円の外へ

20070121開設/中学高校国語授業指導案/中学校学級経営案/発達症対応/生活指導/行事委員会指導

20120410‐1正しい修練と清潔な精神

2012-04-10 19:07:00 | 2012年度雑記
二題



相棒と呼んだ同僚は理由は定かではありませんが退職しました。
残念です。
中堅の男性でした。
彼はきっと僕の技術を飲み込んでくれると信じていました。
しかし、信頼すべき人物でした。
必ず人生の成功を収めるでしょう。
「成功」とは、正しい修練と清潔な精神だけに支えられるものです。
彼はそれを持つ人でした。
特に教育の仕事では。
彼が違う職業に就いても、成功の意味は同じはずです。



今朝の電車通勤でのことです。
僕は大きな荷物を持ち、いつもどおり恐ろしく見えるらしい顔で座っていました。
出入り口のすぐ隣でした。
二駅過ぎると、杖を突きカタコトと歩く年配男性が乗車しました。
瞬間、僕は席を立ち、男性の耳近くで、
「どうぞ」
と言い席から離れました。
男性は軽く礼の仕草をして座りました。
軽くしか動作できないからです。
日本人がこのような譲り方をするのをほとんど見た記憶がありません。
しかし、欧米人と思われる、少女から巨体の米兵まで、国外の人が譲るのは何度も見ました。
その瞬間に立つ。
なんのてらいもない。
当たり前の様にその後の動作に不自然さがない。
僕は彼らから学びました。
日本人は、譲るときなんだかんだ言い訳をします。
「次の駅で降りるんで」
「立ったほうが楽なんで」
電車の席の話は、散々書いたので、またかと思われるでしょう。
いいんです。
僕は今日、座席のすぐそばでつり革につかまり、立ちました。
二つ先の駅で降りる動作を見せました。
すると、僕からは右下に見える年配男性は、かぶっていたやわらかい帽子を手で脱いで上げました。
僕は目の端に止めましたが、そのままドアに向かい重心を傾けました。
男性は伝わらなかったと思ったのか、腰から折って頭を下げてくださいました。
僕は今日たまたまニコリとできない心情だったので、恐ろしい顔のまま頭を下げ返しました。
そのまま、電車の出口を出ました。


電車の年配男性の話は自慢ではない。
日本人の恥を書いたのだ。
戦後、何度かの岐路で日本人は間違え続けた。
今は、金持ちも貧しい人も余裕がない。
自分を守るので精一杯だ。
僕は、腰から頭を下げてくださった男性を見て思った。
きっと、いつも譲ってくれる人がいないのだ。
そうでなければ、今日のような礼をしてくださるはずがない。
学校も同じだ。
大人の教員は自分の生活を守るので精一杯で、他人を育てる余裕がない。

しかし、年配男性のように、正しい行ないを、開いた目で見てくださるかたも必ずいる。
正しく目を開いて見る人は、権威から遠い人たちだ。
体が弱かったり、収入や境遇に恵まれなかったりする人たちだ。
だからこそ、正しく清潔な授業を続けることは重要だ。
生徒は間違いなく、正しい授業さえ続ければ、信頼と尊敬を寄せてくれる。
教員の中にも、妬むだけでなく、口に出さずとも信頼して下さる人もいるはずだ。
大人は、間違いなく、と言えないのが難しい。

権威を手に入れた人間は腐敗する。
たいして大きくもない権威を守ろうと、ずるく汚くなる。
不思議だ。
古今東西の真理だからだ。

僕は高校の授業でも、正しく原則どおりの授業をすると決めた。
予想では、その結果、来年の仕事はなくなるだろう。
とてもわかりにくい文章だが、わかりにくく書くしかない。
僕はこの4月から、中学校の授業はない。
三十年近く、中学校の授業に徹して修練してきた。
なぜ今度中学校の授業がないのか理由は不明だ。
不明と書くしかない。

友人が最近言った。
「正しく原則どおり授業したら、またいやな目に合うだろう」
「いいんだ。
 間違ったことをして、仕事を長らえるより、正しい授業で尊敬と信頼を勝ち取ればよい。
 最後の一年なら、なおさら正しく授業すべきだ。
 それで、なんの後悔もない」
「そうだ・・・そうだな」


明日から授業が始まる。
高校1年から3年まで4クラスすべての授業がある。
29年間温めた詩の授業を、4クラスすべてで行う予定だ。
とても、楽しみだ。

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