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向こうへ行ったらいい酒を |
2010年7月9日
今日で母が亡くなってから32年経つ。
母は英文タイピストだった。
当時は相当ハイカラな仕事だったと思う。
米軍関係の事務所か何かでタイプを打っていたらしい。
ワープロと違ってタイプは一字でも打ち間違えると一枚全部やり直しになる。
しかも英文だ。
もちろんブラインドタッチだっただろう。
「おかあさんは間違えないで打てるんだよ」
と自慢していた。
そのときは分からなかったが、かなりイケテタ。
会社にはアメリカ人が多かったらしいから母は英語も話せた。
一度電話で会社の人と英語でしゃべっているのを聞いた。
何か冗談を交わしたらしく英語で笑っていた。(英語で笑うわけはない)
片言の英語だけではジョークを言い合って笑うことはできないはずだ。
これもカッコよかった。
母はよく
「アメリカ人は冗談が好きでいつも笑わせるんだよ」
と言っていた。
入院中、病院の公衆電話で会社に英語で電話するのを、周りの人は目を丸くしてみていた。
それから字がとてもうまかった。
センスが良かった。
僕も習字が好きで、習いたいと言ったら、
「字なんか大人になったら自然にうまくなるからいい」
と断られた。
それは大きな間違いだが、母は自分ができるので本気でそう思っていたのだろう。
向こうへ行ったら、いい酒を飲ませてあげたい。
2010-07-09 18:32
「ぼくのせい」
2008年9月「霊安室で」
2010年7月「向こうへ行ったらいい酒を」
遺体を持った時の気持ち わかりますよ!
私でも同じことを思います。。。子供じゃない今であっても!
英文タイピスト かっこいいですね。
そんなお母様の血を引き継いで hyokoさんには
文才があるのだと思います。
いいとこ取りと言うのは こう言うことでしょうね。
雑文はやめ、とか言っといて、
一番読んで欲しいのは、
『2008年9月「霊安室で」』
です。
母は何一つ悪事も働かず、
理由もなく病気になり、
のたうち回って苦しんで亡くなりました。
私なら大人になった今でも
1人で居れないと思います(ハイ!)
病気で大切な人の命を奪われるのって
憎いですよね!
遅ればせながら お母様のご冥福をお祈り致します・・・
霊安室があった病院は移築し、霊安室の上には別のビルが建ちました。
僕は「墓」も「骨」も信じられず、命日の7月になるとフラフラと元の病院の脇を歩き霊安室の出口を思い出しました。
亡くなる前夜の母の苦しみは僕しか知りません。書き残さなければならないと思っています。