強行軍と寝不足で大分疲れが溜まってくる頃である。
体調はどうかといえば、よく持っているなというほどには元気である。病気のことを忘れている時間が長い。薬を飲むときだけ、あ、そうだった、という感じといったらいいだろうか。お腹の調子も酷くなっていないし、何より胸痛や咳、息切れ等の症状も気にならない。ただ昨日の下りの石畳の散策のせいで、以前から調子が悪かった右足の親指の爪周りがまた炎症を起こして赤く熱を持ってしまった。お風呂で綺麗に洗ってバラマイシンを塗り、ガーゼで保護してこれ以上悪くなりませんように、とベッドに入った。
昨夜はなんとか夫より早く、日付が変わる前に眠りにつけた。5時間ほど連続して眠ってお手洗いで目が覚める。その後は眠れずじまい。昨朝のドタバタに懲りて6時に夫を起こし、身支度を調え昨日の朝より20分早くレストランに到着した。
それでも今日もツアー参加者の中ではまたしても最後だった模様。朝食後、荷物をまとめて無事チェックアウト。天気予報では雨のマークも出ていて、念のためレインコートを携えた。朝の外気温は23度。ほどほどの気温で過ごしやすい。朝のNHKのニュースを見ると、東京は大変な暑さになっているようだ。
今日はまず南東に160km走って、世界遺産テルチの街を散策後、さらに南西に120km進み、チェスキークルムロフ歴史地区を訪れ、夕方ヴァッハウ渓谷を経て夜ウィーンに入るという、世界遺産3カ所巡り、合計530kmの大移動の日だ。
1時間半ほど走って最初のお手洗い休憩に立ち寄った後は、1時間ほどでモラヴィア地方ヴィソチナ州テルチに到着。バスの駐車場から添乗員Nさんの誘導のもと、皆で旧市街へ向かう。
街の入り口には可愛い看板が出ていて、左手には緑豊かな水辺を見つつ、右側はバザールのように出店が並んでいるのが楽しい。
城門をくぐると、まるで砂糖菓子のような柔らかなパステルカラーの色合いの街並が現れる。“モラビアの真珠”と称されるテルチは、16世紀に大火事で街が全焼した後、時の領主ザハリアーシュが、すべての家を初期バロック様式に基づいて設計するように呼びかけて作られた街並がそのまま現在まで受け継がれているという。
夫に言わせれば「大内宿のカラフル版」だそうだが、こちらは1992年にユネスコ世界遺産に登録されている。
小さな街なので、広場の中心部分の噴水のある像の前で写真を撮り、その先にある反対側の池まで行ったところで一旦解散し、自由散策タイムになった。お城の中に入って見る時間がなかったけれど、手前にあるゴシック建築の教会は開いていて、ノートにサインをしてきた。雑貨やマリオネットのおもちゃ等など気になるお店は多々あったけれど、チェココルナしか使えないようで、冷やかすだけ。残念。
ここから次なる目的地チェスキークルムロフまではたっぷり2時間ほどかかるという。昼食は到着後ガイドツアーを終えて14時半くらい迄我慢である。朝しっかり頂いたので空腹は感じない。途中、土砂降りの雨の音でびっくりする。こんな状況で散策などとてもではない、と危惧したけれど、雨雲を抜けた途端道が乾いている。お天気が変わりやすいのも確かだけれど、それほど長距離を走っているということか。
チェスキークルムロフはルネッサンスやバロック様式の町並みが美しく、16世紀南ボヘミアのロズムベルク家が権力を振るっていた時代の栄光を偲ぶことが出来る場所で、「世界で一番美しい街」のキャッチコピーで人気上昇中のスポット。ヴルタヴァ(モルダウ)川と周辺の緑に抱かれたこの街は、ルネサンス様式の建築が数多く残され、1992年に世界文化遺産に登録されている。
今日のガイドはペトロさん。日本が好きで、右手には侍の、左足には日本のアニメのタトゥーが入っている、ちょっとシャイな若者だ。ぺらぺらではないが・・・とガイドを始めたが、ぺらぺらではないどころか、かなり怪しい。イヤホンガイドからため息のような困ったような無言の時間が流れてきて、聞いているこちらの方がだんだん可哀想になってくる。うーん、これは大丈夫か。途中から添乗員Nさんの説明が加わったりで、説明よりもそれぞれ感じたままに写真を撮ってください、みたいな散策になった。外気温は27度。歩くと少し汗ばむ程度だ。お天気になってくれて良かった。レインコートはお守りに持っておく。
最初に見晴らしのよい展望台に到着すると、もう言葉は要らない。空に向かって伸びる街のシンボル、城の塔を中心とし、街を抱くヴルタヴァ川の流れ、白壁とオレンジの屋根、丘の緑が美しく調和された色合いの町並みである。まるで絵ハガキそのものの景色が目の前に広がり、ここに足を運んでよかったと思わせてくれる。
いたる所にだまし絵が採用されているが、これはプラハでも見られた外壁装飾の一つだという。遠くから見ていて立体的で美しいと感じた塔の装飾も、実は絵で彩られたものだと近くから見て気づかされる。中世の石畳のアップダウンが激しい道は、右足爪の調子の悪い私には結構辛かったが、ついつい写真撮影に没頭する。
沢山の中庭、昔からこのお城を守っているという熊にもご挨拶して、お城から旧市街へと歩を進める。観光客で溢れ小さな街は大混雑である。ガイドツアーに1時間ちょっとかかり、残された時間1時間半弱で昼食と自由散策の予定だったが、お一人様参加のTさんが、ペテロさんお薦めというイタリアンに行くらしく、なんとなく皆そこでいいですかね、という感じになる。疲れているし、勝手が分からないし、皆バラバラになるより添乗員Nさんも良かったのではないか。
案内された場所は河べりの洒落たレストランだった。今日ははじめてTさん、Iさんご夫妻、添乗員Nさんと6人で一緒のテーブルになった。こちらに来てからずっとグヤーシュ風のスープや肉の煮込みとこってり系の肉料理続きだったので、毛色の変わったイタリアンは嬉しかった。ちょっと面白いパスタの麺だったけれど、冷えたレモネードも美味しかった。夫は毎日のように昼からワイン三昧で赤い顔をしてご機嫌である。
そうこうしているうちにもう出発予定の4時近い。再び床屋橋を渡って川でボート遊びをする人たちに手を振って街とお別れする。
ここから250km走ってウィーンを目指す。ホテル到着は8時を優に廻る予定で、夕食は8時半頃からとのこと。40分ほど走ってチェコとオーストリアの国境を越えた。ここにも特に何も特別な手続きはなく、何か問題があった時にだけ開かれるという建物が建っているだけ。
車窓はトウモロコシ畑が続く。チェコ、ハンガリーのひたすら続いた平野と異なり、小高い丘や山々の稜線が見える。それでもどこに似ているかといえば、北海道の美瑛や富良野のような景色がずっと続く。お腹は一杯だし、疲れはたまっているし、なんとなくうとうとうとうとは今日も同じ。
世界遺産ヴァッハウ渓谷を通りながらウィーンを目指す。“銀色に輝く帯”と呼ばれる ヴァッハウ渓谷は、オーストリア北部のドナウ川下流地域に広がる最も美しい景勝地だ。歴史上水路交通の要衝にあり、古城が点在し、ロマンティックな雰囲気が漂う。南北の山脈に抱かれた36キロに及ぶ渓谷一帯が「ヴァッハウ渓谷の文化的景観」の名で、ユネスコの世界遺産に登録されている。
渓谷と聞き、日本のように切り立った崖の下に川があるイメージを持っていたけれど、ドナウの川幅がとても広いので、渓谷という雰囲気はあまりなかった。両岸には古城や修道院が点在し、そこかしこに乗船スポットがあり、観光クルーズとして人気だという。今日はメルクから入って立派な修道院を遠くに拝み、ラッキーもバス右側の席に座っていたのでドナウ川をずっと見ながら過ごし、クレムスでドナウ川と暫しお別れ。
その後小一時間ほど走って最終宿泊地、ドナウ川に面したウィーンのホテルへ到着したのは予定通り8時を廻っていた。チェックイン後部屋に入って荷物を置き、ホテルのレストランで夕食。
今日はトマトとパルメザンチーズクルトン入りスープ、牛肉のグヤーシュ風煮込みにニョッキやウィンナー、ピクルス添え。デザートはベリーがたっぷり乗ったチョコレートムース。夫はせっかくだからとリースリングワインを頂き、私は皆さんがワインやビールを召し上がる中、今日もジュースで乾杯。
明日は午前中ウィーン観光、午後はブラチスラバ城観光。旅もいよいよ終盤である。