城 名:猪俣小平六館(いのまたこへいろくやかた)
別 名:猪俣氏館・猪俣小平六範綱館
形 態:居館
時 期:平安時代(寿永年間)
築城主:猪俣小平六範綱
城 主:猪俣小平六範綱
遺 構:-
指 定:-
現 況:住宅地、農地
所在地:埼玉県児玉郡美里町猪俣
猪俣氏は小野篁の子孫で、時資の代に猪俣村に住み猪俣氏を名乗りました。4代目の猪俣小平六範綱は保元の乱
で源義朝に仕え、平治の乱では源義平の下で軍功をあげました。義朝配下の十六騎の雄将としても知られます。
源頼朝・義経にも仕え、一ノ谷の戦いで平盛俊を騙し討ちにしたことでも有名です。その後、後北条氏に仕え、
豊臣秀吉の小田原攻めのきっかけをつくった猪俣邦憲がいます(本姓は富永・猪俣氏へ養子)
猪俣小平六館跡の遺構はないということであったし、館跡には石碑が建っているのみで、その石碑すら見つけ辛
いとの情報でした。私にとっては館跡の場所すらも定かではありませんでしたが、最近入手した「美里町文化財
めぐり」のパンフレットに『猪俣小平六館跡』の地図が載っておりましたので、これを頼りに散策してみました。
地図があるにも関わらず、方向音痴の私は全く違う場所を一生懸命に暑い中を歩いて時間を無駄にしてしまいま
したが。
猪俣川と正円寺川に囲まれた茶色の部分が館跡ということです。これらの川は居館の堀の役目を担っていたよう
ですが、改良工事によっても元の形ではないようです。
川で囲まれた館跡部分には入れませんでしたが、折角ですから無駄とは分りつつも汗をかきかき、水分補給をし
ながら周辺を歩いてみました。
どうにか辿り着いたのが上記地図①の場所でしたので、ここから散策開始です。
この丁字路の向こう側が館跡の南西角に当たります。
この左側にあるお店(休業)の敷地隅に見つけたのが下の写真です。
お堂と石碑です
石碑「猪俣小平六範綱愛馬之碑」とあります
館跡西側道路を①から北方に見ています
西側道路を北方に歩き始めてすぐ道路右端②の所に「猪俣小平六範綱舘趾」の石碑を発見
発見には手間取ると覚悟していましたが、まさかこんな早くに発見できるとは。
石碑というよりは石標と言った方が正しいかもしれません。標柱を設置してくれたお陰でしょう。
角度を変えてみてもやはり目立ちません
石標の右にある大きな石は何でしょう? 更にその右ののは五輪塔の残欠でしょうか
「猪俣小平六範綱舘趾」碑
これで用が済んだと言えば済んだわけなのですが、先にも書いたように折角ですからこの先を歩いてみることに
(この暑い中を)
一応、この石碑の背後一帯がパンフレットに書かれていた館跡の範囲なのでしょう。
館跡西側道路を更に北方に進むと橋があります。
銘板がなかったので橋の名前は分りませんでした。猪俣川に架かる橋です。 ③
橋の上から下流方向を見ています 右岸が館跡の範囲になります
先ほどの橋を渡り更に道なりに北側の道路を東方に進むとまた橋があります
やはり銘板がなく橋名は分りません ④
先ほどの③の所から続いている猪俣川の流れに、⑧方向から流れてくる正円寺川が合流しています
更に北側道路を東方に進み⑤の場所
ここを右折して進むと⑧の猪俣橋のたもとに出ます。
この⑤と⑧の間を往復してみましたが、住宅が並んでおり、館跡方向はうかがい知ることが出来ませんでした。
再び北側の道路に戻り更に東方に行った⑥の所を右折
パンフレットに示された館跡からはかなり外れていますが成り行きで・・・
⑦の交差点際に複数の石造物が建っています
館跡南側道路に架かる「猪俣橋」 ⑧
猪俣橋の上から正円寺川を 左岸が館跡 右にある道を進むと先ほどの⑤に出ます
出発点の所まで戻ってきました
結局暑い中を歩いただけで遺構らしきものは発見できませんでした。
散策日:令和元年(2019)5月27日(月)