岸戦争後に国際社会がポスト・フセイン体制を模索し始めたとき、アイデアとして提示されたのが宗派別に政治代表制を分ける方式だった。
 宗派をベースにした権力構造は、今や、戦後イラク政治のなかにしっかりと定着してしまった。
 戦後のイラクに駐留した米軍のなかには、むしろ本質は宗派的対立ではない、と見抜く識者が登場した。内戦の最前線、シーア派イスラーム主義武装勢力のマフディ軍が首都東部で陣地拡大を繰り広げる過程を経験し、研究対象とした研究者に、ニコラス・クロフリーがいる。彼は、2015年に出版した『マフディ軍の死』(未邦訳)で、シーア派イスラーム主義政党が人びとに支持され勢力を拡大するのは宗派の問題ではない。中央・地方間の格差の問題だ、と指摘する。
 イラクや中東で対立はあってもその本質は宗派ではなく社会格差、階層間の対立なのだ、との主張だ。
 確かに従来から、イラクやレバノン、湾岸諸国で宗派的差別はあり、政治社会的マイノリティとされたシーア派社会は、いずれの国でも社会経済的に劣位に置かれてきた。しかし、それは宗派としての差別というより、宗派社会を取り巻く政治経済的環境によって、歴史的に積み重ねられてきた結果であった。
 その結果、イラクでは南部と都市においてシーア派貧困層が生まれた。食い詰めた南部の農村を捨て、都市に流れ込んでスラムを形成したシーア派住民が今のサドル潮流のベースにある。歴代の政権は貧しいシーア派の若者の異議申し立てを、シーア派としての反発というより持たざる者としての反発とみなし、教育政策や社会経済政策で対処してきた。そこでは富裕層への羨望や下層社会への蔑視が宗派対立に見える衝突を生むことはあったが、その対立を説明し政治へと結びつけるのは宗教政党ではなく、左翼政党だった。現在サドル潮流の支持基盤の核となっているサドル・シティ(旧サウラ地区)は、1970年代後半までイラク共産党の牙城だった。
 問題は、このような対立を生む「宗派」以外の要素が、対立を分析するうえですっかり抜け落ちてしまい、宗派を前提とした対策しか講じられないことだ。本来、雇用や生活水準の向上などを通じて社会経済的平等を図ることが求められているのに、宗派や民族のポスト配分でしか対処方法を考えられない。イラク人識者の多くが「宗派対立は欧米が持ち込んだ」と主張するが、それをより正確に換言すれば、宗派以外の要素を捨象して、すべて宗派や民族などのわかりやすい対立へと矮小化したのが欧米流だったということだ。
 そのことは、湾岸戦争後、英米在住の亡命イラク人たちが確立した「①アラブ人スンナ派、②アラブ人シーア派、③クルド民族という三区分の枠組み」が、当時とイラク戦争後でいかに変質したかを見れば明らかだ。
 1990年代前半から亡命イラク人の間で、フセイン政権後は①、②、③の集団指導体制でやっていくしかないという認識が生まれていた。しかし、そこで実際に選ばれた「宗派・民族」代表には、別の側面もあった。②のムハンマド・バハルウルームが宗教界を、③のマスウード・バルザーニがクルド民族運動を代表する一方で、①のハサン・ナキーブは元バアス党反主流派で軍将校だった。つまり、各「宗派・民族」代表という意味とは別に、
   「①世俗的ナショナリスト軍人、②宗教界、③自治を求める民族マイノリティ」
という、イラク近現代史を彩っていた主要な政治潮流がこの三人に代表されたのだ。
 しかし、9・11後、イラクへの戦争を急ぐ米政権の発想から「三つの区分」に政治潮流を代表させるという要素が消えた。米国は、フセイン後のイラクの青写真を十分描かないうちに、イラクの軍事攻撃を決断した。戦後の準備のない軍事攻撃は、旧軍、旧与党たる世俗ナショナリスト勢力の追放につながり、戦後イラクの「三つの区分」に含まれるはずだった「世俗ナショナリスト軍人」の要素が消えた。その結果、「スンナ派だったら誰でもいい」的な、宗教的要素を形だけ維持した「宗派・民族区分」が独り歩きしてしまったのだ。

(3)蔓延する「わかりやすい二項対立」
 階層や不平等や格差といった対立の本質を捨象して、なぜ対立軸が「宗派」という形としてだけ残ったのか。そこには、シンボルに引きずられた9・11以降の政治の新しさがある。9・11後、「敵」と「味方」に世界を分断する「分かりやすい二項対立」が蔓延した。
 ブッシュ大統領の宣言、「我々につくか、やつらにつくか」。
 攻撃される自由世界の人びとと、攻撃する非民主的なテロリスト。犯人たちの属性である「イスラーム教徒」は十把一絡げに後者に分類された。
 実際には、歴史的に破壊と攻撃の被害者であり続けてきた中東の住民たちは、むしろ「これで米国も私たちの不安、恐怖を共通するのでは」と、米国社会との共振を期待した。にもかかわらず、中東の人びとが自分たちの「悲劇の象徴」を提示したところで、9・11と同列に扱ってもらうことができないばかりか、9・11の悲劇性に挑戦するものとみなされてしまった。
 同じことは2015年のパリでも起きた。「私はシャルリ」のハッシュタグ(1月)、トリコロールへの連帯表明(11月)は、似たような悲劇を経験しながら「シャルリ」や「トリコロール」を共有しないものを、連帯の広がりから排除した。共闘と団結を象徴するようなイメージ、画像、スローガンは「我々」と「他者」を切り分ける。9・11を契機に始まった「対テロ戦争」という二項対立の図式は、米国のみならず世界中で敵と味方を分け続けることになった。
 SNSなどネットによって簡単に世界中に広げる技術の進歩が、15年前のブッシュ発言とは比べものにならない勢いで、世界中に敵と味方を判別するラベルを溢れさせる。
 その中には宗教的なシンボルも含まれる。イラク戦争後、イラクでは社会経済的に劣位に置かれていたシーア派社会が一気にその宗派的アイデンティティを復活させ、シーア派の宗教儀礼や行事を復活させた。フセイン政権の転覆により、これまでの「持たざる者」の地位から抜け出し、新しい人生を歩むことができるんだ、という解放感が、シーア派儀礼の実践というアイデンティティの発露につながった。掲げられなかった旗、集まれなかった集会の復活に、数百万の人びとが集まった。
 だが、この掲げられる解放の象徴がシーア派にとってのみのイメージやスローガンや画像だったとき、非シーア派のスンナ派やキリスト教徒の人びとにとっては、統合や共感や連帯ではなく排除のシンボルとなる。それが最も鮮烈だったのが、2014年以降イラクで展開されたIS掃討作戦だった。
 2014年6月、イラクのモースルを制圧したISは、そこで国防にあたっていたイラク国軍のシーア派兵士を殺害した。ISは、シーア派は異端、イスラームに反するものとして死に値すると考える。そう断罪されたシーア派にとって、ISは断固撃滅されなければならないものとなる。ティクリートやアンバール県など、ISに制圧された地域に対してイラク軍が軍事作戦を展開する際、動員されたシーア派中心の部隊(人民動員組織)は、シーア派儀礼で繰り返されるイマーム賛美の掛け声「ヤー、アリー」などを叫びながら突入した。その露骨な宗派性は、非シーア派にとっては「祖国防衛」を共有するものではなく、むしろあからさまな「他者」の表明だった。

(4)シンボルの増殖
 シンボルは増殖する。シーア派的シンボルの圧力に圧倒されたスンナ派社会がシンボルとしたのは、ファッルージャという対米抵抗運動の街だった。
 イラク西部の都市ファッルージャでは住民のほとんどがスンナ派だが、フセイン政権時代に特段優遇されていたわけではなく、イラク戦争で敗北してもフセインと連座するという認識はほとんどなかった。
 しかし、イラク社会を宗派と民族で分けて考えるのが当たり前とする欧米の認識では、この街を親フセイン、反米の街とみなし、戦争直後から警戒心を抱いていた。その結果、いくつかの不幸な衝突、事故が積み重なり、駐留米軍に対する激しい抵抗運動の拠点と化したのだ。2004年に日本人5名が拉致された事件は、そうした流れの中で発生した。
 米軍の占領統治の失敗によって反米化し、繰り返し激しい掃討戦の対象となりながら、シーア派など他の地域住民からは同情を得られず、むしろ外国から流入した国際テロ組織によって抵抗運動が過激で暴力的な方向へと歪められていく。
 宗派的シンボルを前面に押し出すシーア派に対して、スンナ派の間にはイラク戦争、米軍統治の被害者というシンボルが生まれた。イラク戦後、一貫して素朴な抵抗運動が弾圧と無理解に苦しめられてきた、というイメージがファッルージャという街に付きまとっていった。さらにファッルージャがイラク建国前夜の1920年に南部に発生した反英独立暴動に参加したという史実から、反英=反米=独立の志士というイメージがファッルージャに加わった。
 かくして、宗派的シンボルを前面に押し出す①シーア派に対して、②スンナ派の間にはイラク戦争、米軍統治の被害者というシンボルが生まれたのだ。
 ここで重要なのは、①シーア派も②スンニ派も、自らの尊厳や権利や価値を主張する際の原点となるのが、自分たちがいかに犠牲になってきたか、犠牲の度合いということだ。①も②もいずれも自分たちのほうがいかに「イラク」という祖国を守るのに犠牲を重ねてきたかを競うのだ。
 ①シーア派社会・・・・7世紀にウマイヤ朝軍に殲滅された記憶を再生産してきた。フセイン政権下でいかに被害を受けてきたか、その犠牲者としての立場をシーア派の歴史に重ね合わせて、宗派的シンボルを惜しげもなく自己主張に使用する。
 ②スンナ派社会・・・・外国支配、植民地統治に抗するナショナリストとしての犠牲の大きさを語る。

(5)湾岸地域内のパワーバランスの変化
 9・11後、ペルシャ湾岸地域内のパワーバランスが変化した。これが中東の「宗派対立」に決定的影響を与えた。
 米国の対中東政策は9・11までサウディなど親米湾岸アラブ産油国と協力して、イラン、イラクの両勢力を域内で封じ込めるというものだった。
 ところが9・11後、バランスが大きく変化する。アフガニスタン戦争でもイラク戦争でも、近隣の地域大国たるイランの役割が重要となった。イラク戦争後、イラクの政権がイランの影響の強いシーア派イスラーム主義政党に担われるようになり、内戦や対IS対策で治安上シーア派民兵の活動に依存せざるを得なくなると、ますます背後にあるイランを無視することができなくなった。
 逆に米国との関係がぎくしゃくしたのがサウディアラビアだ。ビンラーディン自身や9・11の実行犯の多くがサウディ国籍だったこと、湾岸アラブ産油国出身のISやアルカーイダとの資金的つながり、さらにはサウディの非民主的体制にもかかわらず米政権が協力関係を維持していることに疑問を抱く米世論などから、9・11以降の米・サウディ関係は緊張感を含んだものとなった。
 <例1>形式的であれ「アラブの春」の民主化を支持するオバマ政権は、バハレーンの反政府デモに介入したサウディなどGCC諸国に対して好意的な反応はしなかった。
 <例2>その2年後、シリア内戦においてシリア政府軍を攻撃する、といったん手を挙げながら軍事介入を取りやめた。シリア反政府勢力を支援してきた湾岸アラブ諸国には、オバマの心変わりは衝撃であった。
 特にサウディの神経を逆なでしているのが、米政権のイランとの接近だ。
 9・11後の湾岸地域の域内勢力のバランスの変化と、米国の中東政策の変化によって、サウディアラビアはイランとのむき出しの対立関係に晒されることになった。それが「宗派対立」の本質にある。つまり「宗派」というよりは、サウディアラビアとイランの域内覇権抗争、「中東新冷戦」が根幹にあるのだ。
 だが、冷戦が域内全体を巻き込むには、それぞれ自派の立場を正当化する論理が必要だ。そこで持ち出されるのが宗派だ。相手の宗派がいかに非愛国的で、対外従属的で、社会の連帯を破壊するものであり、秩序を乱すものか、を強調する。シーア派のイラン、イラクは、ISなどスンナ派の武装勢力を「タクフィール主義者」(他者を異端扱いする排外主義者)と非難する。一方でスンナ派諸国は、イランやイラクなどのシーア派政治家を「ターイフィーヤ」(宗派主義者)と非難する。
 換言すれば、シーア派はスンナ派を、自分たちを排除するものとみなし、スンナ派はシーア派を、共同体から分派して出ていこうとしているものとみなしている。双方とも相手をイスラーム共同体を破壊するものとみているのだ。
 つまり、シーア派対スンナ派という宗教的対立構造は、9・11以降大きく崩れた湾岸、ひいては中東全体の「共同体」をどちらが「正しく」代表しているかを競い合う、その正当化のために持ち出された論理だ。イランもサウディアラビアも、どちらも「正しさ」を打ち出すために宗派性を持ち出しているのだ。

(6)国際社会の最大の失敗とは何か
 9・11が残した最大の遺恨は、誰が「正しいか」を巡って命を賭ける殺人が是である、という認識ではあるまいか。その「正しさ」のなかでも「犠牲を受けた者だからこそ掲げることのできる正しさ」が、圧倒的な説得力を持って軍事行動を容認することになった。
  (a)9・11を実行した犯人とその組織の攻撃の犠牲になった米国は、絶対に「正しい」。だから、それらをかくまうアフガニスタンやイスラーム社会全体に対して、何をやってもよい。
  (b)フセイン政権下で犠牲になり続けてきたシーア派社会は絶対に「正しい」。だから、宗派色満載のシンボルが祖国を埋め尽くしても、かまわない。
  (c)シリア内戦でアサド政府軍やロシア軍の破壊的な攻撃の犠牲となるスンナ派の住民たちは、絶対的に「正しい」。だからジハードに身を投じてまでも、全世界のイスラーム教徒がISに馳せ参じる。
 9・11後の国際社会の最大の失敗は、その「正しさ」の横行に歯止めをかけられなかったことだ。「正しさ」の主張が乱立すること、「正しさ」が裏切られたときにそれを絶望のまま放置したことが、この15年間の国際社会の混迷を生んでいる。
 なぜアルカーイダが、ビンラーディンが、タリバーンが、9・11を「正しい」と主張するに至ったのか、なぜ彼らの「正しさ」が9・11に至るまでの過程で他の「正しさ」と折り合いをつけることができなかったのか。そうした根本的な問題は、15年経てもなお解明されていない。解明されていないから、それが再発することを予防する手立てを得られていない。
 その間に、「正しさ」を裏切られた人びとが、新たに自分たちだけの「正しさ」を見つけては、戦いを繰り広げていく。それを解きほぐす糸口はまだ見えない。

□酒井啓子(千葉大学教授)「誰が「正しい」かを競う戦い 9・11から中東の宗派対立へ」(「世界」2016年10月号)
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

 【参考】
【酒井啓子】国際社会の最大の失敗とは何か ~中東・宗派対立の起源(6)~
【酒井啓子】湾岸地域内のパワーバランスの変化 ~中東・宗派対立の起源(5)~
【酒井啓子】対立のシンボルの増殖 ~中東・宗派対立の起源(4)~
【酒井啓子】蔓延する「わかりやすい二項対立」 ~中東・宗派対立の起源(3)~
【酒井啓子】宗派ではなく社会格差・階層間の対立 ~中東・宗派対立の起源(2)~
【酒井啓子】9・11が開けたパンドラの箱 ~中東・宗派対立の起源(1)~

【保健】茶カテキンは絶対避けるべきサプリ成分 ~米国消費者団体~

2016年09月24日 | 医療・保健・福祉・介護
 (1)健康食品やサプリメントは、特定の成分を通常食事で摂る量の何倍もの量を長期間にわたって摂り続けさせる。この場合、逆に健康への悪影響が起こるのではないか?
 日本ではあまり問題にされていないが、海外でこうした健康影響が懸念されている成分の一つとして、高濃度茶カテキン(緑茶抽出物)が注目されている。ノルウェー政府がサプリメントとしての上限値を設定した【注】が、これに続き米国最大の消費者団体機関紙「コンシューマーレポート」が、7月28日ウェブ版でサプリメント成分で「常に避けるべき15成分」を発表。その中に「緑茶抽出物」が入っていた。
 これら15成分は、専門家の意見をもとに、市販のサプリメントの成分の中で、肝臓、腎臓、心臓などの臓器障害に係る発癌性が指摘されている、死亡例が報告されている、などのチェックリストにより選定された。
 15成分の中には日本では、医薬品の成分としてしか使えないもの(トリカブト、フキタンポポ、カバ、ロベリアソウ、ヨヒンベなど)、健康被害が報告され販売禁止措置が採られたもの(コンフリーなど)がある。そうした有害成分と一緒に「緑茶抽出物」が重要視されている。

 (2)それならば、緑茶を毎日のように消費している日本で健康被害が起こらないのはおかしい、という意見も出てくる。
 たしかに緑茶抽出物を使ったサプリメントでは、散発的に肝臓障害などの健康被害事例が報告されているが、そのすべては海外での事例。日本国内での症例はまだ報告されていない。
 その理由として、緑茶として飲む場合と違い、サプリメントは一度に大量摂取することが原因だとも推定されている。動物実験では、空腹時に大量に摂取し続けた場合、食事などと一緒に飲んだ場合に比べて肝臓への毒性が10倍になることがわかっているからだ。
 新たな情報として、緑茶抽出物を使った34件の臨床試験の結果を再評価(システマティックレビュー)論文(2016年発表)では、発生率は患者総数1,405人中7人(0.5%/200人に1人)だという。その結果、「緑茶抽出物による肝臓障害は稀な事例である」と記述されている。
 しかし、200人に1人という発生率は、2万人とすれば100人。サプリメントとして広く利用されることを前提とすれば、決して稀なケースとして済ませてよい発生率ではない。

 (3)日本人間ドック学会発行の「人間ドックの現況」では肝機能異常が近年増加傾向にあり、2014年には受診者の33.7%だ。肥満、高血圧、高コレステロールなどの他の生活習慣病を抑え、トップになっている。肝機能異常の原因はアルコールや肥満などの他の要因の方が大きいだろうが、サプリメント成分による肝障害も否定できない。伝統的な飲食経験のある緑茶はよいとして、高濃度に加工した飲料やサプリメントのような商品には要注意だ。

 【注】「【保健】茶カテキンによる肝障害でノルウェーがサプリメント含有量規制へ

□植田武智「茶カテキンは「絶対避けるべきサプリ成分」とアメリカの消費者団体が指摘」(「週刊金曜日」2016年9月2日号)
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

【佐々木実】日銀を蚕食する“反知性主義” ~“異次元緩和”の落日~

2016年09月23日 | 社会
 (1)日本銀行は9月に金融緩和政策の「包括的検証」を公表するが、一足先に、早川英男『金融政策の「誤解」』(慶應義塾大学出版、2016)が出版された。著者は、日銀が「異次元緩和」を始める直前まで日銀の理事を務めていた。内部事情に通じる元日銀マンの検証は説得力がある。

 (2)そもそも「異次元緩和」への道筋をつけたのは、安倍晋三・首相だ。野党党首時代から、「輪転機をグルグル廻して無制限にお札を刷る」などと日銀に圧力をかけ続けた。
 その理論面をサポートしたのが「リフレ派」だ。デフレさえ克服すれば万事うまくいくと考えるエコノミストたちだ。
 安倍首相の誕生で、白川方明・日銀総裁(当時)は退任を余儀なくされた。特命を帯びて黒田東彦・元財務官僚が総裁として、リフレ派代表格の岩田規久男・学習院大学名誉教授が副総裁として、まるで敵陣に落下傘降下するようにして日銀に入り、日銀はリフレ派陣営に制圧された格好となった。黒田総裁が「2年間で2%の物価上昇」を宣言し、「マネタリーベースを年間60兆円から70兆円増やす」という「異次元緩和」が始まった。

 (3)マネタリーベースは日銀が供給する通貨(現金通貨+日銀当座預金)で、年間増加額に目標を設ける手法はマネタリズムの考えに基づく。
 だが、意外にも、「異次元緩和」はマネタリズムに基づくものではない、と早川氏は断言する。日銀の公式文書を丹念に読めば、<マネタリーベースの増加が物価を上昇させる>という波及ルートにいっさい言及がないことを確認できる、という。
 日銀は、マネタリーベースの増加が物価に与える影響は軽微であることを知っている。2001年から5年も続けた量的緩和政策で実証済みだからだ。「日銀はマネタリズムの思想を受け入れたわけではない」と解説することで、早川氏は日銀を擁護している。金融テクノクラートの声を代弁するように、「リフレ派に乗っ取られたわけじゃない」と弁明しているのだ。

 (4)安倍親衛隊と化したリフレ派は、じつは、経済学界ではほとんど相手にされていない。アカデミズムの検証に耐えうる代物ではないということだ。早川氏の指摘だと、日銀執行部も面従腹背で、リフレ派の「理論」などあてにはしていない。
 早川氏はリフレ氏の特徴を「主観主義」「楽観主義」「決断主義」と見る。
 「人々の期待」さえ変えればデフレは解消するとの主観主義、物価以外の経済問題を軽視する楽観主義のもとに、「大胆にやれ!」と囃し立てた。「異次元緩和」にひそむ金融危機のリスクや日銀の経営問題は、決断主義に蹴散らかされた。

 (5)リフレ派の精神は太平洋戦争中の日本軍を想起させる、との指摘がある。
 「異次元緩和」が3年を超え、その信憑性にはほぼ黒白がついた。
 ところが、肝心の中央銀行ではいまも悪貨が良貨を駆逐している。「最近では日銀審議委員に金融界、学界を代表する人物とは考えられない人々が任命されている」と早川氏は嘆く。
 金融政策という専門知が求められる世界にも“反知性主義”の波が押し寄せている。
 日銀の壮大な実験が証明したのは、この驚くべき事実ではないか。

□佐々木実「“異次元緩和”に巣くう“反知性主義”/日銀の「壮大な実験」が証明したもの ~経済私考~」(「週刊金曜日」2016年9月2日号)
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

 【参考】
【米国】大統領選の主役は「アウトサイダー」 ~トランプ=サンダース現象が生んだ亀裂~
【政治】新自由主義に鼓舞される復古主義 ~自民党改憲案の「第22条問題」~
【佐々木実】異次元緩和の戦線拡大で高まるリスク ~マイナス金利~
【言論】マッカーシズムの教訓 ~政治権力と言論~
【経済】国家戦略特区で起きた肝移植問題 ~神戸~
【東芝】「不正会計」の主役は安倍ブレーン ~産業競争力会議の犯罪者~
【企業】大赤字・無配でも社長は高額報酬 ~ソニー「経営改革」の蹉跌~
【ピケティ】現象を生んだ思想の空白 ~「格差」と経済学のゆくえ~
【安保】進む武器輸出 急接近する“戦争”と“ビジネス”
【経済】子どもに貧困を押しつける日本 ~再分配機能の不全~
【経済】宇沢弘文の「自己を見返す力」 ~知識人とは何か~
【経済】日本銀行総裁の資質 ~“平成の鬼平”と“パペット”~
【経済】宇沢弘文が残したもの ~社会的共通資本の思想~

【原発】「凍土壁」による汚染水対策の破綻、もう打つ手なし ~東電の惨状~

2016年09月22日 | 震災・原発事故
 (1)凍土壁を採用した理由は二つあった。
   ①遮水能力が高い。
   ②現場での施工がやりやすい。
 しかし、①が破綻している。・・・・8月18日に開かれた原子力規制委員会の特定原子力施設監視・評価検討会で、外部有識者の橘高義典・首都大学東京大学院教授は、居並ぶ東京電力の担当者に向かってたしなめるように、そう言った。
 2011年3月11日の福島第一原発事故直後の収束作業でも、喫緊の課題と言われ続けている汚染水問題への対応は、安倍晋三・首相ですら「場当たり的」というほど後手に回っている。現在、国費345億円を投じた凍土遮水壁の凍結作業が進んでいるが、東電が予測していた効果とはほど遠い状況が続いている。
 にもかかわらず、東電はデータの一部だけを抜き出して「効果が出始めている」などと説明している。
 橘教授の発言には、そうした東電の姿勢に対する苛立ちが混じっていた。

 (2)事故発生直後には、海に高濃度の汚染水が流出していることが判明したにもかかわらず、東電は汚染水を貯蔵するタンクをすぐには発注しなかった。東電と政府は、タービン建屋地下に大量に溜まっている汚染水の移送先を確保するため、別の建屋に溜まっていた比較的濃度の低い1万立米以上の汚染水を海へ放出するという異様な処置でその場をしのいだ。
 2011年7月、東電と政府は、セシウム除去装置を稼働することで、年内に汚染水の「全体量を減少する」という目標を工程表に明記した。しかし、東電はその2ヵ月後に、原子炉建屋に地下水が毎日400立米流入して、汚染水を増やしていることを認めた。この時点で、汚染水は増え続けることが明らかになり、全体量を減らすことは困難になった。
 同年12月16日、政府は「(汚染水対策の)目標が達成された」として、「事故収束宣言」を行った。しかし、その「目標」は、「全体量の減少」から「建屋内の増加抑制」にすり替えられていた。政府も問題を先送りにしたのだ。

 (3)ところが、2013年7月には、汚染水の海洋流出が続いていることが判明。東電と政府の認識の甘さが表面化した。専門家から「流出が続いている」という指摘があったが、東電は詳細な調査を行わないまま流出を否定。このため、東電への非難が高まり、政府は汚染水対策に税金を投入することを決定した。そこでまず手をつけたのが凍土壁だった。
 そもそも原子炉建屋に地下水が流入してできる汚染水の流出を防ぐための遮水壁は、2011年6月に計画が発表されるはずだった。政府が東電の本社に設置した「政府・東京電力統合対策室」は、汚染水の溜まっている建屋を遮水壁で取り囲み、地下水と隔離する計画を立案。同月14日には、東電が計画を発表するはずだった。しかし、東電は費用がかさんで債務超過になるのを恐れ、発表直前に撤回。政府はそれを了承した。
 それから2年後、2013年4月、資源エネルギー庁は増え続ける汚染水に対処するため、「汚染水処理対策委員会」を設置。5月30日までに3回の会合を開き、凍土方式の遮水壁の採用を決めた。これはもともと東電の事業だったが、汚染水の海洋流出公表をはさみ、税金による事業に変わっていた。
 しかし、凍土壁の構築は、当初から難航。福島第一原発事故現場の作業を監視する規制委員会の検討会の委員らは、原子炉建屋とタービン建屋を取り囲むように設置された「サブドレイン」(地下水を汲み上げる井戸)によって地下水量を減少させ、建屋への流入を減らすことができると考えていた。同時に、凍土壁によって建屋周辺の水位が下がると、汚染水が建屋の外に出てくるのを懸念していた。更田豊志・規制委員会委員はたびたび「凍土壁は不要ではないか」と発言している。このため凍土壁後事認可には長居時間を要し、2015年上期に凍結を開始するという計画は、結局1年遅れの2016年3月末に実施されることになった。
 その間、汚染水の海洋流出を止めるため、東電は護岸部分に設置していた鉄製の遮水壁を2015年10月末に閉合。遮水壁で行き場を失う汚染水は、護岸付近で汲み上げて濃度を確認した後、海に放出する予定だった。
 だが、実際には汚染度が高く、タービン建屋に戻すしかなかった。その量は多い時には1日300立米にもあり、汚染水全体の増加量は1日500立米に増えた。海に出ている汚染水を止めると貯蔵しなければならず、さらに汚染水が増える結果になった。

 (4)一方、2016年3月に凍結が始まった凍土壁も、いまだに明確な効果が見えてこない。東電は当初、凍土壁と「サブドレイン」の運用によって地下水の建屋への流入量が1日あたり350立米から150立米に減少すると想定。護岸からの汲み上げ量は1日100立米と想定されているから、汚染水全体の増加量は250立米になると皮算用していた。
 さらに東電は、2016年8月18日の検討会で、凍土壁は海側が99%、山側が91%が0度以下になっているとし、護岸への地下水流入量が減少するとの見方を示した。この効果により、今後は汚染水の汲み上げ量が1日70立米になると数字を下げて予測した。
 だが、東電が公表している汚染水のデータでは、凍土壁が凍結を始めた4月以降の護岸付近からの汲み上げ量は1日あたり186立米、想定の2倍以上になる。更田委員は「70立米を(護岸からの汲み上げ量の)目安とするなら、効果が見られない」と指摘した。(1)の橘高教授から「破綻しているのなら代替策が必要なのではないか」という意見も出た。

 (5)汚染水全体の増加量は、
   2016年1月から3月31日まで:430立米/日
   同年4月1日から8月25日まで:450立米/日 
とほとんど変わらない。他方、昨年の汚染水全体の増加量は1日あたり500立米なので若干減少しているが、その要因が凍土壁なのか、それとも2015年9月に始まった「サブドレイン」の運用によるものかは判然としない。
 さらに東電は、建屋への地下水流入量が従来は1日あたり200立米だったが、2016年7月には170立米になったとも説明。しかし、7月は降雨量が前月比で8分の1程度だったため、減少の理由を凍土壁だけに求めるのは難がある。
 検討会の議論を受け、朝日新聞は<福島第一の凍土壁、凍りきらず有識者「計画は破綻>【注】と報じたが、東電は8月19日にホームページで反論を掲載。今後は「さらに効果が現れる」と主張した。
 また東電の社内分社で、事故後の廃炉・汚染水対策を担当する福島第一廃炉推進カンパニーの増田尚宏・プレジデントも8月25日の会見で、「9月末には凍土壁の効果が確認できる」との見通しを示した。
 しかし、東電は今のところ、目論見がはずれた場合の代替策を準備していない。会見で増田氏は「サブドレインがある」と説明しているが、以前から運用している対策を代替策というのは筋が通らない。

 (6)東電は2011年中に汚染水を処理すると宣言していた。それがいまだに増え続け、処分の目処はたたない。しかも2016年8月には、凍土壁の一部が溶ける事態も起きている。
 田中俊一・規制委員会委員長は海洋放出の必要性を唱えているが、東電は放出を否定する一方で、タンクを永久に造り続けるわけにもいかないと認めている。
 汚染水問題は解決の糸口が見えない。 
  
 【注】記事「福島第一の凍土壁、凍りきらず 有識者「計画は破綻」」(朝日新聞デジタル 2016年8月18日)

□木野龍逸「破綻した「凍土壁」による汚染水対策 もう打つ手なしの東京電力の惨状」(「週刊金曜日」2016年9月16日号)
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

【佐藤優】の考える、貧乏をなくす方策  ~『貧乏物語』解説(3)~

2016年09月21日 | ●佐藤優
 (承前)

(7)教育の無償化という貧困対策
 現在、貧困、特に子どもの貧困が深刻になっている。政府も保育園の待機児童対策や大学生への給付型奨学金の導入など、教育問題に取り組むようになっている。しかし、野党の主張を含めて、事態の深刻さを理解していない場当たり的な対処に過ぎないように見える。
 太平洋戦争中のレイテ戦のような、戦力の逐次投入をすべきではない。抜本的解決を図るべきで、その方策のひとつは教育の原則無償化だ。ゼロ歳から22歳まで、国公立の機関が行う保育、教育は原則として無償にするのだ。
 この事業に要する費用は3兆円くらい。こういう事業の財源こそ、消費税に求めるべきだ。制度設計さえきちんとできていれば、1%もあれば財源は確保できるはずだ。
 重要なのは富裕層も対象として、社会の分断をつくらないようにすること。
 東西冷戦下においては、こういう再配分をしなければ共産主義の脅威が迫ってくるということで、富裕層も納得していた面がある。しかし、共産主義の脅威のない現在、社会全体が利益を被る政策を採るときは、富裕層を納得させ、富裕層も巻き込むことが必要になる。
 富裕層とは、純金融資産保有額が1億円以上の世帯を言い、2013年現在、日本に100万世帯あるという(野村総合研究所)。全体の2%だ。彼らの子どもの教育費を無償にしたところで、支出はたいしたことはない。彼らにまわさなければ、海外に出てしまうリスクがある。
 富裕層は経済成長によって利益を被る。子どもの貧困問題を解決するということは、労働力の質が向上することを意味する。将来、公的扶助を受ける人の数が減ってくる。子どもが育てば税収も増える。
 してみれば、子どもの貧困対策こそ、成長戦略だ。
 現在、国民は老後の不安とならんで教育の不安を抱えている。そのために貯蓄している家庭が少なくない。教育の不安がなくなれば、親世代がお金を使い始める経済的効果が見込まれる。
 「子どもの貧困対策」を政策とするなら、「人の成長戦略」として教育の無償化に目を向けるべきだ。

(8)人間関係の商品化
 以上、貧困問題を社会科学的アプローチ、論理性、実証性を重視して見てきた。しかし、それだけでは抜け落ちてしまう部分が残る。人間の心情だ。
 人間の心情については、評伝、伝記、良質の小説を読むことが重要だ。

(9)資本主義の矛盾を解決する二つの方法
 資本主義は格差をもたらす。資本主義の構造的矛盾を解決する処方箋は、おそらく二つに限られる。
  ①『貧乏物語』が唱える社会、特に自覚した富裕層による再分配だ。資本主義の競争に勝利した者が、自分の富の一部を自発的に社会的弱者に提供する「贈与」だ。<例>フードバンク。
  ②知人同士、友人同士の「相互扶助」だ。組織の内外で競争が激しくなっていく中、人間関係はますます希薄になっている。人間関係そのものが商品化されるのが資本主義だとすれば、商品経済とは異なる関係を築くことが必要だ。社員が会社の利益に貢献する限りにおいては、会社は互助組織として役立つ。NPOでも何でもいい。組織に属していること、組織にしがみつくこと。組織がセーフティネットであるのは間違いない。
 社会問題という言葉は、しばらく死語になっていた。しかし現在、貧困、教育格差、限界集落、移民など社会問題が復活している。
 1,980万人もの非正規社員の処遇をいかに改善するかが問題になっている。正規社員の1年間の平均給与が478万円であるのに対し、非正規社員は170万円だ【国税庁「民間給与実態統計調査」(2014年)】。これでは婚姻、子育てはできない。『貧乏物語』は日本に資本主義が成立してから間もないことに貧困と向かい合ったが、日本資本主義体制の危機が訪れている現在、絶対的な貧困をなくし、構造的な弱者である若年層の状態を改善することが求められている。

□河上肇/佐藤優・訳解説『貧乏物語 現代語訳』(講談社現代新書、2016)の「おわりに 貧困と資本主義」
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

 【参考】
【佐藤優】河上肇の、貧乏をなくす方策  ~『貧乏物語』解説(2)~
【佐藤優】貧乏とは何か、貧乏の原因は何か  ~『貧乏物語』解説(1)~
【佐藤優】河上肇の思考実験を引き継ぐ
【佐藤優】貧富の格差が拡大した100年前と現代
【佐藤優】いくら働いても貧乏から脱出できない
【佐藤優】教育の右肩下がりの時代
【佐藤優】トランプ、サンダース旋風の正体 ~米国における絶対貧困~
【佐藤優】「パナマ文書」は何を語るか ~資本主義は格差を生む~
【佐藤優】訳・解説『貧乏物語 現代語訳』の目次

 


【佐藤優】河上肇の、貧乏をなくす方策  ~『貧乏物語』解説(2)~

2016年09月21日 | ●佐藤優
 (承前)

(4)貧乏をなくす三つの方法--『貧乏物語』(下編)解説
 貧乏の根治策を提示する。
  ①贅沢の抑制。
  ②所得再分配。
  ③産業の国有化。
 ③は、物の生産を私人の営利事業に一任するのではなく、直接国家の力で経営する「経済上の国家主義」というべきものだ。その後の歴史が選択したのは③だったが、『貧乏物語』は経済体制の改造は貧乏退治の根本対策にならないとしている。組織や制度を変えても、運用する人間そのものが変わらなければ解決にならないと記す。
 ということで、『貧乏物語』は②、③を否定して①に回帰する。江戸時代の贅沢禁止のお触れがあるように、突飛な考えではない。しかし、明治維新からまだ50年ほどしか経っていないという時代背景も大きかったと推定される。下級武士、農民から這い上がって富裕層に至った人が多かった。スマイルズ『自助論』を中村正直が訳したベストセラー『西国立志編』や福沢諭吉『学問のすゝめ』の延長線上に彼らはいた。

(5)善意の帝国主義者--ロイド・ジョージ論
 ロイド・ジョージは、1916年(第一次世界大戦中)に首相に就いた。貧困問題を国内で解決しようとすれば生産性を上げねばならない。労働者の視点に立てば、より搾取されてしまう状況が生まれる。そこで彼は、外に解決を求めた。内部の問題を外部で解決する帝国主義の道だ。
 これは米国などの域内においては新自由主義的政策を取るが、それ以外の「外部」に対しては帝国主義的な手法で利益をえるという、現在のTPPの論理と似ている。
 ロイド・ジョージを賞讃する『貧乏物語』は、帝国主義的側面がないとは言えない。しかし、それは当時の左翼に共通する傾向だった。現在では左翼といえば植民地反対を唱えるものと決まっているが、当時においてはそうではなかった。

(6)ふたたび貧困は社会問題になった
 『貧乏物語』は1947年に岩波文庫に入った。解題で大内兵衛(労農派マルクス主義者)は書いた。「日本の社会問題はもはや『貧乏物語』ではない」と。
 『貧乏物語』が刊行された第一次世界大戦のさなか、「貧乏」はまさに社会問題だった。貧乏が日本の問題であることを最初に示したのは『貧乏物語』だった。日本に資本主義が生まれてまだ時間が経っていないころ、「貧乏」が喫緊の課題だった。しかし、河上肇自身が『貧乏物語』を絶版にしたように、その後、マルクス経済学は『貧乏物語』を過去のものとして扱った。
 だが、大内発言を終戦直後という時代環境に照らしてみると、違った側面が見えてくる。
 1940年に成立した国家総動員体制は、厚生省を創設し、社会保険制度を生み、借り手を保護する借地法、借家法の改正につながった。貧困を根絶し、格差を是正するというベクトルが働いたのだ。しかし、それは資本主義が勝利したからでも、労働運動の力があったからでもなかった。国家によって上から総力戦体制が構築されたからだ。戦争をすることで格差が是正されるというピケティの主張は、この点で正しい。
 その後もしばらくは貧困は社会問題にならなかった。東西冷戦があったからだ。貧困が深刻になれば共産主義革命が起きるという恐れがあった。そのため、国家が介入することによって再分配をして福祉国家をつくる。日本では田中派政治がそれに当てはまる。公共事業(土建)を通じたかたちで富は再分配された。
 しかし、東西冷戦が終結すると、状況は変化した。共産主義の脅威を気にする必要がなくなると、再分配政策は捨てられた。冷戦後に新自由主義的な政策が世界的規模で拡大したのは、そのような背景がある。そして、貧乏はふたたび深刻な社会問題になった。
 いま『貧乏物語』を読む意味は、そこにある。

□河上肇/佐藤優・訳解説『貧乏物語 現代語訳』(講談社現代新書、2016)の「おわりに 貧困と資本主義」
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

 【参考】
【佐藤優】貧乏とは何か、貧乏の原因は何か  ~『貧乏物語』解説(1)~
【佐藤優】河上肇の思考実験を引き継ぐ
【佐藤優】貧富の格差が拡大した100年前と現代
【佐藤優】いくら働いても貧乏から脱出できない
【佐藤優】教育の右肩下がりの時代
【佐藤優】トランプ、サンダース旋風の正体 ~米国における絶対貧困~
【佐藤優】「パナマ文書」は何を語るか ~資本主義は格差を生む~
【佐藤優】訳・解説『貧乏物語 現代語訳』の目次

 


【佐藤優】貧乏とは何か、貧乏の原因は何か  ~『貧乏物語』解説(1)~

2016年09月21日 | ●佐藤優
(1)性悪説のピケティと性善説の河上肇
 ①河上肇『貧乏物語』も②トマ・ピケティ『21世紀の資本論』も、「絶対的貧困」を再分配(富裕層に集中する富を貧困層に移すこと)によって解決しようとしている点で共通している。
 違う点がある。①は性善説に立ち、自覚した富裕層が良心に従い再分配を行う主体となるとした。
 ②は性悪説に立つ。資本家が自発的な再分配を行うとは考えず、分配の主体を国家(官僚)とした。累進的な所得税、相続税に加え、資本税の導入も唱える。さらにグローバル化に対応するために、超国家的な徴税機関の創設も視野に入れる。
 ②の議論に従えば、強力な国家と多大な権限を持った官僚群が資本家を抑えるという、イタリアのファシズムに親和的なモデルになる。国家が加速度をつけて肥大していく可能性が高い。

(2)働いても貧乏から脱出できない--『貧乏物語』(上編)解説
 テーマは、どれほど貧乏があるか、貧乏はなぜよくないか、だ。「貧乏」には三つの意味がある。
  ①他の誰かよりも貧乏な人。
  ②生活保護などの公的扶助を受けている人。
  ③身体を自然に発達させ維持するのに必要なものすらも十分に得られない人。
 『貧乏物語』でいう貧乏は、基本的には③を指す(絶対評価の貧乏)。ただ、ほんとうは「身体」を維持できるだけの所得では足りないと考えている。現代の生存権の思想につながる。
 その上で「貧乏線」を定義する。一人の人間が生きていくのに必要な栄養を摂取できる最低限の食費に、被服費、住居費、燃料費、その他の雑費を計算して合計したものだ。貧乏人とは、次の二つを合わせたものだ。
  (a)貧乏線より下にある人
  (b)貧乏線の真上に乗っている人
 (b)は、ふだんはどうにか生活が回っているように見えても「溜め」がまったくないので、身体の健康を維持する以外の出費があったりすると、すぐさま真っ逆さまに(a)に落ちてしまう。<例>親の介護などをきっかけに離職してしまうと、貧乏の連鎖からなかなか抜け出せない。
 ちなみに、現在、相対的貧困率を出す指標として用いられる貧困線(Poverty Line)は、等価可分所得の中央値の半分の額とされる。2012年の貧困線は122万円、相対的貧困率は16.1%。これ以下の層は、婚姻、子育てが難しい。
 『貧乏物語』は、イギリスを例にとる。全人口の65%にあたる「最貧者」がイギリス全体のわずか1.7%の富しか有していないという統計を紹介する。ヨーク市のデータでは、全体の半数以上が毎日規則正しく働いているにもかかわらず、貧乏線以下、身体の健康を維持するだけの衣食すら得られない暮らしをしていることを示している。
 貧乏を精神論で何とかせよという議論は、現在に至るまでよく見かけるが、パンが先だと『貧乏物語』は論じる。
 そして、伝統的に自力救済をよしとするイギリスにおいてすら、学校給食法や養老年金がつくられている、と例を紹介している。日本においては、慈善事業でもいいから、早くこうした給食施設ができるのを切望しているという。
 ちなみに、現代ではフードバンクや「子ども食堂」の試みが広がっている。

(3)貧乏の原因は何か--『貧乏物語』(中編)解説
 テーマは、貧乏の根本的な原因だ。
 動物社会からジャワ原人を経て、人間が人間として生きられるようになったのは道具のおかげだ。近代になって道具がさらに発展して機械となった。産業革命を経て、便利な機械がたくさん発明され、生産性が何千倍にも高まった。
 マルサス『人口論』は生産の増加は人口の増加にかなわないと説いた。貧乏の原因は、生産可能な物量が足りないからだと。
 これは『貧乏物語』の立場ではない。ではなぜ、いまだに貧乏が存在するのか。それは機械などの生産力を十分に活用できていないからだ。つまり、貧乏の問題は、生産(物量)の問題としてはすでに解決の道筋が見えている。あとは、もっぱら分配の問題だ。マルサスの議論では、人間全体が貧乏しなければならないことの説明はできる。しかし、ある者はテーブルに山ほど料理をならべ、別のある者はひどく粗末な食べ物すら手にできない、ということの説明はできない。
 『貧乏物語』でいう分配は、マルクス『資本論』で展開する資本家と地主間、資本家間の利潤の分配とはまったく異なる概念だ。分配には
  ①どのような商品をどれくらい生産するかという分配
  ②生産された商品を人びとにどのように分配するかという分配
の二つがあり、『貧乏物語』でいう分配は(a)、つまり生産計画の問題だ。一部の富裕層が「贅沢品」を求めるあまり、多くの機械が「贅沢品」の生産に奪い去られているために、生活必需品が十分に生産されていないと。①にこだわったところが、『貧乏物語』の特徴なのだ。
 このように、『貧乏物語』には抜け落ちている議論がある。「労働力の商品化」だ。なぜ多数の人びとが貧乏しているか、という本質を掴むに至っていない。これはピケティ『21世紀の資本論』においても同じだ。

□河上肇/佐藤優・訳解説『貧乏物語 現代語訳』(講談社現代新書、2016)の「おわりに 貧困と資本主義」
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

 【参考】
【佐藤優】河上肇の思考実験を引き継ぐ
【佐藤優】貧富の格差が拡大した100年前と現代
【佐藤優】いくら働いても貧乏から脱出できない
【佐藤優】教育の右肩下がりの時代
【佐藤優】トランプ、サンダース旋風の正体 ~米国における絶対貧困~
【佐藤優】「パナマ文書」は何を語るか ~資本主義は格差を生む~
【佐藤優】訳・解説『貧乏物語 現代語訳』の目次

 





【酒井啓子】国際社会の最大の失敗とは何か ~中東・宗派対立の起源(6)~

2016年09月20日 | 批評・思想
 (承前)

 9・11が残した最大の遺恨は、誰が「正しいか」を巡って命を賭ける殺人が是である、という認識ではあるまいか。その「正しさ」のなかでも「犠牲を受けた者だからこそ掲げることのできる正しさ」が、圧倒的な説得力を持って軍事行動を容認することになった。
  (a)9・11を実行した犯人とその組織の攻撃の犠牲になった米国は、絶対に「正しい」。だから、それらをかくまうアフガニスタンやイスラーム社会全体に対して、何をやってもよい。
  (b)フセイン政権下で犠牲になり続けてきたシーア派社会は絶対に「正しい」。だから、宗派色満載のシンボルが祖国を埋め尽くしても、かまわない。
  (c)シリア内戦でアサド政府軍やロシア軍の破壊的な攻撃の犠牲となるスンナ派の住民たちは、絶対的に「正しい」。だからジハードに身を投じてまでも、全世界のイスラーム教徒がISに馳せ参じる。

 9・11後の国際社会の最大の失敗は、その「正しさ」の横行に歯止めをかけられなかったことだ。「正しさ」の主張が乱立すること、「正しさ」が裏切られたときにそれを絶望のまま放置したことが、この15年間の国際社会の混迷を生んでいる。
 なぜアルカーイダが、ビンラーディンが、タリバーンが、9・11を「正しい」と主張するに至ったのか、なぜ彼らの「正しさ」が9・11に至るまでの過程で他の「正しさ」と折り合いをつけることができなかったのか。そうした根本的な問題は、15年経てもなお解明されていない。解明されていないから、それが再発することを予防する手立てを得られていない。
 その間に、「正しさ」を裏切られた人びとが、新たに自分たちだけの「正しさ」を見つけては、戦いを繰り広げていく。それを解きほぐす糸口はまだ見えない。

□酒井啓子(千葉大学教授)「誰が「正しい」かを競う戦い 9・11から中東の宗派対立へ」(「世界」2016年10月号)の「国際社会の最大の失敗とは何か」
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

 【参考】
【酒井啓子】湾岸地域内のパワーバランスの変化 ~中東・宗派対立の起源(5)~
【酒井啓子】対立のシンボルの増殖 ~中東・宗派対立の起源(4)~
【酒井啓子】蔓延する「わかりやすい二項対立」 ~中東・宗派対立の起源(3)~
【酒井啓子】宗派ではなく社会格差・階層間の対立 ~中東・宗派対立の起源(2)~
【酒井啓子】9・11が開けたパンドラの箱 ~中東・宗派対立の起源(1)~


【酒井啓子】湾岸地域内のパワーバランスの変化 ~中東・宗派対立の起源(5)~

2016年09月20日 | 批評・思想
 (承前)

 9・11後、ペルシャ湾岸地域内のパワーバランスが変化した。これが中東の「宗派対立」に決定的影響を与えた。
 米国の対中東政策は9・11までサウディなど親米湾岸アラブ産油国と協力して、イラン、イラクの両勢力を域内で封じ込めるというものだった。

 ところが9・11後、バランスが大きく変化する。アフガニスタン戦争でもイラク戦争でも、近隣の地域大国たるイランの役割が重要となった。イラク戦争後、イラクの政権がイランの影響の強いシーア派イスラーム主義政党に担われるようになり、内戦や対IS対策で治安上シーア派民兵の活動に依存せざるを得なくなると、ますます背後にあるイランを無視することができなくなった。

 逆に米国との関係がぎくしゃくしたのがサウディアラビアだ。ビンラーディン自身や9・11の実行犯の多くがサウディ国籍だったこと、湾岸アラブ産油国出身のISやアルカーイダとの資金的つながり、さらにはサウディの非民主的体制にもかかわらず米政権が協力関係を維持していることに疑問を抱く米世論などから、9・11以降の米・サウディ関係は緊張感を含んだものとなった。
 <例1>形式的であれ「アラブの春」の民主化を支持するオバマ政権は、バハレーンの反政府デモに介入したサウディなどGCC諸国に対して好意的な反応はしなかった。
 <例2>その2年後、シリア内戦においてシリア政府軍を攻撃する、といったん手を挙げながら軍事介入を取りやめた。シリア反政府勢力を支援してきた湾岸アラブ諸国には、オバマの心変わりは衝撃であった。
 特にサウディの神経を逆なでしているのが、米政権のイランとの接近だ。
 9・11後の湾岸地域の域内勢力のバランスの変化と、米国の中東政策の変化によって、サウディアラビアはイランとのむき出しの対立関係に晒されることになった。それが「宗派対立」の本質にある。つまり「宗派」というよりは、サウディアラビアとイランの域内覇権抗争、「中東新冷戦」が根幹にあるのだ。

 だが、冷戦が域内全体を巻き込むには、それぞれ自派の立場を正当化する論理が必要だ。そこで持ち出されるのが宗派だ。相手の宗派がいかに非愛国的で、対外従属的で、社会の連帯を破壊するものであり、秩序を乱すものか、を強調する。シーア派のイラン、イラクは、ISなどスンナ派の武装勢力を「タクフィール主義者」(他者を異端扱いする排外主義者)と非難する。一方でスンナ派諸国は、イランやイラクなどのシーア派政治家を「ターイフィーヤ」(宗派主義者)と非難する。
 換言すれば、シーア派はスンナ派を、自分たちを排除するものとみなし、スンナ派はシーア派を、共同体から分派して出ていこうとしているものとみなしている。双方とも相手をイスラーム共同体を破壊するものとみているのだ。
 つまり、シーア派対スンナ派という宗教的対立構造は、9・11以降大きく崩れた湾岸、ひいては中東全体の「共同体」をどちらが「正しく」代表しているかを競い合う、その正当化のために持ち出された論理だ。イランもサウディアラビアも、どちらも「正しさ」を打ち出すために宗派性を持ち出しているのだ。

□酒井啓子(千葉大学教授)「誰が「正しい」かを競う戦い 9・11から中東の宗派対立へ」(「世界」2016年10月号)の「湾岸地域内のパワーバランスの変化」
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

 【参考】
【酒井啓子】対立のシンボルの増殖 ~中東・宗派対立の起源(4)~
【酒井啓子】蔓延する「わかりやすい二項対立」 ~中東・宗派対立の起源(3)~
【酒井啓子】宗派ではなく社会格差・階層間の対立 ~中東・宗派対立の起源(2)~
【酒井啓子】9・11が開けたパンドラの箱 ~中東・宗派対立の起源(1)~

【酒井啓子】対立のシンボルの増殖 ~中東・宗派対立の起源(4)~

2016年09月20日 | 批評・思想
 (承前)

 シンボルは増殖する。シーア派的シンボルの圧力に圧倒されたスンナ派社会がシンボルとしたのは、ファッルージャという対米抵抗運動の街だった。
 イラク西部の都市ファッルージャでは住民のほとんどがスンナ派だが、フセイン政権時代に特段優遇されていたわけではなく、イラク戦争で敗北してもフセインと連座するという認識はほとんどなかった。
 しかし、イラク社会を宗派と民族で分けて考えるのが当たり前とする欧米の認識では、この街を親フセイン、反米の街とみなし、戦争直後から警戒心を抱いていた。その結果、いくつかの不幸な衝突、事故が積み重なり、駐留米軍に対する激しい抵抗運動の拠点と化したのだ。2004年に日本人5名が拉致された事件は、そうした流れの中で発生した。
 米軍の占領統治の失敗によって反米化し、繰り返し激しい掃討戦の対象となりながら、シーア派など他の地域住民からは同情を得られず、むしろ外国から流入した国際テロ組織によって抵抗運動が過激で暴力的な方向へと歪められていく。
 宗派的シンボルを前面に押し出すシーア派に対して、スンナ派の間にはイラク戦争、米軍統治の被害者というシンボルが生まれた。イラク戦後、一貫して素朴な抵抗運動が弾圧と無理解に苦しめられてきた、というイメージがファッルージャという街に付きまとっていった。さらにファッルージャがイラク建国前夜の1920年に南部に発生した反英独立暴動に参加したという史実から、反英=反米=独立の志士というイメージがファッルージャに加わった。

 かくして、宗派的シンボルを前面に押し出す①シーア派に対して、②スンナ派の間にはイラク戦争、米軍統治の被害者というシンボルが生まれたのだ。
 ここで重要なのは、①シーア派も②スンニ派も、自らの尊厳や権利や価値を主張する際の原点となるのが、自分たちがいかに犠牲になってきたか、犠牲の度合いということだ。①も②もいずれも自分たちのほうがいかに「イラク」という祖国を守るのに犠牲を重ねてきたかを競うのだ。
 ①シーア派社会・・・・7世紀にウマイヤ朝軍に殲滅された記憶を再生産してきた。フセイン政権下でいかに被害を受けてきたか、その犠牲者としての立場をシーア派の歴史に重ね合わせて、宗派的シンボルを惜しげもなく自己主張に使用する。
 ②スンナ派社会・・・・外国支配、植民地統治に抗するナショナリストとしての犠牲の大きさを語る。

□酒井啓子(千葉大学教授)「誰が「正しい」かを競う戦い 9・11から中東の宗派対立へ」(「世界」2016年10月号)の「シンボルの増殖」
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

 【参考】
【酒井啓子】蔓延する「わかりやすい二項対立」 ~中東・宗派対立の起源(3)~
【酒井啓子】宗派ではなく社会格差・階層間の対立 ~中東・宗派対立の起源(2)~
【酒井啓子】9・11が開けたパンドラの箱 ~中東・宗派対立の起源(1)~

【酒井啓子】蔓延する「わかりやすい二項対立」 ~中東・宗派対立の起源(3)~

2016年09月20日 | 批評・思想
 (承前)

 階層や不平等や格差といった対立の本質を捨象して、なぜ対立軸が「宗派」という形としてだけ残ったのか。そこには、シンボルに引きずられた9・11以降の政治の新しさがある。9・11後、「敵」と「味方」に世界を分断する「分かりやすい二項対立」が蔓延した。
 ブッシュ大統領の宣言、「我々につくか、やつらにつくか」。
 攻撃される自由世界の人びとと、攻撃する非民主的なテロリスト。犯人たちの属性である「イスラーム教徒」は十把一絡げに後者に分類された。
 実際には、歴史的に破壊と攻撃の被害者であり続けてきた中東の住民たちは、むしろ「これで米国も私たちの不安、恐怖を共通するのでは」と、米国社会との共振を期待した。にもかかわらず、中東の人びとが自分たちの「悲劇の象徴」を提示したところで、9・11と同列に扱ってもらうことができないばかりか、9・11の悲劇性に挑戦するものとみなされてしまった。

 同じことは2015年のパリでも起きた。「私はシャルリ」のハッシュタグ(1月)、トリコロールへの連帯表明(11月)は、似たような悲劇を経験しながら「シャルリ」や「トリコロール」を共有しないものを、連帯の広がりから排除した。共闘と団結を象徴するようなイメージ、画像、スローガンは「我々」と「他者」を切り分ける。9・11を契機に始まった「対テロ戦争」という二項対立の図式は、米国のみならず世界中で敵と味方を分け続けることになった。

 SNSなどネットによって簡単に世界中に広げる技術の進歩が、15年前のブッシュ発言とは比べものにならない勢いで、世界中に敵と味方を判別するラベルを溢れさせる。
 その中には宗教的なシンボルも含まれる。イラク戦争後、イラクでは社会経済的に劣位に置かれていたシーア派社会が一気にその宗派的アイデンティティを復活させ、シーア派の宗教儀礼や行事を復活させた。フセイン政権の転覆により、これまでの「持たざる者」の地位から抜け出し、新しい人生を歩むことができるんだ、という解放感が、シーア派儀礼の実践というアイデンティティの発露につながった。掲げられなかった旗、集まれなかった集会の復活に、数百万の人びとが集まった。

 だが、この掲げられる解放の象徴がシーア派にとってのみのイメージやスローガンや画像だったとき、非シーア派のスンナ派やキリスト教徒の人びとにとっては、統合や共感や連帯ではなく排除のシンボルとなる。それが最も鮮烈だったのが、2014年以降イラクで展開されたIS掃討作戦だった。
 2014年6月、イラクのモースルを制圧したISは、そこで国防にあたっていたイラク国軍のシーア派兵士を殺害した。ISは、シーア派は異端、イスラームに反するものとして死に値すると考える。そう断罪されたシーア派にとって、ISは断固撃滅されなければならないものとなる。ティクリートやアンバール県など、ISに制圧された地域に対してイラク軍が軍事作戦を展開する際、動員されたシーア派中心の部隊(人民動員組織)は、シーア派儀礼で繰り返されるイマーム賛美の掛け声「ヤー、アリー」などを叫びながら突入した。その露骨な宗派性は、非シーア派にとっては「祖国防衛」を共有するものではなく、むしろあからさまな「他者」の表明だった。

□酒井啓子(千葉大学教授)「誰が「正しい」かを競う戦い 9・11から中東の宗派対立へ」(「世界」2016年10月号)の「蔓延する「わかりやすい二項対立」」
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

 【参考】
【酒井啓子】宗派ではなく社会格差・階層間の対立 ~中東・宗派対立の起源(2)~
【酒井啓子】9・11が開けたパンドラの箱 ~中東・宗派対立の起源(1)~

【酒井啓子】宗派ではなく社会格差・階層間の対立 ~中東・宗派対立の起源(2)~

2016年09月20日 | 批評・思想
 (承前)

 9・11はさまざまな問題を惹起した。その一つが、宗派的対立とみなされる今の中東における暴力的衝突だ。
 2006年からほぼ2年間イラクで繰り広げられた内戦では、名前を名乗っただけで出身宗派を推測されて拉致、殺害されたり、他宗派の民兵から立ち退きを強要する脅迫状を受け取ったりといった出来事は日常茶飯事であった。
  (a)2011年に発生したバハレーン版「アラブの春」では、反政府抗議運動として始まったデモは、シーア派による反王政活動とみなされてシーア派活動家の弾圧に繋がった。
  (b)連動して活動を活発化させたサウディアラビア東部のシーア派社会に対して、サウディ政府はその中心的宗教指導者ニムル・アルニムル師を2016年1月に処刑した。
  (c)2011年から始まったシリア内戦では、アサド政権の強権的支配はいつの間にかアラウィー派=シーア派の少数支配と読み替えられ、政権側にイラン、イラクが支援し、反政府側にはトルコ、サウディアラビアなどの湾岸諸国が支援する「中東の新冷戦」(グレゴリー・ゴーズ)ともいうべき事態に至っている。

 なぜ「宗派」は突然対立の火種になったのだろうか? それは本当に宗派対立なのだろうか?
 湾岸戦争後、英米に結集した反政府勢力が仮に設定した
   「イラク政治を構成する三要素=①アラブ人スンナ派、②アラブ人シーア派、③クルド民族」
という三区分の枠組みがある。湾岸戦争後に国際社会がポスト・フセイン体制を模索し始めたとき、アイデアとして提示されたのが宗派別に政治代表制を分ける方式だった。
 宗派をベースにした権力構造は、今や、戦後イラク政治のなかにしっかりと定着してしまった。

 戦後のイラクに駐留した米軍のなかには、むしろ本質は宗派的対立ではない、と見抜く識者が登場した。内戦の最前線、シーア派イスラーム主義武装勢力のマフディ軍が首都東部で陣地拡大を繰り広げる過程を経験し、研究対象とした研究者に、ニコラス・クロフリーがいる。彼は、2015年に出版した『マフディ軍の死』(未邦訳)で、シーア派イスラーム主義政党が人びとに支持され勢力を拡大するのは宗派の問題ではない。中央・地方間の格差の問題だ、と指摘する。
 イラクや中東で対立はあってもその本質は宗派ではなく社会格差、階層間の対立なのだ、との主張だ。

 確かに従来から、イラクやレバノン、湾岸諸国で宗派的差別はあり、政治社会的マイノリティとされたシーア派社会は、いずれの国でも社会経済的に劣位に置かれてきた。しかし、それは宗派としての差別というより、宗派社会を取り巻く政治経済的環境によって、歴史的に積み重ねられてきた結果であった。
 その結果、イラクでは南部と都市においてシーア派貧困層が生まれた。食い詰めた南部の農村を捨て、都市に流れ込んでスラムを形成したシーア派住民が今のサドル潮流のベースにある。歴代の政権は貧しいシーア派の若者の異議申し立てを、シーア派としての反発というより持たざる者としての反発とみなし、教育政策や社会経済政策で対処してきた。そこでは富裕層への羨望や下層社会への蔑視が宗派対立に見える衝突を生むことはあったが、その対立を説明し政治へと結びつけるのは宗教政党ではなく、左翼政党だった。現在サドル潮流の支持基盤の核となっているサドル・シティ(旧サウラ地区)は、1970年代後半までイラク共産党の牙城だった。

 問題は、このような対立を生む「宗派」以外の要素が、対立を分析するうえですっかり抜け落ちてしまい、宗派を前提とした対策しか講じられないことだ。本来、雇用や生活水準の向上などを通じて社会経済的平等を図ることが求められているのに、宗派や民族のポスト配分でしか対処方法を考えられない。イラク人識者の多くが「宗派対立は欧米が持ち込んだ」と主張するが、それをより正確に換言すれば、宗派以外の要素を捨象して、すべて宗派や民族などのわかりやすい対立へと矮小化したのが欧米流だったということだ。
 そのことは、湾岸戦争後、英米在住の亡命イラク人たちが確立した「①アラブ人スンナ派、②アラブ人シーア派、③クルド民族という三区分の枠組み」が、当時とイラク戦争後でいかに変質したかを見れば明らかだ。
 1990年代前半から亡命イラク人の間で、フセイン政権後は①、②、③の集団指導体制でやっていくしかないという認識が生まれていた。しかし、そこで実際に選ばれた「宗派・民族」代表には、別の側面もあった。②のムハンマド・バハルウルームが宗教界を、③のマスウード・バルザーニがクルド民族運動を代表する一方で、①のハサン・ナキーブは元バアス党反主流派で軍将校だった。つまり、各「宗派・民族」代表という意味とは別に、
   「①世俗的ナショナリスト軍人、②宗教界、③自治を求める民族マイノリティ」
という、イラク近現代史を彩っていた主要な政治潮流がこの三人に代表されたのだ。
 しかし、9・11後、イラクへの戦争を急ぐ米政権の発想から「三つの区分」に政治潮流を代表させるという要素が消えた。米国は、フセイン後のイラクの青写真を十分描かないうちに、イラクの軍事攻撃を決断した。戦後の準備のない軍事攻撃は、旧軍、旧与党たる世俗ナショナリスト勢力の追放につながり、戦後イラクの「三つの区分」に含まれるはずだった「③世俗ナショナリスト軍人」の要素が消えた。その結果、「スンナ派だったら誰でもいい」的な、宗教的要素を形だけ維持した「宗派・民族区分」が独り歩きしてしまったのだ。

□酒井啓子(千葉大学教授)「誰が「正しい」かを競う戦い 9・11から中東の宗派対立へ」(「世界」2016年10月号)の「これは宗派対立なのか?」
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

 【参考】
【酒井啓子】9・11が開けたパンドラの箱 ~中東・宗派対立の起源(1)~

【酒井啓子】9・11が開けたパンドラの箱 ~中東・宗派対立の起源(1)~

2016年09月20日 | 批評・思想
 9・11から15年。9・11とその後の国際政治の展開は、あまりにも多くのパンドラの箱を開けすぎて、もはや何が変わり、何が当たり前のことだったのかすら、わからなくなってしまった。
 たとえば、テロの増大。2004年以降、中東でのテロ件数が右肩上がりのまま下がらなくなった。
 あるいは、暴力が宗教性を纏うと同時に、「宗派対立」もまた、当たり前のように語られるようになった。
  (a)2003年のイラク戦争以降、スンナ派とシーア派に大別されるイスラームの宗派が、暴力的衝突の原因として前面に出てくる。
  (b)2006年2月、イラク中北部にあるシーア派の聖地サマッラーの聖廟が爆破されたことを契機に、イラクではどの宗派に属するかを巡って殺しあいが始まった。

 強権政治による抑圧があったとはいえ、イラク戦争以前のフセイン政権のものとでは、宗派を理由にイラク人同士が戦い合うことはほとんどなかった。それが一挙に内戦ともいえる宗派抗争へと発展したことに、一番衝撃を受けたのは当のイラク人たちだ。
 次々に宗派テロが発生した。極めつけが「イスラム国」だシーア派を「異端」として徹底した殺戮を是とするIS。ISの侵略から祖国防衛を謳いつつ、「シーア派性」を前面に押し出す対IS掃討部隊。

 かくしてイラクでは、内戦開始から10年の月日を経て、今や宗派的対立は当たり前のものとみなされ、それを前提に政治が組み立てられるようになった。
 テロ、宗教的暴力、宗派対立。これらはイラク戦争、アフガニスタン戦争、さらにはイラクとシリアでの内戦とISの出現によって加速度的に増大したものだ。イラク戦争がなければISは出現しなかったし、イラクでフセイン政権が倒れてシーア派イスラーム主義政党が政権をとらなければ、シリア内戦がイラン、イラクとサウディアラビア、トルコなど周辺国の間での代理戦争と化すこともなかった。
 だが、その出発点にあるのは9・11である。9・11がなければ、イラク戦争もアフガニスタン戦争もなかった。9・11とその後の戦争こそが、現在に至るまでの中東での内戦とテロの増大と拡散を生んだ。底が抜けたような暴力のエスカレートは、ヨーロッパや東南アジアへと、世界全体を巻き込んで広がった。それが、9・11が開けたパンドラの箱だ。

□酒井啓子(千葉大学教授)「誰が「正しい」かを競う戦い 9・11から中東の宗派対立へ」(「世界」2016年10月号)の「9・11が空けたパンドラの箱」
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

【モンテーニュ】論byアンドレ・ジイド ~相対主義~

2016年09月19日 | 批評・思想
 
 古い倉庫を始末し、新しく設置した際、古い倉庫から出てきた本の一。

 次の二つの文章はまったく相容れない文章である、いかにモンテーニュが事務管理に不向きであったかを示す、うんぬんと書いて、ジイドは以下のように引く。すなわち、
 <「事実、マタ何ノ憚ルトコロモナク告白スルガ、余ハ必要トアラバ聖みしゅえるに一挺ノ蝋燭ヲ献ジ、ソノ龍ニモ他ノ一挺ヲ献ジカネナイノデアル。>・・・・①
 <グラツイタ、曖昧ナ態度ヲトリ、国家ノ擾乱ニ対シテモ、民心分裂ノ渦中ニアッテモ、自己ノ感情ヲ動カサズ、普遍不党デイルコトハ美シイトモ正シイトモ余ハ思ワナイ。イズレカノ党派ニ属サネバナラヌ。>・・・・②

 つまり、
  ①自分は一方にもその敵にも手をさしのべる
と言う舌の根も乾かぬうちに、
  ②国家の大事においては党派的でなければならない
と書くのは矛盾している、と非難するのだ。

 ②は、政治の論理である。味方でないものは敵、敵は殺せ。これは、殊に動乱の世において貫徹されるロジックだ。そしてモンテーニュが生きた時代は、動乱の世であった。
 他方①は、市民社会の倫理である。敵は敵として位置づけるにせよ、その絶滅までは要求しない。政治的には敵でも、この世は政治だけで成り立っているわけではない。価値は多様であり、各自の価値の多様性を尊重する相対主義。それは市民社会のロジックだ。
 モンテーニュの相対主義は、ボルドー市長を務めたときに殊に強く発揮されただろう、と思う。行政マンには平凡な公平さが要求される。再選され、2期4年間を勤めあげたところを見ると、モンテーニュの均衡精神は歓迎されたらしい。一見不徹底で、矛盾して見えるモンテーニュの均衡精神は、極めて実際的であったのではないかと推測される。

□アンドレ・ジイド(渡辺一夫・訳)『モンテーニュ論』(岩波文庫、1939/1990復刊)
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

【食】への影響が甚大な台風被害 ~食料安保が揺らぐ~

2016年09月19日 | 社会
 (1)北海道を襲った台風の、食への影響が甚大だ。
 北海道は農産物の一大産地で、ジャガイモ(80.6%)・小麦(72.8%)・タマネギ(59.2%)・大豆(35.0%)・てん菜(100%)・小豆(93.4%)・ニンジン・大根・カボチャ・そばが全国一、米は新潟県に次いで二番目の生産量だ。
 その大産地に台風が押し寄せた。8月17日には7号、21日には11号、23日には9号と、3回も上陸。年間3回も北海道に上陸したのは、1951年の統計開始以来初めてのことだ。
 特に道内のタマネギの3割を占める北見市では、市内を流れる常呂川が氾濫し、農地の3分の1が被災した。タマネギやジャガイモの畑が冠水しただけでなく、石北線が寸断された影響で、北見駅から旭川駅まで臨時貨物で輸送されるタマネギ列車が運行できなくなった。産地と輸送手段がダブルパンチをくらった。
 さらに、30日に岩手県に上陸した台風10号は、ジャガイモの大生産地である道内の十勝地方に大きな被害をもたらした。農業被害は6,344ヘクタールにもおよぶ(9月5日現在、北海道庁調べ)。

 (2)昨年と比べると、卸売価格でタマネギが21%、ジャガイモが39%高騰している(9月3日現在、農林水産省調べ)。
 タマネギに関しては、北海道に次ぐ生産量第2位の佐賀県で、生育不良をもたらす「べと病」が蔓延し、出荷量が半減したことも影響している。
 ジャガイモの生産量の8割が北海道で、十勝は全国の3割を占める。
 カルビーは、ポテトチップスの新商品の原料である北海道産ジャガイモが確保できないので発売を延期すると発表した。今後米国産ジャガイモの輸入を拡大することを検討している。

 (3)十勝の生産量が多い農作物は、ジャガイモだけでなく、小麦、豆類(小豆・大豆・黒豆など)、砂糖の原料であるてん菜(ビート)、芽室町のスイートコーンなどもある。おせち料理の黒豆やぜんざいなどの価格にも影響する可能性がある。

 (4)北海道は、農産物だけでなく、酪農、肉用牛、水産業など日本の食を支えてきた大黒柱だ。梅雨もなく、今まで台風による大きな被害を受けたこともほとんどなかった。そのお蔭で、日本の食は曲がりなりにも守られてきたのだ。
 8月の異変は今年だけの異常気象なのか、温暖化による環境変化で今後も起こり得るのか定かではないが、安定した食料を確保する(食料安保)の観点からすると、日本は厳しい警告を突き付けられたとみるべきだ。
 TPPなどの食のグローバル化で、世界中から輸入すれば今後もこうした危機が乗り越えられると思うのは非常に甘い考えだ。
 異常気象は日本に限ったことではない。世界中で洪水や干ばつなどが多発している。その規模は日本に比べてかなり大きい。海外に食料を依存していると、依存先の国で異常気象が起きた時に、食料が全く入ってこない可能性がある。

 (5)北海道に代わる産地はない。北海道をないがしろにすると、自給率の高い農作物の安定供給に大きな影響を与える。
 安倍政権は「6次産業化で、加工食品の輸出を拡大し、農業・農村の所得倍増を果たす」としているが、それ以前に、第一次産業の安定生産体制を作ることが必要不可欠だ。
 国家戦略特区はTPPのために作るのではなく、食料安定供給を確保するための特区に変えるべきだ。その第一弾を北海道にすればよい。 

□垣屋達哉「台風被害の食への影響は甚大/海外に頼らず食料の安定供給を模索せよ」(「週刊金曜日」2016年9月16日号)
     ↓クリック、プリーズ。↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  人気ブログランキングへ  blogram投票ボタン

 【参考】
【食】魚の養殖は進化する ~美味しい養殖魚~
【食】「水素水」ブーム便乗商品に気をつけろ ~効果は疑問~
【食】炭酸水の飲み方には気をつけたい ~糖類や食品添加物~
【保健】「新世代エコ洗剤」は本当にエコか ~AESの悪影響~
【食】明太子やたらこも癌リスクを高める ~亜硝酸Na、タール系色素~
【食】「加工肉」の危険性に改めて目を向ける ~発癌性~
【食】一部の「有機ワイン」に入っている添加物 ~亜硫酸塩~
【食】「トクホのノンアルコールビール」 ~その危険性~
【食】新しい「コカ・コーラ」は体にやさしいか ~買ってはいけない~
【食】買ってもいいインスタント食品
【食】「高級インスタントラーメン」に含まれる食品添加物
【食】お手軽「流水麺」の落とし穴
【食】中毒が後を絶たない ~肉の生食~
【食】の安全シリーズ 一覧
【食】市販のトマトケチャップの添加物 ~原材料が問題~
【食】野菜不足解消によい「浅漬け」は添加物まみれ
【食】炭酸水の飲み方には気をつけたい ~糖類や食品添加物~
【食】市販の「塩こんぶ」のうまみは昆布のうまみとは別もの
【食】【米国】で非・遺伝子組み換え食品の市場が急成長
【食】米NYで進む塩分過多の警告表示 ~日本の外食は?~
【食】トレーサビリティ制度を廃棄物にも ~廃棄カツ横流し事件~
【食】GM鮭をきっかけに盛り上がる米国の表示運動
【食】「チャーハンの素」で健康被害 ~添加物~
【食】【TPP】“危険な商品”を圧しつける米国企業 ~遺伝子組み換え~
【食】明太子やたらこも癌リスクを高める ~亜硝酸Na、タール系色素~
【食】「とけるチーズ」 ~食品添加物満載のチーズもどき~
【食】スープの語源 ~玉村豊男『世界の野菜を旅する』~
【食】とうふ竹輪
【食】外食と非外食の境目が曖昧 ~よくわからない軽減税率~
【食】「加工肉」の危険性に改めて目を向ける ~発癌性~
【食】赤色がよいか、褐色がよいか? ~ベーコン~
【食】世界中でバッシング? ~加工肉での発がん性リスク~
【食】植物油脂が超心配 ~塗るだけ簡単な「パン工房」~
【食】アイスクリームやキャラメルの抹茶色 ~着色料~
【食】一部の「有機ワイン」に入っている添加物 ~亜硫酸塩~
【食】GM食品表示 ~厳格化(アジア)vs.表示妨害(米国)~

【食】豆腐でない豆腐、添加物たっぷり ~目にも涼やかな枝豆豆腐~
【食】「水素水」ブーム便乗商品に気をつけろ ~効果は疑問~
【食】炭酸水の飲み方には気をつけたい ~糖類や食品添加物~
【保健】「新世代エコ洗剤」は本当にエコか ~AESの悪影響~
【食】明太子やたらこも癌リスクを高める ~亜硝酸Na、タール系色素~
【食】「加工肉」の危険性に改めて目を向ける ~発癌性~
【食】一部の「有機ワイン」に入っている添加物 ~亜硫酸塩~
【食】「トクホのノンアルコールビール」 ~その危険性~
【食】新しい「コカ・コーラ」は体にやさしいか ~買ってはいけない~
【食】買ってもいいインスタント食品
【食】「高級インスタントラーメン」に含まれる食品添加物
【食】お手軽「流水麺」の落とし穴