ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2019.7.30 旅行5日目、世界遺産テルチ、チェスキークルムロフを経て、ウィーン入り

2019-07-31 07:21:11 | 
 
 強行軍と寝不足で大分疲れが溜まってくる頃である。
 体調はどうかといえば、よく持っているなというほどには元気である。病気のことを忘れている時間が長い。薬を飲むときだけ、あ、そうだった、という感じといったらいいだろうか。お腹の調子も酷くなっていないし、何より胸痛や咳、息切れ等の症状も気にならない。ただ昨日の下りの石畳の散策のせいで、以前から調子が悪かった右足の親指の爪周りがまた炎症を起こして赤く熱を持ってしまった。お風呂で綺麗に洗ってバラマイシンを塗り、ガーゼで保護してこれ以上悪くなりませんように、とベッドに入った。

 昨夜はなんとか夫より早く、日付が変わる前に眠りにつけた。5時間ほど連続して眠ってお手洗いで目が覚める。その後は眠れずじまい。昨朝のドタバタに懲りて6時に夫を起こし、身支度を調え昨日の朝より20分早くレストランに到着した。
 それでも今日もツアー参加者の中ではまたしても最後だった模様。朝食後、荷物をまとめて無事チェックアウト。天気予報では雨のマークも出ていて、念のためレインコートを携えた。朝の外気温は23度。ほどほどの気温で過ごしやすい。朝のNHKのニュースを見ると、東京は大変な暑さになっているようだ。

 今日はまず南東に160km走って、世界遺産テルチの街を散策後、さらに南西に120km進み、チェスキークルムロフ歴史地区を訪れ、夕方ヴァッハウ渓谷を経て夜ウィーンに入るという、世界遺産3カ所巡り、合計530kmの大移動の日だ。

 1時間半ほど走って最初のお手洗い休憩に立ち寄った後は、1時間ほどでモラヴィア地方ヴィソチナ州テルチに到着。バスの駐車場から添乗員Nさんの誘導のもと、皆で旧市街へ向かう。
 街の入り口には可愛い看板が出ていて、左手には緑豊かな水辺を見つつ、右側はバザールのように出店が並んでいるのが楽しい。
 城門をくぐると、まるで砂糖菓子のような柔らかなパステルカラーの色合いの街並が現れる。“モラビアの真珠”と称されるテルチは、16世紀に大火事で街が全焼した後、時の領主ザハリアーシュが、すべての家を初期バロック様式に基づいて設計するように呼びかけて作られた街並がそのまま現在まで受け継がれているという。
 夫に言わせれば「大内宿のカラフル版」だそうだが、こちらは1992年にユネスコ世界遺産に登録されている。
 小さな街なので、広場の中心部分の噴水のある像の前で写真を撮り、その先にある反対側の池まで行ったところで一旦解散し、自由散策タイムになった。お城の中に入って見る時間がなかったけれど、手前にあるゴシック建築の教会は開いていて、ノートにサインをしてきた。雑貨やマリオネットのおもちゃ等など気になるお店は多々あったけれど、チェココルナしか使えないようで、冷やかすだけ。残念。

 ここから次なる目的地チェスキークルムロフまではたっぷり2時間ほどかかるという。昼食は到着後ガイドツアーを終えて14時半くらい迄我慢である。朝しっかり頂いたので空腹は感じない。途中、土砂降りの雨の音でびっくりする。こんな状況で散策などとてもではない、と危惧したけれど、雨雲を抜けた途端道が乾いている。お天気が変わりやすいのも確かだけれど、それほど長距離を走っているということか。

 チェスキークルムロフはルネッサンスやバロック様式の町並みが美しく、16世紀南ボヘミアのロズムベルク家が権力を振るっていた時代の栄光を偲ぶことが出来る場所で、「世界で一番美しい街」のキャッチコピーで人気上昇中のスポット。ヴルタヴァ(モルダウ)川と周辺の緑に抱かれたこの街は、ルネサンス様式の建築が数多く残され、1992年に世界文化遺産に登録されている。

 今日のガイドはペトロさん。日本が好きで、右手には侍の、左足には日本のアニメのタトゥーが入っている、ちょっとシャイな若者だ。ぺらぺらではないが・・・とガイドを始めたが、ぺらぺらではないどころか、かなり怪しい。イヤホンガイドからため息のような困ったような無言の時間が流れてきて、聞いているこちらの方がだんだん可哀想になってくる。うーん、これは大丈夫か。途中から添乗員Nさんの説明が加わったりで、説明よりもそれぞれ感じたままに写真を撮ってください、みたいな散策になった。外気温は27度。歩くと少し汗ばむ程度だ。お天気になってくれて良かった。レインコートはお守りに持っておく。

 最初に見晴らしのよい展望台に到着すると、もう言葉は要らない。空に向かって伸びる街のシンボル、城の塔を中心とし、街を抱くヴルタヴァ川の流れ、白壁とオレンジの屋根、丘の緑が美しく調和された色合いの町並みである。まるで絵ハガキそのものの景色が目の前に広がり、ここに足を運んでよかったと思わせてくれる。

 いたる所にだまし絵が採用されているが、これはプラハでも見られた外壁装飾の一つだという。遠くから見ていて立体的で美しいと感じた塔の装飾も、実は絵で彩られたものだと近くから見て気づかされる。中世の石畳のアップダウンが激しい道は、右足爪の調子の悪い私には結構辛かったが、ついつい写真撮影に没頭する。

 沢山の中庭、昔からこのお城を守っているという熊にもご挨拶して、お城から旧市街へと歩を進める。観光客で溢れ小さな街は大混雑である。ガイドツアーに1時間ちょっとかかり、残された時間1時間半弱で昼食と自由散策の予定だったが、お一人様参加のTさんが、ペテロさんお薦めというイタリアンに行くらしく、なんとなく皆そこでいいですかね、という感じになる。疲れているし、勝手が分からないし、皆バラバラになるより添乗員Nさんも良かったのではないか。

案内された場所は河べりの洒落たレストランだった。今日ははじめてTさん、Iさんご夫妻、添乗員Nさんと6人で一緒のテーブルになった。こちらに来てからずっとグヤーシュ風のスープや肉の煮込みとこってり系の肉料理続きだったので、毛色の変わったイタリアンは嬉しかった。ちょっと面白いパスタの麺だったけれど、冷えたレモネードも美味しかった。夫は毎日のように昼からワイン三昧で赤い顔をしてご機嫌である。
 そうこうしているうちにもう出発予定の4時近い。再び床屋橋を渡って川でボート遊びをする人たちに手を振って街とお別れする。

 ここから250km走ってウィーンを目指す。ホテル到着は8時を優に廻る予定で、夕食は8時半頃からとのこと。40分ほど走ってチェコとオーストリアの国境を越えた。ここにも特に何も特別な手続きはなく、何か問題があった時にだけ開かれるという建物が建っているだけ。
 車窓はトウモロコシ畑が続く。チェコ、ハンガリーのひたすら続いた平野と異なり、小高い丘や山々の稜線が見える。それでもどこに似ているかといえば、北海道の美瑛や富良野のような景色がずっと続く。お腹は一杯だし、疲れはたまっているし、なんとなくうとうとうとうとは今日も同じ。

 世界遺産ヴァッハウ渓谷を通りながらウィーンを目指す。“銀色に輝く帯”と呼ばれる  ヴァッハウ渓谷は、オーストリア北部のドナウ川下流地域に広がる最も美しい景勝地だ。歴史上水路交通の要衝にあり、古城が点在し、ロマンティックな雰囲気が漂う。南北の山脈に抱かれた36キロに及ぶ渓谷一帯が「ヴァッハウ渓谷の文化的景観」の名で、ユネスコの世界遺産に登録されている。

 渓谷と聞き、日本のように切り立った崖の下に川があるイメージを持っていたけれど、ドナウの川幅がとても広いので、渓谷という雰囲気はあまりなかった。両岸には古城や修道院が点在し、そこかしこに乗船スポットがあり、観光クルーズとして人気だという。今日はメルクから入って立派な修道院を遠くに拝み、ラッキーもバス右側の席に座っていたのでドナウ川をずっと見ながら過ごし、クレムスでドナウ川と暫しお別れ。

 その後小一時間ほど走って最終宿泊地、ドナウ川に面したウィーンのホテルへ到着したのは予定通り8時を廻っていた。チェックイン後部屋に入って荷物を置き、ホテルのレストランで夕食。
 今日はトマトとパルメザンチーズクルトン入りスープ、牛肉のグヤーシュ風煮込みにニョッキやウィンナー、ピクルス添え。デザートはベリーがたっぷり乗ったチョコレートムース。夫はせっかくだからとリースリングワインを頂き、私は皆さんがワインやビールを召し上がる中、今日もジュースで乾杯。

 明日は午前中ウィーン観光、午後はブラチスラバ城観光。旅もいよいよ終盤である。
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2019.7.29 旅行4日目、街全体が世界遺産!プラハ観光後、ドイツ・ドレスデンへ

2019-07-30 05:50:04 | 

 昨夜は向かいのショッピングセンターを物色。大きなスーパーマーケットは、パンも野菜もビッグサイズで、無造作に置かれており、売り場も圧倒的なほど巨大だった。
 ホテルに戻ると、どこの国の旅行客か言葉ではわからなかったけれど、団体さんご一行がチェックインしたところで、ロビーは大混雑、エレベーターに乗り込むのが大変だった。

 部屋に戻ってテレビをつけると、NHK・WORLD局があり、息子が好きだった「ピタゴラスイッチ」や日本語講座を放送中。日本紹介といった感じで、残念ながらニュースは見られなかった。
 疲れて眠い筈なのに、なかなか寝付けず。夫は隣であっという間に寝息から鼾に移行する中、なんとか日付が変わらないうちに、私も眠りにつけたようだった。

 そして、今朝。4時間ほど眠ってお手洗いで目が覚めたが、その後、やはり眠れず。モーニングコール6時半、8時出発だったが、結局、それまで二度寝は出来なかった。6時半前少し前に夫を起こす。
 急いで身支度をして、レストランに降りる。私達が最後か、同行の皆さんは6時半にレストランオープンとともに食事を始めていたようだ。ブッフェはかなり充実しており、ご飯(といっても香りの強い長粒米だけど・・・)や味噌汁まであってびっくり。
 昼、夜とも食事は味が濃いめの肉ずくめ、ボリューミーなので、朝、自分の好みの物を好きなだけ頂ける朝食が一番有り難い。

 さて、旅は早くも折り返し。今回一番訪れたかったのがこのプラハである。
 プラハは、いわずと知れたチェコ共和国の首都。街のあちこちに塔が見られるため「百塔の街」と呼ばれ、緑深きボヘミア地方を蛇行するモルダウ(ヴルタヴァ)川のほとりに佇む古都である。
 今日は午前中プラハ歴史地区観光からスタートだ。このプラハ歴史地区は、1000年以上の歴史を持つ世界遺産(1987年に指定)。プラハは「ヨーロッパの魔法の都」と称され、ヨーロッパで最も古い都市であり、9世紀頃から文化の中心地だ。旧市街は12世紀、新市街が14世紀というのだから、筋金入りである。両岸七つの丘に広がる町並みには、11世紀以来の建造物がそこかしこに聳え、バロック様式、ロマネスク様式、ルネッサンス様式など、様々な建築様式を見ることが出来る。

 予定通り8時にバスが出発する。今日のガイドはこちらに18年住んでいるという日本人女性ミキコさん。
 観光は高台にあるプラハ城から始まり、カレル橋を渡り、旧市街まで歩く大体3時間程度の王道コースだ。プラハ城に入場する際には検問があり、鞄は蓋を開けて中身を見せるとともに金属探知機でチェックがある、と事前説明がある。まだ朝早く、月曜日ということで観光に最も向いている日だそうだ。チェコ人は夏休み真っ只中でバカンス中のため、街全体も静かだという。そのとおりでバスはすいすいと進む。

 曇り空だが、先週は34度、5度ととても暑かったそうで、今日は暑すぎず観光にはベストのお天気だ。
 今年2019年はチェコが社会主義を終了させたビロード革命から30年の節目の年だという。こんな年にこの国を訪れることが出来たのも何かのご縁だろう。来るべくして来た、という感じ。

 いきなり、「城の丘」に鎮座する黒々とした巨大なプラハ城が目の前に迫ってくる。プラハ城は世界でも最も大きい城の一つ。そのなかの広場は「アマデウス」や「レ・ミゼラブル」などの映画に登場したという。相変わらず語彙が貧困なのだが、「凄い」しか言葉が出てこない。

 聖ヴィート教会(大聖堂)は、プラハ城の城壁内には100mの尖塔を持つひときわ大きな建物だ。プラハ大司教の聖堂で、重厚感がありその歴史を感じさせるゴシック様式と内部のステンドグラスがとても美しい。9時の開門とともに一番乗りで中に入る。入って左にチェコを代表する画家ミュシャのステンドグラスが、美しい姿を見せていて息をのむほど。

 大聖堂を出ると、街が一望出来る。階段を降りながら街の西から東に向かってカレル橋を目指す。プラハ城と旧市街とをつなぐ「カレル橋」はモルダウ川にかかるプラハ最古の橋だ。10世紀には既に木造の橋が架けられていたそうで、プラハの顔ともいえる観光スポットになっている。16連の美しいアーチや橋の上に並ぶ30体の聖人像、そして、ゴシック様式の美しい橋塔は見ごたえ十分。建設にあたったのは、聖ヴィート大聖堂建設にも携わったドイツ人建築家ペトル・パルレーシュ。橋の両端に防衛のための塔が設置されているが、太鼓橋のように中央が高くなっているため、入口側の塔からは出口側の塔が見えないのが不思議。

 裁判や馬上試合、戴冠式の行進など、様々な用途に使われていたそうだ。17世紀後半から20世紀初頭にかけて、ローマのサン・タンジェロ橋を模して、橋の上に聖人像が飾られたという。中でも一番美しいとされる聖ルドガルディス像は唯一主人公の像が後ろ向きの聖女。聖ヤン・ネポムツキー像の殉教場面を描く台座の図柄を左手(心臓に近い手)で触れると幸せになれる、という言い伝えのある像ではしっかり実践してきた。病が治るとも言われている、とかいないとか。橋の上からは360度の絶景。どこを見ても写真に納めたくなる美しさだ。
 橋を渡り終えると、「135797531」というマジックナンバーが掲げられていた。1357年9月7日5時31分にこの橋が作り始められた、ということを示しており、回文ならぬ回数字のようになっているのが面白い。

 ここから旧市街広場へ向かい歩を進める。広場には1338年頃に開設され、数世紀にわたって増築や隣接する建物の買い取りを繰り返して拡大し、現在の姿になった旧市庁舎が広場に面して聳えている。天文時計とカレンダー時計が独立した仕組みで据えられているが、今はサマータイムのため、太陽と手の位置を教わって読むと1時間ずれて読める。

 広場に面したボヘミアングラスのお店で説明を受けた後はしばしの自由散策タイム。お店は目の保養に留め、新市街方面に歩いて早いランチタイムだ。レストランの前でガイドさんとはお別れ。

 お昼のメニューは前菜にプラハハム。美味しかったけれど、あまりに大きくてわらじのよう。これがメインでは、と思ってしまう。メインもお肉に甘いソースがかかっていて、付け合わせは中華饅頭の皮のようなもの(フルーツとじゃがいもを混ぜたもので、クネドリーキというそうな)。野菜が圧倒的に足りない。今日もカプチーノを頂く時間があった。

 スメタナホールや聖ミクラーシュ教会、ハヴェル市場など素晴らしい建物に目を見張りながらバスに乗り込む。

 午後は150㎞走ってドイツに入国。ドレスデン散策である。
 うとうとしている間にいつの間にか国境を越え、お手洗い休憩ではドイツ語表示になっていた。今日は予報では曇りのち雨ということで少し厚着でレインコートまで携えて出てきたのだけれど、とんでもない。青空でどんどん気温が上昇しており30度近い。

 ドレスデンはエルベ川沿いに栄えたザクセン王国の古都で、芸術と文化の都として栄えた。ドイツ東部きっての人気観光都市だ。この街の最大の見どころともいえるのが川沿いに建ち並ぶバロック建築群で、その美しさは「エルベのフィレンツェ」と称されるほどだという。この基礎を築いたのは、ドレスデンがザクセン王国の首都だった全盛期、ザクセン - ポーランド王だったアウグスト1世。その偉業や武勇伝から(ライオンのミルクで育った力持ちで、女性にモテて側室が360人以上もいたとか!)アウグスト強王とも大王とも呼ばれていたそうだ。この街は第二次世界大戦の大空襲で徹底的に破壊されたが、戦後長い期間をかけて原型に忠実に再建されている。

 まずは添乗員Nさんのガイドで、皆で19世紀に建築家のゼンパーによって建てられた「ゼンパー・オーパー」から見学。楽長を務めたリヒャルト・ワーグナーの「さまよえるオランダ人」(今を遡る学生時代、ホルストシュタインの指揮でN響と歌ったことがある!)「タンホイザー」が初演されたことでも知られる歴史ある歌劇場だ。美しい建築と音響の良さは劇場建築の最高峰といわれ、世界三大オペラ劇場に数えられているという。

 次なるツヴィンガー宮殿は王国の栄華とアウグスト強王の権力を象徴する、ドレスデン観光のハイライト。金に輝くポーランドの王冠が飾られた「王冠の門」や、マイセン磁器の鐘でつくられた仕掛け時計など、隅々まで技と贅が尽くされた宮殿はバロック建築の最高峰とされ、広大な中庭を歩いてみるだけでもその規模の大きさと壮麗さに圧倒される。敷地内には、マイセンや有田焼をはじめ世界の陶磁器の歴史的名品が展示された「陶磁器コレクション」、13世紀~の数学・物理学関連の道具が見学できる「数学物理サロン」など、歴代ザクセン王の膨大なコレクションを見学できる美術館・博物館がいくつも併設されている。

 このドレスデンに世界中の人々が惹きつけられる大きな理由のひとつが「絶景」だというが、優雅に流れるエルベ川の畔という絶好のロケーションに、バロック建築群が立ち並ぶ風景はドレスデンならではのもの。撮影スポットにおすすめなのが「ブリュールのテラス」と呼ばれるエルベ川沿いの遊歩道だ。かのゲーテも「ヨーロッパのバルコニー」とたたえた美しい散歩道だそう。それにしても暑い。日差しをよけながら木陰に入って一休みである。

 一息ついた後はフラウエン教会へ。旧市街の中心に建つ壮大なドームを持つフラウエン教会は、現在はとても美しい姿だが、第二次世界大戦で崩壊した後は、その瓦礫の山が「戦争の傷跡」として長い間放置されたままであったという。本格的な再建工事がスタートしたのは東西統一後の1994年のことで、オリジナルに忠実に、できるだけ元の資材を使用し、ひとつひとつのパーツが元の場所へ埋め込まれたそうだ。黒と白のつぎはぎのように見えるのはそのためという。「世界最大のジクソーパズル」ともいわれた気の遠くなるような作業を経て、2005年にようやく完成したそうで。以後、ドレスデンで最も人気のスポットになっている。教会のてっぺんにかかる十字架は、イギリスから和解の印として贈られたもので、ドレスデンを空爆した英軍兵の息子さんが制作したといい、「平和と和解の象徴」として生まれ変わったフラウエン教会は、現在のドレスデンの象徴的存在になっている。

 最後が「君主の行列」だ。ドレスデン城の北側から続くシュタルホーフ(武芸競技場)の城壁に、長さ約100mにわたって約2万5千枚ものマイセン磁器タイルを使って描かれた壁画「君主の行列」を見ることが出来た。1907年に作られたこの壁画は、第二次世界大戦のドレスデン大空襲で奇跡的に残ったものだという。歴代のザクセン君主や芸術家たちが行進する様子が描かれていて圧巻だった。

 ここで一旦解散し、小一時間のフリータイム。観光スポットはほぼ制覇してしまったし、暑い中歩き回る元気もなく、ヒルトンホテルのラウンジでお茶をしようとしたけれど、なかなかオーダーに来てくれず諦めて向かいのショッピングセンターのジェラテリアへ。皆巨大なパフェやサンデーを食べているが、私達は小さいスクープを一つずつ。
 そういえば、この旅に出てくる時はお腹が緩くて往生していたが、ミヤBM錠のおかげか、繊維質をあまり摂れていないせいか、夫も私もどちらかといえば便秘気味である。まあ長くバスに乗ることで水分も控えめにしているからかもしれない。久しぶりに頂いたアイスクリームはとても美味だった。

 ホテルのショップを冷やかして、ポストカードだけゲットして再び集合場所へ。外気温は33度もあった。暑いはずである。
 時間通りに皆が集まり、バスは再び同じ道を戻り、プラハを目指した。
 ずっと寝不足が続いており、今日は車窓をゆっくり眺めることも出来ず、なんとなくうとうとうとうと。

 途中チェコに入ったところでお手洗い休憩。このあたりは雨が降った様子で外気温はあっという間に10度下がり23度だった。
 2時間半ほどバスに揺られ無事ホテルに戻ってきた。今日の夕食はホテルのレストランを貸し切ってシェフのお薦めコースを12人皆で頂いた。
 久しぶりにパテの前菜、ソーセージとトマトのチェコの伝統的スープ、ターキーローストにポテトとグリル野菜の付け合わせ、クレープとアイスクリームの盛り合わせのデザート、紅茶の夕食を頂いた。それにしても塩味がきついのとボリュームが多すぎて半分すら頂けなく情けない。

 というわけで4日目のハードスケジュールも無事終了。明日も6時半モーニングコール、8時出発でテルチ、チェスキークルムロフ観光が控えている。
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2019.7.28 旅行3日目、世界遺産レドニッツェ散策後、プラハ到着

2019-07-29 04:48:05 | 

 昨夜は眠くてヨレヨレで入浴後、早々にベッドに入った。ところが窓の外が突然の稲光、土砂降りの雨になってなかなか寝付けなかった。ナイトクルーズでは見ることが出来なかった、ライトアップされた国会議事堂が部屋の窓から拝めてとても美しかったのだけれど・・・。
 3時間ほど眠った頃、お手洗いに起きる。その後なかなか再びの眠りに入れず、やはり寝不足のままモーニングコールより早めに目が覚めた。

 ホテルのショップは朝の数時間しか開いておらず、開店から1時間半は1割引の、"早起きは三文の得サービス"(私が勝手に命名)をしていると聞き、皆朝食前にショップに向かった。考えることは同じである。私達が出かける時にひと組のご夫婦がお買い物を終えて部屋へ戻ってくるところで、ショップに到着した時、もうひと組のご夫婦が買い物の最中だった。息子から頼まれていたワインと母のお土産だけ購入して、部屋に戻り、朝食レストランへ向かう。

 開店と同時だったが、もう既に長蛇の列。こんなに宿泊客がいたのか、というほど混雑していた。出発まで1時間弱。大急ぎで食事を済ませ、部屋に戻ってパッキングを終えてチェックアウト。

 今日も早起きの皆さんのおかげで、出発時間になる前に全員集合、バスはホテルを後にした。
 今日は移動日だ。午前中290km走り、ひたすら世界遺産レドニッツェへ向かう。
 2時間弱走ったところで、お手洗い休憩。ここではお手洗いに1ユーロのコインを入れると、100フォリントのお釣りと100フォリント分のクーポン券が出てくる仕組み。夫と2人分で200フォリントのクーポン券をゲットし、ほんのちょっとの小銭で大きなミネラルウオーターが1本ゲット出来た。なかなか優れたシステムだ。

 そこから20分ほどして、バスはハンガリーとスロヴァキアの国境を越えた。緑のラインとベージュのシンプルな建物を通り抜けたら、ハンガリーとはお別れだ。数え切れないほど沢山の風力発電機が廻っている。
 その後、1時間もしないで、今度はスロヴァキアとチェコの国境だ。ここには何ら建物もなく、ただの標識だけ。ともすれば見逃すほど、大陸の国境とはかくも簡単なものである。
 35年程前に卒業旅行で国境越えしたときには、もう少しきちんとパスポートコントロールがあったように記憶しているが・・・。広い畑が続くところに存在する国々では、戦争になったら、拡散は防ぎようがないものだと改めて思う。日本のような島国に暮らしていると、こういうことに余り関心を持たなくなってしまうが、ヨーロッパがEUとして纏ろうとしたのは当然のことだったのだろう。

 夫が日本からスメタナの「モルダウ」等をipodに入れてくれていたので、有り難く聴きながら過ごす。すると添乗員Nさんもドボルザークの新世界やらスメタナのモルダウのCDをバス車内で流してくださる。
 窓の外はひたすら平野が続く。どこを見ても山脈といえるようなものが見当たらない。日本という国は、あらためて山の上にある国なのだということにも気づかされる。旅をしないとこういう気持ちにはなかなかならない。
 クリームコロンかロールケーキのような干し草を巻いた物があちこちに転がっていて、なんだか可愛らしいというかシュールにも見える風景が続く中、お昼には本日唯一の観光スポット、レドニッツエに到着した。

 まずはランチを摂るホテルまで歩いて、お手洗いを済ませ、添乗員さんと皆でお城の入り口まで。簡単に説明して頂き、解散。小一時間の自由散策タイムとなった。
 レドニツェは16世紀ルネッサンス様式にはじまり、17世紀、19世紀と時代を経る毎にどんどん増築されたというネオゴシック様式のレドニツェ城を有する。お城の内部には庭園、宮殿、聖堂、遠方にはミナレットなど、と豪華絢爛な姿を現在に残している。その総敷地面積はチェコ国内での最大級だという。

 ヴァルチツェ地区と合わせて面積283.09 km²に渡るこの地区には、もう一つバロック様式のヴァルチツェ城を軸とする風景式庭園があり、17世紀から19世紀にかけて整備されたそうだ。
 リヒテンシュタイン家は13世紀半ばにレドニツェを、14世紀末までにヴァルチツェをその領地として城を建設していたが、同家のカール1世がヴァルチツェ城を居城と定め、レドニツェ城は夏の離宮だそうだ。

 お城とはいうけれど、実際はリヒテンシュタイン家の私的な住居だというのだから、どれほどの富の偏在なのかを思い知る。今は本当に良い季節でベージュのお城とラベンダーの紫、マリーゴールドの黄色、サルビアの赤と色とりどりの花々が咲き乱れた庭園の緑のコントラストが美しい。
 教会の聖堂ではちょうど日曜ミサの最中。沢山の観光客たちも参加しているが、クリスチャンでない私達はなかなか入りがたい雰囲気。
 ここのところ、お腹がまだ空いていないのに時間が来て食事をするというパターンだったので、ランチ前の散策のおかげで気持ち良くお腹が空いてランチにありつけることになった。

 テーブルに着くと、ホテルからの黒ビールのプレゼントが最初に届けられる。皆で乾杯して、飲めない私は飲める方どうぞ、と差し出した。じゃがいもとザワークラウトとソーセージのスープ(昨日のグヤーシュに似ている)、ローストポークがメイン。食後にお茶がセットされていないのが、私達を含めご一緒した皆さんがご不満ということで意見が合致し、追加で注文。添乗員Nさんは出発時間を気にしつつも了解してくれた。久しぶりに頂いたカプチーノが美味しくとても満足した。ここから使えるお金の単位はチェココロナになる。あいにくユーロが使えないということで、Nさんに両替して頂いた。

 食後は再び午前と同じくらいの距離を走ってプラハを目指した。季節的に工事をしている場所が多く、珍しく渋滞に遭遇した。到着時間は夜だが、あまりに明るいので感覚がおかしい。
プラハの街に入る前にあのモルダウ河を渡った。ああ、いよいよチェコにやってきた。スメタナの曲を聴きながらプラハの街に来られたなんて、感無量である。

 プラハの街は、色使いがシックだったブダペストよりも色鮮やかで明るくポップで都会的な感じ。国立博物館の建物や駅を見ながら、一旦バスを降りて、ホテルのレストランまで暫し歩いていく。日曜の夜なのか人出が凄い。
 昼食後はただバスに揺られただけで空腹かといわれれば全然・・・である。

 夕食は野菜のクリームスープに鱈のムニエル。今回初めての魚料理である。海のない国々だから魚を頂くことはあまりないのだろうな、と思う。食後のチーズパイは多すぎて半分も頂けず。
 3日ともなると、大分皆さんと打ち解けて、同じ私鉄沿線にお住まいのkさんご夫妻、仙台から来られているIさんご夫妻、夫の大学時代の下宿先と目と鼻の先にお住まいのご夫妻、などと話が弾んだ。

 既に8時だというのに外はまだ全然明るい。ホテルに到着してチェックイン。今日から2泊お世話になるお部屋はジュニアスイートタイプでリビングにダイニングが付いている。簡単なキッチンもあり、長期滞在出来るようだ。今回もシャワーだけかもと脅かされていたけれど、ちゃんとバスタブがついていてゆっくり出来そう。
 
 24時間営業のショッピングセンターが真向かいにあるというので、この後、まだ元気があったらちょっと覗きに行ってから休みたいと思っている。

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2019.7.27 旅行2日目、世界遺産ブダペスト、ホロック村観光の後は、ドナウ川ナイトクルーズへ

2019-07-28 05:21:58 | 

 熟年ツアーメンバーの皆さんは長旅でお疲れであるに違いないのに、朝エンジンがかかる時間は早い。朝食レストランでは私達が最後だったようで、既に食事をほぼ終えている方たちが殆どだった。
 ブッフェの朝食を済ませ、ベランダに出て写真撮影。早めに部屋を出てロビーに降りると、添乗員Nさんと今日のガイドさんが打ち合わせ中だ。
 出発の10分近く前にバスに乗り込んだが、既に殆どの方たちが準備OK。白いベンツの大型バスは添乗員さん、ガイドさんを含め総勢13名を乗せて5分前には出発した。

 ハンガリーはヨーロッパで唯一のアジア系民族・マジャール人の国。その歴史は侵略を繰り返され苦難に満ちているが、エキゾチックな民族音楽や刺繍などの伝統文化が受け継がれ、特産のトカイ貴腐ワインや郷土料理とともに旅情を誘う国である。
 ここブダペストは、中央ヨーロッパのまさに真ん中に位置するハンガリーの首都で、年間約270万人の観光客が訪れるヨーロッパ有数の観光都市だ。ドナウ川を挟んで西側がブダ(歴史の街)、東側がペスト(商業の街)に分かれており、川畔に佇む歴史的建造物が織りなす美しさから、「ドナウの真珠」「ドナウの女王」「ドナウの薔薇」等と呼ばれるほど美しい街。いつか一度訪れてみたいとは思っていたけれど、こうして実現したことがとても嬉しい。

 まずは昨夜積み残しになった観光スポットからスタートである。バスは市街を一望できる「ゲッレールトの丘」を目指す。
 ブダペスト市内の中心部に位置する標高235mの山は全体が公園になっていて、自由橋、ゲッレールト温泉、ホテルなどの施設がある。丘の頂上は展望スポットとしても人気で、ブダペストの街並みやドナウ川の景色を一望することが出来る。到着した途端、目の前に絵はがきのような景色が広がり、思わず感嘆の声が上がる。暑くなく寒くなく、適度に風があり、いい観光日よりである。外気温は26度。

 夜の時間帯はライトアップされた国会議事堂や鎖橋などの建築物が綺麗で、おすすめの夜景観賞スポットだというが、昨夜は飛行機の遅れでこうして朝一番に訪れることになった。
 ガイドのモニカさんはつくばや千葉に1年半暮らしたとのことで、とても綺麗な日本語を話す。ハンガリーの夏休みは6月15日から9月1日までだそうで、子どもたちの夏休みの過ごし方が働く親たちの悩みの種というのは日本と変わらないようだ。平均月収が18万フォリント(9万円相当)、子どものキャンプに1週間1万5千フォリント(7,500円相当)かかるというのはかなりの負担だという。どこの国も子育ては大変なことである。

 続いて、バスは王宮の丘へと向かい、2つの観光スポットを巡る。
 マーチャーシュ教会と漁夫の砦だ。見上げるととんでもない長い階段にちょっと気持ちが萎えるが、ここまで来て登れないとはいえない。ゆっくり1段ずつ踏みしめて上がる。
 教会は13世紀の半ばに建設されて以来、何度も増築を行い、内部のステンドグラスがとても美しいと有名だが、残念ながら時間の関係で外観を拝むに留まった。青空に色とりどりの屋根が映えて美しい。歴代王の戴冠式が行われた場所でもあり、ハンガリー人にとっても特別な意味を持つ場所だという。当初はゴシック様式で建設されたが、その後のオスマン帝国の支配でモスクに改装され、さらにバロック様式に改装するなど、複雑な歴史を経、700年に渡って変遷を繰り返したという教会内部のステンドグラスは是非見てみたかった。

 そして街の美化の一環として建造されたという美しい「漁夫の砦」。白亜の美しい7つの塔が並ぶ様は、まるでおとぎ話の中に入り込んでしまったかのよう。ハンガリー建国1000周年を記念して、マーチャーシュ教会を手掛けたフリジェシュ・シュレクのデザインにより建設された建物だそうだ。とんがり帽子のような形の塔は遊牧民だったマジャール人のテントを、7つの塔はマジャールの7部族を表しているという。
 ここからの景色も絶景だった。その後、刺繍やワイン等のショップに連れて行かれたけれど、目の保養に留め
めて身軽にお店を出てきた。

 歴史の街ブダ地域の観光はこれでおしまい。この頃から雲行きが怪しくなってくる。どうもお天気が変わりやすい。バスに乗り込むと雨がぽつぽつ落ちてくる。うーん、これからだというのに。

 続いて、商業の街ペスト地域で2つの観光スポットを巡る。
 英雄広場はハンガリーの建国1000周年を記念して作られた広場。アンドラーシ通りの一部として世界遺産にも登録され、広場の中央にある初代国王イシュトヴァーンの王冠と、大天使ガブリエルが乗った柱が威風堂々とそびえ立つ姿は圧巻だ。柱の周りを囲む台座には7人の部族長の騎馬像があり、左右に7体ずつ歴代ハンガリーの英雄の姿も見ることが出来、ハンガリーの歴史を感じられる。地元民の憩いの場としても親しまれているスポットだそうだ。今は観光客で溢れているが・・・。
 ここでいよいよ雨が強くなり、傘を差しながらの観光になる。足元が悪い。

 最後は聖イシュトヴァーン大聖堂へ。国会議事堂と並んで、高さ96mとブダペストでもっとも高い建築物であるという。気持ちの1ユーロの寄付をすると内部が拝見出来るということで、皆で中へ。
 内部はドームを中心した空間が素晴らしく、落ち着いた色遣いと細かい装飾にやさしい光が広がるデザインになっている。50年もの歳月をかけて建設された建物内では、“聖なる右手”と呼ばれる初代王・イシュトバーンの右手(ミイラ)が安置されており、私達が写真撮影するためにライトアップしてもらえた。右手!?・・・よく分からなかったけれど。364段の階段からは大聖堂のドームに登ることができ、そこからはブダペストを360度見渡すことが出来るといい、外から見上げると、確かに人影が。

 ここから昼食のレストランへ歩いて移動。1階がワインセラーで地下がレストランのメニューは名物グヤーシュである。パプリカパウダーで煮込んだ牛肉のスープで、ハンガリーの伝統的家庭料理のひとつだ。そしてメインはロールキャベツにパプリカ風味のザウアークラウトとニョッキが添えてある。パプリカの辛みペーストもテーブルの上に置かれており、とにかくパプリカオンパレードである。

 食事を済ませると、午後の観光へ。ここでひと組のご夫婦が、日本から予約したという国会議事堂散策のため夕食まで別行動されるという。ガイドさんも午前中でお仕事終了。9名でホロック村(Hollókő)散策へ向かう。

 バスに揺られながら眠くて眠くてたまらない。それでもなかなか眠れず。雨が打ち付ける中、車窓に広がる一面のひまわり畑に目を奪われる。途中土砂降りになり、これからの散策が心配になる。

 90kmを1時間半以上かけて到着。真っ黒なワタリガラスの像が村の入り口だ。外気温はどんどん下がり、17度になっている。ストールを巻き、薄いジャケットを羽織ってバスを降りた。
 ヨーロッパでは珍しい木造家屋の連なる小さな村は、木造のローマカトリック教会を中心に、パローツの村人が生活する58棟の保存家屋が立ち並んでいる。日本でいえば白川郷と称されるようだが、清里か、スウェーデンで旅したシグチューナか。とにかくおとぎ話の村の様だ。周辺の自然環境と共に伝統を守る美しい村は秀逸で、1997年に、村として初の世界文化遺産に登録されたという。希に伝統衣装に身を包んだ村の人を拝めるとのことだったが、残念ながら目撃することはなかった。

 1時間ちょっとの時間、雨の中散策を続ける。お店は個人経営が多く、こちらの通貨フォリントしか使えない模様。カードが使えるというお城に行ってみることに。これがかなりの高台で、ぬかるんだ道をハイキング状態だ。
 グループの大半の方たちは中に入らずに帰ってきたようだったが、せっかくなので私達は内部の散策もしてきた。全てハンガリー語で説明文は全くわからなかったけれど、13世紀の古いお城を一周することが出来た。頂上からは靄で下が全く見えないほどになり、幻想的だった。

 再びバスに乗り、ブタペストまで移動。途中雨が止んで、虹を見ることが出来た。いいことがあるかもしれないとにんまり。それでも眠くて眠くて。ようやく1時間ほど爆睡。

 ブダペストはすっかりお天気になっていて、道も乾いている。外気温は26度まで上がっている。時間調整に近くのスーパーを皆で見学した後、夕食レストランへ。ここで離れていたお二人が合流して、カクテルサラダにパプリカチキン(ニョッキ添え)とダークチェリーパイ。なんだか何を食べても同じ感じですね、というのが皆さんの感想。

 夕食後はチャーター船でドナウ川ナイトクルーズに。船に乗った途端、「美しき青きドナウ」のBGMが流れ、否応無しに気分を盛り上げてくれる。
 ドナウ川は、全長2860Km、ヨーロッパで2番目に長い川だ。ドイツにある上流からルーマニアの下流で黒海に流れ出るまでに、オーストリア、スロバキア、ハンガリーなど10の国々を通過する。ドナウ川流域には、メルク、ウィーン、パッサウ、ブタぺスト、リンツなど文化と歴史に満ちた街が多数あり、古城や修道院など歴史的建造物が立ち並ぶ沿岸は「美しき青きドナウ」そのものの風光明媚な景観広がり。

 ブタぺストのドナウ川クルーズは、夜の乗船が圧倒的に人気で「ドナウの真珠」と讃えられる美しい世界遺産の街並みを満喫出来るそうだ。19時半から1時間の予定だったが、10分ほど早く出航したものの、下船直前まで夕焼け程度。本当にヨーロッパの夏は日が長い。
 次々と異なる構造形式の橋が架けられており、中でもくさり橋(正式にはセーチェニー橋)は、最初の橋にして最も美しい橋といわれている。ライオン像が両端を見守り、長さ375m、幅16mで、両岸には一対の石造の塔門が配されている。夜のドナウ川クルーズでは、オレンジのライトでライトアップされ、この世のものとは思えないほど大変美しく、昼の顔とはひと味違ったロマンチックなブダペストの街を見ることが出来るという触れ込みだったけれど、残念ながらライトアップのナイトクルーズにはならなかった。

 予定より少し早めにホテルに戻ってくることが出来た。とにかく眠くてたまらない。明日は6時半モーニングコール、8時出発。早めに休まなくては。
 明日はレドニッツェ観光後、チェコ共和国の首都、プラハへ向かう。
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2019.7.26-2中欧5か国の旅スタート、現地入り

2019-07-27 14:30:11 | 

 3時間遅れてオーストリア航空に搭乗し、ウィーンまで。
 所要時間は12時間ほどのフライト。CAさんはイメージカラーの真っ赤なワンピースにタイツ、靴と赤ずくめである。席に着くとウエルカムドリンクが配られ、白い帽子を被ったシェフが最初の食事のオーダーを取りに来た。
 前菜は懐石風の和食かワゴンサービスの洋食がチョイスでき、夫とともに和食を。結局、ここで頂いた素麺が一番美味しかった。メインも夫が金目鯛の煮付け、私はラムのローストに。食後のデザートはワゴンでチョイスだったけれど、ケーキがちょっと甘すぎて重かった。食後はさすが珈琲メニューが充実しており、10種類から選ぶ。マリアテレジアとお洒落な名前のついたものなど。

 食事が終わるまでに新作洋画を1本見終わり、そうこうするうちに電気が暗くなって皆様どうぞお休みください、といった感じ。しつこく邦画を1本観てフルフラットシートで足を投げ出して眠る体勢に。浮腫みの心配がない快適な12時間の筈だからそれほど疲弊しないとはいえ、長時間フライトに変わりはない。しかも今回はかつらを被っており、起きたときに酷くずれていたらどうしよう、なんて考えながら寝返りも思い切って打てないし、5時間ほど目を瞑って横にはなったが、足は痺れているし腰は痛いし。あまり休まらず。

 気づけばあと1時間半ほどで到着となり、到着前の食事サービスになる。お腹は空いているのか空いていないのかわからないけれど、乾燥していて目も鼻の穴の中もパリパリ。

 離陸後飛行時間は10時間半ほど、現地時間夜の9時に無事着陸した。外は曇り、外気温は28度とのこと。
 パスポートコントロールは小じんまりしており、「Grüß Gott!」と挨拶されて、ドイツ語圏にやって来たのだと気づく。大学時代に青春の思い出に学んだ第二外国語でお礼を言う。乗り継ぎもないのでこれだけでおしまい。

 今回のツアーは11名。熟年夫婦ツアーといった感じで、私達以外の4組のご夫婦に女性お一人参加。初めての全員集合、ご対面は飛行機を降り、各自入国手続きを終えた後だ。何かトラブルがあったのか、なかなか男性の添乗員Nさんが出てこない。先に行ってしまった3人とようやくターンテーブルで合流した。
 空港を出発出来たのが小一時間後。外は蒸し暑く、31度と出ている。熱帯夜か。

 ホテルには日付が変わって12時半くらいに到着といわれていたけれど、途中ガソリンスタンドでお手洗い休憩をしたのは11時半を廻ったところで、ここはもうハンガリーだった。空港から1時間ほどで国境を越えたらしい。
 ハンガリーの通貨はフォリントだけれど、2人で1ユーロでOKといわれ、お手洗いに入る。更に120Km揺られて、結局ウィーン国際空港から230kmをバスで走ったことになる。ホテルにチェックイン出来たのは夜中の1時。家を出てからほぼ24時間の長い長い一日であった。もうヨレヨレ。

 部屋にはバスタブがないかも、と事前の案内があったが、無事浴槽で手足を伸ばすことも出来た。Wi-Fiが繋がって、無事到着した旨こちらの様子を息子に知らせることも出来て一安心。
 当初の予定では、ホテルに入る前に市街を一望できるゲレルトの丘を経由ということだったが、さすがに真夜中、明日に廻しますということで、明日は7時モーニングコール、9時出発。
 ベッドには入れたのは2時を大きく廻って3時近く。疲れ過ぎてお休みなさい・・・からなかなか寝付けず朝を迎えた。

 というわけでこれから朝食を済ませ、ブダペスト市内観光に出発します。
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