今朝出勤すると、事務室の窓口改修工事が無事終わり、ピカピカの白いカウンターとお揃いのドアにロールスクリーンの目隠しが下がっていた。
呼び出しのベルの音も、今まではごく普通の音だったのだが、チャイムになっていた。そのチャイムの音、どうも聞き覚えがある・・・と思ったら、実家のインターホンと同じであった。何やら落ち着かない気分である。
早くも1月最終日。明日からは2月だ。陽射しは日一日と春めいてきているように思う。
さて、何回かご紹介している毎日新聞のコラム「診察室のワルツ」最新号に、またもなるほど、と思わされたので以下、転載させて頂く。
※ ※ ※(転載開始)
診察室のワルツ:/42 病と生活するシナリオ=岡本左和子(毎日新聞 2013年01月30日 東京朝刊)
友人のAさんから電話を受けました。彼女は「左手首が痛くて動かしづらく、今は右肩から手首までも痛くなってきた。2日前からは両足の指の関節が痛くて歩くのもつらい。昨日は夜中に足の裏が痛くて跳び起きた」と言うのです。さらに「内科医から『血液検査もエックス線検査も問題ない』と言われ、整形外科などの専門医に紹介されたが、そこでも原因が分からない」と訴え、最後は「自分はどうなってしまったのか」と泣き出してしまいました。医師の指示に従っていますが、彼女は自分の健康状態を受け止められないうえ、体の不調と病院通いに振り回されているようでした。
彼女の話を聞き、私は友人のBさんを思い出しました。Bさんは子どものころに若年性関節リウマチを発症し、50年近く病を抱えて生きています。腰骨の置換手術は7回も受け、これ以上の手術はできません。それでも彼女は明るく、人を楽しませることが上手です。病を持ちながら多趣味で、自ら車を運転してどこへでも出かけます。私もBさんの車いすを押して、美術館や買い物、旅行に出かけます。そして、Bさんは助けが必要な時は遠慮なく連絡してきます。
Bさんが、腰を痛めた友人に楽な車の乗り降りを教えたことがありました。その人が「それでも痛い」と訴えると、Bさんは「私はそういう痛みを抱えて毎日生活しているのよ」と、ほほ笑みながらも戒めていました。BBさんは、病を持ちながら生活する「シナリオ」を持っているのです。痛みがあるからといって消極的にならず、痛みは「あるもの」として生活を組み立てているのです。
Bさんがユニークなのは、痛みなどの体調と「会話」することです。Bさんは、痛みも自分の一部と認め、それを嫌ったり否定したりすることはしないそうです。「今日は痛みが少し強いけれど、何に気をつけてほしいの?」と「会話」すると、「存在を認められた痛みが落ち着いてくる」といいます。
「心の持ち方」の問題ですが、病を受け止める方法として一考の価値がありそうです。病や体調を自分の一部と認め、生活のシナリオを持つと、闘病に振り回されなくなります。(おかもと・さわこ=医療コミュニケーション研究者)
(転載終了)※ ※ ※
もちろん、がん性疼痛は「心の持ち方」などと言ってはいられないくらい強いものかもしれない。けれど、とりあえず今の私は常時痛み止めに頼ることもなく、胸部の圧痛や鈍痛と付き合っている。だから、ここに出てくるBさんの痛みとの会話-岡本さんはユニークと書かれている-も、私にはとてもよく解るような気がする。というのも、知らず知らずのうちに私も同じことをしているからだ。(あれ、今日は随分痛いな、どうしたんだろう、おかしいな~)などと独りごち(変な人に見えるかもしれないけれど)、とりあえずゆっくり深呼吸を繰り返してみる。そうすると、痛みが存在を主張することなく落ち着いてきて、それ以上酷くならないことがある。
哀しいかな、今後、この病気からすっかり解放されるわけでもなし、体調がいきなり今以上うんと良くなる、とも思えない(これは決して諦めている、というわけではない。)。だから、痛みも体調も半世紀以上生きてきた自分の一部と認めざるを得ない。そう、ここにあるように、病と共存しながら生活する「私のシナリオ」として認めていければ随分生きやすくなるのではないか。
たまたま持病を持たずに元気に生まれてくることが出来たけれど、40年を過ぎたところで、あちこちに綻びが出てきてしまった。が、ここに出てくるBさんが、半世紀以上リウマチと付き合いつつ、明るく積極的に生きていらっしゃるように、いろいろな病と共存しながらも幸せな人生を送っている方は沢山いると思う。
「辛い、痛い、何で私だけこんな目に・・・」と言い続けていても、体調や病状が改善するとは思えない。もちろん辛いことも多いし痛いことだってある。けれど、それも自分の一部、と思って生きたい(・・・言い聞かせているところもあるけれど。)。
これからもしぶとく治療を続けながら、決して闘病に振り回されない生き方を出来るだけ長く続けていきたい、と強く思う。
呼び出しのベルの音も、今まではごく普通の音だったのだが、チャイムになっていた。そのチャイムの音、どうも聞き覚えがある・・・と思ったら、実家のインターホンと同じであった。何やら落ち着かない気分である。
早くも1月最終日。明日からは2月だ。陽射しは日一日と春めいてきているように思う。
さて、何回かご紹介している毎日新聞のコラム「診察室のワルツ」最新号に、またもなるほど、と思わされたので以下、転載させて頂く。
※ ※ ※(転載開始)
診察室のワルツ:/42 病と生活するシナリオ=岡本左和子(毎日新聞 2013年01月30日 東京朝刊)
友人のAさんから電話を受けました。彼女は「左手首が痛くて動かしづらく、今は右肩から手首までも痛くなってきた。2日前からは両足の指の関節が痛くて歩くのもつらい。昨日は夜中に足の裏が痛くて跳び起きた」と言うのです。さらに「内科医から『血液検査もエックス線検査も問題ない』と言われ、整形外科などの専門医に紹介されたが、そこでも原因が分からない」と訴え、最後は「自分はどうなってしまったのか」と泣き出してしまいました。医師の指示に従っていますが、彼女は自分の健康状態を受け止められないうえ、体の不調と病院通いに振り回されているようでした。
彼女の話を聞き、私は友人のBさんを思い出しました。Bさんは子どものころに若年性関節リウマチを発症し、50年近く病を抱えて生きています。腰骨の置換手術は7回も受け、これ以上の手術はできません。それでも彼女は明るく、人を楽しませることが上手です。病を持ちながら多趣味で、自ら車を運転してどこへでも出かけます。私もBさんの車いすを押して、美術館や買い物、旅行に出かけます。そして、Bさんは助けが必要な時は遠慮なく連絡してきます。
Bさんが、腰を痛めた友人に楽な車の乗り降りを教えたことがありました。その人が「それでも痛い」と訴えると、Bさんは「私はそういう痛みを抱えて毎日生活しているのよ」と、ほほ笑みながらも戒めていました。BBさんは、病を持ちながら生活する「シナリオ」を持っているのです。痛みがあるからといって消極的にならず、痛みは「あるもの」として生活を組み立てているのです。
Bさんがユニークなのは、痛みなどの体調と「会話」することです。Bさんは、痛みも自分の一部と認め、それを嫌ったり否定したりすることはしないそうです。「今日は痛みが少し強いけれど、何に気をつけてほしいの?」と「会話」すると、「存在を認められた痛みが落ち着いてくる」といいます。
「心の持ち方」の問題ですが、病を受け止める方法として一考の価値がありそうです。病や体調を自分の一部と認め、生活のシナリオを持つと、闘病に振り回されなくなります。(おかもと・さわこ=医療コミュニケーション研究者)
(転載終了)※ ※ ※
もちろん、がん性疼痛は「心の持ち方」などと言ってはいられないくらい強いものかもしれない。けれど、とりあえず今の私は常時痛み止めに頼ることもなく、胸部の圧痛や鈍痛と付き合っている。だから、ここに出てくるBさんの痛みとの会話-岡本さんはユニークと書かれている-も、私にはとてもよく解るような気がする。というのも、知らず知らずのうちに私も同じことをしているからだ。(あれ、今日は随分痛いな、どうしたんだろう、おかしいな~)などと独りごち(変な人に見えるかもしれないけれど)、とりあえずゆっくり深呼吸を繰り返してみる。そうすると、痛みが存在を主張することなく落ち着いてきて、それ以上酷くならないことがある。
哀しいかな、今後、この病気からすっかり解放されるわけでもなし、体調がいきなり今以上うんと良くなる、とも思えない(これは決して諦めている、というわけではない。)。だから、痛みも体調も半世紀以上生きてきた自分の一部と認めざるを得ない。そう、ここにあるように、病と共存しながら生活する「私のシナリオ」として認めていければ随分生きやすくなるのではないか。
たまたま持病を持たずに元気に生まれてくることが出来たけれど、40年を過ぎたところで、あちこちに綻びが出てきてしまった。が、ここに出てくるBさんが、半世紀以上リウマチと付き合いつつ、明るく積極的に生きていらっしゃるように、いろいろな病と共存しながらも幸せな人生を送っている方は沢山いると思う。
「辛い、痛い、何で私だけこんな目に・・・」と言い続けていても、体調や病状が改善するとは思えない。もちろん辛いことも多いし痛いことだってある。けれど、それも自分の一部、と思って生きたい(・・・言い聞かせているところもあるけれど。)。
これからもしぶとく治療を続けながら、決して闘病に振り回されない生き方を出来るだけ長く続けていきたい、と強く思う。