ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2018.8.30 職場健康診断結果受領

2018-08-30 21:32:28 | 日記

 7月最終週に職場健康診断を受診してから1ヶ月が過ぎた。うまくすれば昨日の通院時に先生にお見せできるかもしれないと思っていたのだけど、残念ながら間に合わなかった。
 そして今日、結果票が職場で配布された。

 総合所見は3年連続Cの要経過観察。
 胸部エックス線撮影は例年通りパスした。今年のC判定は肝機能によるもの。長く続く化学療法で肝臓の機能も段々とよろしくなくなってきている。お酒は飲まないし、これまではどの数値も軒並み低かったのだけれど、最近病院での検査でも赤いHマークがつき続けている。
 一方、3年連続してCが続いた心臓については久しぶりに正常範囲のAがついている。
“肝機能検査について経過を観察してください。引き続き主治医のもと管理・治療を継続してください。視力の低下を認めます。眼鏡またはコンタクトの使用調整を勧めます。”とのこと。

 ハーセプチン投与がかれこれ10年にも達するから、心毒性の影響で心臓に何か出るというのもやむなしのこと。けれど、おかげさまで昨日のエコーでも特に異常が見つからなかったから、ひとまず心臓は強いのだ、と勝手に納得して、あまり神経質にならないことにした。 

 また、まもなく母が術後3年検査を受ける大腸がん。おかげさまで今回も“便潜血認められず”の陰性だったが、判定は昨年同様要経過観察。“問診の結果から3か月後に医療機関受診をお勧めします。”とのこと。これは家族の既往や抗がん剤等の副作用で下痢を繰り返すことがあると答えたことにもよるものだろう。

 VDT検診では「常時作業可」と昨年に続きお墨付きを頂いた。ただ、視力の衰えがあるので、調子に乗らずブルーライトカットの眼鏡は引き続き使っていこう。

 下腹部周りがさらに豊かになったけれど、まあこれは加齢現象ということで納得しよう。メタボリック症候群は今年も全て基準値以下で非該当。肥満度△22%、BMIは17台だから昨年より標準に近づいているともいえる。

 血液検査の結果は尿酸(2.6)、糖代謝(血糖値88、HbAlc5.4)、白血球(4,380ほどあった。私にしては充分!)、貧血(血色素量13.1)、脂質(総コレステロール、LDL、HDLコレステロール、中性脂肪)はどれも基準値内でA判定がついた。
 だが、昨年同様肝機能AST(GOT)、ALT(GPT)が基準値超えしておりC判定。

 再発治療も足掛け11年目に突入。年齢相応に但し書きやら注意コメントがあるものの、(持病は置いておいて)職場健診結果だけを考えれば、退職まであと3年半ちょっとのアラ還なりに、まあまあ健康体なのではないかと思う。

 今日は暑さがぶり返した。明日は息子が来月からの集中講義に備えて関西に帰る。また夫と2人の生活に戻る。
 朝からゼローダを飲みはじめたら、午後にはまたお腹が緩くなり始めた。フロモックスはやめているので、このままならまあ心配はなさそうだけれど。本当に分かり易い身体である。
 8月も余すところあと1日、9月になったら少し涼しくなってほしいものである。
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2018.8.29 採血心エコー後腫瘍内科診察、ハーセプチン200回目(3倍量再開11回目)、明日からゼローダ12クール目(パイオニア的飲み方)再開

2018-08-29 21:55:02 | 治療日記

 昨夜は大浴場があるホテルに宿泊。チェックイン後少し休んですぐにお風呂に向かった。気持ち良くリラックスして部屋に戻り、あっという間に眠くなってしまった。夜中に一度目を覚ましたけれど、すんなり寝直して早々と目が覚めた。
 迷わず朝風呂に向かう。貸し切り状態でラッキーだった。夫にモーニングラインをして起床を確かめてからゆるゆるとレストランに向かい、あれこれちょっとずつ、といいつつモリモリ頂く。
 BSで朝の連続テレビ小説を視、母にご機嫌伺いの電話をして(昨日息子が実家へ行ったこともあり、話が止まらなくて往生した)からチェックアウト。曇天で気温があまり上がらない模様。厳しい暑さが続いていたのでほっと一息だ。

 病院に到着し、IDカードを通し、まずは採血の受付へ。電光掲示板には7分待ちとあったが、20人以上待っている。今日は心エコー検査が時間指定なので、生理検査の番号札も取っておく。
 採血が15分待ちに訂正されたと思ったら、本当に15分待ったところで部屋に入れてほどなくして順番になった。初めてお目にかかる看護師Mさん。まだ随分お若い。今日はフルチェックのため5本だが、それほど痛まずほっとする。5本採り終わるまでに結構時間がかかり、抜針の後もなかなか血が止まらなかった。
 止血しながら採血室から出たタイミングで生理検査の番号を呼ばれる。予約10分前に受付をすることになっているが、まだそれまでに30分ほどあり、その間にレントゲンを済ませることに。

 エスカレーターで2階に上がる。こちらもまだ早いので番号を配布中。15分ほど待って、遅いなあとちょっと心配になったところで呼ばれ、中廊下に移動。ほどなくして順番になり、レントゲン対応衣装のため、そのまますんなり撮影して終了。
 再び1階に戻って、指定時間にちょうど生理検査受付に辿り着いた。そのままエコーの中待合に移動。時間通りに名前を呼ばれ、ここでは検査着に着替えてベッドに横になる。
 横向き、少し仰向け、仰向けと20分ほど。薄暗い部屋の中でなんとなく眠くなってくる。無事終わって着替えを済ませ御礼を言って向かいの腫瘍内科へ移動。

 ここまでで病院に入ってから1時間30分近く経過している。そろそろ採血の結果も出ているかもしれない。待合椅子の定位置が確保でき、受付をして、読書開始。

 今日のお伴は、先日、帰りの飛行機の中で読みかけだった乃南アサさんの「水曜日の凱歌」(新潮文庫)の続き。700頁を超す長篇だが、まだ200頁弱しか読めていなかった。すんなりと小説の世界に入り込んでグイグイと読み進める。芸術選奨受賞のこの作品は乃南さんの新たな代表作とされるが、実に面白かった。
 「戦争が終わったその日は、女たちの戦いが幕を開けた日。世界のすべてが反転してしまった日。14歳の鈴子は、進駐軍相手の特殊慰安施設で通訳として働くことになった母とともに各地を転々とする。苦しみながら春を売る女たち。したたかに女の生を生きなおす母。変わり果てた姿で再会するお友達。多感な少女が見つめる、もうひとつの戦後を描いた感動の長篇小説」と裏表紙にあるとおり、RAA(特殊慰安施設協会)を初めて取り上げたという力作。頁を繰る手が止まらなかった。思春期の少女の母への視線は同性だけに実に厳しい。主人公は昭和6年生まれの設定だから、丁度母の2つ上で伯母と同い年だ。この世代の人たちが生き延びてきた背景を想うと、やはり生きていることは奇跡の積み重ねだと想わざるを得ない。

 ちょうど腫瘍内科の予約時間だったので、少し落ち着いたところで忘れないうちに血圧測定。95-61、脈拍は73。まあ朝なのでちょっと低めか。30分ほど待って「中待合へどうぞ」に掲示板番号が出てから再び30分ほど待っていると化学療法室のMさんが「体調いかがですか」声をかけてこられたと同時に先生がお顔を出された。

 ご挨拶して椅子に座る。「ゼローダ後半をお休みしてすみませんでした。おかげさまで旅行にも無事行くことが出来ました。とにかく暑さで怠さが酷く、痛みや息苦しさもあり、ちょっと(飲み続ける)自信がなかったので。ロキソニンの効きが悪く、コデインを飲みました。気分的なこともあるのかもしれませんが、効いたようでした。(ゼローダを)お休みしたことで大分調子も良くなり、(ゼローダを止めたのと)同時に抗生剤フロモックスも止めています。休薬のせいか、爪囲炎も大分良くなっています。」と足先をお見せする。 「手の爪は欠けたり割れたりしやすいですが、手のひらの痛みも足の裏の痛みも大分軽減しています。体重増加もなくなりほぼ通常に戻っています。」と手袋を外してご報告する。

 「まず心エコーですが、心臓の機能はバッチリで、採血でBNP(心臓から分泌されるホルモンの一種で、心筋梗塞や心不全のような心臓に負担がかかった状態になると心臓(主に心室)から血液中に分泌される。この数値が高いということは、心臓に負担がかかっていることを意味する。)の数値を取ってフォロー検査しましたが、これもOKでした。採血は概ね良いですが、マーカーは上がっています。5月から連続して、ですね。」とPCのグラフを見せてくださる。「まあ、指標の目盛りを小さく取り直せばゆっくり少しずつ上がっているという感じですが・・・。」とグラフを再表示してくださる。「白血球は4,200、赤血球も12.5あるので貧血も大丈夫、肝機能もここのところでは良い数値です。(とはいえ依然として赤い表示)」と言われる。

 PCには2回分のレントゲンの画像が並んでいる。「前回に比べて右下の影が濃く大きくなっています。これだけだと無気肺なのか腫瘍なのか分からない。ただ無気肺だとしても腫瘍が(大きくなって)押して気管支の通りを悪くして肺が潰れているのかもしれません。(咳が出るという)症状もあるようだし、5月から4か月経つので次回CTを撮りましょう」ということに。その場で次回の通院日に結果を聴けるように前の週に予約を入れて頂く。

 「薬はゼローダが半分残っているでしょうから1週分のみ、そして(これまで頓服で出していた)コデインを多く出しますので、我慢しないで痛ければしっかり飲んでください。1日4回まで2週間分処方しましょう。半減期が短いので、4時間から6時間くらいの効き目です。」とのこと。前回10包出して頂き、旅行前に残っていたのが7包だけだったのでちょっとヒヤヒヤしていた。今回56包も頂けて安心した。
 「コデインを続けて飲んで問題ないですか。」と確認すると「コデインに不満がなければ敢えて変える必要はありません。」ということだったので、ロキソニンが効かない時は迷わずコデインを飲み、それで問題なければOKというご判断。ひとまず医療系麻薬等の新しい薬は所望せずに済んだ。

 それにロキソニンとミヤBM錠が加わった。足の爪周りをお見せしたことで「抗生剤ももう飲まなくてよいでしょう。また悪くなったら、その時に、でよいでしょう。」とのこと。さすがに5か月近く飲み続け、止めたかったのでほっとする。診察室での検温は6度7分。

 ご挨拶して診察室を後にした。化学療法室に入ると、混んでいる。待合の椅子も一杯。なかなか呼ばれない。
私の後にも患者さんが入ってくる。夫やお友達に報告LINEしながらやり過ごしたが、30分以上待った。ようやく看護助手さんが窓側の一番奥のリクライニング椅子に案内してくださった。態勢を整えて針刺しと薬が届くのを待つ。

 15分ほど待っただろうか。Kwさんが見えた。今日もちょっと痛んだが、まあ仕方ないなというレベル。
 そこから15分ほどして薬をセットしにきてくださる。休薬中の状況等の問診等。急逝されたさくらももこさんのお話にもなった。
 ハーセプチンと生理食塩水で1時間半。終了間近に血圧を測って頂くと、99-58、脈拍は60。やっぱり低めですね、朝は辛いですか、と訊かれる。
 抜針はKwさん。うーん、どうしてこんなに衝撃が来るかなという感じ。思わず「痛い」と言葉に出てしまった。胸元で自分では見えない部分なので必要以上に痛むと不安が増す。

 前回各科での会計計算になって戻って良かったと思っていたのにまたしても今日は総合受付で会計、に変わっていた。やはり待ち時間が長く、病院滞在時間は5時間半。採血、エコー、点滴の3割負担の4万円弱をカードで支払う。
 外は相変わらずの曇天。
 薬局は数人が待っていたが、今日も今日とて後から来た人にどんどん抜かされる。小一時間待って最後になってしまった。ゼローダが半分なので6,000円ほどをカード払い。

 病院と薬局の合計滞在時間は6時間半弱。さすがに6時間を超えると疲れるし空腹もピークを過ぎる。ランチ終了間際に駅ビルのレストラン街に入って、さっさと食べられるお寿司屋さんに入った。息子のものを少し買い物して、車内では席を確保して本の残りを読み終えた。

 夕食は乗換駅の駅ナカスーパーでお弁当を調達。2人分でも結構な荷物だが、今日は息子の分も含めて3.5人分。お泊り道具や薬袋、買い物袋等も含め両肩にバッグとエコバッグ、両手に手提げの大荷物。日傘がなかっただけめっけもんである。フラフラしながら最寄り駅に到着し、迷わず贔屓のタクシー会社の車をゲットして帰宅した。殆ど仕事をして帰るのと変わらない時間の到着。

 帰宅すれば玄関の前には生協のお届け品がドーンと鎮座している。DM等郵便物も一杯で両手がふさがっていたが、幸い息子が家にいたので呼び鈴を押してドアを開けてもらう。
 食料品を玄関先から冷蔵庫付近まで2人でピストン輸送。郵便物を整理し、洗濯物を畳むのは息子に指示し、片づけて終わってようやく腰を下ろしたらもう夫が帰ってきてしまった。洗濯が間もなくして出来るから、と横になっていたら、夫が干してくれたので、甘えてそのままゴロゴロ。
 味噌汁を作り、買ってきたお弁当も温めてくれて、3人で夕飯を頂いた。
 明日、明後日はまた暑さがぶり返すという。本当に厳しい夏だ。2日間頑張ればまたお休みの土日だ。
そして明日から12クール再開。今度はちゃんと飲み切れますように。
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2018.8.27-28 相次ぐ訃報に心塞ぐ週始め

2018-08-28 22:13:49 | 日記

 月曜日。
 不眠で辛かった日曜日だったが、さすがに夜は自然に眠くなって夜中に一度も起きることもなく朝までしっかり眠れた。ひとまずほっとして週始めを迎えられ、昨日は11日ぶりの出勤。 
 連なるメールを大急ぎでチェックし、急ぎのものから大車輪で処理。その他定例会議の出席等と終日追われた。不思議なもので仕事に来るとシャンとするものだ。

 昼当番を経て、多忙な看護師の職を持つ傍ら社会人入学し、この春に博士課程を修了して、来月から研究職に就く方のお祝い方々学内レストランでランチをともにした。昼休みを1時間ずらすとレストランもすっかり静かでのんびりしている。窓口でやりとりしているとなかなかゆっくりお話することも出来ないけれど、とても楽しいひと時だった。
 
 必死で仕事をこなし、2週間ぶりにリンパリフレッシュヨガのクラスに参加した。旅行だなんだかんだでゆっくり身体を整えることが出来ず、どうしても行きたいと身体が訴えているのがわかったので。大量に汗もかいて大分すっきり。
 シャワーも浴びてさて帰ろうとした時、息子からのLINEでさくらももこさんの訃報を知る。53歳、まさか・・・と思ったら案の定同じ病気。息子いわく、隔週の連載がこのところ休載だったという。ブログは7月のはじめで途絶えており、15日に亡くなったとのこと。闘病のことは伏せられていたようで、本当にびっくりした。
 どんな病歴を辿られたのかは知る由もないけれど、息子より2つ上のご子息がおられた。
 その少し前には45歳のレスラーの方も同じ病での訃報があった。

 40代、50代という若い年齢での女性の訃報はほぼ間違いなく同じ病だ。同病で自分より年下の方が亡くなるのは本当に精神的に堪える。

 なんとなく落ち込み、外に出るととんでもない雷雨。日傘しか持っていなかったけれど、タクシーは長蛇の列だし、とても止みそうにないので決死の覚悟で歩き出したが、家までの15分間の雷と稲光は恐ろしかった。洋服はびしょ濡れ、靴はチャプチャプ。シャワーを浴びているようで泣きっ面に蜂である。乳がん死ではなく落雷死だったらシャレにならないなと思いつつ、ほうほうの体で家まで辿り着き、夫にタオルを持ってきてもらって玄関で着替える。

 着ていたワンピースからは雫が滴り落ち、下着までぐっしょり。傘は殆ど役に立たなかった。こんな土砂降りで歩いたのは久しぶり。まあ自業自得ではある。あと15分早く帰っていれば、と思うが後の祭り。最寄の私鉄も落雷のため運転ストップだったようだ。2駅先のスタジオに行っていなかったのがせめてものこと。

 その後夕食を整え、遅い夕餉を3人で囲んだ。食後はちょっとだけビデオを見て、さっと入浴を終えて就寝。ようやく普段の生活のペースに戻った。

 火曜日。
 思いのほか寝坊をしてしまい、夫は水分と果物だけで家を出た。
 出勤して、朝一番に開いたメールで息を呑む。同じ病で休職中だった方の訃報だ。享年49歳。メールでずっと相談に乗ったり、励ましてきたりしていたが、先月末脳転移が分かり、「明日から放射線治療のため入院しました。全て車椅子ですが、やれるだけ頑張ります」というメールが最後になった。あまりに早いことで言葉がない。
 自覚症状があってから大分放置されていたのは知っていたけれど、抗がん剤治療を経て手術後、ほどなくして局所再発、さらには遠隔転移と治療が追いつかなかった。もう少し早く適切な治療が出来ていたら、と悔しくてならない。合間に1ヶ月ほど復職されたけれど、すぐにまた休職に入ってしまい、とうとう戻ることはなかった。

 それにしてもなんと無情なことか。同じ病を持ちつつこうして10数年も生きながらえている私はどうなのだろう。いつもいつも複雑な気持ちになる。もちろん一人ひとり予後は異なるし、比較するのはナンセンスなことだけれど、それにしてもこう訃報が続けばいくら平静を装っていても動揺はする。
 世界は上手くいくように出来ている、なるべくしてなる、と思っても割り切れない思いはやはり残る。
 どうか安らかに、と願わざるを得ない。合掌。 

 一方、息子は生後56日から丸6年間お世話になった保育園に就職内定の挨拶に出向き、園長先生にお目にかかり、写真も撮ってきたとのこと。その後は実家の母にお土産を届けて夕飯を一緒にしてくれた。私はそれに甘えて帰宅後明日の支度をしてから夫と駅で待ち合わせ、夕食は外食で済ませて、そのまま明日の通院のために前泊している。

 明日は久しぶりにレントゲンと心エコーの検査。息苦しかったり、痛かったりと色々あるし、旅行前に酷いだるさでゼローダもお休みしたことが吉と出るか凶と出るか、わからない。それでもこの酷暑の中、あのだるさを抱えながら旅行を愉しむことは出来なかっただろう。だからどんな結果になろうとも納得の上。きっとこれでよかったのだ、と思う夜である。
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2018.8.26 不眠と猛暑にもめげず、今日も合唱練習

2018-08-26 21:36:58 | 合唱

 昨夜は日付が変わらないうちに、と早めに入浴後ベッドに入った。コテンと眠るつもりが、とんでもなかった。いつも聴いているマントラのCDを1時間廻したところで全く眠くならない。そうこうしているうちに日付が変わる。夫と息子は湯上がりに、昨日夫の郷里から届いただだちゃ豆とビールで一杯やってから寝たようだが、彼らが寝室に入ってからもこちらの眼はギンギン。「眠れない」と夫に言ったら「寝付くまでビデオでも見ていてあげる」(何故なら、夫の鼾がうるさくて先に寝ないと悲惨になるから)とまたリビングに戻ってくれた。それでもまだまだ眠れない。ストレッチをしてみたり、お手洗いに立ってみたり。2時前に起きたらもう朝刊が来ていた(もう朝刊?、いくらなんでも早すぎるではないか。)。

 その後もやはり眠れない。夫もなかなか眠れなかったようだが、時折寝息をかいていたので、少しはウトウトした模様。CDを何度かけ直したことか。ああ、3時半、ああ5時、外は白々と明るくなってしまった・・・と一睡も出来ず。結局、7時までしっかり時計を覚えており、その後8時に目覚ましが鳴ったから、1時間くらいはトロリとしたのか、今となっては定かではない。こんな頑固な不眠はかなり稀なこと。まさしくこれぞ、時差ボケではないか。

 目覚ましを止めてあと1時間くらい寝られるかしら、と目を瞑ってみたところで、正気に戻って昨日の二の舞になっては大変、とノロノロ起きる。息子はしっかり8時間睡眠だったようだ。
 眠れない、眠れないと思っているうちに胸痛が出てきて、調子が悪くなってくる。寝不足どころか全く眠れていないのだからそれは疲れていても当然だ。

 朝食を済ませ、洗濯と拭き掃除をして、シャワーを浴びる。朝からとんでもなく暑い。都内の最高気温は38度の予報だ。居住する市も37度まで上がるという。もう本当にげんなりだ。シャワーを浴びて出てきて身支度をしている間にまた汗をかく。ストッキングが巧く履けない。
 ヨレヨレしながら3人で出かける。

 私は合唱練習に、夫と息子は携帯ショップ経由で都心までラーメン探訪、息子は夫と別れた後、大学の先輩と夕飯、私は夫と待ち合わせて用足しすることにしていた。

 往きの電車で楽譜を見たかったのだけれど、全く眠っていないのでちょっと目を瞑って静かにしてみる。いつもなら電車に揺られてコックリするところが全然眠くならない。ああ、もうどうしたらいいのだろう。
 結局、何も出来ずに私鉄からJRに乗り換え、練習場の最寄り駅ナカで軽くお昼を摂って練習場へ向かう。凄まじい太陽光線。息をするのも苦しい感じだ。リスボンでも随分腕が日焼けしてしまったが、上焼きしている感じ。この蒸し暑さの中、途中で倒れたらどうしようと案じつつ、一人でいると不思議と気持ちがシャンとする。

 練習場に到着。ちょっとだけ遅れてしまい、発声練習のカデンツァから加わる。既に男性、女性それぞれ10人ほど集まっている。
 今日の前半は12期上、ここ数年OB・OG合唱団で指揮をされたKさんの指導。卒団生ステージということで、一度は歌ったことのある懐かしい曲を数曲さらりと歌って耳に覚えさせる。ちょっと歌っていくうちにと皆すぐに思い出してハモり出すのが気持ち良い。本番では指揮者のY先生が振られるということで油断禁物であるけれど。

 モーツァルトの「Ave Verum Corpus」、バッハの「主よ人の望みの喜びよ」、シューマンの「流浪の民」とお馴染みの3曲を歌った後は、初見の曲、ウェーバーの「Gebet(祈り)」。この曲は1949年4月に発足した我が合唱団が最初に取り上げた曲とのこと。今回、今から70年前に団を立ち上げた先輩たちに敬意を表して取り上げるとのこと。音取りから始めたけれど、すぐにそれなりにハモルようになり、無事終了。

 ここまでで結構のどを使う。声が出やすいように、座らずに立って歌いましょうがモットーのKさんだったので、立って歌っているうちにかなりしんどくなってきた。
 少しだけお休みして今後の事務連絡の後、練習再開前に全員が○期の○○です、と自己紹介。このあたりで男性も女性も15人くらいずつに増えており、それなりにボリュームのある構成になってきた。
 男性の最高齢は11期の80歳、女性は13期の70代後半。そして最年少は現役3年生のソプラノさんと4年生のベースが2人。私たちは81年度生(35期)と称していたが、今の現役は2000年以降は00(ゼロゼロ)生、01(ゼロイチ)生と称し、で今日の3人はそれぞれ15(イチゴ:69期)生と16(イチロク;70期)生だそうだ。その年の差、なんと60歳近く。今日、私は3年生のソプラノさんとお隣だったので、隣から若々しい声量たっぷりの声を聞きながらなんとなく若返って自分も歌えているような良い気分になれた。

 後半はシュッツの曲を2曲復習し、再びお休みが10分弱。この頃には喉が草臥れて声がしゃがれ、だんだん顎が出てくる。練習を開始して優に2時間。休憩を挟み、邦人曲「くちびるに歌を」は40期のSさんが今回も引き続き指導。
 残り30分しかないのに・・・、と思いながらかなり丁寧に復習しながら4曲目を歌う。練習終了時間4時を過ぎても全く終わる気配がない。予定表には4時までとあるが、急遽4時半までになったのだろうか。かといって誰一人席を立つ人はいない。夫と待ち合わせしていた時間に行けそうにない。ちょっとこっそり席を立ってLINEで連絡。再び戻って1曲目を歌う。「通して歌うと1曲につき7分半ほどかかるので、通さずに色々な曲を歌います、皆さんが毎回練習に来られるわけではないので」とのこと。2曲が一通り終わったのは4時40分を回っていた。
 その後チケット配布の事務連絡等を伺い、急いで練習場を後にした。

 高校時代の3期先輩でもあり、この団の2期先輩でもあるMさんと駅までご一緒した。同期の方が膵臓がんで亡くなり、昨夜お通夜だったそう。奥様を4年前に亡くされ、今度は2年の闘病の末、ご自身も。まだお子さんは19歳と21歳の大学生だという。とても人ごとではない、と胸が苦しくなった。就活やらなにやらまだまだ色々親御さんに相談することがあっただろうに。これからのお二人のことを思うと、辛い。先輩ご自身も36年ぶりの再会が遺影だったので相当ショックだったとのこと。
 乗換駅まで一つ上のMさんとも合流してそんな話をしながら電車に揺られた。

 ここでお二人のM先輩とお別れし、待ち合わせ予定の百貨店で2人と合流した。息子は30分後にこの駅の反対側で待ち合わせとのことで、そこで別れ、夫とお茶をしてガラガラ声の喉を潤してちょっと人心地つき、買い物を済ませて予定より1時間遅れのライナーで戻ってきた。
 疲れ果てたので駅前のイタリアンで食事を済ませ、先ほど帰宅した。

 それにしても殆ど一睡もしていないわりにはなぜこんなに眠くないのだろう。疲れているのは間違いない。今夜こそきちんと眠って、明日の朝は時差ボケから解放されてすっきりしていますように。
 11日ぶりの出勤、メールを開けるのが今から恐ろしい。

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2018.8.25 猛暑に仰天、寝坊に仰天、携帯ショップで拷問の数時間・・・

2018-08-25 22:34:44 | 日記

 昨夜は疲労困憊の状況であれこれ片づけて、ベッドに入れたのは日付が変わった頃。それでも夕方お昼寝をしたし、予定もあるから8時には目覚めたいと一応目覚ましをセット。
 寝苦しくも疲れが勝り、目覚ましが鳴るまで眠ることが出来た。そしてあと1時間だけ・・・と思って目覚ましを止めて寝直したのが運の尽き。暑さにふと目覚めて時計を見るとまさかのお昼!?
 信じられない。こんなに寝過ごしたのはいったい何年ぶりだろう。とにかく身体が泥のように疲れていて全く起き上がることが出来ない。

 今日は、6月にお目にかかる約束が、大阪北部地震の遭遇で延期を余儀なくされてしまったMさんに、彼女が今年もかながわ乳がんフォーラムで上京されると知り、ご挨拶かたがた参加出来ればと思っていたのだけれど、開場は30分後の12時半。これから支度をして出かけてみても、どう頑張っても終了間際になってしまう。それよりなにより身体がとても動きそうにない。諦めてお行儀悪くもベッドの中からお詫びのLINEを打つ。申し訳ないことである。今回はヨガの話題等もあったようで楽しみにしていたのに、トホホである。自己嫌悪。
 10時過ぎには宅配もあったようだが、夫も息子も誰も気づくことなく昼まで爆睡である。これも夕方までに再配達を依頼する。

 そしてノロノロと起き出してランチのような時間に遅い朝食を摂る。外は信じられない暑さである。室温は既に32度を超えている。冷房を入れてもなかなか30度を切らない。
 洗濯を干し、夫はかかりつけのクリニックに薬を取りに、息子は今回帰省の2つ目のミッションであるスマホ更新に。息子が最初に携帯ショップに順番取りに出かけ、私はあれこれ片づけてそろそろ順番OKというところでショップに到着。

 それからが実に長かった。アンドロイドをiPhoneにするということで、もろもろの手続きとあれやこれや契約見直し。息子は分かっていることも、スポンサーの私がなかなか分からないのが情けない。とりあえず今後のことを考えて名義を本人に変更し、支払は学生のうちは引き続きこちらに集約することにして、あれやこれやなんやかんや。手続きが終わったのはほぼ3時間後。まあ暑い中、家にいてもダラダラ過ごすだけだったろうから、涼しいショップにいられたのは良かったのだろうけれど、相変わらず携帯ショップに出向くと本当に消耗する。もちろん担当さんは一日お客様相手でこちらよりももっとストレスフルなのだろうけれど。

 夫も合流したものの、とりあえず出番がなく、一人手持無沙汰で、あっちこっちのショップにぶらぶら出入りしているようで、肝心な時に捕まらないという体たらく。
 ようやく息子が新しいスマホを手にして、ショップを出、食料品等の買い物を済ませて息子のリクエストでお腹一杯食べられる回るお寿司に出向いた。

 夜になってもなんと暑いことか。息苦しいほど暑い。明日も都内で38度になるという。リスボンも暑かったけれど、湿度がまるっきり違う。この東京の蒸し風呂のような暑さたるや尋常ではない。スペインのようにシエスタ制度を導入すべきではないか。熱風のような暑さと高湿度が士気を奪うのは明らかだ。働くにはあまりに過酷なこの天気、である。

 明日はさすがに昼まで寝ているわけにはいくまい。掃除・洗濯を済ませたら、私は午後から合唱練習。息子と夫は今日の支払い手続きの変更続きで再度携帯ショップを訪問の予定である。
 いやはや、スマホの手続き、何度やっても本当に大変なものである。

  
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