毎日新聞のコラム 香山リカさんの「ココロの万華鏡の最新号」で気になった記事があったので、以下、転載させて頂く。
※ ※ ※(転載開始)
香山リカのココロの万華鏡「真のやさしさ」とは (2016年9月27日 03:00)
大学の少人数クラスで、学生からおもしろい質問が出た。
「先日“心がひどく傷ついたことのある人こそが真のやさしさを知る”という文章を見たのですが、それは本当なのでしょうか?」
その学生は、これまでそれほど傷ついたことがなく「私はやさしさに欠けるのか」と悩んでしまったのだという。そう思うことじたい、やさしさの証しだとは思うが、ほかの学生にも意見をきいてみた。「心に傷を負うと自分のことに敏感になるから、ひとのことまで思いやるのはむずかしい」と自分の経験をもとに話す学生、「やっぱり人それぞれだと思う」と答える学生もいて、なかなか結論が出ない。
私は「たしかに自分も傷つく経験をしたほうが、同じ痛みを持つ人に心を寄せることはできると思う」と答えたあと「でも」と続けた。「それから相手をなぐさめ、励ますためには、自分の問題はある程度、乗り越えている必要があるんじゃないかな」
誰かの悲しい経験をきいて「私も同じ思いを味わいました」と言えば、相手は「わかってもらえた」と少し気が楽になるだろう。
ただ、そのあと、心を寄せた側は自分の過去の痛みを思い出して、再び悲しみがこみ上げるようなことになるのは問題だ。「あなたの気持ちはわかります、でも大丈夫。きっと私みたいに乗り越えられますよ」と、どっしりかまえているためには、自分の問題は解決ずみでなくてはならない。
診察室に通っている人の中で、ときどき「私も先生みたいな心のケアをする仕事をしたい」と言う人がいる。私はそういうとき、なるべくおだやかにこう告げることにしている。「いいですね、あなたならきっと、相談者の気持ちに寄り添うカウンセラーになれるでしょうね。そのためにもまず、あなたがいま抱えている心の傷をゆっくり癒やしていきましょう」
会社の経営者や政治家の中にも「子どものときに苦労をした」と言う人がいる。その中には、だからこそひとへのやさしさを忘れない人もいれば、逆に「みんなも私のように努力すべきだ」と、厳しすぎたり冷たすぎたりする人もいる。後者はきっと、まだ自分の心の傷が十分に癒えていないのかもしれない。
まずは自分の心の痛みを癒やして、そのうえで誰かをケアしたり多くの人のリーダーになったりする道を目指す。その2段がまえで「本当にやさしい人」を目指してほしい。(精神科医)
(転載終了)※ ※ ※
ラストの「本当にやさしい人」になるためには2段がまえで、というくだりになるほどな、と思った。自分の心の痛みが癒されていないうちに、誰かを癒したりするのは難しい。本当にそうなのだ、と頷く。
たとえば患者会。同じ病を経験して、無事に治癒して、今はサバイバーとしてその痛みを乗り越えた人なら、新たに患者になった人に対してどんと構えて相談に乗ることが出来るだろう。けれど、治療を続けたけれど、不運にも再発しエンドレスの治療中である身だったらどうだろう。私も再発治療期間がまもなく9年になり、今でこそその事実を受け入れ、病とともにあること、共存していることが今の自分の“普通の”状態になったけれど、本当のところ、心の痛みが癒されているか、と問われれば、答えに窮するというのが本音だ。
自分はこうして今まで乗り越えてきた、こうして心穏やかにいようと努力している、ということが、実は香山さんが書いておられるように「だからあなたも私のように(努力)すべきだ、こういう乗り越え方をすべきだ」などと、厳しすぎたり冷たすぎたり・・・ということになってはいないか。
されば、私はまだ自分の心の傷が十分に癒えていないのかもしれない。
まあ、いつまた治療薬変更となるか、いつ病状が増悪するかといった不安についても現在進行中の身であるから、充分に心の傷が癒えて達観するというのは凡人の私にとってはとても難しいことだ。
となれば、再発患者同士とはいってもどんと構えて相談相手になる、というのも口で言うほど容易くはないということに気付く。とはいえ、全く経験していない人がその荷を負うのは、それはそれで無理な話だ。
かつて患者会支部で、「再発組の世話役はやはり再発組でないと」と、再発組が初発後治癒した世話役をやんわりと拒絶したことがあったということを聞いた。なるほど、世話役が実際に再発治療を経験したことがなければ、再発治療組の悩みに寄り添うことは出来てもリアルに自分の事として受け止めるのは難しいだろうし、逆に再発組が世話役に「だからあなたは私たちの気持ちの代弁は出来ないでしょう」と言ってしまうのも、それはそれで酷な話だ。自ら再発治療を続け体調管理をしつつ再発治療者のお世話を続けるのは並大抵のことではない。
ずっと治療が続いて生涯患者であり続けるのは再発治療の患者たちだけ。初発治療でうまく卒業することが出来ればその治療には必ず終わりが来る。体験者であっても患者ではなくなる。これは厳然たる事実だ。
本当にやさしい人は強い人だとよく言われるけれど、果たして皆が皆そうなれるわけでもないだろう。考えれば考えるほど、悩ましい問題である。
今朝、学内を歩いているとキンモクセイの香りが鼻をくすぐった。ああ、今年もまたこの季節なんだ、と思った。週末からは早くも10月である。
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香山リカのココロの万華鏡「真のやさしさ」とは (2016年9月27日 03:00)
大学の少人数クラスで、学生からおもしろい質問が出た。
「先日“心がひどく傷ついたことのある人こそが真のやさしさを知る”という文章を見たのですが、それは本当なのでしょうか?」
その学生は、これまでそれほど傷ついたことがなく「私はやさしさに欠けるのか」と悩んでしまったのだという。そう思うことじたい、やさしさの証しだとは思うが、ほかの学生にも意見をきいてみた。「心に傷を負うと自分のことに敏感になるから、ひとのことまで思いやるのはむずかしい」と自分の経験をもとに話す学生、「やっぱり人それぞれだと思う」と答える学生もいて、なかなか結論が出ない。
私は「たしかに自分も傷つく経験をしたほうが、同じ痛みを持つ人に心を寄せることはできると思う」と答えたあと「でも」と続けた。「それから相手をなぐさめ、励ますためには、自分の問題はある程度、乗り越えている必要があるんじゃないかな」
誰かの悲しい経験をきいて「私も同じ思いを味わいました」と言えば、相手は「わかってもらえた」と少し気が楽になるだろう。
ただ、そのあと、心を寄せた側は自分の過去の痛みを思い出して、再び悲しみがこみ上げるようなことになるのは問題だ。「あなたの気持ちはわかります、でも大丈夫。きっと私みたいに乗り越えられますよ」と、どっしりかまえているためには、自分の問題は解決ずみでなくてはならない。
診察室に通っている人の中で、ときどき「私も先生みたいな心のケアをする仕事をしたい」と言う人がいる。私はそういうとき、なるべくおだやかにこう告げることにしている。「いいですね、あなたならきっと、相談者の気持ちに寄り添うカウンセラーになれるでしょうね。そのためにもまず、あなたがいま抱えている心の傷をゆっくり癒やしていきましょう」
会社の経営者や政治家の中にも「子どものときに苦労をした」と言う人がいる。その中には、だからこそひとへのやさしさを忘れない人もいれば、逆に「みんなも私のように努力すべきだ」と、厳しすぎたり冷たすぎたりする人もいる。後者はきっと、まだ自分の心の傷が十分に癒えていないのかもしれない。
まずは自分の心の痛みを癒やして、そのうえで誰かをケアしたり多くの人のリーダーになったりする道を目指す。その2段がまえで「本当にやさしい人」を目指してほしい。(精神科医)
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ラストの「本当にやさしい人」になるためには2段がまえで、というくだりになるほどな、と思った。自分の心の痛みが癒されていないうちに、誰かを癒したりするのは難しい。本当にそうなのだ、と頷く。
たとえば患者会。同じ病を経験して、無事に治癒して、今はサバイバーとしてその痛みを乗り越えた人なら、新たに患者になった人に対してどんと構えて相談に乗ることが出来るだろう。けれど、治療を続けたけれど、不運にも再発しエンドレスの治療中である身だったらどうだろう。私も再発治療期間がまもなく9年になり、今でこそその事実を受け入れ、病とともにあること、共存していることが今の自分の“普通の”状態になったけれど、本当のところ、心の痛みが癒されているか、と問われれば、答えに窮するというのが本音だ。
自分はこうして今まで乗り越えてきた、こうして心穏やかにいようと努力している、ということが、実は香山さんが書いておられるように「だからあなたも私のように(努力)すべきだ、こういう乗り越え方をすべきだ」などと、厳しすぎたり冷たすぎたり・・・ということになってはいないか。
されば、私はまだ自分の心の傷が十分に癒えていないのかもしれない。
まあ、いつまた治療薬変更となるか、いつ病状が増悪するかといった不安についても現在進行中の身であるから、充分に心の傷が癒えて達観するというのは凡人の私にとってはとても難しいことだ。
となれば、再発患者同士とはいってもどんと構えて相談相手になる、というのも口で言うほど容易くはないということに気付く。とはいえ、全く経験していない人がその荷を負うのは、それはそれで無理な話だ。
かつて患者会支部で、「再発組の世話役はやはり再発組でないと」と、再発組が初発後治癒した世話役をやんわりと拒絶したことがあったということを聞いた。なるほど、世話役が実際に再発治療を経験したことがなければ、再発治療組の悩みに寄り添うことは出来てもリアルに自分の事として受け止めるのは難しいだろうし、逆に再発組が世話役に「だからあなたは私たちの気持ちの代弁は出来ないでしょう」と言ってしまうのも、それはそれで酷な話だ。自ら再発治療を続け体調管理をしつつ再発治療者のお世話を続けるのは並大抵のことではない。
ずっと治療が続いて生涯患者であり続けるのは再発治療の患者たちだけ。初発治療でうまく卒業することが出来ればその治療には必ず終わりが来る。体験者であっても患者ではなくなる。これは厳然たる事実だ。
本当にやさしい人は強い人だとよく言われるけれど、果たして皆が皆そうなれるわけでもないだろう。考えれば考えるほど、悩ましい問題である。
今朝、学内を歩いているとキンモクセイの香りが鼻をくすぐった。ああ、今年もまたこの季節なんだ、と思った。週末からは早くも10月である。