昨日に引き続き、Sho先生による患者心得の第二弾である。
※ ※ ※(転載開始)
がん治療・七つの習慣
第一の習慣「今日一日区切りで生きよ」→一日一日が小さい人生だ
第二の習慣「将来に展望を持つ」→どんな苦痛でも自分に期待している未来があれば耐えられる
第三の習慣「学習する」→困難や苦痛があればこそ工夫する理由が生まれる。
第四の習慣「目標を設定する」→小さな目標でも紙(治療ノートでもよい)に書いて達成せよ。その記録が自信の源泉となる
第五の習慣「仕事をする」→誰でもどんな状況でもあなたしかできない役目がある
第六の習慣「笑い」→悩みも笑わされることでなぜかすっきりする
第七の習慣「仲間を作る」→戦友の助けを借り、支援する機会が自分を泥沼から引き上げてくれる
(転載終了)※ ※ ※
第一の習慣→今日一日の区切りは難しいけれど、それでも一日一日大切に生きてきたし、これからも生きていくと思う。
第二の習慣→希望は絶対に必要。どんな時も希望を捨てずにいれば未来は開けるし、実際にこれまで生き長らえることで開けてきたと思っている。
第三の習慣→この9年余り、色々学習させて頂いた。自分なりの心の持ち方、副作用への対処の仕方については日々自分なりに細かな工夫をしている。
第四の習慣→常に新しい小さな目標を持ちつつ、日々を過ごしている。6月からまた新しい学びを始める予定である。
第五の習慣→これぞ私のこだわりのひとつ。仕事にしがみついているというふうに見えるかもしれないけれど、やはりどんな状況でも職場において私の役割はあると信じたい。
第六の習慣→朝起きて鏡を見て口角を上げてにっこり。夫と冗談を言ってお腹を抱えて笑うこともある。一日に一度も笑わない日はない。
第七の習慣→患者会やこのブログを通じての戦友は宝物である。友を励ますことは自分を鼓舞することに直結しているのは何度も経験済み。
※ ※ ※(転載開始)
どんなときでも、今からできる工夫
★起こり得る最悪の事態を直視せよ ⇒そうなった場合の覚悟を決める ⇒それから最悪の事態を好転させる方法を考える。
★病気は病院に治してもらうものと思っていないか。
★長寿社会も安心して寝たきりになれると言うのでは意味がない。
★がんを嘆く暇があったら、別領域で取り返す算段を考えよ。
★筋肉量が多い人ほど長生きできる。
★不幸と思えることは直近の判断であり、長い目で見ると幸福に転じることができる。
★じっとして悩んでも苦悩は深まるばかり。むしろその間も行動することで気分が良くなり、そのうち解決のヒントが得られる。
★人生の終わりからの逆算するエンディングノートを敢えてつけてみる。今何が最優先かがわかる。人生終末期の準備なのに、新しい発見が得られる。
★がんが良くならない事を悲嘆するより、その状態が「普通」と思えるような考え方に進化すべし。
(転載終了)※ ※ ※
★→再発した時、遺された時間は大体5年位か、と覚悟した。結果的にそれを上回る時間を長らえているけれど、日々を積み重ねて、思えば遠くへ来たものだ。主治医を初めとする沢山の医療関係者のおかげで最悪の事態を好転させてきた。状況を良くご存知ない方には、死ぬ死ぬ詐欺とでも言われているかもしれない(笑)。
★→そうは思っていない。自分で出来ること、心の持ち方、余暇の過ごし方、少しでも幸せが感じられる時間を積極的に作って免疫力アップに努めている
★→安心して寝たきりに・・・はなりたくない。出来れば最期まで自分でお手洗いに行き、自分のことは自分でやりぬきたい。
★→ここ数年がんを嘆いている閑はない。ヨガや瞑想、その他もろもろ楽しい時間を自分から作り出し、気付けば幸せ・・・と呟いている。
★→筋肉量を減らさないために、朝の8分ヨガ(と瞑想)だけは毎日続けている。体重だけでなく体組成も欠かさず測っている。ここのところ骨格筋率が増えているので、カラダ年齢は30歳前後だ。(一番若くて27歳、調子が悪いと32歳)
★→不思議と不幸だと思うことはない。強がりでもなく、幸せを感じているとますます幸せがやってくるように思う。
★→じっと悩んでいる閑もない。具合が悪いときには開き直ってビデオ三昧。元気になればあれもこれもしたいので、気分が悪くなることはなく、忙しい充実している。
★→エンディングノートは完成していないが、常にどういう最期を送りたいのかは考えて夫にも伝えている。段々変わってくるものでもあると思う。新しい発見は留まるところがない。
★→がんとの共存はもはや私にとってデフォルト、ごくごく普通のことである。治らないことを悲嘆する時間はもう遠い昔においてきた感じ。穏やかな毎日である。
ということで、明日のその3で最終回にしたいと思う。
今日で4月も終了。今年も3分の1が終わったことになる。
昨日は洗濯機フル回転で家事全般を済ませ、午後からは夫と実話を基にした映画鑑賞、夕方には「クリアになる瞑想のワークショップ」に参加することが出来た。
そして今日。午前中月に1度のお楽しみマッサージの後、午後はリラックスヨガのクラスに参加してまったり。帰りには夫の趣味で封切りされたばかりの度肝を抜かれるアクション映画を観、トリプルヘッダーで愉しむことが出来た。
日々がこうして続けられることに改めて感謝する日曜日の夜である。
※ ※ ※(転載開始)
がん治療・七つの習慣
第一の習慣「今日一日区切りで生きよ」→一日一日が小さい人生だ
第二の習慣「将来に展望を持つ」→どんな苦痛でも自分に期待している未来があれば耐えられる
第三の習慣「学習する」→困難や苦痛があればこそ工夫する理由が生まれる。
第四の習慣「目標を設定する」→小さな目標でも紙(治療ノートでもよい)に書いて達成せよ。その記録が自信の源泉となる
第五の習慣「仕事をする」→誰でもどんな状況でもあなたしかできない役目がある
第六の習慣「笑い」→悩みも笑わされることでなぜかすっきりする
第七の習慣「仲間を作る」→戦友の助けを借り、支援する機会が自分を泥沼から引き上げてくれる
(転載終了)※ ※ ※
第一の習慣→今日一日の区切りは難しいけれど、それでも一日一日大切に生きてきたし、これからも生きていくと思う。
第二の習慣→希望は絶対に必要。どんな時も希望を捨てずにいれば未来は開けるし、実際にこれまで生き長らえることで開けてきたと思っている。
第三の習慣→この9年余り、色々学習させて頂いた。自分なりの心の持ち方、副作用への対処の仕方については日々自分なりに細かな工夫をしている。
第四の習慣→常に新しい小さな目標を持ちつつ、日々を過ごしている。6月からまた新しい学びを始める予定である。
第五の習慣→これぞ私のこだわりのひとつ。仕事にしがみついているというふうに見えるかもしれないけれど、やはりどんな状況でも職場において私の役割はあると信じたい。
第六の習慣→朝起きて鏡を見て口角を上げてにっこり。夫と冗談を言ってお腹を抱えて笑うこともある。一日に一度も笑わない日はない。
第七の習慣→患者会やこのブログを通じての戦友は宝物である。友を励ますことは自分を鼓舞することに直結しているのは何度も経験済み。
※ ※ ※(転載開始)
どんなときでも、今からできる工夫
★起こり得る最悪の事態を直視せよ ⇒そうなった場合の覚悟を決める ⇒それから最悪の事態を好転させる方法を考える。
★病気は病院に治してもらうものと思っていないか。
★長寿社会も安心して寝たきりになれると言うのでは意味がない。
★がんを嘆く暇があったら、別領域で取り返す算段を考えよ。
★筋肉量が多い人ほど長生きできる。
★不幸と思えることは直近の判断であり、長い目で見ると幸福に転じることができる。
★じっとして悩んでも苦悩は深まるばかり。むしろその間も行動することで気分が良くなり、そのうち解決のヒントが得られる。
★人生の終わりからの逆算するエンディングノートを敢えてつけてみる。今何が最優先かがわかる。人生終末期の準備なのに、新しい発見が得られる。
★がんが良くならない事を悲嘆するより、その状態が「普通」と思えるような考え方に進化すべし。
(転載終了)※ ※ ※
★→再発した時、遺された時間は大体5年位か、と覚悟した。結果的にそれを上回る時間を長らえているけれど、日々を積み重ねて、思えば遠くへ来たものだ。主治医を初めとする沢山の医療関係者のおかげで最悪の事態を好転させてきた。状況を良くご存知ない方には、死ぬ死ぬ詐欺とでも言われているかもしれない(笑)。
★→そうは思っていない。自分で出来ること、心の持ち方、余暇の過ごし方、少しでも幸せが感じられる時間を積極的に作って免疫力アップに努めている
★→安心して寝たきりに・・・はなりたくない。出来れば最期まで自分でお手洗いに行き、自分のことは自分でやりぬきたい。
★→ここ数年がんを嘆いている閑はない。ヨガや瞑想、その他もろもろ楽しい時間を自分から作り出し、気付けば幸せ・・・と呟いている。
★→筋肉量を減らさないために、朝の8分ヨガ(と瞑想)だけは毎日続けている。体重だけでなく体組成も欠かさず測っている。ここのところ骨格筋率が増えているので、カラダ年齢は30歳前後だ。(一番若くて27歳、調子が悪いと32歳)
★→不思議と不幸だと思うことはない。強がりでもなく、幸せを感じているとますます幸せがやってくるように思う。
★→じっと悩んでいる閑もない。具合が悪いときには開き直ってビデオ三昧。元気になればあれもこれもしたいので、気分が悪くなることはなく、忙しい充実している。
★→エンディングノートは完成していないが、常にどういう最期を送りたいのかは考えて夫にも伝えている。段々変わってくるものでもあると思う。新しい発見は留まるところがない。
★→がんとの共存はもはや私にとってデフォルト、ごくごく普通のことである。治らないことを悲嘆する時間はもう遠い昔においてきた感じ。穏やかな毎日である。
ということで、明日のその3で最終回にしたいと思う。
今日で4月も終了。今年も3分の1が終わったことになる。
昨日は洗濯機フル回転で家事全般を済ませ、午後からは夫と実話を基にした映画鑑賞、夕方には「クリアになる瞑想のワークショップ」に参加することが出来た。
そして今日。午前中月に1度のお楽しみマッサージの後、午後はリラックスヨガのクラスに参加してまったり。帰りには夫の趣味で封切りされたばかりの度肝を抜かれるアクション映画を観、トリプルヘッダーで愉しむことが出来た。
日々がこうして続けられることに改めて感謝する日曜日の夜である。