あっという間に2月も最終日。今年も6分の1が過ぎたと思うと、背中がちょっとゾワゾワする。
相変わらず左右ともシャンシャンと鳴り続ける耳鳴りと眩暈、しぶとい手足の痺れで冴えない体調だ。
朝の定例会議を経て、メールや電話や窓口対応とあれやこれやしているうちに、あっという間に職場を出なければならない時間になってしまった。
電車を乗り継いで、お昼過ぎの父の診察に付き添うことになっている。一台乗り遅れると間に合わないかもということで駅まで急ぐ。
昨日実家に顔出しをする予定がお友達との約束先行の息子は、今日は駅で落ち合って、その後一緒に付き添いをすることになった。
時間通りに最寄駅に現れたのは良いけれど、心配が的中した。出がけに持ってくるように念を押して玄関に置いた荷物を持たず、手ぶらである。はァ?荷物は?と訊くと、直前に確認してくれればよかったのに、と言う。ギリギリまで仕事をしていたのだから直前の確認連絡など出来ない。結局、息子は無駄に自宅と駅を往復する羽目になり、私は一足先に脳外科クリニックがある最寄駅まで向かった。
初めて訪れるクリニックだが、駅と直結でホテルのロビーのような豪華なエントランス。話には聞いていたけれどビックリである。予約時間の20分程前に到着したが、待合には両親の姿は見えない。母の携帯を呼び出すものの出ない。ちょっとキョロキョロしているうちに母が入口から入ってきた。父は、といえば介護タクシーのドライバーさんが車椅子を押してくださっている。
いつものことながら、母は私が付き添うとすっかり両手ダランになってしまい、診察受付から何から全て代行することになる。帰りのお迎えの時間を打ち合わせして、ドライバーさんにご挨拶。父は私に気づいているのかなんだか、挨拶もろくに返ってこないし、ありがとうの一言もない。
予約時間どおりに呼ばれ、診察室へ。父は「先生、大分良くなってきました」などと言っているけれど、主治医のK先生は、初めて見る私にちょっと怪訝な様子。そして父に「後ろにいる方はどなたですか」と訊いている。これもまたテストの一環だろうと私は黙っている。「娘です」と正解。そして次に「娘さんはどこに住んでいますか」との質問があり、これまた正解。まだらなのかどうなのか、よく判らない。
そして改めてご挨拶をする。1月の脳出血前と今と様子はどうですか、と問われるが一緒に暮らしているわけでもないし、微々たる変化となると良くわからない。母は相変わらずメモをとるわけでもなく、ただなんとなくいるだけになっている。そのため、先生は私を相手にいろいろ質問される。先生も1月以前を見ているわけでないので、なんとも診断のしようがないようだ。そりゃそうですよね、と思う。
とりあえずこれまでの“記憶の(認知症とはおっしゃらない、患者たる父への配慮だろう)薬”を増やしますとのこと。そして次回は再度CTを撮影し、記憶のテストもしてから診察することになった。3週間後は祭日なので、2週間後か4週間後と言われたが、自分の通院やら会議の予定やらとにかく年度末なのでそうそういつでも休めます、というわけでもなくカレンダーと睨めっこになる。曜日を替えて、なんとか予約を入れて頂いた。
そして、母の話ではよく判らないので、と申し訳ないが再度画像診断の結果を説明して頂く。後頭葉に3センチほどの脳出血があり、これは3カ月程度で脳内で吸収されるだろうが、脳の委縮との関係で、どこまでが認知症の症状でどこまでが脳出血の症状なのかが判断しがたいため、これからも認知症の薬を飲んでもらうとのこと。
MRIに映った脊椎は本当にグシャグシャに潰れて歪曲しており、ここまでになってしまうとどうにもならないとのこと。あとは騙し騙しにしていくほかないそうだ。高血圧ではないから今後は脳出血が起きない、かというとそれも判らないとのこと。齢も齢だし、経年劣化ということだろう。
会計を済ませ、ビル内にある薬局まで薬を取りに行く。1割負担だから本当に申し訳ないほどの支払いだ。今のところ副作用も出ずに薬が飲めているので何よりとのこと。私が薬局にいる間に、息子からLINEで到着したとの連絡。
介護タクシーのドライバーさんが他のお客さんの送迎をして、こちらに戻ってくるまであと1時間半近くかかるとのことなので、階上のレストランで4人で遅い昼食を摂った。
父はお正月に私達家族と食事を摂って以来、外食は初めてとのこと。食欲はあるので頼もしい。母は診察が終わったら父を連れてそのまま帰って家で食事をしようと思っていたらしく、思いもよらず孫や娘と外食が出来たのが嬉しそうだった。息子は祖父母の分まであれやこれやと分けてもらってお腹を満たしていた。
さて、そろそろ帰る支度を、と思うと、母が先生に診察の場で書いてもらったデイサービスに提出する書類を返してもらわなかったという。がっくり脱力して、一人クリニックへ戻り、事情を説明して待ち、無事受領して会計を済ませてレストランに戻った。
今度は母が介護タクシーのドライバーさんの名刺をどこかに入れてしまったという。慌てるとますます見つからないし、こういう時に黙っていればいいのに父が横からああだこうだと上から目線で母を咎める。聞いている息子も私もどんどん気持ちが滅入ってくる。
結局、私が母のバッグを受け取って小さな内ポケットに入っていた名刺を見つけて連絡。あと15分か20分でそちらに迎えますので、クリニックの入り口で待っていてくださいとのこと、皆で移動する。
今日は私が荷物を持って息子に父の車椅子を押してもらったが、母が33kgの小さい身体で父の車椅子を押すのは大儀そうだ。今はコート等荷物も多いし、2人だったら途方に暮れるのだろうなとも思う。
とはいえ、毎3週間毎に付き添いのために休みを取るわけにもいかない。前途多難である。
ようやくドライバーさんと合流し、車椅子のまま父はタクシーに乗せて頂き、母と息子が同乗して私は見送った。
眼の下にはクマ、顎が出てぐったり・・・である。予報通り雨も降り出しトホホの気分。しつこい耳鳴りの不快感も相まってなんだかなあ・・・とため息が漏れる。
再び電車を乗り継いで最寄駅に到着。歩いて帰宅する元気がなく、タクシーに乗ってしまった。少し早めに帰宅出来たので、洗濯物を片付けたり、夕飯の用意をしたり。
今週もまだ始ったばかり。そして明日からは弥生三月。テンプレートもお雛様に変えてみた。桃の節句も目前である。
相変わらず左右ともシャンシャンと鳴り続ける耳鳴りと眩暈、しぶとい手足の痺れで冴えない体調だ。
朝の定例会議を経て、メールや電話や窓口対応とあれやこれやしているうちに、あっという間に職場を出なければならない時間になってしまった。
電車を乗り継いで、お昼過ぎの父の診察に付き添うことになっている。一台乗り遅れると間に合わないかもということで駅まで急ぐ。
昨日実家に顔出しをする予定がお友達との約束先行の息子は、今日は駅で落ち合って、その後一緒に付き添いをすることになった。
時間通りに最寄駅に現れたのは良いけれど、心配が的中した。出がけに持ってくるように念を押して玄関に置いた荷物を持たず、手ぶらである。はァ?荷物は?と訊くと、直前に確認してくれればよかったのに、と言う。ギリギリまで仕事をしていたのだから直前の確認連絡など出来ない。結局、息子は無駄に自宅と駅を往復する羽目になり、私は一足先に脳外科クリニックがある最寄駅まで向かった。
初めて訪れるクリニックだが、駅と直結でホテルのロビーのような豪華なエントランス。話には聞いていたけれどビックリである。予約時間の20分程前に到着したが、待合には両親の姿は見えない。母の携帯を呼び出すものの出ない。ちょっとキョロキョロしているうちに母が入口から入ってきた。父は、といえば介護タクシーのドライバーさんが車椅子を押してくださっている。
いつものことながら、母は私が付き添うとすっかり両手ダランになってしまい、診察受付から何から全て代行することになる。帰りのお迎えの時間を打ち合わせして、ドライバーさんにご挨拶。父は私に気づいているのかなんだか、挨拶もろくに返ってこないし、ありがとうの一言もない。
予約時間どおりに呼ばれ、診察室へ。父は「先生、大分良くなってきました」などと言っているけれど、主治医のK先生は、初めて見る私にちょっと怪訝な様子。そして父に「後ろにいる方はどなたですか」と訊いている。これもまたテストの一環だろうと私は黙っている。「娘です」と正解。そして次に「娘さんはどこに住んでいますか」との質問があり、これまた正解。まだらなのかどうなのか、よく判らない。
そして改めてご挨拶をする。1月の脳出血前と今と様子はどうですか、と問われるが一緒に暮らしているわけでもないし、微々たる変化となると良くわからない。母は相変わらずメモをとるわけでもなく、ただなんとなくいるだけになっている。そのため、先生は私を相手にいろいろ質問される。先生も1月以前を見ているわけでないので、なんとも診断のしようがないようだ。そりゃそうですよね、と思う。
とりあえずこれまでの“記憶の(認知症とはおっしゃらない、患者たる父への配慮だろう)薬”を増やしますとのこと。そして次回は再度CTを撮影し、記憶のテストもしてから診察することになった。3週間後は祭日なので、2週間後か4週間後と言われたが、自分の通院やら会議の予定やらとにかく年度末なのでそうそういつでも休めます、というわけでもなくカレンダーと睨めっこになる。曜日を替えて、なんとか予約を入れて頂いた。
そして、母の話ではよく判らないので、と申し訳ないが再度画像診断の結果を説明して頂く。後頭葉に3センチほどの脳出血があり、これは3カ月程度で脳内で吸収されるだろうが、脳の委縮との関係で、どこまでが認知症の症状でどこまでが脳出血の症状なのかが判断しがたいため、これからも認知症の薬を飲んでもらうとのこと。
MRIに映った脊椎は本当にグシャグシャに潰れて歪曲しており、ここまでになってしまうとどうにもならないとのこと。あとは騙し騙しにしていくほかないそうだ。高血圧ではないから今後は脳出血が起きない、かというとそれも判らないとのこと。齢も齢だし、経年劣化ということだろう。
会計を済ませ、ビル内にある薬局まで薬を取りに行く。1割負担だから本当に申し訳ないほどの支払いだ。今のところ副作用も出ずに薬が飲めているので何よりとのこと。私が薬局にいる間に、息子からLINEで到着したとの連絡。
介護タクシーのドライバーさんが他のお客さんの送迎をして、こちらに戻ってくるまであと1時間半近くかかるとのことなので、階上のレストランで4人で遅い昼食を摂った。
父はお正月に私達家族と食事を摂って以来、外食は初めてとのこと。食欲はあるので頼もしい。母は診察が終わったら父を連れてそのまま帰って家で食事をしようと思っていたらしく、思いもよらず孫や娘と外食が出来たのが嬉しそうだった。息子は祖父母の分まであれやこれやと分けてもらってお腹を満たしていた。
さて、そろそろ帰る支度を、と思うと、母が先生に診察の場で書いてもらったデイサービスに提出する書類を返してもらわなかったという。がっくり脱力して、一人クリニックへ戻り、事情を説明して待ち、無事受領して会計を済ませてレストランに戻った。
今度は母が介護タクシーのドライバーさんの名刺をどこかに入れてしまったという。慌てるとますます見つからないし、こういう時に黙っていればいいのに父が横からああだこうだと上から目線で母を咎める。聞いている息子も私もどんどん気持ちが滅入ってくる。
結局、私が母のバッグを受け取って小さな内ポケットに入っていた名刺を見つけて連絡。あと15分か20分でそちらに迎えますので、クリニックの入り口で待っていてくださいとのこと、皆で移動する。
今日は私が荷物を持って息子に父の車椅子を押してもらったが、母が33kgの小さい身体で父の車椅子を押すのは大儀そうだ。今はコート等荷物も多いし、2人だったら途方に暮れるのだろうなとも思う。
とはいえ、毎3週間毎に付き添いのために休みを取るわけにもいかない。前途多難である。
ようやくドライバーさんと合流し、車椅子のまま父はタクシーに乗せて頂き、母と息子が同乗して私は見送った。
眼の下にはクマ、顎が出てぐったり・・・である。予報通り雨も降り出しトホホの気分。しつこい耳鳴りの不快感も相まってなんだかなあ・・・とため息が漏れる。
再び電車を乗り継いで最寄駅に到着。歩いて帰宅する元気がなく、タクシーに乗ってしまった。少し早めに帰宅出来たので、洗濯物を片付けたり、夕飯の用意をしたり。
今週もまだ始ったばかり。そして明日からは弥生三月。テンプレートもお雛様に変えてみた。桃の節句も目前である。