先日、あけぼの会の講演会に行った時のこと。私たち再発患者に完治はない、ということを認めながらも、今それぞれがそれぞれの治療に頑張っているのは、他でもなく、とてもシンプルな理由だ。やっぱり「もっと生きたいから」なのだ、と今更のように思った。
治療が長期にわたってくれば(というか、再発したのだから治療は生涯続くわけで)当然辛いことはあるし、精神衛生上良くないことも沢山ある。いつもあきらめず前向きに頑張ろう、と思ってはいる。けれど、哀しいかな、いろいろな検査結果や普段はないちょっとした症状にその都度動揺し、薬のチェンジの必要があるか、そのタイミングはいつか、などなど悩みは尽きない。当然滅入ることもあれば後ろ向きになることも、ある。そんなことをものともしない強靭な精神力の持ち主は、そうはいないのだ、と思う。
それでも、うつ病の診断のための9つの身体症状・精神症状の1つの項目である「希死念慮」・・・いわゆる死にたい・・・と思ったことは、能天気と言われるかもしれないけれど、不思議なことにこれまで一度もなかった。
事務局のTさんもそうおっしゃっていた。プチ虹サロンのメンバーのSさんも「生きたいから、私たち、こんなに頑張っているんだよね。」と、Kさんも「(ここまで頑張ってきたからには)中途半端に死ねないよね。」と。全く同感だった。
そう、当然ながら人間は生身だから不死身ではない。メメント・モリ・・・“死を想え”は言わずと知れたラテン語の警句である。それは今回の大震災で嫌と言うほど繰り返し突き付けられた事実だ。
けれど、生きているからこそ、ということは沢山ある。私は46歳で再発・遠隔転移したから、いくら頑張ってみても、日本女性の平均寿命である85歳まで生きることは望むべくもないだろう。けれど、それでも1日でも長く、そして自分らしく精一杯生きたい。「3.11」以降、とりわけそう思う。
やはり一日でも長く生きたい。なぜって生きているって素晴らしい!と思うから。
だから、これからも休まずきちんと治療を続けよう。治療日にきちんと薬を投与して頂けるように体調を整えていこう。そうして命を一日でも長く繋いでいくことが、こうしてブログで発信している私の使命、そして襟持だと思いたい。
今朝の読売新聞の編集手帳が目にとまった。以下転載させて頂く。
※ ※ ※ ※ [転載開始]
3月31日付 編集手帳
生まれてまもない君に、いつか読んでほしい句がある。〈寒き世に泪(なみだ)そなへて生れ来し〉(正木浩一)。君も「寒き世」の凍える夜に生まれた。列島におびただしい泪が流れた日である◆震災の夜、宮城県石巻市の避難所でお母さんが産気づいた。被災者の女性たちが手を貸した。停電の暗闇で懐中電灯の明かりを頼りに、へその緒を裁縫用の糸でしばり、君を発泡スチロールの箱に入れて暖めたという◆男の子という以外、君のことは何も知らない。それでも、ふと思うときがある。僕たちは誕生日を同じくするきょうだいかも知れないと◆日本人の一人ひとりがあの地震を境に、いままでよりも他人の痛みに少し敏感で、少し涙もろくなった新しい人生を歩み出そうとしている。原発では深刻な危機がつづき、復興の光明はまだ見えないけれど、「寒き世」は「あたたかき世」になる。する。どちらが早く足を踏ん張って立ち上がるか、競争だろう◆原爆忌や終戦記念日のある8月と同じように、日本人にとって特別な月となった3月が、きょうで終わる。名前も知らぬ君よ。たくましく、美しく、一緒に育とう。(2011年3月31日01時21分 読売新聞)
[転載終了] ※ ※ ※ ※
あの日から私は今までよりも他人の痛みに少し敏感で、少し涙もろくなった新しい人生を歩み出している、と思う。
平成22年度の大晦日、職場では期せずして今日をもって勤務終了になり、涙した方もいる。
そして明日から新しい平成23年度が始まる。誰しもが忘れられない悲しみの3月を胸に抱えつつ、日本人で良かった、生きていて良かった・・・と皆が思える新しい年度にしたい、と思う。
体調だが、やはり、昨夜以来お腹は気持ち悪いし、食欲はない。火照ってもいる。涙は年中滲んでいるし、鼻水も出てうっとうしい。けれど、こうした副作用も全て生きているからこそ、だ。
治療が長期にわたってくれば(というか、再発したのだから治療は生涯続くわけで)当然辛いことはあるし、精神衛生上良くないことも沢山ある。いつもあきらめず前向きに頑張ろう、と思ってはいる。けれど、哀しいかな、いろいろな検査結果や普段はないちょっとした症状にその都度動揺し、薬のチェンジの必要があるか、そのタイミングはいつか、などなど悩みは尽きない。当然滅入ることもあれば後ろ向きになることも、ある。そんなことをものともしない強靭な精神力の持ち主は、そうはいないのだ、と思う。
それでも、うつ病の診断のための9つの身体症状・精神症状の1つの項目である「希死念慮」・・・いわゆる死にたい・・・と思ったことは、能天気と言われるかもしれないけれど、不思議なことにこれまで一度もなかった。
事務局のTさんもそうおっしゃっていた。プチ虹サロンのメンバーのSさんも「生きたいから、私たち、こんなに頑張っているんだよね。」と、Kさんも「(ここまで頑張ってきたからには)中途半端に死ねないよね。」と。全く同感だった。
そう、当然ながら人間は生身だから不死身ではない。メメント・モリ・・・“死を想え”は言わずと知れたラテン語の警句である。それは今回の大震災で嫌と言うほど繰り返し突き付けられた事実だ。
けれど、生きているからこそ、ということは沢山ある。私は46歳で再発・遠隔転移したから、いくら頑張ってみても、日本女性の平均寿命である85歳まで生きることは望むべくもないだろう。けれど、それでも1日でも長く、そして自分らしく精一杯生きたい。「3.11」以降、とりわけそう思う。
やはり一日でも長く生きたい。なぜって生きているって素晴らしい!と思うから。
だから、これからも休まずきちんと治療を続けよう。治療日にきちんと薬を投与して頂けるように体調を整えていこう。そうして命を一日でも長く繋いでいくことが、こうしてブログで発信している私の使命、そして襟持だと思いたい。
今朝の読売新聞の編集手帳が目にとまった。以下転載させて頂く。
※ ※ ※ ※ [転載開始]
3月31日付 編集手帳
生まれてまもない君に、いつか読んでほしい句がある。〈寒き世に泪(なみだ)そなへて生れ来し〉(正木浩一)。君も「寒き世」の凍える夜に生まれた。列島におびただしい泪が流れた日である◆震災の夜、宮城県石巻市の避難所でお母さんが産気づいた。被災者の女性たちが手を貸した。停電の暗闇で懐中電灯の明かりを頼りに、へその緒を裁縫用の糸でしばり、君を発泡スチロールの箱に入れて暖めたという◆男の子という以外、君のことは何も知らない。それでも、ふと思うときがある。僕たちは誕生日を同じくするきょうだいかも知れないと◆日本人の一人ひとりがあの地震を境に、いままでよりも他人の痛みに少し敏感で、少し涙もろくなった新しい人生を歩み出そうとしている。原発では深刻な危機がつづき、復興の光明はまだ見えないけれど、「寒き世」は「あたたかき世」になる。する。どちらが早く足を踏ん張って立ち上がるか、競争だろう◆原爆忌や終戦記念日のある8月と同じように、日本人にとって特別な月となった3月が、きょうで終わる。名前も知らぬ君よ。たくましく、美しく、一緒に育とう。(2011年3月31日01時21分 読売新聞)
[転載終了] ※ ※ ※ ※
あの日から私は今までよりも他人の痛みに少し敏感で、少し涙もろくなった新しい人生を歩み出している、と思う。
平成22年度の大晦日、職場では期せずして今日をもって勤務終了になり、涙した方もいる。
そして明日から新しい平成23年度が始まる。誰しもが忘れられない悲しみの3月を胸に抱えつつ、日本人で良かった、生きていて良かった・・・と皆が思える新しい年度にしたい、と思う。
体調だが、やはり、昨夜以来お腹は気持ち悪いし、食欲はない。火照ってもいる。涙は年中滲んでいるし、鼻水も出てうっとうしい。けれど、こうした副作用も全て生きているからこそ、だ。