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大阪府島本町議会議員
とだ*やすこの活動報告

長岡京市女性支援センター、「LGBT」再発見!

2016年10月05日 | もっと生きやすい社会は可能だ!
昨日4日、長岡京市女性支援センター「みんなの元気UP講座」に参加しました。テーマは「『LGBT』再発見!~多様な性を知って、あるがままの自分を認める~」で、佐倉智美さんのお話をお聴きしました。

人を男女で分断してそれぞれの役割規範を強いる社会が、いかに多くの人の生きやすさを阻害しているか、理解が深まりました。恋愛の対象は異性であるべきと決めつけることも、実態とは違っていることなのだと気づかされました。

身体のあり様と内面的に自らが望むあり様が異なっていることで生まれる、さまざまな障害。その人に障害があるのではなく、その人が生きていくうえで社会にさまざまな障害がある、それをして障害者と呼んでいるということが、いまさらながら理解できました。

的を射たたとえ話ではありませんが、わたしは幼い頃、親からよく「男に生まれたらよかったのに」と言われていた記憶があります。翻せば、女・子どもは黙っていればよいという環境のなか、女であってしかも子どもであった自分が、いかに生きづらさを抱えて生きていたか。

このことに気づくことができたのは「外国」との出会いでした。うまく身に着けたつもりの「女さしさ」は、20代後半、たびたび訪れたトルコ共和国では意味をなさないものでした。

国民の大多数がイスラム教徒であるトルコ共和国で、老いも若きも女性は毅然とした印象、一方、微笑む術を身に着けただけの「空っぽ」の自分を自覚しました。良くも悪くも性差は社会的文化的につくられたものです。

30代、香港で暮らすようになって日本的規範性から解放され、日本人のお友だちと標準語で話すことさえ居心地がよくすべてが新鮮でした。ところが帰国して「関西弁でないと表現できない自分」があったことに気づき、たいそう驚きました。

決して不幸ではない。むしろ充実している。なのにいつもなにかを演じているような感じ、どこにいても居場所がないような、混沌。

トランスジェンダーの内面の苦悩、社会的苦労とは比べ物にならないとは思いつつ、わたしの経験した混沌と彼ら彼女らのそれは「質的」には同じなのかもしれない、と思うことがあります。

実は、随分前にテレビ番組の「恋愛相談(?)」のような特集で、カバちゃんやIKKOさんが、女性の深層心理を深く理解するコメントをされていて、たいへん感動したことがあります。その奥にあったであろう苦悩を想い、お二人の人としての凄さに涙しました。

「いろいろな人がいることが普通」。「想定外をできるだけなくしていく、それが人権尊重の基本となる方針」。「多数派基準による普通を構成しない社会」で、ありのままの自分でいられる人、ありのままを認め合える関係が増えていけば、誰もがもっと生きやすくなる、と「みんなの元気UP講座」でひとつ理解が深まりました。

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