昨夜、プチ虹のサロンのSさんから電話を頂いた。メールでのやりとりはあっても、電話を頂くことは珍しい。
先日、私がTさんのお見舞いに行って、かなり沈んでしまったことをとても心配してくださっていた。長くこの病気とつきあっていると、哀しいかな、既にそういう経験を何度もされているわけである。
週末には、次のようなメールを頂いていた。
「○○さん(私のこと)がショックを受けて、落ち込む気持ちは当然ですよ。○○さんはとても優しい方なので、そうならないといいなあと心配していました。私もこの病気と長い付き合いの中で、何度か同じ様な経験をしました。どうしてあんなに元気だったのに…。だから自分が再発した時に、あ~私も□□ちゃんみたいになっちゃうんだ…と考えたら、とても前向きに治療を受ける事など出来ませんでした。○○さんがお見舞いの帰りに考えた事や、思った事は今の私達であれば、あたり前で当然だと思います。ご自分を責めないでくださいね。いま出来る事がたくさんある事を大切にしましょう(なかなか難しいですが…)。」
と。
心に沁みた。
私は初発から6年半、再発から3年半近くが経過するけれど、患者会に入るまでは同病の友人を持っていなかった。入会してまだ2年も経たないし、今回のように厳しい病状の方をお見舞いしたのは初めてのことだった。頭では分かっていたはずなのに、これまで弾けるような笑顔で元気と勇気をくださっていたTさんが、辛そうにベッドに横になっておられる姿を眼の前にして、やはりショックは隠せなかった。
冷静に考えれば、至極当然のことだ。緊急入院をなさった方が、いつものように元気一杯でおられるわけがないのだから。そして、私よりもずっと長くこの病気と闘ってこられたTさんは、これまでに沢山の仲間を見送ってこられているのだ。
こんなふうにSさんを心配させてしまった自分の情けなさとふがいなさを深く反省し、改めて思った。もちろん、決して気軽な気持ちで伺ったわけではなかったし、自分なりに考えて、お会いしたい気持ちが勝っての行動だったけれど、きちんと自分の中で事実を受け入れ、気持ちを消化出来ないのであれば、お見舞いに伺ったりしてはいけない、と。
そして、いくら今、薬のおかげで元気にしていられても、やはり私も同じ病気なのだ、という事実を改めて突き付けられた。どうあがいてみても、「これが現実」であるということからは、決して逃げられない。
だからこそ、これからも一日一日を大切に、今、出来ることに感謝しながら、出来る時に出来ることを、悔いのないように積み重ねていかなければならないのだ、と思う。
土曜の夜にアップされた会長さんのエッセイによると、「Tさん、復活!」とあったので、Sさんから頂いたメールに対して御礼のメールを差し上げた際に「私が伺った時は体調が悪くていらしたけれど、少しはお元気になっておられるようです。」と添えたところ、昨日、Sさんは時間を作ってお見舞いにいらしたのだった。
けれど、お話を伺うと、土日は調子が良かったけれど、昨日はあまりすぐれないようだった。
嬉しい電話をくださったSさんには感謝の気持ちで一杯である。
改めてTさんが少しでも痛みなく穏やかに過ごして頂けることを心から願いたい。
そして、また、明日は治療日である。
先日、私がTさんのお見舞いに行って、かなり沈んでしまったことをとても心配してくださっていた。長くこの病気とつきあっていると、哀しいかな、既にそういう経験を何度もされているわけである。
週末には、次のようなメールを頂いていた。
「○○さん(私のこと)がショックを受けて、落ち込む気持ちは当然ですよ。○○さんはとても優しい方なので、そうならないといいなあと心配していました。私もこの病気と長い付き合いの中で、何度か同じ様な経験をしました。どうしてあんなに元気だったのに…。だから自分が再発した時に、あ~私も□□ちゃんみたいになっちゃうんだ…と考えたら、とても前向きに治療を受ける事など出来ませんでした。○○さんがお見舞いの帰りに考えた事や、思った事は今の私達であれば、あたり前で当然だと思います。ご自分を責めないでくださいね。いま出来る事がたくさんある事を大切にしましょう(なかなか難しいですが…)。」
と。
心に沁みた。
私は初発から6年半、再発から3年半近くが経過するけれど、患者会に入るまでは同病の友人を持っていなかった。入会してまだ2年も経たないし、今回のように厳しい病状の方をお見舞いしたのは初めてのことだった。頭では分かっていたはずなのに、これまで弾けるような笑顔で元気と勇気をくださっていたTさんが、辛そうにベッドに横になっておられる姿を眼の前にして、やはりショックは隠せなかった。
冷静に考えれば、至極当然のことだ。緊急入院をなさった方が、いつものように元気一杯でおられるわけがないのだから。そして、私よりもずっと長くこの病気と闘ってこられたTさんは、これまでに沢山の仲間を見送ってこられているのだ。
こんなふうにSさんを心配させてしまった自分の情けなさとふがいなさを深く反省し、改めて思った。もちろん、決して気軽な気持ちで伺ったわけではなかったし、自分なりに考えて、お会いしたい気持ちが勝っての行動だったけれど、きちんと自分の中で事実を受け入れ、気持ちを消化出来ないのであれば、お見舞いに伺ったりしてはいけない、と。
そして、いくら今、薬のおかげで元気にしていられても、やはり私も同じ病気なのだ、という事実を改めて突き付けられた。どうあがいてみても、「これが現実」であるということからは、決して逃げられない。
だからこそ、これからも一日一日を大切に、今、出来ることに感謝しながら、出来る時に出来ることを、悔いのないように積み重ねていかなければならないのだ、と思う。
土曜の夜にアップされた会長さんのエッセイによると、「Tさん、復活!」とあったので、Sさんから頂いたメールに対して御礼のメールを差し上げた際に「私が伺った時は体調が悪くていらしたけれど、少しはお元気になっておられるようです。」と添えたところ、昨日、Sさんは時間を作ってお見舞いにいらしたのだった。
けれど、お話を伺うと、土日は調子が良かったけれど、昨日はあまりすぐれないようだった。
嬉しい電話をくださったSさんには感謝の気持ちで一杯である。
改めてTさんが少しでも痛みなく穏やかに過ごして頂けることを心から願いたい。
そして、また、明日は治療日である。