極和(きわみ)ファシリテーションは、
単なるファシリテーションではなく、
日本人としてのアイデンティティーをも表しています。
元来の日本時の姿とはどんなものだったでしょう?
極和ファシリテーションのルーツとしている「江戸しぐさ」を学ぶと、
江戸時代の人々は、
・相互扶助・・・お互いに助け合う気持ちが当たり前でした。
・争い事が起きないように工夫をしていました。
・“朝飯前”には、みんなが安全安心に暮らしているか見回り、
午後からはみんなのために活動をしていました。
・食べるための仕事と、地域やみんなのための活動を当たり前にやっていました。
・お天道様の前では人は対等でありましたが、目上の人をちゃんと敬っていました。
・ゴミをださない暮らし方をしていました。
・もったいない・・・とモノを大事にして、使い捨てではなく、使い倒していました。
・目上の人や人とのコミュニケーションの場面では、しっかりとマナーを
身に付けていました。
・公共の場での振る舞い方を心得ていました。
まだまだ書けばありますが、これらを総称する言葉が「和のこころ」だと思います。
争うのではなく分かち合うことを、
奪い合えば足りないけれど、分かち合えば余ることを知っていた。
我が我がではなく、みんなはどうか?みんなにとってどうか?の視点があり、
他者への思いやりに溢れていた・・・。
先日、竹田恒泰先生のご講演の中で、
3.11の被災地に物資を届けに行ったご友人のお話がありました。
トラックに食品などの物資を積んで届けたら、
「ここは間に合っているので、まだ奥の方に物資が届いてない所があると思うので
そちらに行ってください。」
そこに行ったら
「ここはまだ足りていますので、もっと先に不足しているところがあるので・・・」
と、良い意味での“たらいまわし状態”で、
ようやく受け取ってもらったのは12カ所目だったそうです。
その12カ所目は、今日食べ物が届かなかったら、
飢え死にする人が居たかも知れません。と何度も頭を下げられたそうです。
そして後日、ニュースを聞いていたら、最初に足りていますと言われた被災地では
一人1日におにぎり1個ぐらいの量しかなかったそうなのです。
これでも足りているからと、不足しているところへ持って行って欲しい!
それが1か所ではなく、11カ所もあったから、12カ所目の皆さんを
救うことができました。
竹田先生があまりにも面白おかしく話されるので、
まるでお笑いのネタかしら?と思うほどだったのですが、
ご友人から伺った紛れもない事実なのだそうです。
笑ったり、感動して泣いたりしながらお話を伺いましたが、
日本人としてのアイデンティティーがここにあった!!と思いました。
だから世界中の人々が感動し、日本を素晴らしい国と評価してくださいました。
震災後2年半余りが過ぎ、
のど元過ぎればなんとやらのごとく、原発を再稼働しようとする動きや
新設しようとする動きまであるそうですが、とんでもないことです。
竹田先生は震災後に日本人の価値観が明らかに変わった!と仰いました。
震災直後は私もそう思いましたが、最近はそれがまた薄れているように感じます。
あなたはどう思いますか?
私たち日本人は日本人としての
アイデンティティー(時が過ぎても環境が変わってもかわらない普遍的な主体性)を
もう一度見直して、次の世代にバトンタッチしていきたいものです。
日本人として一番大切にしなければいけないもの
日本人としてのアイデンティティー(和のこころ)を大切にし、
「足るを知る」「相互扶助」などもう一度再認識していきたいと思います。
これらをベースとした極和ファシリテーションの極和は
「和を極める」と恐れ多い名前になりましたが、
ここに意味があるのだなぁと感じています。