円の外へ

20070121開設/中学高校国語授業指導案/中学校学級経営案/発達症対応/生活指導/行事委員会指導

王羲之が分からないセンスもある

2014-09-24 21:29:49 | 2014年度雑記
2014-09-24
小学1年生のときから、書道が大好きだった。
大学生の時、色々な書家の毛筆集を買った。
確かA4版、見開きA3版で中国と日本の書家一人につき1冊が売っていた。
全集で数十冊、数十人分あったと思うが忘れた。
5冊か6冊しか買えなかったけど。
それを開いて、見ているだけで楽しかった。
ピカソの画集を眺めるのと同じ感覚だった。

中でも王羲之の書体が大好きだった。
それで、高学歴で日本史に造詣の深いひと回り上の親戚にその本を見せた。
彼はほとんど手に取りもせずこう言った。

「うーん。
 これが好きなの。
 今度、本当にうまい人の字を見せてやるよ」


僕は子供のときから一度も書道を習ったことがない。
知識もほとんどなかった。
だから、その瞬間、

(あー。そうなのか。
 王羲之って、日本ではたいしたことないのか。
 俺のセンスが悪かったのか。
 でもなあ。変だなあ)

と思った。
何しろ根拠がないから黙って本をしまった。

柿沼康二氏が毎日5時間、王羲之、顔真卿、空海、弘法大師を臨書していると知り安心した。
ラジオで柿沼氏は特に王羲之を讃えていてうれしかった。



あのときのショック、三十年ぶりに思い出したよ。
一人で爆笑して。
しかしだ。
「センス」と「無知」って、自分で気づかないから怖いね。

22時16分追記)
けっこう大きく心の面積を占めている。
警察サイバーネットの能力の低さと、卑劣な大人や子供。

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