2020年大晦日。
前の記事に書いたように、今日は親子3代某ホテルで年越し泊。おかげさまで無事に年の瀬を迎えている。
今日も心は穏やかだ。とはいうものの、振り返れば今年も公私ともに実に色々なことがあった。
6月まではパージェタ・ハーセプチンの2剤併用。しかし、病状増悪のため休むことなく7月から新薬エンハーツ治療をスタートした。現在も3週間ごとに副作用に苦しめられ、治療後の体調は極めて低空飛行が続いている。7月以降、次回投与まで4週間空くのはこの年末が初めて。1週間の待ちわびたケモホリデーだ。
1月
結婚30周年・真珠婚式の旅行は2泊3日で息子も一緒に伊勢志摩へ。テーマパークで目一杯遊び、美しい海を愛で、水族館を訪れ、海の幸を楽しむ。
第17回ASHARE主催乳がん患者さん向け瞑想ヨーガクラス。当時、これを最後にリアルクラスが1年以上途絶えることになるとは思わず。
2月
川崎大師様へ1泊で厄除け詣り。新型コロナウィルス感染拡大で自粛ムード開始。
3月
息子在住の関西へ、初めてマスク着用の旅、スタート。
3度目のかつら生活をひとまず卒業して、地毛デビュー。
新型コロナウィルス感染拡大、外出自粛により勤務する大学では卒業式中止、ASHARE主催乳がん患者さん向け瞑想ヨーガクラス4月、5月クラス中止等、次々に影響が出る。
4月
大学入学式中止、授業開始延期、オンライン授業準備等に追われる。
初の緊急事態宣言、在宅勤務スタート、ステイホーム週間によりGWはお籠り、ヨガスタジオもクローズ
5月
夜中の下痢による迷走神経反射で転倒、失神。前歯を折るアクシデントに凹む。
ASHARE主催乳がん患者さん向けオンライン瞑想ヨーガクラス試行開始(スタッフ向け、4月クラス振替)
緊急事態宣言解除
6月
無事59歳を迎える。誕生日記念は、5月GWのリベンジに3泊4日で下田へTOJI。免許更新もマスクで恐る恐る出向く。
腫瘍増大、息切れ、咳等の自覚症状悪化によりパージェタ、ハーセプチンの治療を23クールで終了、新薬エンハーツ開始を決定。
息子半年ぶりに帰省、ドラム型洗濯機デビュー。
ASHARE主催乳がん患者さん向けオンライン瞑想ヨーガクラス(第2回リピーター様Onlyクラス)
7月
新薬エンハーツ初回。吐き気と酷い疲労感等の副作用により、半月以上体調不良が続く。
キャンサー・ソリューションズ株式会社主催ABC Project /ミニセミナー「再発後の心の整え方を語り合うオンライン交流会~瞑想ヨーガを通じて~」講師を務める。
ASHARE主催乳がん患者さん向けオンライン瞑想ヨーガクラス(第3回リピーター様Onlyクラス)
8月
エンハーツ2クール目、3クール目規定量投与。猛暑も相まって体調不良。体重減少、脱毛も続く。
夏休みは休薬週に関西行き、息子も一緒にパワースポット高野山と開湯1300年の城崎温泉へ。頭髪は辛うじてセーフで、地毛温泉巡りを楽しむ。
9月
エンハーツ4クール目、副作用軽減のために8割に減量スタート。それでも半月間の不調は続く。
瞑想ヨーガの師Sさんによる半年間のオンラインヨーガ・スートラ講座スタート。
4度目のかつらデビューには19gの最軽量を手配。
母の誕生日祝いに2か月遅れで誕生日プランホテル宿泊、直腸がん5年経過無事卒業、左腎がん1年経過観察OKのお祝いも兼ねる。
ASHARE主催乳がん患者さん向けオンライン瞑想ヨーガクラス(第4回リピーター様Onlyクラス)
10月
エンハーツ5クール目、6クール目 副作用軽減のため更に6割に減量し、ようやく10日ほどで復調ペースに。
夫単独で息子宅へ3泊4日
ASHARE主催乳がん患者さん向けオンライン瞑想ヨーガクラス(リクエストにより第1回誰でもOKクラス)
休薬週の合間を縫って、GOTOトラベルを利用して隣県・近県ホテル1泊を2回。治療の気分転換を図る。
11月
ASHARE主催乳がん患者さん向けオンライン瞑想ヨーガクラス(第5回リピーター様Onlyクラス)
エンハーツ7クール目 6割減量続行。
12月
エンハーツ8クール目 6割減量続行。
ASHARE主催乳がん患者さん向けオンライン瞑想ヨーガクラス(第2回誰でもOKクラス)
年末に息子帰省。年越し親子三代で近場のホテル泊、新年を迎える。
こう書くと、体調が悪く寝込んでいる時は増えたように思うが、今年は少しゆっくり・・・と言いつつ(毎度のように口先だけ・・・)、余りゆっくりしてはいないなあ、とつくづく思う。それでも在宅勤務や出張がリモート会議になったこと、外出自粛でいつになく家にいる時間が長かった1年だったと思う。
今年の3大ニュースは、治療でいえば新薬エンハーツスタート、コロナ禍の中でも治療延期もなく予定通り通院出来たこと、初めて規定量で3クールをやり遂げたことか。コロナウィルス感染拡大による様々な影響を受けつつも、瞑想ヨーガクラスはオンラインに切り替えて3年継続できていること。そして試行錯誤のうちに在宅勤務が始まり、感染拡大の波が3度あり、なんとか定着してきたことだろうか。
読書量はやはり少なく70冊強。去年と同程度だ。本当に具合が悪いと残念ながら好きな本すら読めない。治療開始以来コンスタントに100数十冊、一番多かった頃は300冊を超えていた。そんな日はもう戻ってこないだろうか。レビューを書く時間もとれないが、そのために無理して睡眠時間を削ることはしない。当日の治療日記で、面白く読めた本の題名に触れる程度で精一杯。これで十分。
映画は、具合が悪くても横になっていてもダラダラ見流すことが出来たし、コロナ禍の下、ひたすら録画して結構観ることが出来た。これもWOWOWの録画が殆どで130本弱。昨年の倍である。映画館で観たのは30数本。観っぱなしで、レビューが書けていないのもこれ迄と同じ。何を書こうかと考えながら観てひたすら疲労困憊し、睡眠時間を削るという暴挙はしないと決めた。
関西へ出向いたのは3月と8月。コロナ禍でもあり、昨年に比べて3分の1に減っている。夫は単独があったので+1回。その分息子が良く帰ってきた。6月、11月、12月と学生時代も含めこんなに何度も帰省したのは初めてのことではないか。離れていてもZoom飲み会もあるし、LINEもあるし、で家族仲良くやれていると思う。
楽しみだった夏のトルコ旅行はツアーキャンセルになったが(海外旅行に行けない日が来るなんて夢にも思わなかった。)、関西に加えて伊勢・志摩2泊、下田3泊、みなとみらい2泊、川崎2泊、三島1泊等、それに治療日前は病院最寄り駅に必ず前泊つまり22泊。合計すれば30泊ほど。それなりに外泊もしている。
地元のヨガスタジオはクローズ期間があり、更にアフターコロナではクラス開講数もうんと減り、私自身体調不良で通えなくなったこともあり、昨年までに比べると半分通えたかどうかだ。2つ先の駅前スタジオには電車に乗らなければならず、殆ど通えなかった。
今年レッスンを受けた回数は昨年の135回には更に足りず、ワークショップなども含めても120回にも満たない。春先のクローズに加え、7月以降は治療後に通えない日が多かったので仕方あるまい。
きつい治療を続けながらも、身体を動かせそうな時には出来るだけ身体を動かし、体力をなるべく落とさないように、体調をある程度コントロール出来るようになったつもりでいたが、本当にしんどいとそれも叶わない。治療を続けていく上で体力維持は必須であることは分かっているけれど、どう頑張っても動けないのだから致し方ない。
筋肉を落とすと、抗がん剤は効きにくいということも分かっているが、ひとまずエンハーツが効いてくれて息切れや咳などの症状が緩和されているから、曲がりなりにもフルタイムの仕事を続け、片道1時間半かけての通院治療にも通えているのである。
コロナ禍のせいもあるけれど、土日に誰かと会うためにどこかへ出かけることはなかった。お出かけはほぼ夫とだけ。本当にこの人に会いたいと思えば、リモートでも会えるようになった。有難い世の中である。
それでも、治療後の体調不良の時間が目に見えて増えて、物理的に時間が足りない。家の掃除も満足に出来ない。断捨離も仕事もちょっと根を詰めて行うと、すぐにグッタリくる。家のことを健康な方たちと同じレベルでやるなどという無謀なことはもはや望まないことにした。どう考えても欲張りな話だ。寝る時間を削ってまで家事をやる元気は私には、到底ない。
これまで同様、クリスマスもお正月も、特段の準備もしなかった。普段の手抜き家事だけで既にアップアップしている。丁寧な家事仕事は全く出来ない。大掃除も特にしなかったが、カーテンを洗い、窓拭きをし、レンジ周りを掃除出来ただけでも上等だ、と思えるようになった。それが嫌なら仕事を辞めるしかないのだろうと思う。けれど、定年退職までとにかくあと1年3か月である。なんとか元気にその日を迎えたい。その日が来たら少し身の回りのことも、家の中のことにも構えるようになると信じたい。
振り返れば病を得てほぼ16年、大学卒業後36年近く、産休と6ヶ月弱の病気休職以外休みなく働き続けることが叶っている。とりわけ強健ではなくとも、それなりに健康な身体を授かったのだから、働くことで社会に少しでも還元することは、今も社会人として当然の義務だと思っている。
高額な医療費で社会の皆様に助けて頂いているから、少しでも長く自分自身で掛金払い込みを続け、自分の保険証を持ち続けたい。
いつまでエンハーツ治療が続けられるかわからない。必要以上に気負うことなく、心穏やかに潔く精一杯生きていきたい。私なりに、私らしく、細く長くしぶとくがモットーであることは命ある限り変わらない。
明日からスタートする2021年はどんな年になるのだろう。3歳になったばかりだった1964年の東京オリンピックは全く記憶がない。2020年招致が決まった時、人生2回目のオリンピックを見ることはおそらく叶わないだろうなと思っていたが、もしや、と思った途端予期せぬ延期。それが今年の夏、本当に見ることが出来ることやら、である。
長々と書き連ねてしまいましたが、今年も一年お付き合い頂きまして、どうもありがとうございました。
来年も気力・体力が続く限り綴っていきたいと思っています。引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
2021年丑の年、私はおかげさまで3回目の成人式、還暦を迎えることが叶いそうです。新しい年を迎え、皆様がより健やかで穏やかなでありますことをお祈りして、今年最後の記事としたいと思います。
どうぞ良いお年をお迎えください。
前の記事に書いたように、今日は親子3代某ホテルで年越し泊。おかげさまで無事に年の瀬を迎えている。
今日も心は穏やかだ。とはいうものの、振り返れば今年も公私ともに実に色々なことがあった。
6月まではパージェタ・ハーセプチンの2剤併用。しかし、病状増悪のため休むことなく7月から新薬エンハーツ治療をスタートした。現在も3週間ごとに副作用に苦しめられ、治療後の体調は極めて低空飛行が続いている。7月以降、次回投与まで4週間空くのはこの年末が初めて。1週間の待ちわびたケモホリデーだ。
1月
結婚30周年・真珠婚式の旅行は2泊3日で息子も一緒に伊勢志摩へ。テーマパークで目一杯遊び、美しい海を愛で、水族館を訪れ、海の幸を楽しむ。
第17回ASHARE主催乳がん患者さん向け瞑想ヨーガクラス。当時、これを最後にリアルクラスが1年以上途絶えることになるとは思わず。
2月
川崎大師様へ1泊で厄除け詣り。新型コロナウィルス感染拡大で自粛ムード開始。
3月
息子在住の関西へ、初めてマスク着用の旅、スタート。
3度目のかつら生活をひとまず卒業して、地毛デビュー。
新型コロナウィルス感染拡大、外出自粛により勤務する大学では卒業式中止、ASHARE主催乳がん患者さん向け瞑想ヨーガクラス4月、5月クラス中止等、次々に影響が出る。
4月
大学入学式中止、授業開始延期、オンライン授業準備等に追われる。
初の緊急事態宣言、在宅勤務スタート、ステイホーム週間によりGWはお籠り、ヨガスタジオもクローズ
5月
夜中の下痢による迷走神経反射で転倒、失神。前歯を折るアクシデントに凹む。
ASHARE主催乳がん患者さん向けオンライン瞑想ヨーガクラス試行開始(スタッフ向け、4月クラス振替)
緊急事態宣言解除
6月
無事59歳を迎える。誕生日記念は、5月GWのリベンジに3泊4日で下田へTOJI。免許更新もマスクで恐る恐る出向く。
腫瘍増大、息切れ、咳等の自覚症状悪化によりパージェタ、ハーセプチンの治療を23クールで終了、新薬エンハーツ開始を決定。
息子半年ぶりに帰省、ドラム型洗濯機デビュー。
ASHARE主催乳がん患者さん向けオンライン瞑想ヨーガクラス(第2回リピーター様Onlyクラス)
7月
新薬エンハーツ初回。吐き気と酷い疲労感等の副作用により、半月以上体調不良が続く。
キャンサー・ソリューションズ株式会社主催ABC Project /ミニセミナー「再発後の心の整え方を語り合うオンライン交流会~瞑想ヨーガを通じて~」講師を務める。
ASHARE主催乳がん患者さん向けオンライン瞑想ヨーガクラス(第3回リピーター様Onlyクラス)
8月
エンハーツ2クール目、3クール目規定量投与。猛暑も相まって体調不良。体重減少、脱毛も続く。
夏休みは休薬週に関西行き、息子も一緒にパワースポット高野山と開湯1300年の城崎温泉へ。頭髪は辛うじてセーフで、地毛温泉巡りを楽しむ。
9月
エンハーツ4クール目、副作用軽減のために8割に減量スタート。それでも半月間の不調は続く。
瞑想ヨーガの師Sさんによる半年間のオンラインヨーガ・スートラ講座スタート。
4度目のかつらデビューには19gの最軽量を手配。
母の誕生日祝いに2か月遅れで誕生日プランホテル宿泊、直腸がん5年経過無事卒業、左腎がん1年経過観察OKのお祝いも兼ねる。
ASHARE主催乳がん患者さん向けオンライン瞑想ヨーガクラス(第4回リピーター様Onlyクラス)
10月
エンハーツ5クール目、6クール目 副作用軽減のため更に6割に減量し、ようやく10日ほどで復調ペースに。
夫単独で息子宅へ3泊4日
ASHARE主催乳がん患者さん向けオンライン瞑想ヨーガクラス(リクエストにより第1回誰でもOKクラス)
休薬週の合間を縫って、GOTOトラベルを利用して隣県・近県ホテル1泊を2回。治療の気分転換を図る。
11月
ASHARE主催乳がん患者さん向けオンライン瞑想ヨーガクラス(第5回リピーター様Onlyクラス)
エンハーツ7クール目 6割減量続行。
12月
エンハーツ8クール目 6割減量続行。
ASHARE主催乳がん患者さん向けオンライン瞑想ヨーガクラス(第2回誰でもOKクラス)
年末に息子帰省。年越し親子三代で近場のホテル泊、新年を迎える。
こう書くと、体調が悪く寝込んでいる時は増えたように思うが、今年は少しゆっくり・・・と言いつつ(毎度のように口先だけ・・・)、余りゆっくりしてはいないなあ、とつくづく思う。それでも在宅勤務や出張がリモート会議になったこと、外出自粛でいつになく家にいる時間が長かった1年だったと思う。
今年の3大ニュースは、治療でいえば新薬エンハーツスタート、コロナ禍の中でも治療延期もなく予定通り通院出来たこと、初めて規定量で3クールをやり遂げたことか。コロナウィルス感染拡大による様々な影響を受けつつも、瞑想ヨーガクラスはオンラインに切り替えて3年継続できていること。そして試行錯誤のうちに在宅勤務が始まり、感染拡大の波が3度あり、なんとか定着してきたことだろうか。
読書量はやはり少なく70冊強。去年と同程度だ。本当に具合が悪いと残念ながら好きな本すら読めない。治療開始以来コンスタントに100数十冊、一番多かった頃は300冊を超えていた。そんな日はもう戻ってこないだろうか。レビューを書く時間もとれないが、そのために無理して睡眠時間を削ることはしない。当日の治療日記で、面白く読めた本の題名に触れる程度で精一杯。これで十分。
映画は、具合が悪くても横になっていてもダラダラ見流すことが出来たし、コロナ禍の下、ひたすら録画して結構観ることが出来た。これもWOWOWの録画が殆どで130本弱。昨年の倍である。映画館で観たのは30数本。観っぱなしで、レビューが書けていないのもこれ迄と同じ。何を書こうかと考えながら観てひたすら疲労困憊し、睡眠時間を削るという暴挙はしないと決めた。
関西へ出向いたのは3月と8月。コロナ禍でもあり、昨年に比べて3分の1に減っている。夫は単独があったので+1回。その分息子が良く帰ってきた。6月、11月、12月と学生時代も含めこんなに何度も帰省したのは初めてのことではないか。離れていてもZoom飲み会もあるし、LINEもあるし、で家族仲良くやれていると思う。
楽しみだった夏のトルコ旅行はツアーキャンセルになったが(海外旅行に行けない日が来るなんて夢にも思わなかった。)、関西に加えて伊勢・志摩2泊、下田3泊、みなとみらい2泊、川崎2泊、三島1泊等、それに治療日前は病院最寄り駅に必ず前泊つまり22泊。合計すれば30泊ほど。それなりに外泊もしている。
地元のヨガスタジオはクローズ期間があり、更にアフターコロナではクラス開講数もうんと減り、私自身体調不良で通えなくなったこともあり、昨年までに比べると半分通えたかどうかだ。2つ先の駅前スタジオには電車に乗らなければならず、殆ど通えなかった。
今年レッスンを受けた回数は昨年の135回には更に足りず、ワークショップなども含めても120回にも満たない。春先のクローズに加え、7月以降は治療後に通えない日が多かったので仕方あるまい。
きつい治療を続けながらも、身体を動かせそうな時には出来るだけ身体を動かし、体力をなるべく落とさないように、体調をある程度コントロール出来るようになったつもりでいたが、本当にしんどいとそれも叶わない。治療を続けていく上で体力維持は必須であることは分かっているけれど、どう頑張っても動けないのだから致し方ない。
筋肉を落とすと、抗がん剤は効きにくいということも分かっているが、ひとまずエンハーツが効いてくれて息切れや咳などの症状が緩和されているから、曲がりなりにもフルタイムの仕事を続け、片道1時間半かけての通院治療にも通えているのである。
コロナ禍のせいもあるけれど、土日に誰かと会うためにどこかへ出かけることはなかった。お出かけはほぼ夫とだけ。本当にこの人に会いたいと思えば、リモートでも会えるようになった。有難い世の中である。
それでも、治療後の体調不良の時間が目に見えて増えて、物理的に時間が足りない。家の掃除も満足に出来ない。断捨離も仕事もちょっと根を詰めて行うと、すぐにグッタリくる。家のことを健康な方たちと同じレベルでやるなどという無謀なことはもはや望まないことにした。どう考えても欲張りな話だ。寝る時間を削ってまで家事をやる元気は私には、到底ない。
これまで同様、クリスマスもお正月も、特段の準備もしなかった。普段の手抜き家事だけで既にアップアップしている。丁寧な家事仕事は全く出来ない。大掃除も特にしなかったが、カーテンを洗い、窓拭きをし、レンジ周りを掃除出来ただけでも上等だ、と思えるようになった。それが嫌なら仕事を辞めるしかないのだろうと思う。けれど、定年退職までとにかくあと1年3か月である。なんとか元気にその日を迎えたい。その日が来たら少し身の回りのことも、家の中のことにも構えるようになると信じたい。
振り返れば病を得てほぼ16年、大学卒業後36年近く、産休と6ヶ月弱の病気休職以外休みなく働き続けることが叶っている。とりわけ強健ではなくとも、それなりに健康な身体を授かったのだから、働くことで社会に少しでも還元することは、今も社会人として当然の義務だと思っている。
高額な医療費で社会の皆様に助けて頂いているから、少しでも長く自分自身で掛金払い込みを続け、自分の保険証を持ち続けたい。
いつまでエンハーツ治療が続けられるかわからない。必要以上に気負うことなく、心穏やかに潔く精一杯生きていきたい。私なりに、私らしく、細く長くしぶとくがモットーであることは命ある限り変わらない。
明日からスタートする2021年はどんな年になるのだろう。3歳になったばかりだった1964年の東京オリンピックは全く記憶がない。2020年招致が決まった時、人生2回目のオリンピックを見ることはおそらく叶わないだろうなと思っていたが、もしや、と思った途端予期せぬ延期。それが今年の夏、本当に見ることが出来ることやら、である。
長々と書き連ねてしまいましたが、今年も一年お付き合い頂きまして、どうもありがとうございました。
来年も気力・体力が続く限り綴っていきたいと思っています。引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
2021年丑の年、私はおかげさまで3回目の成人式、還暦を迎えることが叶いそうです。新しい年を迎え、皆様がより健やかで穏やかなでありますことをお祈りして、今年最後の記事としたいと思います。
どうぞ良いお年をお迎えください。