ある退職教師のつれづれなるままに

38年間の教職26.3.31退職
4月1日再任用。自分の目でみたこと感じた事など
つれづれなるままに記します。

2024-108 ホット一息 石川さゆりコンサート

2024年11月29日 | 日記
クオレ鑑賞会第80回例会記念は石川さゆりのコンサート。県民会館にて
アコースティックと名売っていた。
つまりバックの演奏がオーケストラではなく
電源のない、ピアノやギター演奏等弦楽器等3人の演奏者。
今迄聞いていたのとは少し違う感覚だった。
特に定番の「津軽海峡冬景色」は頭出しのダダダダーンという派手な音がなく
別の曲のようなしっとりと歌を聞かせるような味わいだった。

1部は今くるよさんがきていたようなモダンな洋服で登場。
66才の彼女がシニアの参加者に配慮したのか昭和歌謡と話。
気を使う必要ないのに・・・それより、らしい歌をたっぷり聞きたかった。

2部、ようやく着物姿で演歌歌謡。
ラストの「天城越え」の熱唱。これで1部のモヤモヤが一掃できた。
聴きごたえのある彼女の代表曲だった。
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2024-107 沖縄の基地問題

2024年11月27日 | 日記
11月上旬に行った平和の旅
夕食会では沖縄の基地問題や辺野古の埋め立て問題の学習が行われた。

1792年5月日本に復帰。しかし日本の国土の0,6%に過ぎない沖縄県に在日米軍基地の70%が集中
沖縄県民は過重な基地負担を背負い続けている。

普天間飛行場
人口密集地域のど真ん中に位置しており、滑走路の安全確保のために
必要なクリアゾーンが設けておらず世界一危険な飛行場ともいわれ
周辺には学校、病院、多くの民家が空港を取り囲むように広がっていた。
2004年8月普天間飛行場に隣接する沖縄国際大学構内にCH‐53Dヘリが墜落。
当時夏季休業中で学生がいなかったが
もし別日であったなら多数の犠牲者が出たことが予想される。

辺野古移設について
その普天間飛行場の代替え施設として辺野古埋め立てしての新基地計画。
2019年2月の県民投票において投票者数の7割以上が反対という民意が示された。
にも拘らず、辺野古への埋めたて工事が着工されているのでした。

今回の旅はその現場にいって、反対行動の方々に連帯を示すことにもありました。
当日、午前中、辺野古の現場に向かいました。


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2024-106 雪が降る前に急いで大根洗い

2024年11月26日 | 日記
先週の風邪どうにか回復の兆し。
冬の到来が駆け足でやって来る。その前にやることが沢山ある。

先ずは大根150本の大根洗い。大根農家は機械で洗うのだが
こちらは1本1本手洗い。しかも気候が暖かかったせいか普通より大きい特大サイズ。
持ち上げるのも力仕事。80本で1時間かかった。
これを洗って保管。まだ同じくらいの量が畑に残っている。
これまで800本以上の中で500本は出荷。

白菜はもっと多く畑に残っている。40畝の白菜個数2400~2800
半分の20畝は出荷済み。あと半分。

今年、更に増えたのがほうれん草。
10畝種まきをする。内4畝は春取り。6畝は11月に入ってから毎日出荷。
もう直ぐ1か月になる。あと3畝12月半ばまでの見込みだ。

野菜の収穫、雪が積もる前までにやることがあり過ぎる日々だ。





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2024-105 先人町巡りと藩校サミット

2024年11月23日 | 日記
大谷選手予想していたとはいえ3度目のMVP受賞
本当に偉大な選手ですね。
さて今週は寒波の中での活動が多かったせいか、体調不良。
ようやく熱も下がり始めた週末です。

先人ボラと市内巡り。見学する人に解説する中で意外な落とし穴があったりする。
先ずは藩校作人館跡地、1865年から1872年までに
平民宰相原敬、世界的物理学者の田中館愛吉、北海道大学初代総長の佐藤昌介といった
多くの先人を輩出。そのあと学制公布により仁王小学校へといった変遷を持つ。
その近くは日影門通りである。
次は石川啄木や金田一京助、らが通った盛岡中学
知らない方は現在の上田の盛岡一高をイメージしている人もいるのだが
現在の岩手銀行そして旧日赤病院の辺りまでの敷地をさす。
そこに啄木の歌碑、盛岡中学のバルコンの短歌の石碑が残っていた。
故に当時、廃虚となった盛岡城に学校をよく抜け出していくことも可能だったわけだ
お城の草に寝ころびて 空にすわれし 15の心という歌が生まれたのだった。
その後、新渡戸家や米内家の菩提寺を巡った。

今日の全国藩校サミットではマリオスが会場。満席。
金谷俊一郎さんの記念講演が行われた。当時の藩校と盛岡にふれ
その価値を分かりやすく説明していた。
また仁王小学校の演劇も加わり、多くの参加者を楽しませていた。






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2024-104 同窓会そして谷川俊太郎の死去

2024年11月21日 | 日記
高校の同窓会。前回は還暦祝い、そして今回は古希のお祝いが某ホテル行われた。
10年ぶりの同窓会。前回は当日ゴルフをした後一旦帰宅して休息。
それがうっかり仮眠してしまい、記念写真に間に合わなかったエピソードを持つ。
今回はしっかり記念写真に加わることができた。
参加者は物故者36名の除くと2割弱の40数名。遠くは山口県や広島県からも参加。
暫し、過去の思い出やら、今の生活などの話題で親交を深めた。
非日常でオアシスのような時間はあっという間に過ぎ去った。

11月13日、詩人の谷川俊太郎さんが92才で亡くなられていた。
国語の教科書には彼の作品が多々掲載されている。
スイミー、生きる。必ず研究授業でも取り扱う。
元妻は「100万年生きた猫」の佐野洋子さんだ。

偶然だが最近A新聞に掲載されていた詩が目に止まっていた。

感謝
目が覚める 庭の紅葉が見える 昨日を思い出す まだ生きているんだ。
今日は 昨日の続きだけでいいと思う 何かをする気はない
どこも痛くない 痒くもないのに感謝 いったい誰に?
神に? 世界に? 宇宙に? 
分からないが感謝の念だけは残る

生きていることに感謝の詩だ。
その域に到達するのはいつのことだろう。












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