ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2016.5.29 洞爺湖から昭和新山を巡り、無事帰京

2016-05-29 23:12:14 | 
 昨夜は2時間ほどかけてゆっくりディナーを愉しむ。バーニャカウダで出された旬の野菜の甘くて瑞々しくて美味しかったことといったら。夫のメインは、3つの部位食べ比べというローストビーフ。切り分けてくれたウエイターさんの好意が過ぎて量が多かったよう。彼が牛肉を残すのを私は初めて見た。それでもデザートは別腹。大満足だった。

 窓の外は日中とは打って変わって暴風雨。ロビーで行われているファウンテンショーを見て暫しお腹をこなした後、大浴場へ。ここでも大勢の賑やかな中国旅行客に圧倒されながら、とりあえず隅っこで小さくなりながら汗を流した。帰路は、強風でモノレールが止まるのではないかと心配したが、そんなこともなく、無事に部屋に戻った。

 そして今朝。旅行最終日だ。夜中に1度目覚めたが、階段が結構急で、寝ぼけ眼で下の階にあるお手洗いに降りるのは、コケそうで怖かった。高齢で足腰が弱くなったらこうした部屋には泊まれないな、と思う。夫は面倒臭かったのか、夜中のトイレの後は、そのまま階下のリビングのベッドで寝直していた。

 昨夜のお天気が嘘のように、今朝も青空が広がった。東向きの部屋はカーテン越しにも朝日が眩しく、そうそう寝坊はしていられない。朝風呂はやめて、部屋のお風呂で浴槽足湯を済ませて、モノレールに乗って別棟の朝食レストランへ。ゆったり出発とはいえ、モノレールで往復するので時間をとられ、結局、慌ただしくチェックアウトすることになった。

 まずは洞爺湖が一番綺麗に見られるというサイロ展望台へ。かつて洞爺湖サミットが開かれた折、2日間とも霧が酷くて美しい湖の風景を各国首脳に見て頂くことが叶わず、地元の方々はとても残念がっていたそう。今日は絵に描いたように素晴らしく、コバルトブルーに輝く湖面には、4つの中之島もクッキリ。

 続いて昭和新山に向かう。帰りのフライトの関係で時間がたっぷり取れないということで、有珠山ロープウェイを諦めてクマ牧場に行ってみる。入園すると、2月に生まれたばかりという3匹の赤ちゃん熊が、くんずほぐれずして仲良く遊んでいる。「まだミルクを飲んでいるのでおやつはあげないでください」と看板が出ているが、動くぬいぐるみのようだ。

 クマは生まれた時はネズミくらいの大きさで4~500gしかないそうだが、1年経つと100倍以上になるという。1,2歳の檻にいる“クマの小学生”の爪の長くて鋭かったこと。あんな爪でちょっと引っかかれたら、人の顔など簡単に抉れてしまうというのが頷ける。唸り声ももう一丁前でおやつをねだる声も猛獣そのもの。

 3,4歳から5,6歳が中高生に相当しており、人がおやつを手に持つと、立ち上がって手招きするのには笑ってしまった。上手にキャッチして大したものだ。とはいえ臭いはかなりきつく、手持ちのおやつも尽きたので早々に引き上げる。7歳以上の成獣たちはなんだかやる気がなくて、皆だらっとお昼寝中。

 昭和新山は昭和18年から20年にかけて、有珠山の火山活動で誕生した火山だが、裾野の豊かな緑と頂上の赤茶色の溶岩のコントラストが、雲ひとつない青空に映えて圧倒的な風景だ。うーん、やはり北海道は日本というより北欧のイメージだ。ここにも中国韓国の観光客が溢れており、こちらにも圧倒される。

 これにて今回の観光はすべて終了。少し早めに北海道らしい石狩鍋やほたての稚貝の昼食を頂いて空港へ向かった。今回3日間でのバス走行距離は500キロ超え。それでも北海道の地図を見ると、ごくごく一部を行ったり来たりしただけだ。本当に北の大地は広いのだ、と痛感した。
 1時間半ほど高速を飛ばし、予定通りに空港に到着し、3日間お世話になったガイドさん、ドライバーさん、添乗員さんに別れを告げて再び機中の人となった。

 離陸は若干遅れたが、ほぼ定刻に到着。空港内のレストランで少し早めに夕食を摂り、最寄り駅までリムジンバスで無事帰宅した。
 キャリーケース一杯の洗濯物を干したら、あっという間に眠る時間になった。明日から1週間、ちょっときつそうだ。疲れが出ないようにしなくては・・・。
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2016.5.28 今日も快晴 ニセコから余市、小樽経由ルスツへ

2016-05-28 19:16:04 | 
 昨夕は一回目の温泉を楽しんだ後、ホテルの敷地内を散策。ラベンダー色に暮れなずむ空と、羊蹄山やニセコアンヌプリ連峰の稜線の美しさにため息をつく。深呼吸をしていると思わず大地礼賛のヨガのポーズをしたくなり、夫に笑われる。入浴で芯まで温まった体に爽やかな風が心地よく通り抜ける。ちょっと寒いくらい。ホテル内のショップに戻ってお土産を物色。スパは残念ながら夜まで予約で一杯のようだった。

 レストランで海鮮や和洋折衷のお料理、デザートやフルーツ満載のバイキングをたらふく頂いた後は、「今日は空気が澄んでいるので星空がきっときれいですよ」とレストランの方に勧められ、再び温泉へ向かう。
 夫を誘うもお風呂嫌いな彼は、1回入ったのだからもう十分と固辞。そんなわけで一人2回目の入浴を楽しむ。ライトアップされた木々が、露天風呂の前に続く池の水面に逆さに映って幻想的だ。池で飼われている鯉が口を開けて餌をねだりに来るのもご愛敬。もちろん空には満点の星。そんな非日常かつ贅沢なお風呂タイムを愉しんだ後、部屋に帰れば夫は既に爆睡中。私も夫の鼾にもめげず早々に眠りについた。

 そして、今朝。昨夜10時前に寝付いた夫は早々と4時過ぎから起き出し、カーテンを開け放したり、パソコンをいじったりとガサガサゴソゴソ。大迷惑である。それならお風呂に入ってくればいいのに、とぶつくさ言いながらこちらは二度寝を決め込む。

 再び目覚めたところで出発まではまだ3時間以上もある。本日も快晴なり。窓の外は今日も全面に朝日を浴びた羊蹄山が。昨日よりも紫外線が強そうだ。せっかくだから、と夫もしぶしぶ朝風呂に出かけた。
 お風呂場には朝の明るい光が溢れ、水面には金箔のように見える湯の華がきらめいている。贅沢な朝である。

 朝、小分けしていた小さな薬袋と目薬がないのに気づく。レストランに行って確認すると、フロントに預けてありますよ、ということで無事回収。ほっとする。どうも注意力散漫。これが加齢現象なのかケモブレインなのか、定かではない。

 朝食を済ませ、本日の最初の立ち寄り場所はニセコ大湯沼。昨年崩落事故があり、残念ながら遊歩道は立ち入り禁止。上から写真を撮るだけになった。硫黄臭がかなり強い。辺りにはまだ残雪があり、若い緑とのコントラストが面白い。露天風呂が15もあるという日帰り温泉施設が隣接しているが、オープン前から既に列が出来ている。

 続いて道の駅で小休止。地元の方たちも買いに来るということで、土曜日のせいか駐車場は自家用車で一杯。朝採りのグリーンアスパラ、生のままサラダでも頂けるという珍しい紫アスパラをゲットしてハッピーである。ここで夫は“いももち”を食している。相変わらず立派な食欲である。

 バスが通っている道沿いには、あちこちに自家用車が止まっている。山菜取り、筍とりだそうだ。熊が出たり、山に迷い込んだりする人もいるということで、消防車が出て注意を呼び掛けておりびっくり。そういえば、昨日はホテル近辺でキタキツネの姿も見られてラッキーだった。

 続いての訪問箇所は、昨年3月に終了した朝の連続テレビ小説「マッサン」の舞台になったニッカウヰスキー余市蒸溜所。夫は今回、ここを訪れるのを一番楽しみにしていた。竹鶴が夢見た理想郷、余市蒸溜所の正門から入るとテレビで見覚えのある赤い建物が出迎えてくれる。青い空、赤い屋根、石造りの建物。実に絵になるではないか。

 蒸溜棟ではテレビで何度も見たあの面白い形のポットスチルが沢山並んでいる。発酵棟ではもろみの匂いが鼻をつく。沢山の樽に囲まれて、なんだかスモーキーフレーバーが漂ってくる感じ。事務所や旧竹鶴邸もなかなか見応えがある。マッサンとリタ(エリー)は本当に素敵なカップルだったのだな、としみじみ。貯蔵庫を改装したというウヰスキー博物館では、創業者竹鶴政孝の生涯を紹介するとともにスコットランドの展示も。大昔に研修で訪れたグラスゴー大学の写真も飾っており、とても懐かしかった。

 藤やつつじの花も美しく咲き乱れ、所内は大きな公園のような作りになっており、とても素敵。わずか1時間の見学時間で全てを見て回ることができず、とても残念だがこれもツアーの哀しさというところか。無料試飲会場では、夫はピュアモルトウイスキーを、私はアップルワインやリンゴジュースを頂いた。ショップでは蒸溜所限定というシングルモルトウイスキーの小瓶を買い求めてきた。夫は、息子が帰省した時に、一緒に飲もうと、今から楽しみにしている様子。レストランも覗いてみたかったけれど、集合時間のため、あたふたとバスに戻ると、なんだか皆ほんのりピンクになって、ウヰスキーの香りが漂っていた。

 そして1時間ほど走り、小樽へ向かう。途中から濃い青の日本海が見えてくる。小樽を訪れるのは今回で4回目。すべて夫と一緒だが、そのうち2回は息子も一緒。昼食時間を含めて2時間の自由散策。運河の前で集合写真を撮った後は解散。お薦めのお寿司屋さんは一杯で諦め、お隣の食堂で10種類の海鮮丼に舌鼓を打った後は、ぶらぶら歩き開始。

 今日もいいお天気で本当に恵まれている。「前回は道路が雪で真っ白だったね、息子がすってんころりんしたよね。」と言い合いながら歩く。以前にも寄ったお店で、息子の好きなキャラクターのストラップをお土産に買い求め、チーズケーキで有名なカフェでお茶。北一硝子でお土産を物色したら早くも集合時間になった。それにしてもどこに行っても中国語、韓国語が飛び交う。いやはやワールドワイドである。

 時間通りにバスは出発。1時間40分ほどノンストップで、再び羊蹄山の姿を眺めながら、今日の宿泊地ルスツ高原へ向かった。

 今日のホテルは来月グランドオープンということで、今回はプレオープンのモニター宿泊だ。全面開業前なので、宿泊する部屋と、温泉大浴場やレストランはモノレールで結ばれた別の場所という若干の不便が玉に瑕である。とはいえ、お部屋はメゾネットタイプで、ベッドルームとリビングルームに分かれている。これが結構急な階段で結ばれているので、足腰が弱くなったら泊まるのは厳しいかもしれない。この1泊で、かなりの運動量になりそうだ。それもこうして体調が落ち着いているから。本当に今があることに改めて感謝だ。

 というわけで、これからモノレールに乗ってレストランでディナーを頂いた後は、そのまま入浴の予定。明日もまたゆっくりめに出発し、夕方帰京の予定である。
 
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2016.5.27 5年半ぶり、北の大地から

2016-05-27 17:42:30 | 
 突然のことながら、今日は北の大地のリゾートホテルから更新している。
 思えば、このブログを旅先でも更新出来るようにと自分専用に小さなパソコンを買い、初めて更新したのが日本最北端にある国境の街からだった。
 以降、“旅”の記事も今日で130近くになった。我ながら神出鬼没である。

 今回の旅は華麗なるホテルに泊まるモニターツアー。今日、明日と、2つのホテルにのんびり滞在し、優雅なホテルライフを満喫するという贅沢(軟弱?)なものだ。

 今朝は普段より2時間も早い起床。朝食も満足に摂れず、最寄駅からリムジンバスに揺られた。折悪く土砂降り。高速も渋滞して、予定より20分ほど遅れて空港に到着した。チェックインはスムーズに終え、ラウンジで軽い食事を取り直し、いざ出発だ。

 1時間半のフライトは、本を読み、お茶をしてウトウトしたらあっという間。離陸時も着陸後もやけに時間がかかり、ゲートに着いた時には30分遅れ。新千歳空港で現地添乗員さんとお目にかかれたのは予定より小一時間遅い時間だった。空港で自由昼食というが、集合時間まで40分しかない。
 北の大地に降りたなら、そして時間が限られているならやはりこれはラーメンでしょう、ということで、夫は味噌、私は塩味をチョイスしてそれぞれ堪能する。

 今回のツアーは先着順限定受付という触れ込みだったので、いったいどのくらいの方が参加しているのかと思っていたが、47名で満席のバスが4号車まで出ているという。つまりこの3日間だけで200人もの方たちが同じ行程を行くとのことだからびっくり。

 予定通り12時半にスカイブルーのバスが出発。快晴のお天気になり、びっくりするほど暖かい。街の温度計は21.8度を指している。先週には、5月としては観測史上初めて4日連続の真夏日を記録したというここ北海道だが、今日は風がとても爽やかだ。今年は気温が高く、普段なら6月に咲くというナナカマドの白い花も車窓から拝むことが出来た。

 40分ほど走ると今日唯一の観光場所である支笏湖に到着する。青空に映える新緑が眩しく美しい。湖畔の公園ではまだ八重桜も見ることが出来る。オレンジやピンクのつつじも満開。タンポポも東京と違って心なしか黄色が濃く、イキイキしているように感じる。春が一度に来た感じ。大地もその訪れを喜んでいるかのように空気がどこまでも澄んでいる。

 湖畔からは恵庭岳(アイヌ語で頭のとがった岩山という意味のエ・エン・イワから)岳、風不死(アイヌ語のトドマツあるところ、という意味のフプシから)、樽前山(アイヌ語の川岸の高いところ、タオロマイから)が一望出来る。支笏湖ブルーという名のとおり、湖の青が素晴らしい。水面がキラキラと輝いて、眩しくて目を開けていられないくらい。田沢湖に次ぐ全国第二位の深さと全国トップクラスの透明度を誇り、冬季も湖面が凍ることが稀な日本最北の不凍湖としても有名だそうだ。私があちこち写真を撮っていると、夫はちゃっかり売店でソフトクリームを買って食べている。散策の時間は1時間足らず。ボートや遊覧船を楽しむ時間はなかったので、ビジターセンター等を散策して時間切れになったけれど、心が洗われた時間だった。

 あとは一路ホテルに向けて、ひたすらドライブ。お腹もこなれて、ちょうどよい揺れ具合でもうコックリコックリしたいのだけれど、ガイドさんの話も気になるし、車窓からの景色も美しく、寝ている場合ではないとちょっと拷問状態。
 道中ずっと蝦夷の富士と称される羊蹄山を追いかけていく。お天気が良いので、農家の方たちは大忙し。
 ちょうどアスパラの収穫時期ということで、収穫の適時を知らせる、アスパラの先端が表土を押し上げて出来る地割れを見逃さないように、日に3度の見回りをするそうだ。

 羊蹄山の麓は細川たかしさんの故郷、真狩村。その中を抜けて、2時間弱のドライブの終着点、ここニセコに到着した。

 ホテルの駐車場からはそびえたつ羊蹄山の姿が素晴らしい。添乗員のYさんは真狩村在住というが、その彼女によれば角度によってカエルに見えたりするらしい。お話しを聞きながらこうして四季折々、その姿を変えていく山を日々見ながらの暮らしも素敵だろうな、と思ってしまう。

 部屋にチェックイン。14階の部屋の大きな窓の外には、まるで絵葉書のように羊蹄山からニセコの山々が一望出来る。なんて素敵!である。眼前に広がる緑のグラデーションに癒される。いいお天気で本当にラッキーだ。

 今日は、とてもお肌がしっとりするという露天風呂と大浴場を梯子して、夕食を摂ったら早めに休み、明日に備えたい。ああ、本当に幸せな週末である。

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2016.5.24 がん患者も働ける社会に・・・

2016-05-24 21:59:52 | 日記
 掲載されてから少し時間が経っているが、おお!と思わず声を漏らした記事があったので、以下、転載させて頂く。

※   ※   ※(転載開始)

がん患者追跡調査  復職5年後も5割が勤務継続 大企業社員(毎日新聞2016年5月17日)

 がんと診断されて復職した大手企業会社員の約半数が5年後も継続して働いていることが東京女子医大の遠藤源樹助教の大規模調査でわかった。がん患者の長期の追跡実態調査は日本で初めてで、復職後の実態が判明した。
 中小企業ではがん患者本人や企業が仕事をあきらめる例が多いが、遠藤助教は「復職支援を充実させれば、がんを患ったベテランを切らずに戦力を維持できる。企業のためにもなることが示された」と話している。
 26日に福島市で開かれる日本産業衛生学会で発表する。遠藤助教は2000〜11年末までにがんと診断され、治療後に復職した会社員1010人を追跡調査した。長期の休業期間など復職支援が充実した大企業に属する人が対象。その結果、復職日から5年後に51.1%が仕事を継続していた。女性では60.4%に及んだ。がんで休業した重症者が対象で、内視鏡手術など短期の治療を受けた人は含まれない。実際の5年後勤務継続率はさらに高い可能性がある。
 勤務継続率はがんの種類で差が大きく、男性の肺がん(14.2%)▽男性の食道がん(28.7%)は低かったのに対し、前立腺など男性生殖器がん(73.3%)▽子宮など女性生殖器がん(67.8%)▽乳がん(63.4%)▽胃がん(女性63.1%、男性62.1%)は高かった。
 復職後の勤務年数の中央値を見ると、女性の乳がん、生殖器がん、男性の生殖器がん、男女の胃がんは10年を超えていた。
 ただ、調査対象は大企業が中心で、中小企業や派遣社員では身分保障期間が短く、離職も多いとみられる。厚生労働省研究班の04年のアンケート調査では勤労者の34%が依願退職か解雇されていた。遠藤助教は「がんだと復職が難しいというのは偏見で、十分な支援を行えば、長期に働ける。がんによる復職を法的に保障すべきだ」と話す。【斎藤義彦】

(転載終了)※    ※    ※

 がん患者の長期にわたる追跡実態調査は日本初だという。つまり、それほどかつてはそういう-がん治療後に復職して長期間働き続けるという-ケースが少なかったということであるとともに、今やがんに罹患し、治療をし、休職後も長期間働いておられる方がかなりの数いらっしゃるということなのだろう。特に復職後、5年を超えて働いている女性は6割を超えるという。しかもこと乳がんに限れば10年超えが中央値だ。初発から11年半弱の私は、今月の半ば、再発治療開始後に復職してまる8年を超えたのだが、まだまだ行ける。思わず、ガッツポーズである。

 この記事では、“大企業”という表現をしているし、中小企業や派遣については離職のケースも少なくないと書かれている。だから、実際には病気になったことや治療で休まなければならないことを理由に退職や解雇など離職を余儀なくされ、私の文章を目にして、お前はただ福利厚生に恵まれていただけだ、ラッキーなだけだ、と心穏やかでない方もおられるのかもしれない。

 けれど、現に復職してからも長期間働くことが出来るという実績がこれだけあるという事実を一人でも多くの方が知ることは、大きな意味を持つのではないか。そのことにより、様々な偏見-がんを患ってしまったら、もはや復職して長期に就業することは無理、というような-が少しずつでもなくなっていけば、と思う。

 この調査は、おそらく治療がエンドレスである再発患者に焦点を当てたものではないだろう。初発治療により休職して、その後働き続けているというサンプルの中にどのくらいの再発患者が含まれているのかはわからない。けれど見方を変えれば、初発治療を終え、再発することなく経過観察だけなら、復職できるだろうか・・・などと思うのは心配し過ぎだと言えるのではないだろうか。
 さらに、化学療法を中心とした再発治療でも、かつてに比べて入院ではなく通院が主流になっている。となれば企業は復職支援を充実させることで、大切な戦力であるベテラン人材を手放すことなく活用し続けることが出来る。そうなれば、企業にとってもがん患者にとってWin-Winになるわけだし、世の中はもう少し生き易くなるのではないかと思う。とともに、是非そうあってほしい、と切に願うのである。

 日本人の2人に1人が生涯でがんになる時代なのだから。

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2016.5.22 指導者養成コース8日目、均整術初体験の後はお誕生日パーティ参加

2016-05-22 23:46:54 | ヨガ
 瞑想ヨーガ指導者養成コース8日目。
 昨日のアシュターンガヨーガ、午後のアーサナクラスのおかげで、日頃使っていなかった筋肉がビックリして体中が筋肉痛。それでも不思議なくらい気分爽快、とても元気な私である。
 青空が広がるいいお天気だ。でも紫外線はかなり強い。しっかり日傘でガードしてスタジオに到着。

 Sさんが出席を取り、今日の講師K先生をご紹介された後、本日のプログラムに入る。柔軟性を高め、身体のバランスを整える「均整術」は、均整術師のIさんに何度か施術して頂いたことはあったけれど、自分でトライするのは初めてだ。セルフケアが出来るようになれば本当に嬉しい。

 K先生の手書きの特製図解プリントが配られると、いきなりその話術に惹きこまれる。外胚葉型、中胚葉型、内胚葉型の3つの体系分類から始まる話に興味深く聞き入ってしまう。参加者たちの中で三角のポーズが苦手、開脚が苦手、前屈が苦手の人たちが前に出て、それぞれの苦手なポーズを取る。そこに先生のアシストが加わると、ものの数分もしないで身体が柔らかく変わっていく。

 使用するテクニックは筋膜リリース、こう打法等。かくいう私は、身体が硬く苦手なものばかりで、得意な分野が見当らないないトホホな生徒なのだが、前屈で試して頂いたところ、それまで両手の先がようやく床につく位だったのに、数分も経たずしてペッタリと手の平がつくまでになった。もう魔法である。あちこちから「おお~」と声が上がる。

 そしてペアワークへ。今日はIさんとご一緒した。前屈と三角のポーズをお互いに実践し合う。先生の指示どおりに身体をゆすったりさすったり指圧したりするだけで、不思議なほどすんなりと身体が柔らかくなっていく。女性は一度実践するとその効果が12時間から24時間継続するという。つまり、1日2回やればずっとこのままでいられるのだそうだ。開脚、山のポーズ、立木のポーズとどんどん続け、午前中の講義が終わる。もうどれだけ笑って、どれだけびっくりしたことか。免疫力も柔軟性もアップして、こんなに嬉しいことはない。

 お昼はAさんたちと4人でネパール料理へ。外を歩いてみると、股関節の辺りがとても軽くなっており、背筋も伸びて、昨日の筋肉痛が軽減しているのに驚く。昨日に続き色々な体験をしながら、K先生のレッスンも定期的に受けられたらいいな、と思ってしまう自分が怖い・・・。

 そして午後は再びSさんのクラスに戻る。まずは新しい曲も含めキールタンを3曲。明るい音で口角を上げて声を出すと良いということで、幸せを感じつつ微笑みながら歌う。

 後半はアーサナの続きで、片足を上げたバランスのポーズの練習。まずは立木のポーズで。肩を下げる筋肉の使い方を学ぶ。これもペアワークでお互いにチェックしていく。昨日学んだ“止める、脱力する、動き続ける”を意識して行う。ふだん使わない筋肉と対話することが出来て、次々に新しい発見がある。

 ウォーリアⅠからウォーリアⅢのポーズへ、そしてハーフムーンまで。いやはやもう大変な事態でアップアップ、ヨレヨレである。これも昨日学んだ“ポーズは下から作っていく、タダーサナ(基本姿勢)を崩さない、安定したら動き続ける”を意識するが、体液が巡り始めて、身体がどんどん熱くなって汗が滲んでくる。

 こうして“身体が安定したら動かし続ける”ということを意識して続けていくと、間違いなく身体は変わっていくし、筋肉の付き方も変わっていくという。
 最後のシャバーサナではもうぐったり・・・だったけれど、本当に充実した1日だった。

 クラスの後は、Sさんのお誕生日パーティだ。色とりどりの美味しいフルーツやYさんたちの手作りのお料理、スイーツがテーブルに並ぶ。Sさんのご挨拶、集合写真撮影の後、K先生の音頭で乾杯、食事と歓談・・・と、楽しい時間はあっという間に過ぎていく。茶道講師でおられるSさんのご主人がお抹茶を立ててくださり、美味しく頂く。K先生のクイック均整術で首肩腰も調整して頂いた。」

 最後はSさんのリードで瞑想タイム。今日は折しも満月の日だ。自分がこの後、どんな人生を送りたいのかを静かにイメージしながら、心穏やかに良い瞑想をすることが出来た。自分の幸せと大切な人たちの幸せと、世界中の幸せを祈り、名残惜しい中、会はお開きになった。

 Sさんに御礼を言い、幸せで満ち足りた気分でスタジオを後にした。
 またしても土日の両日、家を空けてしまった。夫が最寄駅まで迎えに来てくれたので、駅傍の喫茶店でお茶をしてから帰宅。
 明日からまた新しい1週間が始まる。この心穏やかで幸せな気分のまま、明日も明後日も過ごせますように。

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