昨日の読売新聞のコラム「よみうり寸評」を読み、唸った。以下転載させて頂く。
※ ※ ※(転載開始)
かつて大学進学で地方から上京した若者は東京では電車の中で読書している人の多いことに驚いたものだ◆今、当時の文庫本にかわって乗客の多くが手にしているものはスマートフォンが圧倒的に多い。人々は座席に座るなり条件反射のようにスマホを取り出す◆読書に関する本紙の全国世論調査によるとスマホを使う時間が長くなるほど読書時間が減ったと答える人の割合が高くなる。9月に実施した調査の直近1カ月間に1冊も本を読まなかった人は全体の53%。これで5年連続で半数を超えた◆読書好きには信じられないさびしい数字だ。スマホの効用も多々あろうが、読書時間に影響するようなのめりこみはいただけない◆<ながら歩きは危険です>―これは地下鉄のホームで見たポスター。携帯電話やゲーム機器を使いながら歩くのは危ない。人にぶつかったり、線路に転落したり、トラブルや事故のもとになる◆読書週間の折、とりわけ子供たちの読書時間は確保してやりたい。スマホなどに取り込まれないように。
(転載終了)※ ※ ※
そうだった。この2週間は読書週間なのであった。早いもので、今日で10月も終了。2ヵ月続きのカレンダーは最後の一枚になってしまった。学内の紅葉もかなり進み、見頃に近づいてきた。少し歩けば落ち葉を踏む音がカサカサと響く。
そんな中、学生たちもご多分にもれず“歩きスマホ”が目立つ。
危ないなあと思いつつ、我が息子もそうであることに下を向く。危険だしお願いだから止めてほしい、と思う。
先日スマホを見ながら下りている遮断機をすり抜けて踏切を渡ろうとした挙句、轢かれて亡くなったというニュースを聞いて、本当に耳を疑った。
かくいう私もスマホにしてからもうすぐ1年。息子に言わせれば、アプリを使わずにスマホにする必要性などない、と一刀両断だ。だが、電話はもとよりメールよりも便利に感じるようになったラインが使え、気になったことがあればネットですぐに調べられるし、手元でブログのチェックが出来たり、と私なりには十分活用しているつもりである。
けれど、自分でもぼんやりと思っていたことがこの短いコラムにはっきり書かれていてちょっと慄いた。
携帯電話を持っていた頃は電車に乗れば、すぐに文庫を開いて読書開始だった。だが、最近ではスマホチェックが先になっているのだ。特にメール到着ランプが点滅していたり、緑色のラインがいきなり画面一杯に割り込んできたりすると、KS(既読スルー)出来ずに、ついつい見て返事をしてしまう。さすがに歩きながら、は危ないのでやらないけれど。
そうしてチェックをしてみたりニュースを見始めたりすると、本を取り出すタイミングが間違いなく遅れる。電車に乗っていても読書の世界に入るのにはしばしの時間を要するから、短い乗車時間だとその機を逸すことになる。
うーん、ため息だ。今やコラムにもあるとおり電車に座った人はほぼ間違いなく老若男女スマホをいじっているか、子どもはゲーム機を両手にしているか。
本を持っている人はごくごく少数派になっている。・・・中にはスマホで電子読書中の方もおられるのかもしれないけれど。
今は受験生だから読書などしている暇はない、と言われるかもしれないけれど、高校合格のお祝いにスマホを希望した息子が、ついぞ本を読むのを見たことがない。小学生の頃はあんなに本好きだったのに。あんなに立派な図書館のある中高一貫校に入学したのに。
漫画とネットサーフィンと、延々と続くラインの会話・・・それだけではあまりに淋しいのでは・・・と思う。本は紙で読みたいし、辞書も紙で引きたい昭和の香りムンムン(息子談)の母である。
※ ※ ※(転載開始)
かつて大学進学で地方から上京した若者は東京では電車の中で読書している人の多いことに驚いたものだ◆今、当時の文庫本にかわって乗客の多くが手にしているものはスマートフォンが圧倒的に多い。人々は座席に座るなり条件反射のようにスマホを取り出す◆読書に関する本紙の全国世論調査によるとスマホを使う時間が長くなるほど読書時間が減ったと答える人の割合が高くなる。9月に実施した調査の直近1カ月間に1冊も本を読まなかった人は全体の53%。これで5年連続で半数を超えた◆読書好きには信じられないさびしい数字だ。スマホの効用も多々あろうが、読書時間に影響するようなのめりこみはいただけない◆<ながら歩きは危険です>―これは地下鉄のホームで見たポスター。携帯電話やゲーム機器を使いながら歩くのは危ない。人にぶつかったり、線路に転落したり、トラブルや事故のもとになる◆読書週間の折、とりわけ子供たちの読書時間は確保してやりたい。スマホなどに取り込まれないように。
(転載終了)※ ※ ※
そうだった。この2週間は読書週間なのであった。早いもので、今日で10月も終了。2ヵ月続きのカレンダーは最後の一枚になってしまった。学内の紅葉もかなり進み、見頃に近づいてきた。少し歩けば落ち葉を踏む音がカサカサと響く。
そんな中、学生たちもご多分にもれず“歩きスマホ”が目立つ。
危ないなあと思いつつ、我が息子もそうであることに下を向く。危険だしお願いだから止めてほしい、と思う。
先日スマホを見ながら下りている遮断機をすり抜けて踏切を渡ろうとした挙句、轢かれて亡くなったというニュースを聞いて、本当に耳を疑った。
かくいう私もスマホにしてからもうすぐ1年。息子に言わせれば、アプリを使わずにスマホにする必要性などない、と一刀両断だ。だが、電話はもとよりメールよりも便利に感じるようになったラインが使え、気になったことがあればネットですぐに調べられるし、手元でブログのチェックが出来たり、と私なりには十分活用しているつもりである。
けれど、自分でもぼんやりと思っていたことがこの短いコラムにはっきり書かれていてちょっと慄いた。
携帯電話を持っていた頃は電車に乗れば、すぐに文庫を開いて読書開始だった。だが、最近ではスマホチェックが先になっているのだ。特にメール到着ランプが点滅していたり、緑色のラインがいきなり画面一杯に割り込んできたりすると、KS(既読スルー)出来ずに、ついつい見て返事をしてしまう。さすがに歩きながら、は危ないのでやらないけれど。
そうしてチェックをしてみたりニュースを見始めたりすると、本を取り出すタイミングが間違いなく遅れる。電車に乗っていても読書の世界に入るのにはしばしの時間を要するから、短い乗車時間だとその機を逸すことになる。
うーん、ため息だ。今やコラムにもあるとおり電車に座った人はほぼ間違いなく老若男女スマホをいじっているか、子どもはゲーム機を両手にしているか。
本を持っている人はごくごく少数派になっている。・・・中にはスマホで電子読書中の方もおられるのかもしれないけれど。
今は受験生だから読書などしている暇はない、と言われるかもしれないけれど、高校合格のお祝いにスマホを希望した息子が、ついぞ本を読むのを見たことがない。小学生の頃はあんなに本好きだったのに。あんなに立派な図書館のある中高一貫校に入学したのに。
漫画とネットサーフィンと、延々と続くラインの会話・・・それだけではあまりに淋しいのでは・・・と思う。本は紙で読みたいし、辞書も紙で引きたい昭和の香りムンムン(息子談)の母である。