円の外へ

20070121開設/中学高校国語授業指導案/中学校学級経営案/発達症対応/生活指導/行事委員会指導

死の受容プロセス5段階(引用)

2018-08-01 15:41:59 | 2018年度雑記
カテゴリー別目次 
2018-8-1
『死ぬ瞬間―死とその過程について(中公文庫)』/キューブラー・ロス,エリザベス
「死の受容」プロセス(5段階モデル)
第1段階:否認と孤立(denial & isolation)
自らの命が危機にあり、余命があとわずかである事実に衝撃を受け、
それを頭では理解しようとするが、感情的にその事実を否認(逃避)している段階。
「なにかの間違いだ」
というような反論をするものの、それが否定しきれない事実であることは知っている。
周囲は、この事実にもとづいて考えを進めているため、
そうした周囲から距離を取り、孤立することになる。

第2段階:怒り(anger)
自分が死ぬという事実は認識できた。
しかし
「どうして悪いことをしていない自分がこんなことになるのか」
「もっと悪いことをしている人間がいるじゃないか」

というような怒りにとらわれる段階。
ケースによっては、看護師などに対して
「あなたはいいね、まだまだ生きられて」
といった皮肉のような発言をすることもある。
根底にはやはり「なぜ、自分が」という、死に選ばれたことへの強い反発がある。

第3段階:取り引き(bargaining)
信仰心がなくても、神や仏にすがり、死を遅らせてほしいと願う段階。
死ぬことはわかったが、もう少しまってほしい。
財産を寄付したり、これまでの行為も改めるといった「取り引き」をしようとする。
なんとか、死を回避することができないか、模索する。
はじめは
「死を遠ざけてほしい」という願いが
「◯◯をするので、あと少しだけ」という具合に、
取り引きの条件が自分に不都合なほうに変化することもある。

第4段階:抑うつ(depression)
「ああ、これだけ頼んでもダメか」
「神も仏もないのか」

というように、自分なりに神や仏に祈っても、死の回避ができないことを悟る段階。
悲観と絶望に打ちひしがれ、憂うつな気分になる(正確には、抑うつと悲観は異なる概念である)。
頭で理解していた死が、感情的にも理解できるようになる。
神や仏の否定になるケースもあり、虚無感にとらわれることもある。

第5段階:受容(acceptance)
それまでは、死を拒絶し、なんとか回避しようとしていたが、
生命が死んでいくことは自然なことだという気持ちになる。
個人差もあるが、それぞれに生命観や宇宙観のようなものを形成し、
自分を、その中の一部として位置づけることもある。
自分の人生の終わりを、静かにみつめることができるようになり、心に平穏が訪れる。

「死の受容」プロセス・・・だいぶ前に読んだ気がする。
今は我が身のこととして理解できる。
僕は毎日「受容」している。
重病でもないのに嘘だって? 
証明はできない。
でも、どう自分に問うても、第四段階のどれにもあてはまらない。
毎朝、今日は帰ってこないかもしれない。それで良い。行ってきま~す、と部屋にひと言行って出勤する。
そして、疲れて健康で帰ってくる。
するとこう思う。
「毎日幸せ。幸せいっぱいだ」

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