在宅勤務翌日の水曜日。早くも水無月最終日。2021年も文字通り半分が過ぎてしまった。毎日が過ぎるのがなんと早いことか。月の半分が体調悪く思うように動けないことを考えれば、実感としては3か月くらいの感じなのだけれど・・・。
夫は変則で今日が休務日。すっかり我が仕事のように朝食の準備をしてくれる。まだナウゼリンの世話にならないと朝食をお腹に入れる気分になれないが、吐き気は大分楽になってきた。
久しぶりに温かいシナモンロールの朝食。ジューシーな桃も佐藤錦もゴールデンキウイも美味しいと感じられる。バナナスムージーはなんとかグラス3分の1飲み切れた。ダージリン紅茶の味は相変わらずわからないけれど、青いヨーグルトはすんなりお腹に入った。
食後の薬一式は今日も5種類。カルニチン欠乏症用の薬であるエルカルチンを2錠、疲労止めとして飲んでいるが相変わらずウッとなる臭さ。
職場用にはペットボトルの195ミリリットルのお茶を持った。だるさ、疲労感はまだまだだ。
今朝も朝食前にすんなり普通便と思ったら、食後にはまた軟便になった。ミヤBM錠を毎食後飲む生活からは、今の治療を続けている限り解放されないだろう。
職場では7月1日異動がある。挨拶廻りをしている職員もいて、人の出入りが多く、なんとなく忙しない雰囲気である。こうして人様を送り出すのもこれが最後か。来年3月には自らが卒業、送り出される立場になる。泣いても笑っても残すところあと9か月。
これまで36年3か月働いて毎月、かなりの額の保険料や年金の掛け金を収めてきた。
先日ねんきん定期便が来ていた。定年まで37年働くということは444カ月掛け金を納めることなのだ、と改めて思った。高額な医療費を負担して頂くことで組合にはご迷惑をかけている身ではあるけれど、見ればこれまでに2000万円弱の掛け金を収めている。塵も積もれば、である。
一口に444か月と言われても、たった444ヶ月なのか、444か月もなのか、正直よく分からない。まあ、人生100年時代、60歳できっぱり辞めます、なんていうのは今では珍しいのかもしれない。
100歳まで生きたとして1,200か月、23歳から70歳まで47年働いたら564か月。さらにあと3年働けば半世紀50年。600カ月の間、元気に働いて掛け金を収めることが出来る人は、自身の健康にも家族の健康にも、自分を取り巻く環境にも恵まれている人ではないだろうか。
コロナ禍になって歓送迎会等もなくなった。ワクチン接種が順調に進み、集団免疫の状況にもよるだろうけれど、今年度末も恐らく大々的な集まりはないだろうから、文字通りポンコツな老兵は去り行くのみ。静かに席を離れることになるだろう。
直前になってアタフタとしないように少しずつ準備をしておきたいと思うが、とにかく月のうち10日ないし20日調子が悪いとなると、なかなか思うに任せないのが気がかりだ。
足が萎えないように、出勤時の昼休みは頑張って駅前のカフェまで歩いている。
やはり遠い。マスクのせいもあり、息が切れる。店内はそれなりに混んでいる。今日は一昨日に懲りて、迷わず温かい飲み物を頂いた。
今日は生協のお届けの日だった。普段なら帰宅後エッチラオッチラ取り込むのだけれど、夫が在宅で収納も全て完了していて助かった。誰かが日中家にいてくれるということは本当に凄いことだ。
あとはこのだるさ、疲労感が明日以降少しずつ消えてくれますように。週末はまた楽しい予定を少しずつ再開出来ればと思う。
日めくりカレンダーも今月は今日でおしまい。「病気に慣れた」だそう。コメントは「具合が悪くなって心配になった。病名を聞いてショックを受けた。そして今は・・・・・、病気であることに慣れた。もう私は、病気のプロですね」だそう。
私は、と言えば「慣れて」はいない。まあ、ステージⅣのがん患者を13年半もやっていれば、自分の病気については熟知しているつもりだ。けれど、病気も生き物であって、状況は変わる。だから常に学ぶことは必要だし、もういいか、と安易に「慣れて」しまってはいけないような気がしている。
夫は変則で今日が休務日。すっかり我が仕事のように朝食の準備をしてくれる。まだナウゼリンの世話にならないと朝食をお腹に入れる気分になれないが、吐き気は大分楽になってきた。
久しぶりに温かいシナモンロールの朝食。ジューシーな桃も佐藤錦もゴールデンキウイも美味しいと感じられる。バナナスムージーはなんとかグラス3分の1飲み切れた。ダージリン紅茶の味は相変わらずわからないけれど、青いヨーグルトはすんなりお腹に入った。
食後の薬一式は今日も5種類。カルニチン欠乏症用の薬であるエルカルチンを2錠、疲労止めとして飲んでいるが相変わらずウッとなる臭さ。
職場用にはペットボトルの195ミリリットルのお茶を持った。だるさ、疲労感はまだまだだ。
今朝も朝食前にすんなり普通便と思ったら、食後にはまた軟便になった。ミヤBM錠を毎食後飲む生活からは、今の治療を続けている限り解放されないだろう。
職場では7月1日異動がある。挨拶廻りをしている職員もいて、人の出入りが多く、なんとなく忙しない雰囲気である。こうして人様を送り出すのもこれが最後か。来年3月には自らが卒業、送り出される立場になる。泣いても笑っても残すところあと9か月。
これまで36年3か月働いて毎月、かなりの額の保険料や年金の掛け金を収めてきた。
先日ねんきん定期便が来ていた。定年まで37年働くということは444カ月掛け金を納めることなのだ、と改めて思った。高額な医療費を負担して頂くことで組合にはご迷惑をかけている身ではあるけれど、見ればこれまでに2000万円弱の掛け金を収めている。塵も積もれば、である。
一口に444か月と言われても、たった444ヶ月なのか、444か月もなのか、正直よく分からない。まあ、人生100年時代、60歳できっぱり辞めます、なんていうのは今では珍しいのかもしれない。
100歳まで生きたとして1,200か月、23歳から70歳まで47年働いたら564か月。さらにあと3年働けば半世紀50年。600カ月の間、元気に働いて掛け金を収めることが出来る人は、自身の健康にも家族の健康にも、自分を取り巻く環境にも恵まれている人ではないだろうか。
コロナ禍になって歓送迎会等もなくなった。ワクチン接種が順調に進み、集団免疫の状況にもよるだろうけれど、今年度末も恐らく大々的な集まりはないだろうから、文字通りポンコツな老兵は去り行くのみ。静かに席を離れることになるだろう。
直前になってアタフタとしないように少しずつ準備をしておきたいと思うが、とにかく月のうち10日ないし20日調子が悪いとなると、なかなか思うに任せないのが気がかりだ。
足が萎えないように、出勤時の昼休みは頑張って駅前のカフェまで歩いている。
やはり遠い。マスクのせいもあり、息が切れる。店内はそれなりに混んでいる。今日は一昨日に懲りて、迷わず温かい飲み物を頂いた。
今日は生協のお届けの日だった。普段なら帰宅後エッチラオッチラ取り込むのだけれど、夫が在宅で収納も全て完了していて助かった。誰かが日中家にいてくれるということは本当に凄いことだ。
あとはこのだるさ、疲労感が明日以降少しずつ消えてくれますように。週末はまた楽しい予定を少しずつ再開出来ればと思う。
日めくりカレンダーも今月は今日でおしまい。「病気に慣れた」だそう。コメントは「具合が悪くなって心配になった。病名を聞いてショックを受けた。そして今は・・・・・、病気であることに慣れた。もう私は、病気のプロですね」だそう。
私は、と言えば「慣れて」はいない。まあ、ステージⅣのがん患者を13年半もやっていれば、自分の病気については熟知しているつもりだ。けれど、病気も生き物であって、状況は変わる。だから常に学ぶことは必要だし、もういいか、と安易に「慣れて」しまってはいけないような気がしている。