ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2010.1.30 「新春お食事会」

2010-01-30 20:30:59 | あけぼの会
 今日はあけぼの会東京支部主催の「新春お食事会」に参加した。前回11月に参加した「虹のサロン」と同じ会場で「有名店の美味しいお弁当とイベント付」というご案内のはがきが届き、昨年のうちから参加申し込みをして、楽しみにしていた。

 おりしも今日は息子の14歳の誕生日。
 毎年この日(平日でないときはその後の土日)に家族写真を撮り続けている。「たからもの」という名前のアルバムは早くも3冊目になっている。昨年は私の体調の関係で、結果的に夏まで先延ばしにしてしまった。いつも同じ真冬の撮影なので、夏服での撮影は新鮮で、それはそれで結果オーライだった。
 今年も朝一番で写真館に行き、生後100日の時(この時は新撰組や桃太郎に変身しての撮影もした。)からのお付き合いのカメラマンの方に家族3人と本人1人の2種類、計5ポーズ、さらに息子の「たまにはあなたたち2人で撮ってもらえばいいのに」の一言で「結婚20周年だし・・・」と結婚1周年以来撮っていなかった夫と2人の写真も撮影してもらった。
 年賀状に息子の写真を送るのも卒業したが、毎年祖父母等親戚にはこれを絵葉書に加工してもらって近況報告にしている。昨年の夏以降ぐぐーっと伸びて、今やカメラマンさんの背を追い越してしまった息子である。166センチ47キロの私も、身長・体重とも抜かれてしまった。昨年夏には声もまだ高かったのに、今回は声変わりもしてカメラマンさんに驚かれていた。靴のサイズはなんと夫よりも大きくなっている。なんでもかんでもあっという間に履けなくなって、なんとも不経済ではあるが、嬉しくもある。

 その後、2人と別れて、私はその足で会場に向かった。8人かけのテーブルが9つ大会議室にセットされ、支部長さんの挨拶の後、それぞれのテーブルで自己紹介も兼ねながらお話して、二段重ねの美味しいお弁当を頂いた。おかずがとてもたくさんで食べきれなかったほどだ。
 後半は矯正運動療法士の伊藤和磨さんをお招きして「術後のストレッチ、健康維持の為の日常の運動方法等」を教えていただく、というイベントだった。正しい立ち方から始まって、座り方、歩き方等、実際に人体モデルも登場しながら、ユーモアたっぷりのわかりやすいトークとともに予定時間を約1時間も延長してのお話で、たくさん笑って元気を頂き、大満足だった。
 前回お会いした方たちとまたお会いすることが出来たことに感謝して、解散後もお茶をしつつ、本音でおしゃべり。また新しくメールアドレスも交換し、次回もお会いしましょう、と言ってお別れした。

 帰宅後はささやかながら息子の大好物のお寿司とケーキで誕生日を祝った。来年もまた3人で元気に写真が撮れますように。

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2010.1.26  ハーセプチン78回目

2010-01-26 20:00:23 | 治療日記
 今日は4週間ぶりの皮膚科診察の日。15分ほど待って中待合に入り、ほどなく診察室へ。右足の親指の爪は大分伸びてきた。このまま切らずに今までどおりの薬を塗ってよいとのこと。先日、左足の薬指と小指の爪がまたはがれたけれど、今回は痛みもなく、下に綺麗な爪があったことをとりあえずご報告。また、タキソテールの副作用ということではないが、手指の先が割れたり切れたりするのが気になること、いまだに鼻毛が伸びていないせいだと思うのだが、鼻をかんだり触れたりすることが多いので鼻孔縁がよく切れて痛いこともご相談した。軟膏を2種類出して頂いた。
 それから内科へ。今日はなかなか中待合へのランプがつかなかった。診察室に入り、寒さのせいなのか手指のこわばりが気になること(握力は最近測っていないけれど、かなり弱くなっている気がする。先日は指が滑ってガラスのコップを見事に割ってしまった。)、傷口が痛むことをご報告。「痛みの場所が変わっているわけではないすね。」と先生から。「はい。」とお答えした。
 処置室も混んでいるのかと案じたが、診察室を出て処置室に移動すると、点滴椅子は珍しくよりどりみどりだった。小一時間ほどして点滴開始。順調に終了。先週も持参していたのに先生にお渡しするのを忘れていた婦人科検診の結果報告書を帰りに看護師さんに預けてきた。若い頃は記憶力が売りだったのに、最近哀しいくらい物忘れが酷くて、実に情けない。
 帰りに薬局で薬を受け取り、遅い昼食を取って帰宅したが、途中乗換駅で電車が止まっており、やむなくまたお茶をして時間つぶし。

 そんなわけで今日は4冊読めた。病院の処置室の本棚からも1冊お借りしておいてよかった。
 1冊目は酒井順子さんの「少子」(講談社文庫)。痛快なまでの本音のオンパレード。(子どもは)別に欲しくないし、痛いし、今の生活変えたくないし、面倒くさい・・・などなど。それでもこの気持ち、わかる!と一気読みした。
 2冊目は斎藤茂太さんの「『心の掃除』の上手い人、下手な人」(集英社文庫)。前向きな自分を取り戻すコツ、ポジティブ人生の達人茂太先生のハート・クリーニングという裏表紙にあるとおり、たくさん元気を頂いた。「~しなくてはいけない」「~しなきゃだめだ」「なぜ、私が思うように、みんなはやらないんだ!!」そんなふうに思ってストレスをためるのは本当に馬鹿なことだったなんだ、と今更のように反省。
 3冊目は土屋賢二さんの「紅茶を注文する方法」(文春文庫)。表題のエッセイも含む週刊文春に連載したエッセイ集。薬局待ちの間、あまりにおかしくて一人で噴出しそうになって困った。先日の映画ではないけれど、土屋先生も「恐妻家」だけれど本当は「愛妻家」なんだな、としみじみ。
 4冊目は和田アキ子さんの「おとなの叱り方」(PHP新書)。最近みんながちゃんと叱らなくなっている、とは思っていた。誰しも嫌な奴、と思われたくないからか。他人に無関心だからか。この年になってくるとなかなか叱ってもらえなくなるのも寂しいことだ。叱るのは愛があるから。実にそうだ。叱ると怒るは全然違うのだから。今日もちゃんと息子と向き合って、怒るのではなくちゃんと叱ろう、と再確認。叱ってもらえて、きちんと謝ることのできる、可愛がってもらえる人間になって欲しいから。

 初発の術後以降、大きな声を出すと左の胸にある傷口あたりがずきーんと痛む。だから、もう大きな声を出すな、という体からの声だということはよくわかっているのに、どうも反抗期の息子とつきあっていると、だんだんトーンが上がってくる。(息子も私も夫に言わせると声が大きいらしい。中学高校とクラリネットを吹き、高校では応援団に所属し、大学で合唱をしていたこともあるため、腹式呼吸が体に染み付いていて自然にお腹から声を出してしまうのだ。)

 転移した骨の痛みだと分かっていても、いまだに痛み止めを飲むことについて何か抵抗がある。先生は痛ければ飲んでいいのだ、とおっしゃるのだが、どうもどんどん効かなくなって量が多くなるのでは、とか別の強い薬にうつらないといけないのでは、というつまらない心配がある。

 思春期の頃から頭痛もちだったので、頭痛薬には長いことお世話になってきた。母もやはり頭痛もちだったので、母の使っていた薬を使い、だんだん効かなくなってくると、また別の薬、また別の薬、と変えていった。それでも最近は生理前の月経前困難症とされる頭痛がなくなったから、長年の頭痛を考えればうそのように日々がとても楽である。

 生理痛も人それぞれで、全くなんでもない人もいれば救急車を呼んでしまうほどひどい人もいるという。痛みはとにかく自分しかわからない。どこまでなら我慢できるか、我慢してよいのかとても難しい。私は生理痛はきついものだと思っていたので、出産まで婦人科にかかることはなかったが、実際、帝王切開で出産したときには、息子が出てきた後の処置の方が延々と長く、夫をはじめ両親はいったい何があったのか、と思ったそうだ。
 開腹してみたら子宮内膜症がひどく、「よくこれで自然妊娠しましたね。」と主治医には驚かれた。「これではさぞかし生理痛がひどかったでしょう。」とも言われた。(そうだったんだ・・・)と目から鱗の状態であった。ある程度の我慢は仕方ないもの、と思っていたのだが、やはり自分の体の声には自分がきちんと耳を傾けなくてはいけない、と当たり前のことを痛感した。

 子宮内膜症の部分をきれいにとってもらったこと、また1年間は授乳したこともあり、その後生理痛はすっかり楽になっていた。そろそろまた痛み出した・・・と思う頃にはまたちょくちょく頭痛薬のお世話になったけれど、かつてほどのことではなかった。

 それから数年の子育てを経て、初発後ノルバデックスを飲み始めて半年後にはすっかり生理らしい生理がなくなっていたが、それでも生理前にあったようないつもの頭痛や下腹部の鈍痛は続いていた。それが今やすっかりなんともない。それこそ、先生のおっしゃるとおり「卒業」なのだろう。

 とにかく痛みがあると、気持ちが前向きになれない。いつも不機嫌でどうしてもマイナス思考になる。それなのに、こんなに痛がったらおおげさだと思われるのではないか、と思ってしまう。我慢強いことが何より美徳、と育てられたためか、恥ずかしいことに我慢のボーダーラインがいまだによくわからないのだ。

 独身時代、親知らずの抜歯にはかなりてこずった。横向きに生えてきた歯を分割して取り出すために歯茎を切開して何針か縫い、本当なら1泊入院、といわれたが、翌日はずせない仕事があったので、まるでこぶとりじいさん(ばあさんですね。)のような顔をして出勤したこともあった。朝起きたらうまく口が閉じられていなかったため、出血で枕が赤くぬれていた。一歩足を踏み出すごとに頭まで痛みが突き抜ける感じ。当然何日かは飲み物だけで何も食べられなかった。さすがにそのときは処方された痛み止めを飲んでいたけれど。

 自分流の「ここまで痛くなれば薬だけれど、ここまでならちょっと我慢してしまおう。」というボーダーが未確定だ。本当はそろそろ痛くなりそうだな、と思ったら少し早めに薬を飲んでおくほうが痛む時間が少なくてよいそうだが、どうもそのタイミングを逸して、不要に長く痛みと向き合うことになってしまう。ほとほと学習しないのが情けない。

 これからは少しでも大声を出さずに済むように痛みを呼び込まないように心穏やかに過ごしたい。怒ると美容にも健康にも悪い、ということは明白なのだから。

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2010.1.24 今度は愛妻家

2010-01-24 19:55:15 | 映画
 今日は、午前中息子が学校まで英検受験に出かけたので、夫を誘って先週から上映が始まった「今度は愛妻家」を観に行った。夫と同じ映画を見ると『夫婦50割引』が適用になるので、ほぼ半額で観られることになってありがたい。

 詳細は知らないまま新聞広告だけちらと見て出かけたのだが、最初2人の会話に大笑いをしていたものの、途中から状況がわかったときには、切なくて胸が苦しくて涙が出っ放し。隣で観ていた夫も鼻をぐずぐずいわせていた。映画館を出たときには2人ともまだ涙目で、ちょっと思い出すとまた涙が出てきて、顔が洗いたい・・・という状況だった。
 ストーリーを書いてしまうとこれからご覧になる方に申し訳ないので控えるが、「セーラー服と機関銃」で主演した薬師丸ひろ子さんは「ALWAYS 三丁目の夕日」ではすっかりお母さん役が板についていて、時の流れを実感して驚いたけれど、今日は本当に可愛くて切ない妻の役。夫役の豊川悦司さんも不良中年を楽しんで演じている感じだった。
 舞台となった雑司が谷の鬼子母神には、昔、夫と訪れたことがあるが、映画で出てきた駄菓子やさんはその時のままでとても懐かしかった。

 それにしてもどうして「愛妻家」とか「恐妻家」という言葉はあるのに、「愛夫家」とか「恐夫家」という言葉はないのだろう、とふと不思議に思った。でも、この場合の「恐れる」が、深刻な状況を意味するようなものではなく、ちょっとした弱みを握られて頭が上がらないぐらいのことを言っているのだと思えば、夫からみて妻は愛する相手であり恐れる相手でもあるが、妻からみると夫は一般的にはそうした存在ではないのかもしれない。
 そもそも男と女を比べれば、弱みを握ることにかけては断然女が長けている(?)のだから。
 いずれにせよ「お互い長生きしようね。」と言い合える映画を観られて良かった。

 昨日、あけぼの会のピンクのはがきが届いた。会長さんは18日に70歳を迎えられたとのこと。バレンタインデーに『講演会とランチ』のご案内。その前日の土曜日には第九合唱練習とあけぼの会東京支部主催の「虹のサロン」がバッティングしていてどちらに出ようかと悩んでいるところに加えて、今回の『講演会とランチ』にも参加するとなると、土・日とも都心まで出かけることになる。土日両方出かけるとただでさえ手抜きの家事が・・・とちょっと遠慮がちに夫に相談したところ、「自分の好きなことをしたらいいよ。」と言ってもらえたので、これから『講演会とランチ』参加の申し込みをするつもりだ。そして土曜日は第九の合唱練習に参加しようと思う。

 今度の会場はあけぼの会事務局のそばにあり、グーグルで調べてみると息子の第一志望だった中学校から徒歩範囲。なんだか今更ながらご縁を感じたりして、ちょっと複雑な気持ちになった。


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2010.1.23 自毛デビューへ、ソフトランディング

2010-01-23 17:09:53 | かつら
 早いものでまた2月経って、かつら調整の日になった。前回も、好き勝手に各々の方向に伸び出した髪の毛がライオンのタテガミのようで、なかなかまとまらず、長いところはかなりうっとうしくなってきていた。担当の方から「そろそろカットする?」と聞かれ、即答ができないでいると、「まあ、やっと伸びてきたんだから切りたくない気持ちはわかる。」と言ってくれて「では、次回お願いします。」と言ったのだった。

 今被っているかつらは若干栗色がかっているが、私の自毛は真っ黒。脱毛する前に「再度生えてくるときは髪質も違うし白髪になっているかもしれない」といわれてちょっとびくびくしていた。生えてきた髪は、一応黒いままだったけれど、かなり細く柔らかくなって、くりんくりんのウエーブがかかっている。かつて生えていた髪の毛は太くて多くて、直毛のように見えて実はくせ毛だったので雨の日などはふくらんでしまい、手入れが大変だった。同じ頭から生えてくる髪の毛ではあるが、こんなに違うものかと驚いてしまう。

 先日も自宅で被るためにネットで購入したカジュアルなスペアかつらを適当に被っていたら、自毛がはみ出して見えていたらしく、息子からいやな顔をされた。

 美容院でシャンプーしてもらうのは本当に気持ちよくリフレッシュできるが、残念ながら脱毛以来1年3ヶ月シャンプー台からは遠ざかっている。これまではサロンに行くと、かつらそのものは別室に行って綺麗にしてもらえていたけれど、その間私は個室で室内帽を被り本を読んで待っているだけ、だったので。

 前髪が5センチほどしか伸びていない(前髪は伸びるのが誰しも遅いそうだ。)ので、まだベリーショートのスタイルにもできないけれど、7,8センチ伸びていたサイドと後ろを短くしてもらった。実に1年2ヶ月近く前、脱毛が進んでどうしようもなくなって短くしてもらって以来のカットだ。別室でシャンプー、トリートメントも済ませて生き返ったかつらを被り、次回3月の予約も入れてとても気分よくサロンを後にした。
 私の髪が今のミディアムロングのかつらと同じ長さになるまではあと1年はかかりそうだ。そろそろ自毛デビュー・ソフトランディングのために先日デパートで購入したショートのかつらの出番が近いかもしれない。(一度ショートで職場に行ってしまうと、もう今被っているミディアムロングのかつらは被れないので・・・。)

 今日は1冊本が読めた。
 草刈民代さんの「バレエ漬け」(幻冬舎文庫)。「笑いと涙の初エッセイ、待望の文庫化」と裏表紙にあったが、映画「Shall we ダンス?」からもう14年も経ったのだと驚いた。その後のハリウッドのリメイクも両方観たけれど、あんな素敵な彼女が子どもの頃は『やりっぱなし、出しっぱなし』の子どもだったなんて、とても信じられない。それにしても何かひとつのことをやり遂げる、ということは本当に凄いことだ、と改めて思う。

 冬至の頃と比べてずいぶん日が長くなってきた。5時前には真っ暗だったのに、今では5時を少しまわってもまだ薄暗く、ラベンダー色とオレンジ色が入り混じったような感じの空だ。日差しも晴れていれば日中は何となく柔らかさを感じる。
 何がどうということはないけれど、日が長くなってくること、春が近づいてくることは、やはりとても嬉しい。
 どんどん日が短くなる、どんどん寒くなる時期はどうしても心も体も縮こまりがち、それを思えば、暖かくなる日を楽しみにする小さな幸せを噛み締めるこの頃である。

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2010.1.19 ハーセプチン77回目

2010-01-19 19:17:19 | 治療日記
 内科受付後、15分ほどして中待合へ、それから10分ほどで診察室へ入った。今週は特に変わったこともなく、手指のこわばりも胸部の鈍痛も相変わらず、とご報告。先生からは「あの後、頭痛や目のチカチカはないですか。」と聞いて頂き、「お騒がせして・・・特にないです。」とお答えした。前回のCTから3ヶ月ほど経過したので、2月末に次回を予約して頂いた。「頭もですか。」とお聞きすると「首から骨盤でいいでしょう。」とのこと。いつものようにその場で同意書を2通書き、1通頂いた。
 処置室に移動し、点滴椅子を確保。検温、血圧後針を刺して頂き、薬が届くのを待つ。小一時間して薬が届き、順調に点滴が進んだ。1か月分のアロマシンも処方して頂き、帰りは薬局経由で帰宅。

 今日は軽いお話だったので往復の車内も含めて3冊読めた。
 1冊目は石田衣良さんの「傷つきやすくなった世界で」(日経プレミアシリーズ)。「R25」の連載『空は、今日も、青いか?』をまとめたエッセイ集。若い世代に向けた優しく力強いメッセージなのだが、私もしっかり元気をもらった。
 2冊目は岩里祐穂さんの「いいかげんに片付けて美しく暮らす」(集英社文庫)。きれいな写真と題名に惹かれて手に取ったのだが、全然いい加減などではなく「よい加減」どころか素晴らしいこだわり。好きなものに囲まれて素敵な生活をしていらっしゃる。同じ家族構成でうーん、と唸ってしまった。本当に我が家はモノが多くて片付かない。つまり捨てられない、のだが。思わずため息。「思い出と向き合う時、亡きものにして忘れ去ろうとする人、静かにしまい込もうとする人の2種類がいる。」というくだりには実に納得。
 3冊目は青木るえかさんの「主婦は一日にして成らず」(角川文庫)。新井素子さんの解説を読んで、そうそう、と思わず元気になってしまった。2冊目で、ダメダメ主婦の私としてはちょっと自信喪失していたところだったので。

 さて、職場である大学は、現在次期中期計画策定の真っ最中。3年後、10年後の将来像についての資料が回覧されてきた。法人化にあわせて複数の大学が再編・統合された関係で、組織がとても巨大化し、キャンパスも複数箇所に散り、かつてのように痒い所に手が届きにくくなっている。50年近く名乗っていた名前すら返上したこの大学が、これから先、何をチャームポイントにしつつ、何を目指していくのかがいまひとつ良く見えない。それまでは地味だけれど”山椒は小粒でぴりりと辛い”存在ではなかったのか、と思う。

 それはさておき、10年後はおろか3年後の自分がどうなっているのか、自分なりのビジョンが具体的に描けないのが情けない。3年すると再発後5年、さらには10年後は再発後12年か、と思ってしまう。再発当時、私のような多発転移の平均余命は5年程度、だったと思う。もちろん再発部位にもよるので一律5年、というわけではないし、半分の人はそれ以上延命するわけだけれど、もう半分は・・・と思うとなかなか積極的に思考が進まない。

 もちろん2年前に比べて驚くほど医療界は日進月歩だから、確実に薬の選択肢も増えているし、その結果予後もよくなっているだろうけれど。イメージトレーニングではないが、たとえばこれから最短で4年後、息子の大学の入学式の時に付き添って(・・・まではしなくても、いまどき本当に親御さん等の付き添いの方の人数が多く、どこの大学も待合室があふれている様子だ。)その姿を見るとか、5年後の銀婚式を夫婦2人で元気に迎えるとか、そのくらいのことは考えられるけれど、そのとき自分がどんな状況であるのか、やはりなかなか想像ができない。

 今と同じように週1の通院を続けながら何とか週4は仕事ができているのか、それとも生きてはいても、今とは別の生活を送っているのか、などなど。そんなことをつらつら考えていても、所詮「神のみぞ知る」で、仕方ないことだけれど。

 「将来」は「今を生きる」ことの積み重ね、と思えばよいのだ。日々を穏やかに丁寧に生きていけば、きっとふと振り返ったときに、かつては「将来」だと思っていた日が「今」に変わるのだから。決して刹那的、というわけではなく一番近い将来である明日を、今年も姿勢を正してきちんと生きていきたい。

 帰宅すると、あけぼの会東京支部の虹のサロン開催のはがきが届いていた。合唱練習の2回目と同じ日。バッティングしてしまった。同じ時間帯なので両方参加するのは無理。悩ましい。それでもこうして予定があることは本当に幸せなことだ。感謝、感謝である。

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