四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

鎌倉街道 上道跡-鳩山町・赤沼-(埼玉県鳩山町)

2019年06月01日 | 鎌倉街道


埼玉県比企郡鳩山町赤沼地内の「鎌倉街道上道跡」を歩いてきました。跡と言っても堀割状等の遺構があるわけ
でもありませんし、歩いたと言っても点から点までの線を歩いたわけではなく2、3か所のポイントを訪ねただ
けの話ではありますが。

鎌倉から上道は所沢市、入間市などを通り、毛呂山町から鳩山町に入ります。今宿郵便局を過ぎたあたりからは、
現在の県道171号線(ときがわ坂戸線)とほぼ同じ道筋を北上してきます。
進行方向左側に一寿司という飲食店が見えてきますが、その道向かいに右斜めに入る道があります。鎌倉街道は
こちらに進んでいきます。(上の写真↑)




ここが鎌倉街道跡のようですが、右に逸れてから少ししたところに十字路があり、その右角に赤沼供養塔と言わ
れる3基の供養塔が建っています。(→の所)




赤沼供養塔3基の右側には倒れかけた道標があります。
摩耗して文字が薄くなっていますが、正面には《小川道・川越道》 右側面には《赤沼入口》とあります。
赤沼供養塔の中央の供養塔には、《日本廻国四国七遍供羪塔》と刻まれています。




日本廻国四国七遍供羪塔の右側面には、
 安永八年(1779)
   北 ひきの岩殿道 
   中 すがや野原道 
   西 小がわちち婦道
とあり、すがや野原道が鎌倉街道の道筋を指しているようです。




赤沼供養塔前の町は少し先で再び県道に合流し、鎌倉街道跡の道筋は消滅してしまいます。




鳩山町保健センターの東方の畑の中に墓地がありますが、ここに街道杉があったと言われ、ここを鎌倉街道が北
に向けて通っていたようです。




県道の東側を沿うように走っていたと推定される道筋は鳩山中学校に突き当たります。
同中学校の南側のフェンス際に「鎌倉街道」説明板が設置されています。




「鎌倉街道」説明板




鳩山村(町)内鎌倉街道内街道図部分をアップで




鳩山中学校校舎  以前は校舎の下に堀割状の遺構があったとのことですが、校舎改築のため埋められてしまい、
現在はあった位置さえ不明のようです。

散策日:平成31年(2019)4月25日(木)